史記 / 蘇秦列伝
初,蘇秦之燕,貸人百錢為資,乃得富貴,以百金償之。遍報諸所嘗見德者。其從者有一人獨未得報,乃前自言。蘇秦曰:「我非忘子。子之與我至燕,再三欲去我易水之上,方是時,我困,故望子深,是以後子,子今亦得之矣。蘇秦既約六國從親,歸趙,趙肅侯封為武安君,乃投從約書於秦。秦兵不敢闚函谷關十五年。其後秦使犀首欺齊、魏,與共伐趙,欲敗從約。齊、魏伐趙,趙王讓蘇秦。蘇秦恐,請使燕,必報齊。蘇秦去趙而從約皆解。秦惠王以其女為燕太子婦。是歲,文侯卒,太子立,是為燕易王。易王初立,齊宣王因燕喪伐燕,取十城。易王謂蘇秦曰:「往日先生至燕,而先王資先生見趙,遂約六國從。今齊先伐趙,次至燕,以先生之故為天下笑,先生能為燕得侵地乎?」蘇秦大慚,曰:「請為王取之。」蘇秦見齊王,再拜,俯而慶,仰而弔。齊王曰:「是何慶弔相隨之速也?」蘇秦曰:「臣聞飢人所以飢而不食烏喙者,為其愈充腹而與餓死同患也。今燕雖弱小,即秦王之少壻也。大王利其十城而長與彊秦為仇。今使弱燕為鴈行而彊秦敝其後,以招天下之精兵,是食烏喙之類也。」齊王愀然變色曰:「然則奈何?」蘇秦曰:「臣聞古之善制事者,轉禍為福,因敗為功。
新字:初,蘇秦之燕,貸人百銭為資,乃得富貴,以百金償之。遍報諸所嘗見徳者。其従者有一人独未得報,乃前自言。蘇秦曰:「我非忘子。子之与我至燕,再三欲去我易水之上,方是時,我困,故望子深,是以後子,子今亦得之矣。蘇秦既約六国従親,帰趙,趙粛侯封為武安君,乃投従約書於秦。秦兵不敢闚函谷関十五年。其後秦使犀首欺斉、魏,与共伐趙,欲敗従約。斉、魏伐趙,趙王譲蘇秦。蘇秦恐,請使燕,必報斉。蘇秦去趙而従約皆解。秦恵王以其女為燕太子婦。是歳,文侯卒,太子立,是為燕易王。易王初立,斉宣王因燕喪伐燕,取十城。易王謂蘇秦曰:「往日先生至燕,而先王資先生見趙,遂約六国従。今斉先伐趙,次至燕,以先生之故為天下笑,先生能為燕得侵地乎?」蘇秦大慚,曰:「請為王取之。」蘇秦見斉王,再拝,俯而慶,仰而弔。斉王曰:「是何慶弔相随之速也?」蘇秦曰:「臣聞飢人所以飢而不食烏喙者,為其愈充腹而与餓死同患也。今燕雖弱小,即秦王之少壻也。大王利其十城而長与彊秦為仇。今使弱燕為鴈行而彊秦敝其後,以招天下之精兵,是食烏喙之類也。」斉王愀然変色曰:「然則奈何?」蘇秦曰:「臣聞古之善制事者,転禍為福,因敗為功。
書き下し
初め、蘇秦の燕に之くや、人に百銭を貸りて資と為す、乃ち富貴を得て、百金を以て之を償ふ。遍く諸々の嘗て徳とせらるる所の者に報ゆ。其の従者に一人独り未だ報を得ざる者有り、乃ち前みて自ら言ふ。蘇秦曰く、「我子を忘るるに非ず。子の我と燕に至るや、再三我を易水の上に去らんと欲す、是の時に方りて、我困しむ、故に子を望むこと深し、是を以て子を後にす、子今亦之を得たり。蘇秦既に六国を約して従親せしめ、趙に帰る、趙の粛侯封じて武安君と為す、乃ち従約の書を秦に投ず。秦の兵敢へて函谷関を闚はざること十五年。其の後秦犀首をして斉・魏を欺かしめ、与に共に趙を伐ち、従約を敗らんと欲す。斉・魏趙を伐つ、趙王蘇秦を譲む。蘇秦恐れ、燕に使ひして、必ず斉に報いんことを請ふ。蘇秦趙を去りて従約皆解く。秦の恵王其の女を以て燕の太子の婦と為す。是の歳、文侯卒し、太子立つ、是れ燕の易王為り。易王初めて立つに、斉の宣王燕の喪に因りて燕を伐ち、十城を取る。易王蘇秦に謂ひて曰く、「往日先生燕に至り、而して先王先生に資して趙に見えしめ、遂に六国を約して従はしむ。今斉先づ趙を伐ち、次いで燕に至る、先生の故を以て天下の笑ひと為る、先生能く燕の為に侵地を得んか」と。