史記 / 孟子荀卿列伝
其後有騶子之屬。齊有三騶子。其前騶忌,以鼓琴干威王,因及國政,封為成侯而受相印,先孟子。
新字:其後有騶子之属。斉有三騶子。其前騶忌,以鼓琴干威王,因及国政,封為成侯而受相印,先孟子。
書き下し
その後、騶子の属有り。斉に三騶子有り。その前は騶忌、琴を鼓するを以て威王に干め、因りて国政に及び、封ぜられて成侯と為りて相印を受く、孟子に先だつ。
現代語訳
その後、騶子と呼ばれる人々が現れた。斉には三人の騶子がいた。その最初が騶忌で、琴を弾くことで威王に取り入り、そこから国の政治を論じるに至り、成侯に封ぜられて宰相の印綬を受けた。孟子より前の人である。
解説
孟子荀卿列伝のうち、孟子の後に斉で活躍した「騶子」と呼ばれる思想家たちを紹介する導入の一文です。斉には騶忌・騶衍・騶奭の三人の騶子がいたとされ、ここではその最初の騶忌を取り上げています。騶忌は琴の弾き方を論じることで斉の威王に近づき、そこから「琴の調べを整えるのは国を治めるのと同じだ」という話に進めて国政に参与し、成侯に封ぜられて宰相になりました(この逸話は田敬仲完世家に詳しく載ります)。孟子より前の人物だとわざわざ断っているのは、この列伝が孟子を中心に戦国の思想家を年代順に並べる構成になっているためです。趣味や得意分野から入って、相手の関心に合わせて本題の提言につなげるという騶忌の手法は、今でも立場の違う相手に話を聞いてもらうときの参考になります。
関連する章句
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史記 田敬仲完世家諸侯之を聞き、敢へて兵を斉に致すもの莫きこと二十余年。騶忌子琴を鼓するを以て威王に見ゆ。威王説びて之を右室に舎らしむ。須臾にして、王琴を鼓す。騶忌子戸を推して入りて曰く、「善いかな琴を鼓すること」と。王勃然として説ばず、琴を去りて剣を按じて曰く、「夫子容を見て未だ察せず。何を以てか其の善きを知る」と。騶忌子曰く、「夫れ大絃の濁りて以て春のごとく温かなるは、君なり。小絃の廉折にして以て清きは、相なり。之を攫むこと深く、之を醳つこと愉なるは、政令なり。鈞諧して以て鳴り、大小相益し、回邪して相害せざるは、四時なり。吾是を以て其の善きを知る」と。王曰く、「善く音を語る」と。騶忌子曰く、「何ぞ独り音を語るのみならん。夫れ国家を治めて人民を弭むること皆其の中に在り」と。王又勃然として説ばずして曰く、「夫の五音の紀を語るが若きは、信に未だ夫子の如き者有らざるなり。夫の国家を治めて人民を弭むるが若きは、又何為れぞ糸桐の閒に乎てせん」と。騶忌子曰く、「夫れ大絃の濁りて以て春のごとく温かなるは、君なり。小絃の廉折にして以て清きは、相なり。之を攫むこと深くして之を捨つること愉なるは、政令なり。鈞諧して以て鳴り、大小相益し、回邪して相害せざるは、四時なり。夫れ復して乱れざる者は、治昌なる所以なり。連なりて径なる者は、亡を存する所以なり。故に曰く琴音調ひて天下治まると。夫れ国家を治めて人民を弭むる者は、五音に若くは無し」と。王曰く、「善し」と。騶忌子見えて三月にして相印を受く。淳于髡之に見えて曰く、「善く説くかな。髡に愚志有り、願はくは諸を前に陳べん」と。騶忌子曰く、「謹んで教へを受けん」と。淳于髡曰く、「全きを得れば全く昌え、全きを失へば全く亡ぶ」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで前を離るる毋からん」と。淳于髡曰く、「狶膏棘軸は、滑らかと為す所以なり。然れども方穿を運らすこと能はず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで左右に事へん」と。
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『新序』雜事第二昔者、鄒忌琴を鼓するを以て齊の宣王に見ゆ。宣王之を善しとす。鄒忌曰く、夫れ琴は政に象る所以なり、と。遂に王の爲に琴の政に象る狀及び霸王の事を言う。宣王大いに悦び、與に語ること三日、遂に拜して以て相と爲す。齊に稷下の先生有り、政事を議するを喜ぶ。鄒忌既に齊の相と爲る。稷下の先生淳于髡の屬七十二人、皆な忌を輕んじ、以謂えらく設くるに辭を以てせば、鄒忌及ぶ能わじ、と。乃ち相與に俱に往きて鄒忌に見ゆ。
