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戦国策 / 蘇秦從燕之趙始合從

蘇秦從燕之趙,始合從,說趙王曰:「天下之卿相人臣,乃至布衣之士,莫不高賢大王之行義,皆願奉教陳忠於前之日久矣。雖然,奉陽君妒,大王不得任事,是以外賓客遊談之士,無敢盡忠於前者。今奉陽君捐館舍,大王乃今然後得與士民相親,臣故敢獻其愚,效愚忠。為大王計,莫若安民無事,請無庸有為也。安民之本,在於擇交。擇交而得則民安,擇交不得則民終身不得安。請言外患:齊、秦為兩敵,而民不得安;倚秦攻齊,而民不得安;倚齊攻秦,而民不得安。故夫謀人之主,伐人之國,常苦出辭斷絕人之交,願大王慎無出於口也。「請屏左右,曰言所以異,陰陽而已矣。大王誠能聽臣,燕必致氊裘狗馬之地,齊必致海隅魚鹽之地,楚必致橘柚雲夢之地,韓、魏皆可使致封地湯沐之邑,貴戚父兄皆可以受封侯。夫割地效實,五伯之所以覆軍禽將而求也;封侯貴戚,湯、武之所以放殺而爭也。今大王垂拱而兩有之,是臣之所以為大王願也。大王與秦,則秦必弱韓、魏;與齊,則齊必弱楚、魏。魏弱則割河外,韓弱則效宜陽。宜陽效則上郡絕,河外割則道不通。楚弱則無援。此三策者,不可不熟計也。夫秦下軹道則南陽動,劫韓包周則趙自銷鑠,據衛取淇則齊必入朝。秦欲已得行於山東,則必舉甲而向趙。秦甲涉河踰漳,據番吾,則兵必戰於邯鄲之下矣。此臣之所以為大王患也。「當今之時,山東之建國,莫如趙強。趙地方二千里,帶甲數十萬,車千乘,騎萬匹,粟支十年;西有常山,南有河、漳,東有清河,北有燕國。燕固弱國,不足畏也。且秦之所畏害於天下者,莫如趙。然而秦不敢舉兵甲而伐趙者,何也?畏韓、魏之議其後也。然則韓、魏,趙之南蔽也。秦之攻韓、魏也,則不然。無有名山大川之限,稍稍蠶食之,傅之國都而止矣。韓、魏不能支秦,必入臣。韓、魏臣於秦,秦無韓、魏之隔,禍中於趙矣。此臣之所以為大王患也。「臣聞,堯無三夫之分,舜無咫尺之地,以有天下。禹無百人之聚,以王諸侯。湯、武之卒不過三千人,車不過三百乘,立為天子。誠得其道也。是故明主外料其敵國之強弱,內度其士卒之眾寡、賢與不肖,不待兩軍相當,而勝敗存亡之機節,固已見於胸中矣,豈掩於眾人之言,而以冥冥決事哉!「臣竊以天下地圖案之。諸侯之地五倍於秦,料諸侯之卒,十倍於秦。六國并力為一,西面而攻秦,秦破必矣。今見破於秦,西面而事之,見臣於秦。夫破人之與破於人也,臣人之與臣於人也,豈可同日而言之哉!夫橫人者,皆欲割諸侯之地以與秦成。與秦成,則高臺,美宮室,聽竽瑟之音,察五味之和,前有軒轅,後有長庭,美人巧笑,卒有秦患,而不與其憂。是故橫人日夜務以秦權恐猲諸侯,以求割地。願大王之熟計之也。「臣聞,明王絕疑去讒,屏流言之跡,塞朋黨之門,故尊主廣地強兵之計,臣得陳忠於前矣。故竊為大王計,莫如一韓、魏、齊、楚、燕、趙,六國從親,以儐畔秦。令天下之將相,相與會於洹水之上,通質刑白馬以盟之。約曰:秦攻楚,齊、魏各出銳師以佐之,韓絕食道,趙涉河、漳,燕守常山之北。秦攻韓、魏,則楚絕其後,齊出銳師以佐之,趙涉河、漳,燕守雲中。秦攻齊,則楚絕其後,韓守成臯,魏塞午道,趙涉河、漳、博關,燕出銳師以佐之。秦攻燕,則趙守常山,楚軍武關,齊涉渤海,韓、魏出銳師以佐之。秦攻趙,則韓軍宜陽,楚軍武關,魏軍河外,齊涉渤海,燕出銳師以佐之。諸侯有先背約者,五國共伐之。六國從親以擯秦,秦必不敢出兵於函谷關以害山東矣!如是則伯業成矣!」趙王曰:「寡人年少,蒞國之日淺,未嘗得聞社稷之長計。今上客有意存天下,安諸侯,寡人敬以國從。」乃封蘇秦為武安君,飾車百乘,黃金千鎰,白璧百雙,錦繡千純,以約諸侯。

