史記 / 蘇秦列伝
乃西至秦。秦孝公卒。說惠王曰、秦四塞之國、被山帶渭、東有關河、西有漢中、南有巴蜀、北有代馬、此天府也。以秦士民之眾、兵法之教、可以吞天下、稱帝而治。秦王曰、毛羽未成、不可以高蜚。文理未明、不可以并兼。方誅商鞅、疾辯士、弗用。乃東之趙。趙肅侯令其弟成為相、號奉陽君。奉陽君弗說之。
新字:乃西至秦。秦孝公卒。説恵王曰、秦四塞之国、被山帯渭、東有関河、西有漢中、南有巴蜀、北有代馬、此天府也。以秦士民之眾、兵法之教、可以吞天下、称帝而治。秦王曰、毛羽未成、不可以高蜚。文理未明、不可以并兼。方誅商鞅、疾弁士、弗用。乃東之趙。趙粛侯令其弟成為相、号奉陽君。奉陽君弗説之。
書き下し
乃ち西のかた秦に至る。秦の孝公卒す。恵王に説きて曰く、「秦は四塞の国、山を被り渭を帯び、東に関河有り、西に漢中有り、南に巴蜀有り、北に代馬有り、此れ天府なり。秦の士民の衆、兵法の教を以て、以て天下を吞み、帝と称して治む可し」と。秦王曰く、「毛羽未だ成らざれば、以て高く蜚ぶ可からず。文理未だ明らかならざれば、以て并兼す可からず」と。方に商鞅を誅し、辯士を疾み、用ゐず。乃ち東のかた趙に之く。趙の粛侯、其の弟成をして相と為さしめ、奉陽君と号す。奉陽君之を説ばず。
現代語訳
そこで蘇秦は西へ向かい、秦に至った。秦では孝公が死んでいた。蘇秦は恵王に説いた。「秦は四方を要害に囲まれた国で、山を背負い渭水を帯とし、東には函谷関と黄河があり、西には漢中、南には巴と蜀、北には代の馬の産地がある。まさに天の与えた宝庫です。秦の士や民の多さと、兵法による訓練をもってすれば、天下を呑み込み、帝を称して治めることができましょう」。秦王は言った。「羽毛がまだ生えそろわぬうちは、高く飛ぶことはできない。制度がまだ整わぬうちは、他国を併合することはできない」。ちょうど商鞅を誅殺したばかりで、弁舌の徒を嫌っており、蘇秦を用いなかった。そこで蘇秦は東へ向かい、趙へ行った。趙の粛侯は弟の成を宰相としており、奉陽君と号していた。奉陽君は蘇秦を気に入らなかった。
解説
この章句が説くこと
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史記 老子韓非列伝夫れ事は密なるを以て成り、語は泄るるを以て敗る。未だ必ずしも其の身之を泄らさざるに、語其の匿す所の事に及べば、是くの如き者は身危し。貴人に過端有るに、説者、明らかに言ひ善く議して以て其の悪を推む者は、則ち身危し。周澤未だ渥からざるに語極めて知なれば、説行はれて功有れば則ち徳亡く、説行はれずして敗有れば則ち疑はる、是くの如き者は身危し。夫れ貴人、計を得て自ら以て功と為さんと欲するに、説者焉を与り知れば、則ち身危し。彼顕らかに出だす所の事有りて乃ち自ら故と以為ふに、説者焉を与り知れば、則ち身危し。之に彊ふるに其の必ず為さざる所を以てし、之を止むるに其の已む能はざる所を以てする者は、身危し。故に曰く、之と大人を論ずれば則ち己を間すと以為はれ、之と細人を論ずれば則ち権を粥ぐと以為はる。其の愛する所を論ずれば則ち資を借ると以為はれ、其の憎む所を論ずれば則ち己を嘗みると以為はる。其の辞を径省すれば則ち知らずとして之を屈し、汎濫博文なれば則ち多しとして之を久しとす。事に順ひ意を陳ぶれば則ち怯懦にして尽くさずと曰ひ、事を慮ること広肆なれば則ち草野にして倨侮なりと曰ふ。此れ説の難きこと、知らざる可からざるなり。