史記 / 蘇秦列伝
「臣聞堯無三夫之分,舜無咫尺之地,以有天下;禹無百人之聚,以王諸侯;湯武之士不過三千,車不過三百乘,卒不過三萬,立為天子:誠得其道也。是故明主外料其敵之彊弱,內度其士卒賢不肖,不待兩軍相當而勝敗存亡之機固已形於胸中矣,豈揜於衆人之言而以冥冥決事哉!
新字:「臣聞堯無三夫之分,舜無咫尺之地,以有天下;禹無百人之聚,以王諸侯;湯武之士不過三千,車不過三百乗,卒不過三万,立為天子:誠得其道也。是故明主外料其敵之彊弱,内度其士卒賢不肖,不待両軍相当而勝敗存亡之機固已形於胸中矣,豈揜於衆人之言而以冥冥決事哉!
書き下し
臣聞く、堯は三夫の分無く、舜は咫尺の地無くして、以て天下を有つ。禹は百人の聚まり無くして、以て諸侯に王たり。湯武の士は三千に過ぎず、車は三百乗に過ぎず、卒は三万に過ぎずして、立ちて天子と為る。誠に其の道を得ればなり。是の故に明主は外に其の敵の彊弱を料り、内に其の士卒の賢不肖を度り、両軍の相当たるを待たずして勝敗存亡の機固より已に胸中に形はる、豈に衆人の言に揜はれて冥冥を以て事を決せんや。
現代語訳
(蘇秦は続けた。)「わたしはこう聞いている。堯には三人の農夫に分けるほどの田もなく、舜にはわずかな土地もなかったが、それでも天下を治めた。禹には百人の手勢もなかったが、諸侯の王となった。殷の湯王や周の武王の兵は三千を超えず、戦車は三百乗を超えず、兵卒は三万を超えなかったが、それでも天子となった。まことに正しい道を得ていたからである。だから賢明な君主は、外では敵の強弱を見積もり、内では自国の兵士の優劣を推し量り、両軍がぶつかる前に、勝敗や存亡の分かれ目がすでに胸の中にはっきりと描かれている。どうして多くの人の言葉に惑わされて、ぼんやりとしたまま事を決めることがあろうか。
解説
関連する章句
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『長短経』七雄略臣聞く、堯に三夫の分無く、舜に咫尺の地無くして、以て天下を有つ。禹に百人の聚まり無くして、以て諸侯に王たり。湯武の士は三千に過ぎず、車は三百乗に過ぎず、卒は三万に過ぎずして、立ちて天子と為る。誠に其の道を得ればなり。是の故に、明主は外に其の敵の強弱を料り、内に其の士卒の賢不肖を度る。両軍相い当たるを待たずして、勝敗存亡の機、固より已に胸中に形る。豈に衆人の言に掩われて、冥冥を以て事を決せんや。臣、竊かに天下の地図を以て之を按ずるに、諸侯の地は秦に五倍す。諸侯の卒を料度するに、秦に十倍す。六国力を并せ、西面して秦を攻めば、秦必ず破れん。今、西面して之に事え、秦に臣たるを見る。夫れ人を破ると人に破らるるを見ると、人を臣とすると人に臣たるを見ると、豈に日を同じくして論ず可けんや。夫れ衡人なる者は、皆な諸侯の地を割きて、以て秦に与えんと欲す。秦成らば則ち台榭を高くし、宮室を美にし、笙竽の音を聴く。国は秦の患いを被るも、其の憂いに与らず。是の故に、衡人は日夜、務めて秦の権を以て諸侯を恐愒し、以て地を割かんことを求む。願わくは大王、熟ら之を計れ。
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『韓非子』初見秦第一何を以て其の然るを知るや。昔者紂は天子と為り、将に天下の甲兵百万を率ゐ、左は淇渓に飲ひ、右は洹谿に飲ひ、淇水竭きて洹水流れず、以て周の武王と難を為さんとす。武王は素甲三千を将ゐ、戦ふこと一日にして、紂の国を破り、其の身を禽にし、其の地に拠りて其の民を有ち、天下傷む莫し。知伯は三国の衆を率ゐて以て趙襄主を晋陽に攻め、水を決して之に灌ぐこと三月、城且に抜けんとす。襄主亀を鑽り筮して兆を占ひ、以て利害を視、何れの国に降るべきかを視る。乃ち其の臣張孟談を使はす。是に於て乃ち潜行して出で、知伯の約に反かしめ、両国の衆を得て、以て知伯を攻め、其の身を禽にし、以て襄主の初めに復す。今秦の地は長きを折りて短きを補へば、方数千里、名師数十百万。秦国の号令賞罰、地形利害、天下如くもの莫きなり。此を以て天下に与すれば、兼ねて有つべきなり。臣昧死して願はくは大王に見えんことを望み、天下の従を破り、趙を挙げ、韓を亡ぼし、荊・魏を臣とし、斉・燕を親しみ、以て覇王の名を成し、四隣の諸侯を朝せしむる所以の道を言はん。