新字:蘇秦従燕之趙,始合従,説趙王曰:「天下之卿相人臣,乃至布衣之士,莫不高賢大王之行義,皆願奉教陳忠於前之日久矣。雖然,奉陽君妒,大王不得任事,是以外賓客遊談之士,無敢尽忠於前者。今奉陽君捐館舎,大王乃今然後得与士民相親,臣故敢献其愚,効愚忠。為大王計,莫若安民無事,請無庸有為也。安民之本,在於択交。択交而得則民安,択交不得則民終身不得安。請言外患:斉、秦為両敵,而民不得安;倚秦攻斉,而民不得安;倚斉攻秦,而民不得安。故夫謀人之主,伐人之国,常苦出辞断絶人之交,願大王慎無出於口也。「請屏左右,曰言所以異,陰陽而已矣。大王誠能聴臣,燕必致氊裘狗馬之地,斉必致海隅魚塩之地,楚必致橘柚雲夢之地,韓、魏皆可使致封地湯沐之邑,貴戚父兄皆可以受封侯。夫割地効実,五伯之所以覆軍禽将而求也;封侯貴戚,湯、武之所以放殺而争也。今大王垂拱而両有之,是臣之所以為大王願也。大王与秦,則秦必弱韓、魏;与斉,則斉必弱楚、魏。魏弱則割河外,韓弱則効宜陽。宜陽効則上郡絶,河外割則道不通。楚弱則無援。此三策者,不可不熟計也。夫秦下軹道則南陽動,劫韓包周則趙自銷鑠,拠衛取淇則斉必入朝。秦欲已得行於山東,則必舉甲而向趙。秦甲渉河踰漳,拠番吾,則兵必戦於邯鄲之下矣。此臣之所以為大王患也。「当今之時,山東之建国,莫如趙強。趙地方二千里,帯甲数十万,車千乗,騎万匹,粟支十年;西有常山,南有河、漳,東有清河,北有燕国。燕固弱国,不足畏也。且秦之所畏害於天下者,莫如趙。然而秦不敢舉兵甲而伐趙者,何也?畏韓、魏之議其後也。然則韓、魏,趙之南蔽也。秦之攻韓、魏也,則不然。無有名山大川之限,稍稍蠶食之,傅之国都而止矣。韓、魏不能支秦,必入臣。韓、魏臣於秦,秦無韓、魏之隔,禍中於趙矣。此臣之所以為大王患也。「臣聞,堯無三夫之分,舜無咫尺之地,以有天下。禹無百人之聚,以王諸侯。湯、武之卒不過三千人,車不過三百乗,立為天子。誠得其道也。是故明主外料其敵国之強弱,內度其士卒之眾寡、賢与不肖,不待両軍相当,而勝敗存亡之機節,固已見於胸中矣,豈掩於眾人之言,而以冥冥決事哉!「臣竊以天下地図案之。諸侯之地五倍於秦,料諸侯之卒,十倍於秦。六国并力為一,西面而攻秦,秦破必矣。今見破於秦,西面而事之,見臣於秦。夫破人之与破於人也,臣人之与臣於人也,豈可同日而言之哉!夫横人者,皆欲割諸侯之地以与秦成。与秦成,則高台,美宮室,聴竽瑟之音,察五味之和,前有軒轅,後有長庭,美人巧笑,卒有秦患,而不与其憂。是故横人日夜務以秦権恐猲諸侯,以求割地。願大王之熟計之也。「臣聞,明王絶疑去讒,屏流言之跡,塞朋党之門,故尊主広地強兵之計,臣得陳忠於前矣。故竊為大王計,莫如一韓、魏、斉、楚、燕、趙,六国従親,以儐畔秦。令天下之将相,相与会於洹水之上,通質刑白馬以盟之。約曰:秦攻楚,斉、魏各出銳師以佐之,韓絶食道,趙渉河、漳,燕守常山之北。秦攻韓、魏,則楚絶其後,斉出銳師以佐之,趙渉河、漳,燕守雲中。秦攻斉,則楚絶其後,韓守成臯,魏塞午道,趙渉河、漳、博関,燕出銳師以佐之。秦攻燕,則趙守常山,楚軍武関,斉渉渤海,韓、魏出銳師以佐之。秦攻趙,則韓軍宜陽,楚軍武関,魏軍河外,斉渉渤海,燕出銳師以佐之。諸侯有先背約者,五国共伐之。六国従親以擯秦,秦必不敢出兵於函谷関以害山東矣!如是則伯業成矣!」趙王曰:「寡人年少,蒞国之日浅,未嘗得聞社稷之長計。今上客有意存天下,安諸侯,寡人敬以国従。」乃封蘇秦為武安君,飾車百乗,黄金千鎰,白璧百双,錦繡千純,以約諸侯。