蘇秦大いに慚ぢて、曰く、「請ふ王の為に之を取らん」と。蘇秦斉王に見え、再拝し、俯して慶し、仰ぎて弔す。斉王曰く、「是れ何ぞ慶弔の相随ふことの速やかなるや」と。蘇秦曰く、「臣聞く、飢人の飢うる所以にして烏喙を食らはざる者は、其の愈々腹を充たして餓死と患ひを同じくするが為なりと。今燕弱小なりと雖も、即ち秦王の少壻なり。大王其の十城を利として長く彊秦と仇を為す。今弱燕をして鴈行を為さしめ、彊秦其の後に敝ひ、以て天下の精兵を招く、是れ烏喙を食らふの類なり」と。斉王愀然として色を変じて曰く、「然らば則ち奈何せん」と。蘇秦曰く、「臣聞く、古の善く事を制する者は、禍を転じて福と為し、敗に因りて功と為すと。
現代語訳
これより先、蘇秦は燕へ行くとき、人から百銭を借りて旅費にした。富貴を得てから、百金を払ってこれを返した。かつて恩を受けた人々には、あまねく恩返しをした。ところが従者の中にただ一人、まだ報いを受けていない者がいて、進み出て自ら申し出た。蘇秦は言った。「わたしはおまえを忘れたわけではない。おまえはわたしと燕へ行く途中、易水のほとりで二度三度とわたしを見捨てて去ろうとした。あのときわたしは困窮しており、だからこそおまえに深く期待していた。それで後回しにしたのだ。だがおまえも今、報いを受け取るがよい。」蘇秦は六国に合従の盟約を結ばせると、趙に帰った。趙の粛侯は彼を武安君に封じた。蘇秦は合従の盟約書を秦に送りつけた。秦の兵はそれから十五年、あえて函谷関から外をうかがおうとしなかった。その後、秦は犀首(公孫衍)に斉と魏を欺かせ、ともに趙を討たせて合従の盟約を破ろうとした。斉と魏が趙を討つと、趙王は蘇秦を責めた。蘇秦は恐れて、燕へ使いに行き、必ず斉に報復すると願い出た。蘇秦が趙を去ると、合従の盟約はすべて崩れた。秦の恵王は自分の娘を燕の太子の妻とした。この年、燕の文侯が亡くなり、太子が立った。これが燕の易王である。易王が即位したばかりのとき、斉の宣王は燕の喪中に乗じて燕を討ち、十の城を奪った。易王は蘇秦に言った。「以前、先生が燕に来られたとき、先王は先生に資金を与えて趙王に会わせ、ついに六国に合従の盟約を結ばせた。ところがいま、斉はまず趙を討ち、次に燕に攻めてきた。先生のせいで、燕は天下の笑い者になった。先生は燕のために奪われた土地を取り戻せるか。」蘇秦は大いに恥じて言った。「王のために取り戻そう。」蘇秦は斉王に会うと、再拝し、うつむいてお祝いを述べ、仰ぎ見てお悔やみを述べた。斉王は言った。「お祝いとお悔やみが続くとは、何と慌ただしいことか。」蘇秦は言った。「わたしは、飢えた人が飢えていても烏喙(うかい、とりかぶと)を食べないのは、腹が満たされるほど、餓死と同じ禍いになるからだ、と聞いている。いま燕は弱小ではあるが、秦王の若い娘婿である。大王は十の城を得たことを利として、これから長く強い秦と仇同士になる。いま弱い燕を先鋒の雁の列として立たせ、強い秦がその後ろに控えて、天下の精兵を招き寄せることになる。これは烏喙を食べるのと同じようなものだ。」斉王はさっと憂い顔になり、顔色を変えて言った。「それならどうすればよいのか。」蘇秦は言った。「わたしは、昔の事をうまく処理した者は、禍いを転じて福となし、失敗によって功を立てた、と聞いている。
解説
関連する章句
