史記 / 蘇秦列伝
求說周顯王。顯王左右素習知蘇秦,皆少之。弗信。
新字:求説周顕王。顕王左右素習知蘇秦,皆少之。弗信。
書き下し
周の顕王に説かんことを求む。顕王の左右素より蘇秦を習知し、皆之を少とす。信ぜず。
現代語訳
(蘇秦は)周の顕王に遊説しようとした。しかし顕王の側近たちは、以前から蘇秦のことをよく知っていたので、皆彼を軽んじた。王も信用しなかった。
解説
戦国時代の縦横家、蘇秦が世に出る前の挫折の場面です。蘇秦は各地を遊説して成果なく故郷に帰り、家族に嘲笑されたのを機に、太公望の兵法書とされる『陰符』を読み込んで、人の心を動かす術を磨きました。満を持して最初に目指したのが、地元洛陽にいる周の顕王でした。ところが顕王の側近は昔の蘇秦を知っていたため、誰も相手にせず、王も信用しません。地元の人ほど昔の姿を覚えていて、成長を認めにくいのです。この後、蘇秦は秦、趙と巡り、燕で初めて用いられ、やがて六国の宰相を兼ねる合従の立役者となります。近しい相手ほど過去のイメージで判断してしまう、また自分も過去のイメージで評価されてしまう、ということを考えさせる短い一節です。
関連する章句
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史記 蘇秦列伝蘇秦は、東周雒陽の人なり。東のかた斉に師に事へ、之を鬼谷先生に習ふ。出游すること数歳、大いに困しみて帰る。兄弟嫂妹妻妾、竊かに皆之を笑ひて曰く、「周人の俗、産業を治め、工商に力め、什二を逐ふを以て務めと為す。今子は本を釈てて口舌を事とし、困しむは、亦た宜ならずや」と。蘇秦之を聞きて慚ぢ、自ら傷み、乃ち室を閉ぢて出でず、其の書を出だして遍く之を観る。曰く、「夫れ士、業已に首を屈して書を受くるも、以て尊栄を取る能はずんば、多しと雖も亦た奚を以て為さん」と。是に於いて周書陰符を得、伏して之を読む。期年、以て揣摩を出だし、曰く、「此れ以て当世の君に説く可し」と。
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史記 蘇秦列伝北のかた趙王に報じ、乃ち行きて雒陽を過ぐ。車騎輜重、諸侯各々使ひを発して之を送ること甚だ衆く、王者に疑はる。周の顕王之を聞きて恐懼し、道を除き、人をして郊労せしむ。蘇秦の昆弟妻嫂、目を側めて敢て仰ぎ視ず、俯伏して食を取るに侍る。蘇秦笑ひて其の嫂に謂ひて曰く、「何ぞ前には倨りて後には恭なるや」と。嫂委蛇蒲服し、面を以て地を掩ひて謝して曰く、「季子の位高く金多きを見ればなり」と。蘇秦喟然として嘆じて曰く、「此れ一人の身、富貴なれば則ち親戚之を畏懼し、貧賤なれば則ち之を軽易す、況んや衆人をや。且つ我をして雒陽負郭の田二頃有らしめば、吾豈に能く六国の相印を佩びんや」と。是に於いて千金を散じて以て宗族朋友に賜ふ。
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史記 蘇秦列伝乃ち西のかた秦に至る。秦の孝公卒す。恵王に説きて曰く、「秦は四塞の国、山を被り渭を帯び、東に関河有り、西に漢中有り、南に巴蜀有り、北に代馬有り、此れ天府なり。秦の士民の衆、兵法の教を以て、以て天下を吞み、帝と称して治む可し」と。秦王曰く、「毛羽未だ成らざれば、以て高く蜚ぶ可からず。文理未だ明らかならざれば、以て并兼す可からず」と。方に商鞅を誅し、辯士を疾み、用ゐず。乃ち東のかた趙に之く。趙の粛侯、其の弟成をして相と為さしめ、奉陽君と号す。奉陽君之を説ばず。