書き下し

蘇秦燕從り趙に之き、始めて合從す、趙王に說きて曰く、「天下の卿相人臣、乃ち布衣の士に至るまで、大王の行義を高賢とせざる莫く、皆教を奉じて忠を前に陳ぜんことを願うの日久し。然りと雖も、奉陽君妒み、大王事を任ずるを得ず、是を以て外の賓客遊談の士、敢えて忠を前に盡くす者無し。今奉陽君館舍を捐て、大王乃ち今然る後士民と相親しむを得たり、臣故に敢えて其の愚を獻じ、愚忠を效さん。大王の爲に計るに、民を安んじて事無きに若くは莫し、請う爲す有るを庸うる無かれ。民を安んずるの本は、交わりを擇ぶに在り。交わりを擇びて得れば則ち民安く、交わりを擇びて得ざれば則ち民終身安んずるを得ず。請う外患を言わん、齊・秦兩敵と爲れば、而ち民安んずるを得ず。秦に倚りて齊を攻むれば、而ち民安んずるを得ず。齊に倚りて秦を攻むれば、而ち民安んずるを得ず。故に夫れ人主を謀り、人國を伐つ者、常に苦しむは辭を出だして人の交わりを斷絕するにあり、願わくは大王愼みて口より出だすこと無かれ。「請う左右を屏け、異なる所以を言わん、陰陽のみ。大王誠に能く臣を聽かば、燕は必ず氊裘狗馬の地を致し、齊は必ず海隅魚鹽の地を致し、楚は必ず橘柚雲夢の地を致し、韓・魏は皆封地湯沐の邑を致さしむ可く、貴戚父兄は皆以て封侯を受く可し。夫れ地を割き實を效すは、五伯の軍を覆し將を禽にして求むる所以なり。侯を封じ戚を貴ぶは、湯・武の放殺して爭う所以なり。今大王垂拱して兩つながら之を有つ、是れ臣の大王の爲に願う所以なり。大王秦に與せば、則ち秦必ず韓・魏を弱くせん。齊に與せば、則ち齊必ず楚・魏を弱くせん。魏弱ければ則ち河外を割き、韓弱ければ則ち宜陽を效さん。宜陽效せば則ち上郡絕え、河外割かば則ち道通ぜず。楚弱ければ則ち援無し。此の三策なる者、熟計せざる可からざるなり。夫れ秦軹道を下せば則ち南陽動き、韓を劫かして周を包めば則ち趙自ら銷鑠せん、衛に據りて淇を取らば則ち齊必ず入朝せん。秦已に山東に行うを得んと欲せば、則ち必ず甲を舉げて趙に向かわん。秦の甲河を涉り漳を踰え、番吾に據らば、則ち兵必ず邯鄲の下に戰わん。此れ臣の大王の爲に患うる所以なり。「當今の時、山東の建國、趙の彊きに如くは莫し。趙の地方二千里、甲を帶ぶる者數十萬、車千乘、騎萬匹、粟十年を支う、西に常山有り、南に河・漳有り、東に清河有り、北に燕國有り。燕固より弱國、畏るるに足らざるなり。且つ秦の天下に畏害する所の者、趙に如くは莫し。然れども秦敢えて兵甲を舉げて趙を伐たざる者は、何ぞや。韓・魏の其の後を議せんことを畏るればなり。然らば則ち韓・魏は、趙の南蔽なり。秦の韓・魏を攻むるや、則ち然らず。名山大川の限有る無く、稍稍として之を蠶食し、國都に傅きて止まん。韓・魏秦に支うる能わずんば、必ず入りて臣たらん。