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戦国策・燕文公時燕の文公の時、秦の惠王其の女を以て燕の太子の婦と為す。文公卒し、易王立つ。齊の宣王燕の喪に因りて之を攻め、十城を取る。武安君蘇秦、燕の為に齊王に說き、再拜して賀し、因りて仰ぎて弔す。齊王戈を桉じて卻きて曰く、「此れ一に何ぞ慶弔の相隨うことの速やかなるや」と。對えて曰く、「人の飢えて烏喙を食らわざる所以の者は、偷かに腹を充たすと雖も、死と患を同じくすればなりと為せばなり。今燕弱小なりと雖も、強秦の少婿なり。王其の十城を利として、深く強秦と仇を為す。今弱燕をして鴈行を為さしめ、強秦其の後を制し、以て天下の精兵を招く、此れ烏喙を食らうの類なり」と。齊王曰く、「然らば則ち柰何せん」と。對えて曰く、「聖人の事を制するや、禍を轉じて福と為し、敗に因りて功と為す。故に桓公は婦人を負いて名益尊く、韓獻は罪を開きて交愈固し、此れ皆禍を轉じて福と為し、敗に因りて功と為す者なり。王能く臣を聽かば、燕の十城を歸し、辭を卑くして以て秦に謝するに如くは莫し。秦、王の己の故を以て燕城を歸すを知らば、秦必ず王を德とせん。燕故無くして十城を得ば、燕も亦王を德とせん。是れ強仇を棄てて厚交を立つるなり。且つ夫れ燕・秦の俱に齊に事うれば、則ち大王號令して天下皆從わん。是れ王虛辭を以て秦に附き、十城を以て天下を取るなり。此れ霸王の業なり。所謂禍を轉じて福と為し、敗に因りて功を成す者なり」と。齊王大いに說び、乃ち燕城を歸す。金千斤を以て其の後を謝し、塗中に頓首し、兄弟と為らんことを願いて罪を秦に請う。
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『長短経』七雄略斉の宣王、燕の衰うるに因りて燕を伐ち、十城を取る。燕の易王、蘇秦に謂いて曰く「先生、能く燕の為に侵地を得んか」と。秦曰く「請う、王の為に之を取らん」と。遂に斉に如き、斉王に見え、拝して慶し、仰ぎて弔す。斉王曰く「是れ何ぞ慶弔相い随うことの速やかなるや」と。蘇秦曰く「臣聞く、饑人の饑えて烏喙を食らわざる所以の者は、其の愈々腹を充たして死人と患いを同じくするが為なり、と。今、燕は小弱なりと雖も、即ち秦の女婿なり。大王、其の十城を利として長く強秦と仇と為る。今、弱燕をして雁行と為し、強秦をして其の後を推さしむ。是れ烏喙を食らうの類なり」と。斉王曰く「然らば則ち奈何」と。蘇秦曰く「臣聞く、古の善く事を制する者は、禍を転じて福と為し、敗に因りて功と為す、と。大王、誠に能く臣に聴かば、燕に十城を帰せ。燕、必ず大いに喜ばん。秦王、己の故を以て燕の十城を帰すを知らば、亦た必ず喜ばん。此れ所謂仇讐を棄てて碩友を結ぶなり」と。斉王曰く「善し」と。是に於て燕に十城を帰す。〉蘇秦、趙に如く。〈趙の先は秦と祖を同じくす。周の繆王、造父をして御せしめ、徐の偃王を破る。乃ち造父に賜うに趙城を以てす。趙氏、世々晋の卿と為るなり。〉
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戦国策・蘇秦從燕之趙始合從蘇秦燕從り趙に之き、始めて合從す、趙王に說きて曰く、「天下の卿相人臣、乃ち布衣の士に至るまで、大王の行義を高賢とせざる莫く、皆教を奉じて忠を前に陳ぜんことを願うの日久し。然りと雖も、奉陽君妒み、大王事を任ずるを得ず、是を以て外の賓客遊談の士、敢えて忠を前に盡くす者無し。今奉陽君館舍を捐て、大王乃ち今然る後士民と相親しむを得たり、臣故に敢えて其の愚を獻じ、愚忠を效さん。