史記 / 蘇秦列伝
又說魏襄王曰、大王之地方千里。地名雖小、然而田舍廬廡之數、曾無所芻牧。臣聞越王句踐戰敝卒三千人、禽夫差於干遂。武王卒三千人、革車三百乘、制紂於牧野。豈其士卒眾哉、誠能奮其威也。今竊聞大王之卒、武士二十萬、蒼頭二十萬、奮擊二十萬、廝徒十萬、車六百乘、騎五千匹。此其過越王句踐武王遠矣。今乃聽於群臣之說而欲臣事秦。臣故願大王孰察之。魏王曰、寡人不肖、未嘗得聞明教。今主君以趙王之詔詔之、敬以國從。
新字:又説魏襄王曰、大王之地方千里。地名雖小、然而田舎廬廡之数、曽無所芻牧。臣聞越王句践戦敝卒三千人、禽夫差於干遂。武王卒三千人、革車三百乗、制紂於牧野。豈其士卒眾哉、誠能奮其威也。今竊聞大王之卒、武士二十万、蒼頭二十万、奮擊二十万、廝徒十万、車六百乗、騎五千匹。此其過越王句践武王遠矣。今乃聴於群臣之説而欲臣事秦。臣故願大王孰察之。魏王曰、寡人不肖、未嘗得聞明教。今主君以趙王之詔詔之、敬以国従。
書き下し
又魏の襄王に説きて曰く、「大王の地は方千里。地名は小なりと雖も、然れども田舎廬廡の数、曾て芻牧する所無し。臣聞く、越王句踐は敝卒三千人を戦はせて夫差を干遂に禽にす。武王は卒三千人、革車三百乗、紂を牧野に制す。豈に其の士卒衆きや、誠に能く其の威を奮へばなり。今竊かに大王の卒を聞くに、武士二十万、蒼頭二十万、奮撃二十万、廝徒十万、車六百乗、騎五千匹。此れ其の越王句踐・武王に過ぐること遠し。今乃ち群臣の説を聴きて秦に臣事せんと欲す。臣故に願はくは大王孰々之を察せよ」と。魏王曰く、「寡人不肖にして、未だ嘗て明教を聞くを得ず。今主君趙王の詔を以て之を詔す、敬みて国を以て従はん」と。
現代語訳
さらに魏の襄王に説いて言った。「大王の領土は千里四方。土地は小さいと言われますが、田畑や家屋がすきまなく建ち並び、家畜を放牧する余地すらないほどです。私はこう聞いております。越王句踐は疲弊した兵三千人で戦い、夫差を干遂で捕らえた。武王は兵三千人、革張りの戦車三百乗で、紂王を牧野で制圧した、と。これは兵が多かったからでしょうか。ただ、その威勢を存分に振るえたからです。今ひそかに大王の兵力を聞きますと、武士二十万、蒼頭(下級兵)二十万、突撃兵二十万、雑役兵十万、戦車六百乗、騎馬五千匹。これは越王句踐や武王をはるかに上回っています。それなのに今、群臣の言うことを聞いて秦に臣下として仕えようとしておられる。だからこそ私は、大王によくよくご検討いただきたいのです」。魏王は言った。「私は愚かで、これまで賢明な教えを聞く機会がなかった。今、あなたが趙王のお言葉としてこれを告げてくださった。謹んで国を挙げて従おう」。
解説
この章句が説くこと
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『韓非子』飾邪第十九治の数に明らかならば、則ち國は小なりと雖も富み、賞罰、敬信ならば、民寡しと雖も強し。
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呉子・応変篇武侯問いて曰く、左右に高山あり、地甚だ狭迫にして、卒かに敵人に遇い、之を撃たんとするも敢えてせず、之を去らんとするも得ず、之を奈何せん、と。起対えて曰く、此を谷戦と謂う。衆しと雖も用いられず。吾が材士を募りて敵と相当たらしめ、輕足利兵を以て前行と為す。車を分ち騎を列ねて四旁に隠し、相去ること数里、其の兵を見わすこと無くば、敵必ず陳を堅くし、進退敢えてせず。是に於て旌を出し旆を列ね、行きて山外に出でて之に営せば、敵人必ず懼れん。車騎もて之に挑み、休むを得しむること勿かれ。此れ谷戦の法なり、と。
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葉隠・聞書第十一前にて兵の多少に依らず、究竟の士五六人を合はせ槍を入るれば、一方突崩すものなりと、沙汰(さた)これあり候由。
