史記 / 蘇秦列伝
大王誠能聽臣計,即歸燕之十城。燕無故而得十城,必喜;秦王知以己之故而歸燕之十城,亦必喜。此所謂棄仇讎而得石交者也。夫燕、秦俱事齊,則大王號令天下,莫敢不聽。是王以虛辭附秦,以十城取天下。此霸王之業也。」王曰:「善。」於是乃歸燕之十城。人有毀蘇秦者曰:「左右賣國反覆之臣也,將作亂。」蘇秦恐得罪歸,而燕王不復官也。
新字:大王誠能聴臣計,即帰燕之十城。燕無故而得十城,必喜;秦王知以己之故而帰燕之十城,亦必喜。此所謂棄仇讎而得石交者也。夫燕、秦倶事斉,則大王号令天下,莫敢不聴。是王以虚辞附秦,以十城取天下。此覇王之業也。」王曰:「善。」於是乃帰燕之十城。人有毀蘇秦者曰:「左右売国反覆之臣也,将作乱。」蘇秦恐得罪帰,而燕王不復官也。
書き下し
大王誠に能く臣の計を聴かば、即ち燕の十城を帰せ。燕故無くして十城を得ば、必ず喜ばん。秦王己の故を以て燕の十城を帰すを知らば、亦必ず喜ばん。此れ所謂仇讎を棄てて石交を得る者なり。夫れ燕・秦倶に斉に事へば、則ち大王天下に号令して、敢へて聴かざる莫し。是れ王虚辞を以て秦に附き、十城を以て天下を取るなり。此れ霸王の業なり」と。王曰く、「善し」と。是に於いて乃ち燕の十城を帰す。人蘇秦を毀る者有りて曰く、「左右売国反覆の臣なり、将に乱を作さんとす」と。蘇秦罪を得んことを恐れて帰る、而して燕王復た官せざるなり。
現代語訳
(蘇秦は斉王に続けた。)「大王がまことにわたしの計略を聞いてくださるなら、すぐに燕の十城を返されるがよい。燕は理由もなく十城を取り戻せば、必ず喜ぶだろう。秦王も、自分のために燕の十城が返されたと知れば、やはり必ず喜ぶだろう。これがいわゆる仇を捨てて石のように固い交わりを得るということである。燕と秦がともに斉に仕えるようになれば、大王が天下に号令して、従わない者はいなくなる。これは、王が口先だけの言葉で秦に寄り添い、十城で天下を手に入れることである。これこそ覇王の業である。」斉王は「もっともだ」と言った。こうして燕に十城を返した。ところが蘇秦を中傷する者がいて、「あちこちで国を売り、寝返りを繰り返す臣であり、いずれ乱を起こすだろう」と言った。蘇秦は罪を得ることを恐れて燕に帰ったが、燕王は彼を元の官職に戻さなかった。
解説
関連する章句
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『長短経』詭信斉、燕を伐ちて十城を得。燕王、蘇秦をして斉に説かしめ、斉は燕に十城を帰す。蘇秦燕に還る。人或いは之を毀りて曰く「蘇秦は左右に国を売る、反覆の臣なり。将に乱を作さんとす」と。燕王意に之を疎んじ、捨てて用いず。蘇秦罪を被らんことを恐れ、入りて王に見えて曰く「臣は東周の鄙人なり。尺寸の功無くして、王親ら之を廟に拝し、之を庭に礼す。今、臣は王の為に斉の兵を却け、而して功は十城を得たり。宜しく以て益々親しむべし。今来たりて王臣を官せざる者は、人必ず不信を以て臣を王に傷つくる者有らん。且つ臣の不信は、王の福なり〔燕王も亦た嘗て蘇代に謂いて曰く「寡人甚だ訑者の言を喜ばず」と。代対えて曰く「周の地は媒を賤しむ。其の両誉するが為なり。男家に之きては女美しと曰い、女家に之きては男富めりと曰う。然れども周の俗は、自ら妻を娶らず。且つ夫れ処女媒無くんば、老いて且つ嫁がず。媒を舎てて自ら衒えば、弊れて售れず。順にして毀無く、則ち售れて弊れざる者は、惟だ媒のみ。且つ事は権に非ずんば立たず、勢いに非ずんば成らず。夫れ人をして坐して成事を受けしむる者は、惟だ訑のみ」と。訑は、音土和の反〕。