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史記 田敬仲完世家淳于髡曰く、「弓膠昔干は、合を為す所以なり。然れども疎罅を傅合すること能はず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで自ら万民に附かん」と。淳于髡曰く、「狐裘は敝ると雖も、補ふに黄狗の皮を以てすべからず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで君子を択び、小人を其の閒に雑ふる毋からん」と。淳于髡曰く、「大車も較せずんば、其の常任を載すること能はず。琴瑟も較せずんば、其の五音を成すこと能はず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで法律を修めて姦吏を督さん」と。淳于髡説き畢はり、趨りて出で、門に至りて、其の仆に面して曰く、「是の人は、吾之に微言五を語る。其の我に応ずること響の声に応ずるが若し。是の人必ず封ぜらるること久しからざらん」と。朞に居りて、封ずるに下邳を以てし、号して成侯と曰ふ。威王二十三年、趙王と平陸に会す。二十四年、魏王と郊に会して田す。
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史記 孟子荀卿列伝孟軻は、騶の人なり。業を子思の門人に受く。道既に通じ、游びて斉の宣王に事ふるも、宣王用ふる能はず。梁に適くも、梁の恵王言ふ所を果たさず、則ち以て迂遠にして事情に闊しと見なさる。是の時に当り、秦は商君を用ひて国を富まし兵を彊くし、楚魏は呉起を用ひて戦勝し敵を弱くし、斉の威王・宣王は孫子・田忌の徒を用ひて、諸侯東面して斉に朝す。天下方に合従連衡に務め、攻伐を以て賢と為す。而して孟軻乃ち唐・虞・三代の徳を述ぶ、是を以て如く所の者合はず。退きて万章の徒と詩書を序し、仲尼の意を述べ、孟子七篇を作る。
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史記 孟子荀卿列伝故に武王は仁義を以て紂を伐ちて王たり、伯夷は餓ゑて周の粟を食まず。衛の霊公陳を問ひて、孔子答へず。梁の恵王謀りて趙を攻めんと欲し、孟軻は大王の邠を去るを称す。此れ豈に意有りて世俗に阿りて茍合せんとするのみならんや。方枘を持して圜鑿に内れんと欲す、それ能く入らんや。或ひと曰く、伊尹は鼎を負ひて湯を勉めて以て王たらしめ、百里奚は牛を車下に飯ひて繆公用ひて霸たり、先づ合ふことを作して、然る後にこれを大道に引く。騶衍はその言軌せずと雖も、儻しくはまた牛鼎の意有らんか。騶衍と斉の稷下の先生、淳于髡・慎到・環淵・接子・田駢・騶奭の徒の如きより、各々書を著して治乱の事を言ひ、以て世主に干む、豈に勝げて道ふべけんや。
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史記 孟子荀卿列伝淳于髡(こん)は斉人なり。博聞彊記にして、学ぶに主とする所無し。その諫説は、晏嬰の人と為りを慕ふなり、然れども意を承け色を観るを務めと為す。客に髡を梁の恵王に見えしむる有り。恵王左右を屏け、独り坐して再びこれに見ゆるも、終に言無きなり。恵王これを怪しみ、以て客を譲めて曰く、「子の淳于先生を称するや、管・晏も及ばずと。寡人に見ゆるに及びて、寡人未だ得る有らず。豈に寡人は為に言ふに足らざるか。何の故ぞや」と。客以て髡に謂ふ。髡曰く、「固よりなり。吾前に王に見えしとき、王の志は駆逐に在り。後にまた王に見えしとき、王の志は音声に在り。吾是を以て黙然たり」と。客具に以て王に報ず、王大いに駭きて、曰く、「嗟乎、淳于先生は誠に聖人なり。前に淳于先生の来たるや、人に善馬を献ずる者有り、寡人未だ視るに及ばずして、会々先生至る。後に先生の来たるや、人に謳ふ者を献ずる有り、未だ試みるに及ばずして、また会々先生来たる。寡人人を屏くと雖も、然れども私心は彼に在り、
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