史記 / 蘇秦列伝
則兵必戰於邯鄲之下矣。此臣之所為君患也。「當今之時,山東之建國莫彊於趙。趙地方二千餘里,帶甲數十萬,車千乘,騎萬匹,粟支數年。西有常山,南有河漳,東有清河,北有燕國。燕固弱國,不足畏也。秦之所害於天下者莫如趙,然而秦不敢舉兵伐趙者,何也?畏韓、魏之議其後也。然則韓、魏,趙之南蔽也。秦之攻韓、魏也,無有名山大川之限,稍蠶食之,傅國都而止。韓、魏不能支秦,必入臣於秦。秦無韓、魏之規,則禍必中於趙矣。此臣之所為君患也。
新字:則兵必戦於邯鄲之下矣。此臣之所為君患也。「当今之時,山東之建国莫彊於趙。趙地方二千余里,帯甲数十万,車千乗,騎万匹,粟支数年。西有常山,南有河漳,東有清河,北有燕国。燕固弱国,不足畏也。秦之所害於天下者莫如趙,然而秦不敢舉兵伐趙者,何也?畏韓、魏之議其後也。然則韓、魏,趙之南蔽也。秦之攻韓、魏也,無有名山大川之限,稍蠶食之,傅国都而止。韓、魏不能支秦,必入臣於秦。秦無韓、魏之規,則禍必中於趙矣。此臣之所為君患也。
書き下し
則ち兵必ず邯鄲の下に戦はん。此れ臣の君の為に患ふる所なり。当今の時、山東の建国は趙より彊きは莫し。趙の地方二千余里、帯甲数十万、車千乗、騎万匹、粟は数年を支ふ。西に常山有り、南に河漳有り、東に清河有り、北に燕国有り。燕は固より弱国なり、畏るるに足らざるなり。秦の天下に害とする所の者は趙に如くは莫し、然り而して秦敢へて兵を挙げて趙を伐たざる者は、何ぞや。韓・魏の其の後を議せんことを畏るればなり。然らば則ち韓・魏は、趙の南蔽なり。秦の韓・魏を攻むるや、名山大川の限り有る無く、稍く之を蚕食し、国都に傅きて止む。韓・魏秦を支ふる能はずんば、必ず入りて秦に臣たらん。秦に韓・魏の規無くんば、則ち禍必ず趙に中らん。此れ臣の君の為に患ふる所なり。
現代語訳
(蘇秦は続けた。)「そうなれば、兵は必ず邯鄲の城下で戦うことになるだろう。これがわたしがあなたのために憂えることである。いまの時代、崤山より東に建てられた国で、趙より強い国はない。趙の国土は二千余里四方、武装兵は数十万、戦車千乗、騎馬一万匹、穀物は数年分の蓄えがある。西に常山、南に黄河と漳水、東に清河があり、北には燕がある。燕はもともと弱い国で、恐れるには足りない。秦が天下で最も邪魔だと思っているのは趙である。それなのに秦があえて兵を挙げて趙を討たないのはなぜか。韓と魏が背後から攻めてくるのを恐れているからだ。そうであれば、韓と魏は趙の南の盾である。秦が韓や魏を攻めるときには、名高い山や大河の障壁がないので、少しずつ蚕が桑の葉を食べるように侵食し、国都に迫ってようやくとどまる。韓と魏が秦を支えきれなくなれば、必ず秦に臣従するだろう。秦が韓と魏に背後を窺われる心配がなくなれば、災いは必ず趙に降りかかってくる。これがわたしがあなたのために憂えることである。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『長短経』七雄略夫れ秦、軹道を下らば、則ち南陽危うし。韓を刧かし周を包まば、則ち趙は自ら兵を操らん。衛に拠りて淇・巻を取らば、則ち斉は必ず入りて秦に朝せん。秦、已に山東を得んと欲せば、則ち必ず兵を挙げて趙に嚮かわん。秦甲、河を渡り漳を踰え、番吾に拠らば、則ち兵は必ず邯鄲の下に戦わん。此れ臣の君の為に危ぶむ所なり。当今の時、山東の建国、趙より強きは莫し。趙の地は方二千余里、帯甲数十万、車千乗、騎万匹、粟は数年を支う。西に常山有り、南に河・漳有り、東に清河有り、北に燕有り。燕は固より弱国なり。畏るるに足らざるなり。秦の天下に害する所、趙に如くは莫し。然り而して秦の敢えて兵を挙げて趙を伐たざる者は、何ぞや。韓・魏の其の後を議するを畏るればなり。然らば則ち韓・魏は、趙の南蔽なり。秦の韓・魏を攻むるや、名山大川の険無く、稍稍として之を蚕食し、国都に傅きて止まん。韓・魏、秦を支うる能わず、必ず入りて秦に臣たらん。秦、韓・魏の規無くんば、則ち禍は必ず趙に中らん。此れ臣の君の為に患うる所なり。