韓・魏秦に臣たれば、秦韓・魏の隔て無く、禍趙に中たらん。此れ臣の大王の爲に患うる所以なり。「臣聞く、堯は三夫の分無く、舜は咫尺の地無くして、以て天下を有てり。禹は百人の聚無くして、以て諸侯に王たり。湯・武の卒は三千人に過ぎず、車は三百乘に過ぎずして、立ちて天子と爲る。誠に其の道を得ればなり。是の故に明主外は其の敵國の彊弱を料り、內は其の士卒の眾寡・賢と不肖とを度り、兩軍の相當たるを待たずして、勝敗存亡の機節、固より已に胸中に見る、豈に眾人の言に掩われて、冥冥を以て事を決せんや。「臣竊かに天下の地圖を以て之を案ずるに、諸侯の地秦より五倍し、諸侯の卒を料るに、秦より十倍す。六國力を并せて一と爲り、西面して秦を攻めば、秦破るること必せり。今秦に破らるるを見て、西面して之に事え、秦に臣たるを見る。夫れ人を破るの與人に破らるる、人に臣たるの與人に臣たらしむる、豈に同日にして言う可けんや。夫れ橫人なる者、皆諸侯の地を割きて以て秦と成らんことを欲す。秦と成れば、則ち臺を高くし、宮室を美にし、竽瑟の音を聽き、五味の和を察し、前に軒轅有り、後に長庭有り、美人巧笑すれど、卒に秦の患有りて、其の憂いに與らず。是の故に橫人日夜秦權を以て諸侯を恐猲するを務め、以て地を割かんことを求む。願わくは大王之を熟計せんことを。「臣聞く、明王は疑いを絕ち讒を去り、流言の跡を屏け、朋黨の門を塞ぐ、故に主を尊び地を廣め兵を彊うするの計、臣忠を前に陳ずるを得たり。故に竊かに大王の爲に計るに、韓・魏・齊・楚・燕・趙を一にし、六國從親して以て秦に儐畔するに莫くは若かず。天下の將相をして、相與に洹水の上に會し、質を通じ白馬を刑して以て之を盟わしめん。約して曰く、秦楚を攻めば、齊・魏各々銳師を出だして以て之を佐け、韓食道を絕ち、趙河・漳を涉り、燕常山の北を守らん。秦韓・魏を攻めば、則ち楚其の後を絕ち、齊銳師を出だして以て之を佐け、趙河・漳を涉り、燕雲中を守らん。秦齊を攻めば、則ち楚其の後を絕ち、韓成臯を守り、魏午道を塞ぎ、趙河・漳・博關を涉り、燕銳師を出だして以て之を佐けん。秦燕を攻めば、則ち趙常山を守り、楚武關に軍し、齊渤海を涉り、韓・魏銳師を出だして以て之を佐けん。秦趙を攻めば、則ち韓宜陽に軍し、楚武關に軍し、魏河外に軍し、齊渤海を涉り、燕銳師を出だして以て之を佐けん。諸侯先に約に背く者有らば、五國共に之を伐たん。六國從親して以て秦を擯けば、秦必ず敢えて兵を函谷關より出だして以て山東を害せざらん。是の如くんば則ち伯業成らん。」趙王曰く、「寡人年少く、國に蒞むの日淺く、未だ嘗て社稷の長計を聞くを得ず。今上客天下を存し、諸侯を安んずるに意有り、寡人敬みて國を以て從わん。」乃ち蘇秦を封じて武安君と爲し、車百乘を飾り、黃金千鎰、白璧百雙、錦繡千純、以て諸侯に約す。

