史記 / 蘇秦列伝
今主君詔以趙王之敎,敬奉社稷以從。」
新字:今主君詔以趙王之教,敬奉社稷以従。」
書き下し
今主君詔するに趙王の教へを以てす、敬んで社稷を奉じて以て従はん」と。
現代語訳
(韓王は続けた。)「いまあなたが趙王の教えをもってわたしに告げてくれた。謹んで国を挙げて合従に従おう。」
解説
蘇秦に「鶏口牛後」を説かれて奮い立った韓の宣王が、合従への参加を正式に表明する一句です。韓王は、蘇秦個人の説得というより、趙王の名代としての申し出を受ける形で、国を挙げて従うと答えています。蘇秦は各国を説く際、常に趙王の使者という立場をとっており、一介の遊説家ではなく、強国の後ろ盾を持つ外交官として振る舞っていました。これにより、各国の王は個人の口車に乗ったのではなく、国と国との約束として合従に加わる体裁が整います。燕、趙に続いて韓が加わったことで、合従は三国となり、次の魏、斉、楚へと広がっていきます。誰の名で話すか、どの立場で交渉に臨むかが、相手の決断のしやすさを大きく左右することを示す一節です。
関連する章句
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史記 蘇秦列伝是に於いて韓の宣王に説きて曰く、「韓は北に鞏・成皋の固め有り、西に宜陽・商阪の塞有り、東に宛・穣・洧水有り、南に陘山有り、地方九百余里、帯甲数十万、天下の彊弓勁弩は皆韓より出づ。谿子・少府の時力・距来なる者は、皆六百歩の外を射る。韓の卒足を超えて射れば、百発して止むに暇あらず、遠き者は括蔽洞胸し、近き者は鏑心を弇ふ。韓の卒の剣戟は皆冥山・棠谿・墨陽・合賻・鄧師・宛馮・竜淵・太阿より出で、皆陸には牛馬を断ち、水には鵠鴈を截ち、敵に当たれば則ち堅甲鉄幕を斬り、革抉㕹芮、畢く具はらざるは無し。韓の卒の勇を以て、堅甲を被り、勁弩を蹠み、利剣を帯ぶれば、一人百に当たること、言ふに足らざるなり。夫れ韓の勁きと大王の賢とを以て、乃ち西面して秦に事へ、臂を交へて服し、社稷を羞かしめて天下の笑ひと為る、此れより大なる者無し。是の故に願はくは大王孰々之を計れ。大王秦に事へば、秦必ず宜陽・成皋を求めん。今茲之を効せば、明年又復た地を割かんことを求めん。与ふれば則ち地の以て之に給する無く、与へざれば則ち前功を棄てて後禍を受く。且つ大王の地は尽くる有りて秦の求めは已む無し、尽くる有るの地を以て已む無きの求めを逆ふ、此れ所謂怨みを市ひ禍を結ぶ者なり、戦はずして地已に削らる。臣聞く鄙諺に曰く、『寧ろ鶏口と為るとも、牛後と為る無かれ』と。今西面し臂を交へて秦に臣事す、何ぞ牛後に異ならんや。夫れ大王の賢を以て、彊韓の兵を挟みて、牛後の名有り、臣竊かに大王の為に之を羞づ」と。是に於いて韓王勃然として色を作し、臂を攘ひ目を瞋らし、剣を按じ天を仰ぎて太息して曰く、「寡人不肖なりと雖も、必ず秦に事ふる能はず。
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戦国策・蘇秦為楚合從說韓王蘇秦楚の為に合従して韓王に説きて曰く、「韓は北に鞏・洛・成皋の固有り、西に宜陽・常阪の塞有り、東に宛・穰・洧水有り、南に陘山有り、地方千里、帯甲数十万。天下の強弓勁弩は、皆韓より出づ。谿子・少府の時力・距来は、皆六百歩の外を射る。韓の卒は足を超えて射れば、百発止むに暇あらず、遠き者は胸に達し、近き者は心を掩う。韓の卒の剣戟は、皆冥山・棠谿・墨陽・合伯膊より出づ。鄧師・宛馮・龍淵・大阿は、皆陸には馬牛を断ち、水には鵠鴈を撃ち、敵に当たりて即ち堅きを斬る。甲・盾・鞮・鍪・鉄幕・革抉・㕭芮、畢く具えざる無し。韓の卒の勇を以て、堅甲を被り、勁弩を蹠み、利剣を帯ぶれば、一人にして百に当たる、言うに足らざるなり。夫れ韓の勁きと、大王の賢を以て、乃ち西面して秦に事え、東藩と称し、帝宮を築き、冠帯を受け、春秋を祠り、臂を交えて服せんと欲す。夫れ社稷を羞じて天下に笑わるる、此れに過ぐる無し。是の故に願わくは大王之を熟計せよ。大王秦に事うれば、秦必ず宜陽・成皋を求む。今茲之を効さば、明年又た益々地を割くを求む。之を与うれば、即ち以て之に給する地無し。与えざれば、則ち前功を棄てて後更に其の禍を受く。且つ夫れ大王の地に尽くる有り、而して秦の求めに已む無し。夫れ尽くる有るの地を以て、已む無きの求めに逆らう、此れ所謂怨みを市いて禍を買う者なり、戦わずして地已に削らる。臣鄙語を聞く、『寧ろ鶏口と為るとも、牛後と為る無かれ』と。今、大王西面して臂を交え臣として秦に事うれば、何を以て牛後に異ならんや。夫れ大王の賢を以て、強韓の兵を挟みて、牛後の名有らば、臣竊かに大王の為に之を羞ず。」韓王忿然として色を作し、臂を攘げ剣を按じ、天を仰ぎて太息して曰く、「寡人死すと雖も、必ず秦に事うること能わず。今主君楚王の教えを以て之に詔す、敬みて社稷を奉じて以て従わん。」