-
戦国策・蘇秦將為從北說燕文侯蘇秦、將に從を為さんとし、北のかた燕の文侯に說きて曰く、「燕は東に朝鮮・遼東有り、北に林胡・樓煩有り、西に雲中・九原有り、南に呼沱・易水有り。地は方二千餘里、帶甲數十萬、車七百乘、騎六千疋、粟は十年を支う。南に碣石・鴈門の饒有り、北に棗粟の利有り、民田作に由らずと雖も、棗栗の實、民を食うに足れり。此れ所謂天府なり。夫れ安樂無事にして、覆軍殺將の憂いを見ざること、燕に過ぐるは無し。大王其の然る所以を知るか。夫れ燕の寇を犯され兵を被らざる所以の者は、趙の南に蔽を為すを以てなり。秦・趙五たび戰い、秦再び勝ちて趙三たび勝つ。秦・趙相弊れて、王全燕を以て其の後を制す、此れ燕の難を犯されざる所以なり。且つ夫れ秦の燕を攻むるや、雲中・九原を踰え、代・上谷を過ぎ、埊を彌ぎり道を踵ぐこと數千里、燕城を得と雖も、秦の計固より守る能わざるなり。秦の燕を害する能わざること亦明らかなり。今趙の燕を攻むるや、號令を發興し、十日に至らずして、數十萬の眾、東垣に軍せん。呼沱を度り、易水を涉り、四五日に至らずして、國都に距らん。故に曰く、秦の燕を攻むるや、千里の外に戰い、趙の燕を攻むるや、百里の內に戰うと。夫れ百里の患を憂えずして、千里の外を重んず、計此れより過つ者無し。是の故に願わくは大王趙と從親し、天下一と為らば、則ち國必ず患無からんと。」燕王曰く、「寡人國小さく、西のかた強秦に迫られ、南のかた齊・趙に近し。齊・趙は強國なり、今主君幸いに之を教詔せば、從を合わせて以て燕を安んぜん、敬んで國を以て從わん」と。是に於て蘇秦に車馬金帛を齎らして以て趙に至らしむ。
-
戦国策・謂趙王曰三晉合而秦弱趙王に謂いて曰く、「三晉合すれば秦弱く、三晉離るれば秦强し、此れ天下の明らかにする所なり。秦の燕有りて趙を伐ち、趙有りて燕を伐つ、梁有りて趙を伐ち、趙有りて梁を伐つ、楚有りて韓を伐ち、韓有りて楚を伐つ、此れ天下の明らかに見る所なり。然るに山東其の路を易うる能わざるは、兵弱ければなり。弱くして相壹する能わず、是れ何ぞ楚の知にして、山東の愚かなるや。是れ臣の山東の爲に憂うる所なり。虎將に禽に即かんとするに、禽虎の己に即くを知らずして、相鬬いて兩つながら罷れ、其の死を虎に歸す。故に禽をして虎の己に即くを知らしめば、決して相鬬わじ。今山東の主秦の己に即くを知らずして、尚お相鬬いて兩つながら敝れ、其の國を秦に歸す、知禽に如かざること遠し。願わくは王熟ら之を慮れ。「今事急にす可き者有り、秦の韓・梁を伐たんと欲する、東のかた周室を闚うこと甚だし、惟だ寐ねても之を亡さんとす。今南のかた楚を攻むる者は、三晉の大いに合するを惡めばなり。今楚を攻めて休みて復た之にす、已に五年なり、地を攘うこと千餘里。今楚王に謂いて曰く、『苟くも來りて玉趾を舉げて寡人に見えば、必ず楚と兄弟の國と爲り、必ず楚の爲に韓・梁を攻め、楚の故地を反さん。』と。楚王秦の語を美とし、韓・梁の己を救わざるを怒り、必ず秦に入らん。謀有りて故に使いを趙に殺し、燕を以て趙に餌し、三晉を離す。今王秦の言を美とし、燕を攻めんと欲す、燕を攻むれば、食未だ飽かずして禍已に及ばん。楚王秦に入らば、秦・楚一と爲り、東面して韓を攻めん。