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荀子・仲尼篇彼の王者は則ち然らず。賢を致して能く以て不肖を救い、彊を致して能く以て弱を寛くし、戦えば必ず能く之を殆うくするも、之と鬥うを羞ず。委然として文を成し、以て之を天下に示せば、暴国も安んじて自ら化す。災繆なる者有らば、然る後に之を誅す。故に聖王の誅や綦めて省なり。文王は四を誅し、武王は二を誅す。周公業を卒え、成王に至れば、則ち安んじて誅する無し。故に道豈に行なわれざらんや。文王は百里の地に載りて、天下一なり。桀・紂は之を舎て、天下を有つの埶に厚きも、匹夫として老ゆるを得ず。故に善く之を用うれば、則ち百里の国も以て独立するに足る。善く之を用いざれば、則ち楚は六千里なるも讎人の役と為る。故に人主、道を得るを務めずして、広く其の埶を有つは、是れ其の危うき所以なり。
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『淮南子』兵略訓湯の地 方七十里にして王たる者は、德を修むればなり。智伯 千里の地有りて亡ぶる者は、武を窮むればなり。故に千乘の國、文德を行う者は王たり。萬乘の國、兵を用うるを好む者は亡ぶ。故に全兵は先ず勝ちて而る後に戰い、敗兵は先ず戰いて而る後に勝を求む。德 均しければ則ち眾き者 寡なきに勝ち、力 敵すれば則ち智なる者 愚なるに勝ち、智 侔しければ則ち數有る者 數無きを禽にす。凡そ兵を用うる者は、必ず先ず自ら廟戰す。主 孰れか賢なる、將 孰れか能なる、民 孰れか附く、國 孰れか治まる、蓄積 孰れか多き、士卒 孰れか精なる、甲兵 孰れか利なる、器備 孰れか便なる。故に籌を廟堂の上に運らして、勝を千里の外に決するなり。
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戦国策・秦一・蘇秦始將連橫蘇秦始めて連橫を將(も)って秦の惠王に說きて曰わく、「大王の國、西に巴・蜀・漢中の利有り、北に胡貉・代馬の用有り、南に巫山・黔中の限有り、東に肴・函の固有り。田肥美にして、民殷富、戰車萬乘、奮擊百萬、沃野千里、蓄積饒多、地勢形便なり、此れ所謂天府、天下の雄國なり。大王の賢、士民の眾、車騎の用、兵法の教を以て、以て諸侯を并せ、天下を吞み、帝と稱して治むべし。願わくは大王少しく留意せられ、臣請う其の效を奏せん。」秦王曰わく、「寡人之を聞く、毛羽豐滿ならざる者は以て高く飛ぶべからず、文章成らざる者は以て誅罰すべからず、道德厚からざる者は以て民を使うべからず、政教順ならざる者は以て大臣を煩わすべからずと。今先生儼然として千里を遠しとせずして庭に之を教う、願わくは異日を以てせん。」蘇秦曰わく、「臣固より大王の用うる能わざるを疑えり。昔者神農補遂を伐ち、黃帝涿鹿を伐ちて蚩尤を禽にし、堯驩兜を伐ち、舜三苗を伐ち、禹共工を伐ち、湯有夏を伐ち、文王崇を伐ち、武王紂を伐ち、齊桓戰に任じて天下に伯たり。此に由りて之を觀れば、惡んぞ戰わざる者有らんや。古者車轂擊馳し、言語相結び、天下一と爲る、從を約し橫を連ね、兵革藏さず、文士並び餝り、諸侯亂惑し、萬端俱に起こり、勝げて理むべからず、科條既に備わりて、民偽態多く、書策稠濁して、百姓足らず、上下相愁い、民聊む所無く、明言理を章らかにして、兵甲愈々起こり、辯言偉服にして、戰攻息まず、繁く文辭を稱して、天下治まらず、舌弊れ耳聾いて、成功を見ず、義を行い信を約すれど、天下親しまず。是に於いて、乃ち文を廢して武に任じ、死士を厚く養い、甲を綴り兵を厲まし、勝を戰場に效す。夫れ徒らに處りて利を致し、安んじて坐して地を廣むるは、古の五帝・三王・五伯、明主賢君と雖も、常に坐して之を致さんと欲するも、其の勢い能わず、故に戰を以て之に續ぐ。寬なれば則ち兩軍相攻め、迫れば則ち杖戟相橦(う)ち、然る後に大功を建つべし。是の故に兵は外に勝ち、義は內に強く、威は上に立ち、民は下に服す。今天下を并せ、萬乘を凌ぎ、敵國を詘し、海內を制し、元元を子とし、諸侯を臣とせんと欲せば、兵に非ざれば可ならず。今の嗣主、至道に忽にして、皆教に惛く、治に亂れ、言に迷い、語に或い、辯に沈み、辭に溺る。