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戦国策・燕文公時燕の文公の時、秦の惠王其の女を以て燕の太子の婦と為す。文公卒し、易王立つ。齊の宣王燕の喪に因りて之を攻め、十城を取る。武安君蘇秦、燕の為に齊王に說き、再拜して賀し、因りて仰ぎて弔す。齊王戈を桉じて卻きて曰く、「此れ一に何ぞ慶弔の相隨うことの速やかなるや」と。對えて曰く、「人の飢えて烏喙を食らわざる所以の者は、偷かに腹を充たすと雖も、死と患を同じくすればなりと為せばなり。今燕弱小なりと雖も、強秦の少婿なり。王其の十城を利として、深く強秦と仇を為す。今弱燕をして鴈行を為さしめ、強秦其の後を制し、以て天下の精兵を招く、此れ烏喙を食らうの類なり」と。齊王曰く、「然らば則ち柰何せん」と。對えて曰く、「聖人の事を制するや、禍を轉じて福と為し、敗に因りて功と為す。故に桓公は婦人を負いて名益尊く、韓獻は罪を開きて交愈固し、此れ皆禍を轉じて福と為し、敗に因りて功と為す者なり。王能く臣を聽かば、燕の十城を歸し、辭を卑くして以て秦に謝するに如くは莫し。秦、王の己の故を以て燕城を歸すを知らば、秦必ず王を德とせん。燕故無くして十城を得ば、燕も亦王を德とせん。是れ強仇を棄てて厚交を立つるなり。且つ夫れ燕・秦の俱に齊に事うれば、則ち大王號令して天下皆從わん。是れ王虛辭を以て秦に附き、十城を以て天下を取るなり。此れ霸王の業なり。所謂禍を轉じて福と為し、敗に因りて功を成す者なり」と。齊王大いに說び、乃ち燕城を歸す。金千斤を以て其の後を謝し、塗中に頓首し、兄弟と為らんことを願いて罪を秦に請う。
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『長短経』七雄略斉の宣王、燕の衰うるに因りて燕を伐ち、十城を取る。燕の易王、蘇秦に謂いて曰く「先生、能く燕の為に侵地を得んか」と。秦曰く「請う、王の為に之を取らん」と。遂に斉に如き、斉王に見え、拝して慶し、仰ぎて弔す。斉王曰く「是れ何ぞ慶弔相い随うことの速やかなるや」と。蘇秦曰く「臣聞く、饑人の饑えて烏喙を食らわざる所以の者は、其の愈々腹を充たして死人と患いを同じくするが為なり、と。今、燕は小弱なりと雖も、即ち秦の女婿なり。大王、其の十城を利として長く強秦と仇と為る。今、弱燕をして雁行と為し、強秦をして其の後を推さしむ。是れ烏喙を食らうの類なり」と。斉王曰く「然らば則ち奈何」と。蘇秦曰く「臣聞く、古の善く事を制する者は、禍を転じて福と為し、敗に因りて功と為す、と。大王、誠に能く臣に聴かば、燕に十城を帰せ。燕、必ず大いに喜ばん。秦王、己の故を以て燕の十城を帰すを知らば、亦た必ず喜ばん。此れ所謂仇讐を棄てて碩友を結ぶなり」と。斉王曰く「善し」と。是に於て燕に十城を帰す。〉蘇秦、趙に如く。〈趙の先は秦と祖を同じくす。周の繆王、造父をして御せしめ、徐の偃王を破る。乃ち造父に賜うに趙城を以てす。趙氏、世々晋の卿と為るなり。〉