韓南に楚無く、北に趙無く、韓伐たるるを待たず、馬兔を割挈して西走せん。秦韓と上交を爲さば、秦の禍安くにか梁に移らん。秦の彊を以て、楚・韓の用有らば、梁伐たるるを待たじ。馬兔を割挈して西走せば、秦梁と上交を爲さば、秦の禍案じて趙に攘らん。彊秦の韓・梁・楚を有つを以て、燕の怒りと與に、割くこと必ず深からん。國の此れを舉ぐる、臣の來たる所以なり。臣故に曰う、事急に爲す可き者有りと。「楚王の未だ入らざるに及びて、三晉相親しみ相堅くし、銳師を出だして以て韓・梁の西邊を戍らば、楚王之を聞き、必ず秦に入らじ、秦必ず怒りて循た楚を攻めん、是れ秦の禍楚を離れざるなり、三晉に便あり。若し楚王入らば、秦三晉の大いに合して堅きを見て、必ず楚王を出ださず、即ち多く割かん、是れ秦の禍楚を離れざるなり、三晉に利有り。願わくは王之を熟計すること急なれ。」趙王因りて兵を起こし南のかた韓・梁の西邊を戍る。秦三晉の堅きを見るや、果たして楚王卬を出ださずして、多く地を求む。
-
戦国策・蘇秦從燕之趙始合從蘇秦燕從り趙に之き、始めて合從す、趙王に說きて曰く、「天下の卿相人臣、乃ち布衣の士に至るまで、大王の行義を高賢とせざる莫く、皆教を奉じて忠を前に陳ぜんことを願うの日久し。然りと雖も、奉陽君妒み、大王事を任ずるを得ず、是を以て外の賓客遊談の士、敢えて忠を前に盡くす者無し。今奉陽君館舍を捐て、大王乃ち今然る後士民と相親しむを得たり、臣故に敢えて其の愚を獻じ、愚忠を效さん。大王の爲に計るに、民を安んじて事無きに若くは莫し、請う爲す有るを庸うる無かれ。民を安んずるの本は、交わりを擇ぶに在り。交わりを擇びて得れば則ち民安く、交わりを擇びて得ざれば則ち民終身安んずるを得ず。請う外患を言わん、齊・秦兩敵と爲れば、而ち民安んずるを得ず。秦に倚りて齊を攻むれば、而ち民安んずるを得ず。齊に倚りて秦を攻むれば、而ち民安んずるを得ず。故に夫れ人主を謀り、人國を伐つ者、常に苦しむは辭を出だして人の交わりを斷絕するにあり、願わくは大王愼みて口より出だすこと無かれ。「請う左右を屏け、異なる所以を言わん、陰陽のみ。大王誠に能く臣を聽かば、燕は必ず氊裘狗馬の地を致し、齊は必ず海隅魚鹽の地を致し、楚は必ず橘柚雲夢の地を致し、韓・魏は皆封地湯沐の邑を致さしむ可く、貴戚父兄は皆以て封侯を受く可し。夫れ地を割き實を效すは、五伯の軍を覆し將を禽にして求むる所以なり。侯を封じ戚を貴ぶは、湯・武の放殺して爭う所以なり。今大王垂拱して兩つながら之を有つ、是れ臣の大王の爲に願う所以なり。大王秦に與せば、則ち秦必ず韓・魏を弱くせん。齊に與せば、則ち齊必ず楚・魏を弱くせん。魏弱ければ則ち河外を割き、韓弱ければ則ち宜陽を效さん。宜陽效せば則ち上郡絕え、河外割かば則ち道通ぜず。楚弱ければ則ち援無し。此の三策なる者、熟計せざる可からざるなり。夫れ秦軹道を下せば則ち南陽動き、韓を劫かして周を包めば則ち趙自ら銷鑠せん、衛に據りて淇を取らば則ち齊必ず入朝せん。秦已に山東に行うを得んと欲せば、則ち必ず甲を舉げて趙に向かわん。秦の甲河を涉り漳を踰え、番吾に據らば、則ち兵必ず邯鄲の下に戰わん。此れ臣の大王の爲に患うる所以なり。「當今の時、山東の建國、趙の彊きに如くは莫し。趙の地方二千里、甲を帶ぶる者數十萬、車千乘、騎萬匹、粟十年を支う、西に常山有り、南に河・漳有り、東に清河有り、北に燕國有り。燕固より弱國、畏るるに足らざるなり。且つ秦の天下に畏害する所の者、趙に如くは莫し。然れども秦敢えて兵甲を舉げて趙を伐たざる者は、何ぞや。韓・魏の其の後を議せんことを畏るればなり。然らば則ち韓・魏は、趙の南蔽なり。秦の韓・魏を攻むるや、則ち然らず。