現代語訳

蘇秦は燕から趙へ赴き、初めて合従を説いて趙王にこう遊説した。「天下の卿・宰相といった重臣から、無位無官の一般の士に至るまで、大王の行いと義を高く評価しない者はなく、皆こぞって教えを奉じ忠誠を尽くしたいと願う日が長く続いておりました。しかしながら、奉陽君が嫉妬深く、大王は政事を自ら執り行うことができず、そのため外部から訪れる遊説の士たちは、誰一人として大王の御前で忠誠を尽くすことができませんでした。今、奉陽君が亡くなり、大王はようやく士民と親しく交わることができるようになりました。それゆえ私はあえて愚見を献上し、拙い忠誠を尽くさせていただきたいのです。大王のためにお考えしますに、民を安んじて事なきを得るに越したことはなく、どうか無用な事を起こされませぬように。民を安んじる根本は、外交の相手をどう選ぶかにあります。相手選びが正しければ民は安んじ、相手選びを誤れば民は生涯安んじることができません。外部からの脅威について申し上げましょう。斉と秦の両方を敵に回せば民は安んじません。秦に頼って斉を攻めても民は安んじません。斉に頼って秦を攻めても民は安んじません。そもそも他国の君主を陥れようと謀り、他国を討とうとする者は、常に言葉を漏らして他国との交わりを断ち切ってしまうことに苦しむものです。どうか大王には、慎んで軽々しく言葉を口になさいませんように。「どうか左右の者を退けてください、趙が他国と異なる点、すなわち利害の陰陽についてお話しいたします。大王が誠に私の言葉をお聞き入れくださるならば、燕は必ず氈(せん)・裘(かわごろも)・馬を産する地を差し出すでしょう。斉は必ず海辺の魚塩を産する地を差し出すでしょう。楚は必ず橘柚(たちばな)や雲夢の沢の地を差し出すでしょう。韓・魏はどちらも封地や湯沐の邑を差し出させることができ、大王の親族や重臣たちは皆、諸侯に封じられることができましょう。そもそも土地を割いて実利を差し出すというのは、かつて五覇が敵の軍を覆し将を捕虜にしてまで求めたものです。諸侯に封じ親族を貴くするというのは、湯王・武王が(桀・紂を)追放し誅殺してまで争い求めたものです。今、大王は腕組みをしたまま両方を手に入れることができるのです。これこそ私が大王のために願うところなのです。もし大王が秦に与すれば、秦は必ず韓・魏を弱体化させるでしょう。斉に与すれば、斉は必ず楚・魏を弱体化させるでしょう。魏が弱まれば河外の地を割譲させられ、韓が弱まれば宜陽を差し出させられます。宜陽が差し出されれば上郡への道が絶たれ、河外が割譲されれば交通路が塞がれます。楚が弱まれば援軍を望めなくなります。この三つの策は、よくよくお考えにならねばなりません。そもそも秦が軹道を下れば南陽が動揺し、韓を脅して周を包囲すれば趙は自然と勢いを失っていき、衛に拠って淇水の地を取れば斉は必ず秦に入朝することになりましょう。秦がすでに山東の地で意のままに振る舞えるようになれば、必ず軍勢を挙げて趙に向かうでしょう。秦の軍勢が黄河を渡り漳水を越え、番吾を占拠すれば、戦いは必ず邯鄲の城下で行われることになります。これこそ私が大王のために憂えるところです。「今この時、山東の国々の中で、趙ほど強い国はありません。趙の国土は方二千里、甲冑を帯びた兵は数十万、戦車は千乗、騎兵は一万騎、蓄えた穀物は十年を支えるに足ります。西には常山があり、南には黄河・漳水があり、東には清河があり、北には燕国があります。燕はもとより弱国で、恐れるには及びません。そのうえ秦が天下で最も脅威に思い害そうとしている相手は、趙をおいて他にありません。それなのに秦があえて軍勢を挙げて趙を討とうとしないのはなぜでしょうか。韓・魏がその背後を突くことを恐れているからです。つまり韓・魏は、趙にとって南の防壁なのです。ところが秦が韓・魏を攻める際には、事情が異なります。名だたる山や大河のような天険の限りがなく、少しずつ蚕が桑を食むように侵食していき、それぞれの国都に迫ってようやく止まるでしょう。韓・魏が秦に対抗しきれなくなれば、必ず秦に服属し臣下となるでしょう。韓・魏が秦の臣下となれば、秦には韓・魏という隔てがなくなり、禍は趙に直撃することになります。これこそ私が大王のために憂えるところなのです。「私が聞くところでは、堯には三人分の領地もなく、舜には一尺四方の土地もなくして、それでも天下を保有しました。禹には百人の集団すらなくして、それでも諸侯の王となりました。湯王・武王の兵はわずか三千人を超えず、戦車は三百乗を超えなかったのに、天子の位に立ちました。