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呉子・図国篇武侯問いて曰く、「願わくは兵を治め、人を料り、国を固むるの道を聞かん」と。起対えて曰く、「古の明王は、必ず君臣の礼を謹み、上下の儀を飾り、吏民を安集し、俗に順いて教え、良材を簡び募りて、以て不虞に備う。昔、斉の桓公は士五万を募りて、以て諸侯に霸たり。晋の文公は召して前行と為すこと四万、以て其の志を獲たり。秦の繆公は陥陳三万を置きて、以て鄰敵を服せしむ。故に強国の君は、必ず其の民を料る。民に胆勇気力有る者は、聚めて一卒と為す。進みて戦い力を効し、以て其の忠勇を顕すを楽しむ者は、聚めて一卒と為す。能く高きを踰え遠きを超え、足軽くして善く走る者は、聚めて一卒と為す。王臣にして位を失い、功を上に見さんと欲する者は、聚めて一卒と為す。城を棄て守りを去り、其の醜を除かんと欲する者は、聚めて一卒と為す。此の五者は、軍の練鋭なり。此の三千人有らば、内より出でては以て囲みを決すべく、外より入りては以て城を屠るべし」と。
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呂氏春秋・用民②闔廬の兵を用うるや、三萬に過ぎず、吳起の兵を用うるや、五萬に過ぎず。萬乘の國、其の三萬五萬為るや尚ほ多し。今、之を外にしては則ち以て敵を拒ぐ可からず、之を內にしては則ち以て國を守る可からざるは、其の民、用う可からざるに非ざるなり。之を用うる所以を得ざればなり。之を用うる所以を得ざれば、國大なりと雖も、勢便なりと雖も、卒衆しと雖も、何ぞ益せん。古者、天下を有ちて亡びし者多し。其の民の用を為さざればなり。民を用うるの論は、熟せざる可からず。
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戦国策・趙惠文王三十年趙の惠文王三十年、相の都平君田單、趙奢に問いて曰く、「吾は将軍の兵法を説(よろこ)ばざるに非ざるなり。服せざる所以の者は、独り将軍の衆を用うるのみ。衆を用うる者は、民をして耕作するを得ざらしめ、糧食輓賃給すべからず。此れ坐して自ら破るの道なり、単の為す所に非ざるなり。単之を聞く、帝王の兵は、用うる所の者三万に過ぎずして、天下服す、と。今将軍は必ず十万、二十万の衆を負いて乃ち之を用う、此れ単の服せざる所なり」と。馬服曰く、「君は徒だに兵に達せざるのみに非ず、又た其の時勢に明らかならず。夫れ呉干の剣は、肉に試みれば則ち牛馬を断ち、金に試みれば則ち盤匜を截る。之を柱上に薄りて撃てば、則ち折れて三と為り、之を石上に質てて撃てば、則ち砕けて百と為る。今三万の衆を以て強国の兵に応ずるは、是れ柱に薄り石を撃つの類なり。且つ夫れ呉干の剣材、脊の厚き無きに難みて、鋒入らず、脾の薄き無きに、刃断たず。是の両者を兼ね有するも、釣・鐔・蒙須の便無くんば、其の刃を操りて刺せば、則ち未だ入らずして手断たれん。君に十余、二十万の衆無くして、此の釣・鐔・蒙須の便を為さんとし、徒だに三万を以て天下に行かんとす、君焉んぞ能くせんや。且つ古は、四海の内、分かちて万国と為る。城大なりと雖も、三百丈に過ぐる者無く、人衆しと雖も、三千家に過ぐる者無し。而して兵三万を集むるを以て、此を距ぐこと奚ぞ難からんや。今古の万国たる者を取りて、分かちて戦国七と為し、能く数十万の兵を具え、日を曠しくし久しきを持し、数歳にして、即ち君の斉のごとし。斉は二十万の衆を以て荊を攻め、五年にして乃ち罷む。趙は二十万の衆を以て中山を攻め、五年にして乃ち帰る。今は、斉・韓相方しく、而して国之を囲み攻む、豈に敢えて曰わんや、我其れ三万を以て是れを救わんと。今千丈の城、万家の邑相望むなり。而して三万の衆を以て索め、千丈の城を囲めば、其の一角をも存せず、而して野戦は用うるに足らず。君将に此を以て何くにか之かんとするか」と。都平君喟然として太息して曰く、「単至らざるなり」と。