名山大川の限有る無く、稍稍として之を蠶食し、國都に傅きて止まん。韓・魏秦に支うる能わずんば、必ず入りて臣たらん。韓・魏秦に臣たれば、秦韓・魏の隔て無く、禍趙に中たらん。此れ臣の大王の爲に患うる所以なり。「臣聞く、堯は三夫の分無く、舜は咫尺の地無くして、以て天下を有てり。禹は百人の聚無くして、以て諸侯に王たり。湯・武の卒は三千人に過ぎず、車は三百乘に過ぎずして、立ちて天子と爲る。誠に其の道を得ればなり。是の故に明主外は其の敵國の彊弱を料り、內は其の士卒の眾寡・賢と不肖とを度り、兩軍の相當たるを待たずして、勝敗存亡の機節、固より已に胸中に見る、豈に眾人の言に掩われて、冥冥を以て事を決せんや。「臣竊かに天下の地圖を以て之を案ずるに、諸侯の地秦より五倍し、諸侯の卒を料るに、秦より十倍す。六國力を并せて一と爲り、西面して秦を攻めば、秦破るること必せり。今秦に破らるるを見て、西面して之に事え、秦に臣たるを見る。夫れ人を破るの與人に破らるる、人に臣たるの與人に臣たらしむる、豈に同日にして言う可けんや。夫れ橫人なる者、皆諸侯の地を割きて以て秦と成らんことを欲す。秦と成れば、則ち臺を高くし、宮室を美にし、竽瑟の音を聽き、五味の和を察し、前に軒轅有り、後に長庭有り、美人巧笑すれど、卒に秦の患有りて、其の憂いに與らず。是の故に橫人日夜秦權を以て諸侯を恐猲するを務め、以て地を割かんことを求む。願わくは大王之を熟計せんことを。「臣聞く、明王は疑いを絕ち讒を去り、流言の跡を屏け、朋黨の門を塞ぐ、故に主を尊び地を廣め兵を彊うするの計、臣忠を前に陳ずるを得たり。故に竊かに大王の爲に計るに、韓・魏・齊・楚・燕・趙を一にし、六國從親して以て秦に儐畔するに莫くは若かず。天下の將相をして、相與に洹水の上に會し、質を通じ白馬を刑して以て之を盟わしめん。約して曰く、秦楚を攻めば、齊・魏各々銳師を出だして以て之を佐け、韓食道を絕ち、趙河・漳を涉り、燕常山の北を守らん。秦韓・魏を攻めば、則ち楚其の後を絕ち、齊銳師を出だして以て之を佐け、趙河・漳を涉り、燕雲中を守らん。秦齊を攻めば、則ち楚其の後を絕ち、韓成臯を守り、魏午道を塞ぎ、趙河・漳・博關を涉り、燕銳師を出だして以て之を佐けん。秦燕を攻めば、則ち趙常山を守り、楚武關に軍し、齊渤海を涉り、韓・魏銳師を出だして以て之を佐けん。秦趙を攻めば、則ち韓宜陽に軍し、楚武關に軍し、魏河外に軍し、齊渤海を涉り、燕銳師を出だして以て之を佐けん。諸侯先に約に背く者有らば、五國共に之を伐たん。六國從親して以て秦を擯けば、秦必ず敢えて兵を函谷關より出だして以て山東を害せざらん。是の如くんば則ち伯業成らん。」趙王曰く、「寡人年少く、國に蒞むの日淺く、未だ嘗て社稷の長計を聞くを得ず。今上客天下を存し、諸侯を安んずるに意有り、寡人敬みて國を以て從わん。」乃ち蘇秦を封じて武安君と爲し、車百乘を飾り、黃金千鎰、白璧百雙、錦繡千純、以て諸侯に約す。
-
戦国策・趙收天下且以伐齊趙天下を收め、且に以て齊を伐たんとす。蘇秦齊の爲に書を上りて趙王に說きて曰く、「臣聞く、古の賢君は、德行海內に施すに非ざるなり、教順慈愛、萬民に布くに非ざるなり、祭祀時享、鬼神に當たるに非ざるなり。甘露降り、風雨時に至り、農夫登り、年穀豐盈すれば、眾人之を喜べども、賢主は之を惡む。今足下の功力、數ば秦國に痛く加うるに非ずして、怨毒惡を積むこと、曾て韓を深く凌ぐに非ざるなり。臣竊かに外に大臣及び下吏の議を聞くに、皆言う、主前に專ら據りて、秦を以て趙を愛して韓を憎むと爲すと。臣竊かに事を以て之を觀るに、秦豈に趙を愛して韓を憎むを得んや。