これはまことにその正しい道を得ていたからです。それゆえ明君というものは、外にあっては敵国の強弱を推し量り、内にあっては自国の士卒の多少・賢愚を見極め、両軍が実際にぶつかり合うのを待つまでもなく、勝敗存亡の機微はすでに胸の内で見通しているものです。どうして衆人の言葉に惑わされて、暗闇の中で物事を決めるようなことがありましょうか。「私がひそかに天下の地図をもって検討しますに、諸侯の領地は秦の五倍あり、諸侯の兵力を計算すれば、秦の十倍もあります。六国が力を合わせて一つとなり、西を向いて秦を攻めれば、秦は必ず敗れるでしょう。それなのに、今は逆に秦に敗れることを見越して、西を向いてこれに仕え、秦の臣下となろうとしています。そもそも人を破ることと人に破られること、人を臣下にすることと人の臣下となることとでは、とても同じ日に語れるものではありません。連衡を説く者たちは、皆諸侯の土地を割いて秦との和議を成立させようとします。秦との和議が成れば、彼らは高殿を築き、豪華な宮殿を建て、竽や瑟の音楽に耳を傾け、美味珍味の調和を味わい、前には軒轅(立派な車)を、後ろには長い庭を配し、美人にたおやかに微笑まれる暮らしを享受しますが、いざ秦による災いが生じても、彼らはその憂いを共にすることはありません。それゆえ連衡を説く者たちは、日夜、秦の権勢を笠に着て諸侯を脅し、土地の割譲を求めることに躍起になっているのです。どうか大王にはよくよくこれをお考えいただきたいのです。「私が聞くところでは、明王というものは疑いを断ち讒言を退け、流言の痕跡を退け、徒党を組む道を塞ぐものだといいます。それゆえ君主を尊び、領土を広げ、兵を強くする策を、私はこうして御前で申し上げることができました。それゆえ私はひそかに大王のためにお考えしますに、韓・魏・斉・楚・燕・趙を一つにまとめ、六国が縦(南北)に親しく結束して秦に背き対抗するのが最善です。天下の将軍・宰相たちを、共に洹水のほとりに集まらせ、人質を交わし、白馬を屠ってその血で盟約を結ばせましょう。約定してこう定めます。秦が楚を攻めれば、斉・魏はそれぞれ精鋭の軍を出してこれを助け、韓は秦の食糧補給路を断ち、趙は黄河・漳水を渡って出兵し、燕は常山の北を守る。秦が韓・魏を攻めれば、楚はその背後を断ち、斉は精鋭の軍を出してこれを助け、趙は黄河・漳水を渡って出兵し、燕は雲中を守る。秦が斉を攻めれば、楚はその背後を断ち、韓は成皋を守り、魏は午道を塞ぎ、趙は黄河・漳水・博関を渡って出兵し、燕は精鋭の軍を出してこれを助ける。秦が燕を攻めれば、趙は常山を守り、楚は武関に陣を敷き、斉は渤海を渡って出兵し、韓・魏は精鋭の軍を出してこれを助ける。秦が趙を攻めれば、韓は宜陽に陣を敷き、楚は武関に陣を敷き、魏は河外に陣を敷き、斉は渤海を渡って出兵し、燕は精鋭の軍を出してこれを助ける。諸侯の中で先にこの盟約に背く者があれば、残る五国が共同でこれを討つ。六国が縦に親しみ結束して秦を排除すれば、秦は必ず函谷関から兵を出して山東の国々を害することができなくなるでしょう。このようにすれば、覇者としての大業は成就するのです。」趙王は言った。「私はまだ若く、国に君臨してからの日も浅く、いまだかつて国家の長期的な計略というものを聞いたことがありませんでした。今、あなたのような優れた客人が天下を保全し諸侯を安んじようというお志をお持ちである以上、私は謹んで国を挙げてこれに従いましょう。」そこで趙王は蘇秦を武安君に封じ、飾り立てた車百乗、黄金千鎰、白璧百対、錦繡千反を用意して、諸侯との盟約の使いとした。

解説

蘇秦が趙の粛侯に「合従」策を説いた、六国同盟の創始とも言うべき一節です。奉陽君の死により発言の機会を得た蘇秦は、まず秦・斉いずれか一方に頼る危険性を説き、趙が地理的に最も秦の標的でありながら、韓・魏という防壁があるために直接攻められずにいる構造を分析します。さらに、諸侯の総力は秦の数倍に及ぶにもかかわらず、各国が争って秦の臣下に成り下がろうとする愚を、獲物同士が争って共倒れになる寓話にも似た論理で説き、六国が結束して秦に当たれば覇業が成るとして具体的な軍事分担まで提示しました。目先の一国優位ではなく総力を比較する視点、相手の分断策を見抜き連携によって対抗する発想は、競争環境における同盟戦略の原型として今日にも通じます。

この章句が説くこと

蘇秦合従六国同盟秦への対抗

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