大王の爲に計るに、民を安んじて事無きに若くは莫し、請う爲す有るを庸うる無かれ。民を安んずるの本は、交わりを擇ぶに在り。交わりを擇びて得れば則ち民安く、交わりを擇びて得ざれば則ち民終身安んずるを得ず。請う外患を言わん、齊・秦兩敵と爲れば、而ち民安んずるを得ず。秦に倚りて齊を攻むれば、而ち民安んずるを得ず。齊に倚りて秦を攻むれば、而ち民安んずるを得ず。故に夫れ人主を謀り、人國を伐つ者、常に苦しむは辭を出だして人の交わりを斷絕するにあり、願わくは大王愼みて口より出だすこと無かれ。「請う左右を屏け、異なる所以を言わん、陰陽のみ。大王誠に能く臣を聽かば、燕は必ず氊裘狗馬の地を致し、齊は必ず海隅魚鹽の地を致し、楚は必ず橘柚雲夢の地を致し、韓・魏は皆封地湯沐の邑を致さしむ可く、貴戚父兄は皆以て封侯を受く可し。夫れ地を割き實を效すは、五伯の軍を覆し將を禽にして求むる所以なり。侯を封じ戚を貴ぶは、湯・武の放殺して爭う所以なり。今大王垂拱して兩つながら之を有つ、是れ臣の大王の爲に願う所以なり。大王秦に與せば、則ち秦必ず韓・魏を弱くせん。齊に與せば、則ち齊必ず楚・魏を弱くせん。魏弱ければ則ち河外を割き、韓弱ければ則ち宜陽を效さん。宜陽效せば則ち上郡絕え、河外割かば則ち道通ぜず。楚弱ければ則ち援無し。此の三策なる者、熟計せざる可からざるなり。夫れ秦軹道を下せば則ち南陽動き、韓を劫かして周を包めば則ち趙自ら銷鑠せん、衛に據りて淇を取らば則ち齊必ず入朝せん。秦已に山東に行うを得んと欲せば、則ち必ず甲を舉げて趙に向かわん。秦の甲河を涉り漳を踰え、番吾に據らば、則ち兵必ず邯鄲の下に戰わん。此れ臣の大王の爲に患うる所以なり。「當今の時、山東の建國、趙の彊きに如くは莫し。趙の地方二千里、甲を帶ぶる者數十萬、車千乘、騎萬匹、粟十年を支う、西に常山有り、南に河・漳有り、東に清河有り、北に燕國有り。燕固より弱國、畏るるに足らざるなり。且つ秦の天下に畏害する所の者、趙に如くは莫し。然れども秦敢えて兵甲を舉げて趙を伐たざる者は、何ぞや。韓・魏の其の後を議せんことを畏るればなり。然らば則ち韓・魏は、趙の南蔽なり。秦の韓・魏を攻むるや、則ち然らず。名山大川の限有る無く、稍稍として之を蠶食し、國都に傅きて止まん。韓・魏秦に支うる能わずんば、必ず入りて臣たらん。韓・魏秦に臣たれば、秦韓・魏の隔て無く、禍趙に中たらん。此れ臣の大王の爲に患うる所以なり。「臣聞く、堯は三夫の分無く、舜は咫尺の地無くして、以て天下を有てり。禹は百人の聚無くして、以て諸侯に王たり。湯・武の卒は三千人に過ぎず、車は三百乘に過ぎずして、立ちて天子と爲る。誠に其の道を得ればなり。是の故に明主外は其の敵國の彊弱を料り、內は其の士卒の眾寡・賢と不肖とを度り、兩軍の相當たるを待たずして、勝敗存亡の機節、固より已に胸中に見る、豈に眾人の言に掩われて、冥冥を以て事を決せんや。「臣竊かに天下の地圖を以て之を案ずるに、諸侯の地秦より五倍し、諸侯の卒を料るに、秦より十倍す。六國力を并せて一と爲り、西面して秦を攻めば、秦破るること必せり。今秦に破らるるを見て、西面して之に事え、秦に臣たるを見る。夫れ人を破るの與人に破らるる、人に臣たるの與人に臣たらしむる、豈に同日にして言う可けんや。夫れ橫人なる者、皆諸侯の地を割きて以て秦と成らんことを欲す。秦と成れば、則ち臺を高くし、宮室を美にし、竽瑟の音を聽き、五味の和を察し、前に軒轅有り、後に長庭有り、美人巧笑すれど、卒に秦の患有りて、其の憂いに與らず。