此を以て之を論ずれば、王固より行う能わざるなり。」秦王に說くこと書十たび上りて說行われず。黑貂の裘弊れ、黃金百斤盡き、資用乏絕して、秦を去りて歸る。縢を羸(や)せしめ蹻を履き、書を負い橐を擔い、形容枯槁し、面目犂黑にして、歸る色有り。家に歸り至るに、妻紝より下らず、嫂炊を為さず、父母與に言わず。蘇秦喟然として歎じて曰わく、「妻我を以て夫と為さず、嫂我を以て叔と為さず、父母我を以て子と為さず、是れ皆秦の罪なり。」乃ち夜書を發き、篋數十を陳べ、太公陰符の謀を得て、伏して之を誦し、簡練して以て揣摩を為す。書を讀みて睡らんと欲すれば、錐を引きて自ら其の股を刺し、血流れて足に至る。曰わく、「安んぞ人主に說きて其の金玉錦繡を出さしめず、卿相の尊を取る者有らんや。」期年にして揣摩成り、曰わく、「此れ真に以て當世の君に說くべし。」是に於いて乃ち燕烏集の闕を摩し、趙王に華屋の下に見えて說き、掌を抵ちて談ず。趙王大いに悅び、封じて武安君と為す。相印を受け、革車百乘、綿繡千純、白壁百雙、黃金萬溢、以て其の後に隨い、從を約し橫を散じ、以て強秦を抑う。故に蘇秦趙に相たりて關通ぜず。此の時に當たりて、天下の大、萬民の眾、王侯の威、謀臣の權、皆蘇秦の策に決せんと欲す。斗糧を費やさず、未だ一兵を煩わさず、未だ一士を戰わさず、未だ一絃を絕たず、未だ一矢を折らずして、諸侯相親しむこと、兄弟より賢れり。夫れ賢人在りて天下服し、一人用いられて天下從う。故に曰わく、政に式(もち)いて勇に式いず、廊廟の內に式いて四境の外に式いずと。秦の隆んなるに當たりて、黃金萬溢用を為し、轂を轉じ騎を連ね、道に炫熿し、山東の國、風に從いて服し、趙をして大いに重からしむ。且つ夫れ蘇秦特だ窮巷掘門、桑戶棬樞の士のみ。軾に伏し銜を撙(おさ)え、天下を橫歷し、諸侯の王に廷說し、左右の口を杜(ふさ)ぎ、天下之に伉うる能わず。將に楚王に說かんとし、路洛陽を過ぐ。父母之を聞き、宮を清め道を除き、樂を張り飲を設け、郊迎すること三十里。妻側目して視、耳を傾けて聽く、嫂蛇行匍伏し、四拜して自ら跪きて謝す。蘇秦曰わく、「嫂、何ぞ前には倨りて後には卑きや。」嫂曰わく、「季子の位尊くして金多きを以てなり。」蘇秦曰わく、「嗟乎、貧窮なれば則ち父母も子とせず、富貴なれば則ち親戚も畏懼す。人世上に生まるるや、勢位富貴、蓋し忽にすべけんや。」
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史記 蘇秦列伝又魏の襄王に説きて曰く、「大王の地は、南に鴻溝・陳・汝南・許・郾・昆陽・召陵・舞陽・新都・新郪有り、東に淮・潁・煮棗・無胥有り、西に長城の界有り、北に河外・巻・衍・酸棗有り、地方千里。地名は小なりと雖も、然れども田舎廬廡の数、曾て芻牧する所無し。人民の衆き、車馬の多き、日夜行きて絶えず、輷輷殷殷として、三軍の衆有るが若し。臣竊かに大王の国を量るに楚に下らず。然れども衡人王を怵かして彊き虎狼の秦に交はり以て天下を侵さしむ、卒に秦の患有るも、其の禍を顧みず。夫れ彊秦の勢ひを挟みて以て内に其の主を劫す、罪此れに過ぐる者無し。魏は、天下の彊国なり。王は、天下の賢王なり。今乃ち西面して秦に事へ、東藩と称し、帝宮を築き、冠帯を受け、春秋に祠るに意有り、臣竊かに大王の為に之を恥づ。臣聞く越王句践敝卒三千人を戦はしめて、夫差を干遂に禽にし、武王卒三千人、革車三百乗にして、紂を牧野に制す。豈に其の士卒衆からんや、誠に能く其の威を奮へばなり。今竊かに聞く大王の卒、武士二十万、蒼頭二十万、奮撃二十万、廝徒十万、車六百乗、騎五千匹と。此れ其の越王句践・武王に過ぐること遠し、今乃ち群臣の説に聴きて秦に臣事せんと欲す。夫れ秦に事ふれば必ず地を割きて以て実を効す、故に兵未だ用ひずして国已に虧く。凡そ群臣の秦に事ふるを言ふ者は、皆姦人にして、忠臣に非ざるなり。夫れ人臣と為りて、其の主の地を割きて以て外交を求め、一時の功を偸み取りて其の後を顧みず、公家を破りて私門を成し、外に彊秦の勢ひを挟みて以て内に其の主を劫し、以て地を割かんことを求む、願はくは大王孰々之を察せよ。
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