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史記 蘇秦列伝初め、蘇秦の燕に之くや、人に百銭を貸りて資と為す、乃ち富貴を得て、百金を以て之を償ふ。遍く諸々の嘗て徳とせらるる所の者に報ゆ。其の従者に一人独り未だ報を得ざる者有り、乃ち前みて自ら言ふ。蘇秦曰く、「我子を忘るるに非ず。子の我と燕に至るや、再三我を易水の上に去らんと欲す、是の時に方りて、我困しむ、故に子を望むこと深し、是を以て子を後にす、子今亦之を得たり。蘇秦既に六国を約して従親せしめ、趙に帰る、趙の粛侯封じて武安君と為す、乃ち従約の書を秦に投ず。秦の兵敢へて函谷関を闚はざること十五年。其の後秦犀首をして斉・魏を欺かしめ、与に共に趙を伐ち、従約を敗らんと欲す。斉・魏趙を伐つ、趙王蘇秦を譲む。蘇秦恐れ、燕に使ひして、必ず斉に報いんことを請ふ。蘇秦趙を去りて従約皆解く。秦の恵王其の女を以て燕の太子の婦と為す。是の歳、文侯卒し、太子立つ、是れ燕の易王為り。易王初めて立つに、斉の宣王燕の喪に因りて燕を伐ち、十城を取る。易王蘇秦に謂ひて曰く、「往日先生燕に至り、而して先王先生に資して趙に見えしめ、遂に六国を約して従はしむ。今斉先づ趙を伐ち、次いで燕に至る、先生の故を以て天下の笑ひと為る、先生能く燕の為に侵地を得んか」と。蘇秦大いに慚ぢて、曰く、「請ふ王の為に之を取らん」と。蘇秦斉王に見え、再拝し、俯して慶し、仰ぎて弔す。斉王曰く、「是れ何ぞ慶弔の相随ふことの速やかなるや」と。蘇秦曰く、「臣聞く、飢人の飢うる所以にして烏喙を食らはざる者は、其の愈々腹を充たして餓死と患ひを同じくするが為なりと。今燕弱小なりと雖も、即ち秦王の少壻なり。大王其の十城を利として長く彊秦と仇を為す。今弱燕をして鴈行を為さしめ、彊秦其の後に敝ひ、以て天下の精兵を招く、是れ烏喙を食らふの類なり」と。斉王愀然として色を変じて曰く、「然らば則ち奈何せん」と。蘇秦曰く、「臣聞く、古の善く事を制する者は、禍を転じて福と為し、敗に因りて功と為すと。
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戦国策・人有惡蘇秦於燕王者人に蘇秦を燕王に惡む者有りて曰く、「武安君は天下の信ぜざる人なり。王萬乘を以て之に下り、之を廷に尊べば、天下に小人と群るるを示すなり」と。武安君齊より來るも、燕王館せず。燕王に謂いて曰く、「臣は東周の鄙人なり、足下の身咫尺の功無きを見て、足下臣を郊に迎え、臣を廷に顯す。今臣足下の為に使いし、利十城を得て、功危燕を存す、足下臣を聽かざる者は、人必ず臣の不信なりと言いて、臣を王に傷つくる者有ればなり。臣の不信なるは、是れ足下の福なり。臣をして信は尾生の如く、廉は伯夷の如く、孝は曾參の如く、三者天下の高行にして、以て足下に事えしめば、不可ならんや」と。燕王曰く、「可なり」と。曰く、「此れ有らば、臣も亦足下に事えざらん」と。蘇秦曰く、「且つ夫れ孝は曾參の如くんば、義親を離れて一夕も外に宿せず、足下安くんぞ之をして齊に之かしめんや。廉は伯夷の如くんば、素飡を取らず、武王の義を汙して臣とせず、孤竹の君を辭し、餓えて首陽の山に死せり。廉此くの如き者、何ぞ肯えて數千里を步行して、弱燕の危主に事えんや。信は尾生の如くんば、期して來たらず、梁柱を抱きて死せり。信此くの至れる、何ぞ肯えて燕・秦の威を齊に楊げて大功を取らんや。且つ夫れ信行なる者は、自ら為にする所以にして、人の為にする所以に非ず。皆自ら覆うの術にして、進取の道に非ざるなり。且つ夫れ三王代りて興り、五霸迭いに盛んなるは、皆自ら覆わざればなり。君自ら覆うを以て可と為すか。則ち齊は營丘を益さず、足下は楚境を踰えず、邊城の外を窺わず。