是の故に橫人日夜秦權を以て諸侯を恐猲するを務め、以て地を割かんことを求む。願わくは大王之を熟計せんことを。「臣聞く、明王は疑いを絕ち讒を去り、流言の跡を屏け、朋黨の門を塞ぐ、故に主を尊び地を廣め兵を彊うするの計、臣忠を前に陳ずるを得たり。故に竊かに大王の爲に計るに、韓・魏・齊・楚・燕・趙を一にし、六國從親して以て秦に儐畔するに莫くは若かず。天下の將相をして、相與に洹水の上に會し、質を通じ白馬を刑して以て之を盟わしめん。約して曰く、秦楚を攻めば、齊・魏各々銳師を出だして以て之を佐け、韓食道を絕ち、趙河・漳を涉り、燕常山の北を守らん。秦韓・魏を攻めば、則ち楚其の後を絕ち、齊銳師を出だして以て之を佐け、趙河・漳を涉り、燕雲中を守らん。秦齊を攻めば、則ち楚其の後を絕ち、韓成臯を守り、魏午道を塞ぎ、趙河・漳・博關を涉り、燕銳師を出だして以て之を佐けん。秦燕を攻めば、則ち趙常山を守り、楚武關に軍し、齊渤海を涉り、韓・魏銳師を出だして以て之を佐けん。秦趙を攻めば、則ち韓宜陽に軍し、楚武關に軍し、魏河外に軍し、齊渤海を涉り、燕銳師を出だして以て之を佐けん。諸侯先に約に背く者有らば、五國共に之を伐たん。六國從親して以て秦を擯けば、秦必ず敢えて兵を函谷關より出だして以て山東を害せざらん。是の如くんば則ち伯業成らん。」趙王曰く、「寡人年少く、國に蒞むの日淺く、未だ嘗て社稷の長計を聞くを得ず。今上客天下を存し、諸侯を安んずるに意有り、寡人敬みて國を以て從わん。」乃ち蘇秦を封じて武安君と爲し、車百乘を飾り、黃金千鎰、白璧百雙、錦繡千純、以て諸侯に約す。
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史記 蘇秦列伝去りて燕に游び、歳余にして後に見ゆるを得。燕の文侯に説きて曰く、「燕は東に朝鮮・遼東有り、北に林胡・楼煩有り、西に雲中・九原有り、南に嘑沱・易水有り、地方二千余里、帯甲数十万、車六百乗、騎六千匹、粟は数年を支ふ。南に碣石・鴈門の饒有り、北に棗栗の利有り、民佃作せずと雖も棗栗に足る。此れ所謂天府なる者なり。夫れ安楽にして事無く、覆軍殺将を見ざるは、燕に過ぐる者無し。大王其の然る所以を知るか。夫れ燕の寇を犯し甲兵を被らざる所以の者は、趙の其の南に蔽と為るを以てなり。秦趙五たび戦ひ、秦再び勝ちて趙三たび勝つ。秦趙相斃れ、而して王全燕を以て其の後を制す、此れ燕の寇を犯さざる所以なり。且つ夫れ秦の燕を攻むるや、雲中・九原を踰え、代・上谷を過ぎ、地を弥ること数千里、燕の城を得と雖も、秦の計固より守る能はざるなり。秦の燕を害する能はざるも亦明らかなり。今趙の燕を攻むるや、号を発し令を出だせば、十日に至らずして数十万の軍東垣に軍せん。嘑沱を渡り、易水を渉れば、四五日に至らずして国都に距らん。故に曰く秦の燕を攻むるや、千里の外に戦ひ、趙の燕を攻むるや、百里の内に戦ふと。夫れ百里の患を憂へずして千里の外を重んずるは、計此れに過ぐる者無し。是の故に願はくは大王趙と従親し、天下一と為らば、則ち燕国必ず患ひ無からん」と。文侯曰く、「子の言は則ち可なり、然れども吾が国は小さく、西は彊趙に迫り、南は斉に近し、斉・趙は彊国なり。子必ず合従して以て燕を安んぜんと欲せば、寡人請ふ国を以て従はん」と。