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戦国策・秦一・蘇秦始將連橫蘇秦始めて連橫を將(も)って秦の惠王に說きて曰わく、「大王の國、西に巴・蜀・漢中の利有り、北に胡貉・代馬の用有り、南に巫山・黔中の限有り、東に肴・函の固有り。田肥美にして、民殷富、戰車萬乘、奮擊百萬、沃野千里、蓄積饒多、地勢形便なり、此れ所謂天府、天下の雄國なり。大王の賢、士民の眾、車騎の用、兵法の教を以て、以て諸侯を并せ、天下を吞み、帝と稱して治むべし。願わくは大王少しく留意せられ、臣請う其の效を奏せん。」秦王曰わく、「寡人之を聞く、毛羽豐滿ならざる者は以て高く飛ぶべからず、文章成らざる者は以て誅罰すべからず、道德厚からざる者は以て民を使うべからず、政教順ならざる者は以て大臣を煩わすべからずと。今先生儼然として千里を遠しとせずして庭に之を教う、願わくは異日を以てせん。」蘇秦曰わく、「臣固より大王の用うる能わざるを疑えり。昔者神農補遂を伐ち、黃帝涿鹿を伐ちて蚩尤を禽にし、堯驩兜を伐ち、舜三苗を伐ち、禹共工を伐ち、湯有夏を伐ち、文王崇を伐ち、武王紂を伐ち、齊桓戰に任じて天下に伯たり。此に由りて之を觀れば、惡んぞ戰わざる者有らんや。古者車轂擊馳し、言語相結び、天下一と爲る、從を約し橫を連ね、兵革藏さず、文士並び餝り、諸侯亂惑し、萬端俱に起こり、勝げて理むべからず、科條既に備わりて、民偽態多く、書策稠濁して、百姓足らず、上下相愁い、民聊む所無く、明言理を章らかにして、兵甲愈々起こり、辯言偉服にして、戰攻息まず、繁く文辭を稱して、天下治まらず、舌弊れ耳聾いて、成功を見ず、義を行い信を約すれど、天下親しまず。是に於いて、乃ち文を廢して武に任じ、死士を厚く養い、甲を綴り兵を厲まし、勝を戰場に效す。夫れ徒らに處りて利を致し、安んじて坐して地を廣むるは、古の五帝・三王・五伯、明主賢君と雖も、常に坐して之を致さんと欲するも、其の勢い能わず、故に戰を以て之に續ぐ。寬なれば則ち兩軍相攻め、迫れば則ち杖戟相橦(う)ち、然る後に大功を建つべし。是の故に兵は外に勝ち、義は內に強く、威は上に立ち、民は下に服す。今天下を并せ、萬乘を凌ぎ、敵國を詘し、海內を制し、元元を子とし、諸侯を臣とせんと欲せば、兵に非ざれば可ならず。今の嗣主、至道に忽にして、皆教に惛く、治に亂れ、言に迷い、語に或い、辯に沈み、辭に溺る。此を以て之を論ずれば、王固より行う能わざるなり。」秦王に說くこと書十たび上りて說行われず。黑貂の裘弊れ、黃金百斤盡き、資用乏絕して、秦を去りて歸る。縢を羸(や)せしめ蹻を履き、書を負い橐を擔い、形容枯槁し、面目犂黑にして、歸る色有り。家に歸り至るに、妻紝より下らず、嫂炊を為さず、父母與に言わず。蘇秦喟然として歎じて曰わく、「妻我を以て夫と為さず、嫂我を以て叔と為さず、父母我を以て子と為さず、是れ皆秦の罪なり。」乃ち夜書を發き、篋數十を陳べ、太公陰符の謀を得て、伏して之を誦し、簡練して以て揣摩を為す。書を讀みて睡らんと欲すれば、錐を引きて自ら其の股を刺し、血流れて足に至る。曰わく、「安んぞ人主に說きて其の金玉錦繡を出さしめず、卿相の尊を取る者有らんや。」期年にして揣摩成り、曰わく、「此れ真に以て當世の君に說くべし。」是に於いて乃ち燕烏集の闕を摩し、趙王に華屋の下に見えて說き、掌を抵ちて談ず。趙王大いに悅び、封じて武安君と為す。相印を受け、革車百乘、綿繡千純、白壁百雙、黃金萬溢、以て其の後に隨い、從を約し橫を散じ、以て強秦を抑う。故に蘇秦趙に相たりて關通ぜず。此の時に當たりて、天下の大、萬民の眾、王侯の威、謀臣の權、皆蘇秦の策に決せんと欲す。斗糧を費やさず、未だ一兵を煩わさず、未だ一士を戰わさず、未だ一絃を絕たず、未だ一矢を折らずして、諸侯相親しむこと、兄弟より賢れり。夫れ賢人在りて天下服し、一人用いられて天下從う。故に曰わく、政に式(もち)いて勇に式いず、廊廟の內に式いて四境の外に式いずと。秦の隆んなるに當たりて、黃金萬溢用を為し、轂を轉じ騎を連ね、道に炫熿し、山東の國、風に從いて服し、趙をして大いに重からしむ。