且つ臣老母周に有り、老母を離れて足下に事え、自ら覆うの術を去りて、進取の道を謀る、臣の趣、固より足下と合わざる者なり。足下は皆自ら覆うの君なり、僕は進取の臣なり、所謂忠信を以て君に罪を得る者なり」と。燕王曰く、「夫れ忠信、又何の罪か之れ有らんや」と。對えて曰く、「足下知らざるなり。臣が鄰家に遠く吏と爲る者有り、其の妻人に私す。其の夫且に歸らんとし、其の之に私する者之を憂う。其の妻曰く、『公憂うる勿かれ、吾已に藥酒を為りて以て之を待つ』と。後二日、夫至る。妻妾をして卮酒を奉じて之に進めしむ。妾其の藥酒なるを知り、之を進めば則ち主父を殺し、之を言わば則ち主母を逐わる、乃ち陽り僵れて酒を棄つ。主父大いに怒りて之を笞つ。故に妾一たび僵れて酒を棄つるは、上は以て主父を活かし、下は以て主母を存するなり。忠此くの如くに至るも然も笞たるるを免れず、此れ忠信を以て罪を得る者なり。臣の事、適々不幸にして妾の酒を棄つるに類する有るなり。且つ臣の足下に事うるや、義を亢げ國を益す、今乃ち罪を得れば、臣恐らくは天下の後に足下に事うる者、敢えて自ら必せざらんことを。且つ臣の齊に說きしは、曾て之を欺かざるなり。之をして齊に說かしめば、臣の言に如くは莫く、堯・舜の智と雖も、敢えて取らざるなり」と。
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史記 蘇秦列伝対へて曰く、「天の時与せずんば、清済・濁河有りと雖も、悪くんぞ以て固めと為すに足らん。民力罷敝せば、長城・鉅防有りと雖も、悪くんぞ以て塞と為すに足らん。且つ異日済西に師せざるは、趙に備ふる所以なり。河北に師せざるは、燕に備ふる所以なり。今済西河北尽く已に役せり、封内敝れたり。夫れ驕君は必ず利を好み、而して亡国の臣は必ず財を貪る。王誠に能く子母弟を以て質と為すを羞づる無く、珠玉帛を宝として以て左右に事へば、彼将に燕を徳として宋を亡ぼすを軽んぜんとす、則ち斉亡ぼすべきのみ」と。燕王曰く、「吾終に子を以て命を天に受けたり」と。燕乃ち一子をして斉に質たらしむ。而して蘇厲燕の質子に因りて斉王に見えんことを求む。斉王蘇秦を怨み、蘇厲を囚へんと欲す。燕の質子為に謝し、已にして遂に質を委ねて斉の臣と為る。燕の相子之蘇代と婚し、而して燕の権を得んと欲し、乃ち蘇代をして質子に斉に侍せしむ。斉代をして燕に報ぜしむ、燕王噲問ひて曰く、「斉王其れ霸たらんか」と。曰く、「能はず」と。曰く、「何ぞや」と。曰く、「其の臣を信ぜず」と。是に於いて燕王専ら子之に任じ、已にして位を譲り、燕大いに乱る。斉燕を伐ち、王噲・子之を殺す。燕昭王を立て、而して蘇代・蘇厲遂に敢へて燕に入らず、皆終に斉に帰す、斉善く之を待す。蘇代魏を過る、魏燕の為に代を執ふ。斉人をして魏王に謂はしめて曰く、「斉宋の地を以て涇陽君を封ぜんことを請ふも、秦必ず受けず。秦斉を有ちて宋の地を得るを利とせざるに非ざるなり、斉王と蘇子とを信ぜざるなり。今斉魏の和せざること此くの如く其れ甚だしくば、則ち斉秦を欺かず。秦斉を信じ、斉秦合し、涇陽君宋の地を有するは、魏の利に非ざるなり。故に王蘇子を東するに如かず、秦必ず斉を疑ひて蘇子を信ぜざらん。斉秦合せずんば、天下変無く、斉を伐つの形成らん」と。是に於いて蘇代を出だす。代宋に之く、宋善く之を待す。
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