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戦国策・蘇秦將為從北說燕文侯蘇秦、將に從を為さんとし、北のかた燕の文侯に說きて曰く、「燕は東に朝鮮・遼東有り、北に林胡・樓煩有り、西に雲中・九原有り、南に呼沱・易水有り。地は方二千餘里、帶甲數十萬、車七百乘、騎六千疋、粟は十年を支う。南に碣石・鴈門の饒有り、北に棗粟の利有り、民田作に由らずと雖も、棗栗の實、民を食うに足れり。此れ所謂天府なり。夫れ安樂無事にして、覆軍殺將の憂いを見ざること、燕に過ぐるは無し。大王其の然る所以を知るか。夫れ燕の寇を犯され兵を被らざる所以の者は、趙の南に蔽を為すを以てなり。秦・趙五たび戰い、秦再び勝ちて趙三たび勝つ。秦・趙相弊れて、王全燕を以て其の後を制す、此れ燕の難を犯されざる所以なり。且つ夫れ秦の燕を攻むるや、雲中・九原を踰え、代・上谷を過ぎ、埊を彌ぎり道を踵ぐこと數千里、燕城を得と雖も、秦の計固より守る能わざるなり。秦の燕を害する能わざること亦明らかなり。今趙の燕を攻むるや、號令を發興し、十日に至らずして、數十萬の眾、東垣に軍せん。呼沱を度り、易水を涉り、四五日に至らずして、國都に距らん。故に曰く、秦の燕を攻むるや、千里の外に戰い、趙の燕を攻むるや、百里の內に戰うと。夫れ百里の患を憂えずして、千里の外を重んず、計此れより過つ者無し。是の故に願わくは大王趙と從親し、天下一と為らば、則ち國必ず患無からんと。」燕王曰く、「寡人國小さく、西のかた強秦に迫られ、南のかた齊・趙に近し。齊・趙は強國なり、今主君幸いに之を教詔せば、從を合わせて以て燕を安んぜん、敬んで國を以て從わん」と。是に於て蘇秦に車馬金帛を齎らして以て趙に至らしむ。
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史記 蘇秦列伝臣聞く、明主は疑ひを絶ち讒を去り、流言の跡を屏け、朋党の門を塞ぐ、故に主を尊び地を広め兵を彊くするの計、臣前に忠を陳ぶるを得たり。故に竊かに大王の為に計るに、韓・魏・斉・楚・燕・趙を一にして以て従親し、以て秦に畔くに如くは莫し。天下の将相をして洹水の上に会せしめ、質を通じ、白馬を刳きて盟はしめん。要約して曰く、『秦楚を攻むれば、斉・魏各々鋭師を出だして以て之を佐け、韓は其の糧道を絶ち、趙は河漳を渉り、燕は常山の北を守る。秦韓魏を攻むれば、則ち楚は其の後を絶ち、斉は鋭師を出だして之を佐け、趙は河漳を渉り、燕は雲中を守る。秦斉を攻むれば、則ち楚は其の後を絶ち、韓は城皋を守り、魏は其の道を塞ぎ、趙は河漳・博関を渉り、燕は鋭師を出だして以て之を佐く。秦燕を攻むれば、則ち趙は常山を守り、楚は武関に軍し、斉は勃海を渉り、韓・魏皆鋭師を出だして以て之を佐く。秦趙を攻むれば、則ち韓は宜陽に軍し、楚は武関に軍し、魏は河外に軍し、斉は清河を渉り、燕は鋭師を出だして以て之を佐く。諸侯約の如くならざる者有らば、五国の兵を以て共に之を伐たん』と。六国従親して以て秦を賓けば、則ち秦の甲必ず敢へて函谷を出でて以て山東を害せざらん。此くの如くんば、則ち霸王の業成らん」と。趙王曰く、「寡人年少く、国に立つこと日浅く、未だ嘗て社稷の長計を聞くを得ざるなり。今上客天下を存し、諸侯を安んずるに意有り。寡人敬んで国を以て従はん」と。乃ち車百乗、黄金千溢、白璧百双、錦繡千純を飾りて、以て諸侯に約す。是の時周の天子文武の胙を秦の恵王に致す。恵王犀首をして魏を攻めしめ、将竜賈を禽にし、魏の雕陰を取り、且に兵を東にせんと欲す。蘇秦秦の兵の趙に至らんことを恐れ、乃ち張儀を激怒せしめ、之を秦に入る。
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