且つ夫れ蘇秦特だ窮巷掘門、桑戶棬樞の士のみ。軾に伏し銜を撙(おさ)え、天下を橫歷し、諸侯の王に廷說し、左右の口を杜(ふさ)ぎ、天下之に伉うる能わず。將に楚王に說かんとし、路洛陽を過ぐ。父母之を聞き、宮を清め道を除き、樂を張り飲を設け、郊迎すること三十里。妻側目して視、耳を傾けて聽く、嫂蛇行匍伏し、四拜して自ら跪きて謝す。蘇秦曰わく、「嫂、何ぞ前には倨りて後には卑きや。」嫂曰わく、「季子の位尊くして金多きを以てなり。」蘇秦曰わく、「嗟乎、貧窮なれば則ち父母も子とせず、富貴なれば則ち親戚も畏懼す。人世上に生まるるや、勢位富貴、蓋し忽にすべけんや。」
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史記 張儀列伝蘇秦已に趙王に説きて相約して従親するを得たり、然れども秦の諸侯を攻め、約を敗りて後に負かんことを恐れ、秦に使用すべき者莫きを念ひ、乃ち人をして微かに張儀を感ぜしめて曰く、「子始め蘇秦と善し、今秦已に路に当たる、子何ぞ往きて游び、以て子の願ひを通ぜんことを求めざる」と。張儀是に於いて趙に之き、謁を上りて蘇秦に見えんことを求む。蘇秦乃ち門下の人を誡めて為に通ぜず、又去るを得ざらしむること数日。已にして之に見え、之を堂下に坐せしめ、僕妾の食を賜ふ。因りて数々之を譲めて曰く、「子の材能を以て、乃ち自ら困辱をして此に至らしむ。吾寧ろ言ひて子を富貴にする能はざらんや、子は収むるに足らざるなり」と。謝して之を去らしむ。張儀の来たるや、自ら以為へらく故人なりと、益を求めて、反つて辱めらる、怒り、諸侯の事ふべき莫く、独り秦のみ能く趙を苦しめんと念ひ、乃ち遂に秦に入る。蘇秦已にして其の舎人に告げて曰く、「張儀は、天下の賢士なり、吾殆ど如かざるなり。今吾幸ひに先に用ひらる、而して能く秦の柄を用ふる者は、独り張儀のみ可なり。然れども貧しく、因りて以て進む無し。吾其の小利を楽しみて遂げざらんことを恐る、故に召して之を辱め、以て其の意を激す。子我が為に陰かに之を奉ぜよ」と。乃ち趙王に言ひ、金幣車馬を発し、人をして微かに張儀に随はしめ、与に宿舎を同じくし、稍稍近づきて之に就き、奉ずるに車馬金銭を以てし、用ひんと欲する所は、為に取りて給し、而して告げず。張儀遂に以て秦の恵王に見ゆるを得。恵王以て客卿と為し、与に諸侯を伐たんことを謀る。蘇秦の舎人乃ち辞して去る。張儀曰く、「子に頼りて顕るるを得、方に且に徳に報いんとす、何の故に去るや」と。舎人曰く、「臣君を知るに非ず、君を知るは乃ち蘇君なり。蘇君秦の趙を伐ちて従約を敗らんことを憂へ、以為へらく君に非ざれば能く秦の柄を得る莫しと、故に君を感怒せしめ、臣をして陰かに君に資を奉給せしむ、尽く蘇君の計謀なり。今君已に用ひらる、請ふ帰りて報ぜん」と。張儀曰く、「嗟乎、此れ吾が術中に在りて悟らず、吾蘇君に及ばざること明らかなり。
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史記 蘇秦列伝燕諸侯を約して従親せしむること蘇秦の時の如くせしむ、或いは従ひ或いは不なり、而して天下此に由りて蘇氏の従約を宗とす。代・厲皆寿を以て死し、名諸侯に顕る。太史公曰く、蘇秦兄弟三人、皆諸侯に游説して以て名を顕す、其の術は権変に長ず。而して蘇秦反間を被りて以て死し、天下共に之を笑ひ、其の術を学ぶを諱む。然れども世の蘇秦を言ふは異多く、異時の事の之に類する者有れば皆之を蘇秦に附す。夫れ蘇秦は閭閻より起こり、六国を連ねて従親せしむ、此れ其の智人に過ぐる者有り。吾故に其の行事を列し、其の時序を次で、独り悪声を蒙らしむること毋からしむ。
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