史記 / 蘇秦列伝
去游燕、歲餘而後得見。說燕文侯曰、燕地方二千餘里、帶甲數十萬、車六百乘、騎六千匹、粟支數年。此所謂天府者也。夫安樂無事、不見覆軍殺將、無過燕者。大王知其所以然乎。夫燕之所以不犯寇被甲兵者、以趙之為蔽其南也。今趙之攻燕也、發號出令、不至十日而數十萬之軍軍於東垣矣。故曰秦之攻燕也、戰於千里之外。趙之攻燕也、戰於百里之內。夫不憂百里之患而重千里之外、計無過於此者。是故願大王與趙從親、天下為一、則燕國必無患矣。文侯曰、子必欲合從以安燕、寡人請以國從。
新字:去游燕、歲余而後得見。説燕文侯曰、燕地方二千余里、帯甲数十万、車六百乗、騎六千匹、粟支数年。此所謂天府者也。夫安楽無事、不見覆軍殺将、無過燕者。大王知其所以然乎。夫燕之所以不犯寇被甲兵者、以趙之為蔽其南也。今趙之攻燕也、発号出令、不至十日而数十万之軍軍於東垣矣。故曰秦之攻燕也、戦於千里之外。趙之攻燕也、戦於百里之内。夫不憂百里之患而重千里之外、計無過於此者。是故願大王与趙従親、天下為一、則燕国必無患矣。文侯曰、子必欲合従以安燕、寡人請以国従。
書き下し
去りて燕に游び、歳余にして後見ゆるを得。燕の文侯に説きて曰く、「燕は地方二千余里、帯甲数十万、車六百乗、騎六千匹、粟数年を支ふ。此れ所謂天府なる者なり。夫れ安楽無事にして、軍を覆され将を殺さるるを見ざるは、燕に過ぐる者無し。大王其の然る所以を知るか。夫れ燕の寇を犯され甲兵を被らざる所以は、趙の其の南を蔽と為すを以てなり。今趙の燕を攻むるや、号を発し令を出だし、十日に至らずして数十万の軍東垣に軍せん。故に曰く、秦の燕を攻むるや、千里の外に戦ふ。趙の燕を攻むるや、百里の内に戦ふ、と。夫れ百里の患ひを憂へずして千里の外を重んずるは、計此れより過ぎたるは無し。是の故に願はくは大王趙と従親し、天下一と為らば、則ち燕国必ず患ひ無からん」と。文侯曰く、「子必ず合従を以て燕を安んぜんと欲せば、寡人請ふ国を以て従はん」と。
現代語訳
蘇秦は趙を去って燕に遊説し、一年余りしてようやく謁見がかなった。燕の文侯に説いて言った。「燕は領土が二千余里四方、武装兵が数十万、戦車六百乗、騎馬六千匹、穀物は数年分の蓄えがあります。まさにいわゆる天の宝庫です。安楽で事もなく、軍を壊滅させられたり将を殺されたりした経験のない国は、燕をおいてありません。大王はその理由をご存じですか。燕が敵の侵入を受けず、戦火をこうむらずにいられるのは、趙が南の盾となっているからです。もし趙が燕を攻めるとなれば、号令を発してから十日もかからず、数十万の軍が東垣に迫るでしょう。だからこう言うのです。秦が燕を攻めるには千里の外で戦わねばならないが、趙が燕を攻めるなら百里の内で戦うことになる、と。百里の内の憂いを心配せず、千里の外ばかりを重んじる。これほど誤った計はありません。ですから、どうか大王には趙と同盟を結び、天下を一つにまとめていただきたい。そうすれば燕には必ず憂いがなくなります」。文侯は言った。「あなたがどうしても合従によって燕を安泰にしようというのなら、私は国を挙げてそれに従おう」。