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史記 蘇秦列伝大王の之に詔するに在り」と。楚王曰く、「寡人の国は西のかた秦と境を接し、秦巴蜀を挙げ漢中を并はするの心有り。秦は、虎狼の国なり、親しむべからざるなり。而して韓・魏は秦の患ひに迫られ、与に深く謀るべからず、与に深く謀らば恐らくは人に反きて以て秦に入らん、故に謀未だ発せずして国已に危ふし。寡人自ら料るに楚を以て秦に当たるも、勝つを見ざるなり。内に群臣と謀るも、恃むに足らざるなり。寡人臥して席に安んぜず、食らひて味を甘しとせず、心揺揺然として県旌の如くにして終に薄る所無し。今主君天下を一にし、諸侯を収め、危国を存せんと欲す、寡人謹んで社稷を奉じて以て従はん」と。是に於いて六国従合して力を并す。蘇秦従約の長と為り、并せて六国に相たり。
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『長短経』七雄略大王、秦に事うる無かれ。秦に事えば必ず宜陽・成皋を求めん。今茲に之を効さば、明年、又た復た地を割かんことを求めん。之に与うれば、則ち地の以て之に給する無く、与えざれば、則ち前功を棄てて後禍を受く。且つ夫れ大王の地は尽くる有りて、秦の求めは已む無し。尽くる有るの地を以て、已む無きの求めに逆らう。此れ所謂怨みを市い禍を結ぶ者なり。戦わずして地は已に削らる。臣聞く、鄙諺に曰く『寧ろ鶏口と為るも、牛後と為る無かれ』と。今、王、西面して臂を交えて臣として秦に事う。何ぞ牛後に異ならんや。夫れ大王の賢を以て、強韓の兵を挟みて、牛後の名有り。竊かに大王の為に之を羞ず」と。韓王、勃然として色を作し、剣を按じ太息して曰く「寡人、不肖なりと雖も、秦に事うる能わず」と。之に従う。
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史記 蘇秦列伝且つ夫れ韓・魏の重く秦を畏るる所以の者は、秦と境を接し界を壌にするが為なり。兵出でて相当たれば、十日を出でずして戦勝存亡の機決す。韓・魏戦ひて秦に勝たば、則ち兵半ば折れ、四境守られず。戦ひて勝たずんば、則ち国已に危亡其の後に随ふ。是の故に韓・魏の重く秦と戦ひて、軽く之が臣と為る所以なり。今秦の斉を攻むるは則ち然らず。韓・魏の地を倍にし、衛の陽晋の道を過ぎ、亢父の険を径る、車は軌を方ぶるを得ず、騎は比びて行くを得ず、百人険を守れば、千人も敢へて過ぎず。秦深く入らんと欲すと雖も、則ち狼顧し、韓・魏の其の後を議せんことを恐る。是の故に恫疑虚猲し、驕矜して敢へて進まず、則ち秦の斉を害する能はざること亦明らかなり。夫れ深く秦の斉を奈何ともする無きを料らずして、西面して之に事へんと欲す、是れ群臣の計の過ちなり。今秦に臣事するの名無くして彊国の実有り、臣是の故に願はくは大王少しく意を留めて之を計れ」と。斉王曰く、「寡人不敏、僻遠にして海を守り、窮道東境の国なり、未だ嘗て余教を聞くを得ず。今足下趙王の詔を以て之に詔す、敬んで国を以て従はん」と。
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史記 蘇秦列伝夫れ外に彊秦の威を挟みて以て内に其の主を劫し、以て地を割かんことを求む、大逆不忠、此れに過ぐる者無し。故に従親すれば則ち諸侯地を割きて以て楚に事へ、衡合すれば則ち楚地を割きて以て秦に事ふ、此の両策は相去ること遠し、二者大王何れにか居らん。故に敝邑の趙王臣をして愚計を効し、明約を奉ぜしむ、
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