韓を亡ぼして兩周の地を吞まんと欲す、故に韓を以て餌と爲し、先ず聲を天下に出だし、鄰國の聞きて之を觀んことを欲するなり。其の事の成らざるを恐る、故に兵を出だして以て趙・魏に佯示す。天下の驚覺せんことを恐る、故に韓を微にして以て之を貳にす。天下の己を疑わんことを恐る、故に質を出だして以て信と爲す。德を與國に聲し、而して實は空しき韓を伐つ。臣竊かに其の之を圖るを觀るに、秦を議して謀計を以てせば、必ず是に出でん。「且つ夫れ說士の計、皆曰わく、韓三川を亡い、魏晉國を滅ぼす、韓を恃みて未だ窮せざるに、禍趙に及ぶと。且つ物固より勢異にして患同じき者有り、又勢同じくして患異なる者有り。昔者、楚人久しく伐ちて中山亡べり。今燕韓の河南を盡くし、沙丘に距り、鉅鹿の界に至ること三百里、扞關に距り、榆中に至ること千五百里。秦韓・魏の上黨を盡くさば、則ち地の國都邦屬と壤挈する者七百里。秦三軍强弩を以て羊唐の上に坐せば、即ち地邯鄲を去ること二十里。且つ秦三軍を以て王の上黨を攻めて其の北を危うくせば、則ち句注の西、王の有に非ず。今魯句注常山を禁して守り、三百里燕の唐・曲吾に通ず、此れ代馬胡駒東せず、崑山の玉出でざるなり。此の三寶なる者、又王の有に非ず。今彊秦國の齊を伐つに從わば、臣恐らくは其の禍是に出でん。昔者、五國の王、嘗て合橫して趙を伐たんことを謀り、趙國の壤地を參分して、之を盤盂に著し、之を讎柞に屬す。五國の兵日有り、韓乃ち西師して以て秦國を禁じ、秦をして令を發し素服して聽かしめ、溫・枳・高平を魏に反し、三公・什清を趙に反す、王の明知を以てなり。夫れ韓の趙に事うる宜しく正に上交と爲すべし、今乃ち罪に抵れて伐たるるを取る、臣恐らくは其の後王に事うる者の敢えて自ら必とせざらんことを。今王天下を收むれば、必ず王を以て得たりと爲す。韓社稷を危うくして以て王に事うれば、天下必ず王を重んず。然らば則ち韓王を義として天下を以て之に就き、下は韓の王を慕いて天下を以て之を收むるに至る、是れ一世の命、王に制せらるるのみ。臣願わくは大王深く左右群臣と卒計して重謀し、事に先んじて慮を成して熟ら之を圖らんことを。」
-
史記 蘇秦列伝去りて燕に游び、歳余にして後に見ゆるを得。燕の文侯に説きて曰く、「燕は東に朝鮮・遼東有り、北に林胡・楼煩有り、西に雲中・九原有り、南に嘑沱・易水有り、地方二千余里、帯甲数十万、車六百乗、騎六千匹、粟は数年を支ふ。南に碣石・鴈門の饒有り、北に棗栗の利有り、民佃作せずと雖も棗栗に足る。此れ所謂天府なる者なり。夫れ安楽にして事無く、覆軍殺将を見ざるは、燕に過ぐる者無し。大王其の然る所以を知るか。夫れ燕の寇を犯し甲兵を被らざる所以の者は、趙の其の南に蔽と為るを以てなり。秦趙五たび戦ひ、秦再び勝ちて趙三たび勝つ。秦趙相斃れ、而して王全燕を以て其の後を制す、此れ燕の寇を犯さざる所以なり。且つ夫れ秦の燕を攻むるや、雲中・九原を踰え、代・上谷を過ぎ、地を弥ること数千里、燕の城を得と雖も、秦の計固より守る能はざるなり。秦の燕を害する能はざるも亦明らかなり。今趙の燕を攻むるや、号を発し令を出だせば、十日に至らずして数十万の軍東垣に軍せん。嘑沱を渡り、易水を渉れば、四五日に至らずして国都に距らん。故に曰く秦の燕を攻むるや、千里の外に戦ひ、趙の燕を攻むるや、百里の内に戦ふと。夫れ百里の患を憂へずして千里の外を重んずるは、計此れに過ぐる者無し。是の故に願はくは大王趙と従親し、天下一と為らば、則ち燕国必ず患ひ無からん」と。文侯曰く、「子の言は則ち可なり、然れども吾が国は小さく、西は彊趙に迫り、南は斉に近し、斉・趙は彊国なり。子必ず合従して以て燕を安んぜんと欲せば、寡人請ふ国を以て従はん」と。