呻吟語 / 外篇・治道・進言に四難有り
進言有四難:「審人、審己、審事、審時。」一有未審,事必不濟。
新字:進言有四難:「審人、審己、審事、審時。」一有未審,事必不済。
書き下し
言を進むるに四難有り。「人を審らかにし、己を審らかにし、事を審らかにし、時を審らかにす」。一つも未だ審らかならざる有らば、事必ず濟らず。
現代語訳
言葉を進めるのに四つの難しさがあります。相手を見極め、自分を見極め、事を見極め、時を見極める。一つでも見極められなければ、事は必ず成りません。
解説
進言の条件を四つ挙げます。相手、自分、事、時。相手だけでも自分だけでも足りません。そして一つでも欠ければ成らないとされ、四つが同時に要ることが示されます。内容が正しいかどうかは入っていないのが要点で、正しさは前提であって、通るかどうかは別の条件で決まるということです。実務の助言として、そのまま使える形になっています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
進言人己事時四条件同時通す
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