史記 / 蘇秦列伝
蘇秦者、東周雒陽人也。東事師於齊、而習之於鬼谷先生。出游數歲、大困而歸。兄弟嫂妹妻妾竊皆笑之、曰、周人之俗、治產業、力工商、逐什二以為務。今子釋本而事口舌、困、不亦宜乎。蘇秦聞之而慚、自傷、乃閉室不出、出其書遍觀之。曰、夫士業已屈首受書、而不能以取尊榮、雖多亦奚以為。於是得周書陰符、伏而讀之。期年、以出揣摩、曰、此可以說當世之君矣。
新字:蘇秦者、東周雒陽人也。東事師於斉、而習之於鬼谷先生。出游数歳、大困而帰。兄弟嫂妹妻妾窃皆笑之、曰、周人之俗、治産業、力工商、逐什二以為務。今子釈本而事口舌、困、不亦宜乎。蘇秦聞之而慚、自傷、乃閉室不出、出其書遍観之。曰、夫士業已屈首受書、而不能以取尊栄、雖多亦奚以為。於是得周書陰符、伏而読之。期年、以出揣摩、曰、此可以説当世之君矣。
書き下し
蘇秦は、東周雒陽の人なり。東のかた斉に師に事へ、之を鬼谷先生に習ふ。出游すること数歳、大いに困しみて帰る。兄弟嫂妹妻妾、竊かに皆之を笑ひて曰く、「周人の俗、産業を治め、工商に力め、什二を逐ふを以て務めと為す。今子は本を釈てて口舌を事とし、困しむは、亦た宜ならずや」と。蘇秦之を聞きて慚ぢ、自ら傷み、乃ち室を閉ぢて出でず、其の書を出だして遍く之を観る。曰く、「夫れ士、業已に首を屈して書を受くるも、以て尊栄を取る能はずんば、多しと雖も亦た奚を以て為さん」と。是に於いて周書陰符を得、伏して之を読む。期年、以て揣摩を出だし、曰く、「此れ以て当世の君に説く可し」と。
現代語訳
蘇秦は東周の雒陽の人である。斉で学び、鬼谷先生に師事した。諸国を遊説して回ったが数年間まったく芽が出ず、困窮して郷里に帰った。すると兄弟・兄嫁・妹・妻妾がこぞってひそかに彼を笑った。「周の習わしでは、産業に励み、商工業に精を出して二割の利益を追うのが本分だ。それをお前は本業を捨てて口先の弁論などにかまけ、困り果てている。当然の報いだろう」。蘇秦はこれを聞いて深く恥じ、自らを傷ましく思い、部屋に閉じこもって出ず、蔵書を全部取り出して読み返した。そして「士たる者が、頭を垂れて必死に学問を修めながら、それで名誉も地位も得られないなら、いくら本を読んでも何の意味があろうか」と考えた。そこで『周書陰符』を手に入れ、うつ伏せになって熟読し、一年かけて「揣摩(相手の心を推し量る術)」を体得して言った。「これで今の世の君主たちを説得できる」。
解説
この章句が説くこと
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史記 蘇秦列伝周の顕王に説かんことを求む。顕王の左右素より蘇秦を習知し、皆之を少とす。信ぜず。
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史記 蘇秦列伝北のかた趙王に報じ、乃ち行きて雒陽を過ぐ。車騎輜重、諸侯各々使ひを発して之を送ること甚だ衆く、王者に疑はる。周の顕王之を聞きて恐懼し、道を除き、人をして郊労せしむ。蘇秦の昆弟妻嫂、目を側めて敢て仰ぎ視ず、俯伏して食を取るに侍る。蘇秦笑ひて其の嫂に謂ひて曰く、「何ぞ前には倨りて後には恭なるや」と。嫂委蛇蒲服し、面を以て地を掩ひて謝して曰く、「季子の位高く金多きを見ればなり」と。蘇秦喟然として嘆じて曰く、「此れ一人の身、富貴なれば則ち親戚之を畏懼し、貧賤なれば則ち之を軽易す、況んや衆人をや。且つ我をして雒陽負郭の田二頃有らしめば、吾豈に能く六国の相印を佩びんや」と。是に於いて千金を散じて以て宗族朋友に賜ふ。
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史記 蘇秦列伝乃ち西のかた秦に至る。秦の孝公卒す。恵王に説きて曰く、「秦は四塞の国、山を被り渭を帯び、東に関河有り、西に漢中有り、南に巴蜀有り、北に代馬有り、此れ天府なり。秦の士民の衆、兵法の教を以て、以て天下を吞み、帝と称して治む可し」と。秦王曰く、「毛羽未だ成らざれば、以て高く蜚ぶ可からず。文理未だ明らかならざれば、以て并兼す可からず」と。方に商鞅を誅し、辯士を疾み、用ゐず。乃ち東のかた趙に之く。趙の粛侯、其の弟成をして相と為さしめ、奉陽君と号す。奉陽君之を説ばず。
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史記 張儀列伝蘇秦已に趙王に説きて相約して従親するを得たり、然れども秦の諸侯を攻め、約を敗りて後に負かんことを恐れ、秦に使用すべき者莫きを念ひ、乃ち人をして微かに張儀を感ぜしめて曰く、「子始め蘇秦と善し、今秦已に路に当たる、子何ぞ往きて游び、以て子の願ひを通ぜんことを求めざる」と。張儀是に於いて趙に之き、謁を上りて蘇秦に見えんことを求む。蘇秦乃ち門下の人を誡めて為に通ぜず、又去るを得ざらしむること数日。已にして之に見え、之を堂下に坐せしめ、僕妾の食を賜ふ。因りて数々之を譲めて曰く、「子の材能を以て、乃ち自ら困辱をして此に至らしむ。吾寧ろ言ひて子を富貴にする能はざらんや、子は収むるに足らざるなり」と。謝して之を去らしむ。張儀の来たるや、自ら以為へらく故人なりと、益を求めて、反つて辱めらる、怒り、諸侯の事ふべき莫く、独り秦のみ能く趙を苦しめんと念ひ、乃ち遂に秦に入る。蘇秦已にして其の舎人に告げて曰く、「張儀は、天下の賢士なり、吾殆ど如かざるなり。今吾幸ひに先に用ひらる、而して能く秦の柄を用ふる者は、独り張儀のみ可なり。然れども貧しく、因りて以て進む無し。吾其の小利を楽しみて遂げざらんことを恐る、故に召して之を辱め、以て其の意を激す。子我が為に陰かに之を奉ぜよ」と。乃ち趙王に言ひ、金幣車馬を発し、人をして微かに張儀に随はしめ、与に宿舎を同じくし、稍稍近づきて之に就き、奉ずるに車馬金銭を以てし、用ひんと欲する所は、為に取りて給し、而して告げず。張儀遂に以て秦の恵王に見ゆるを得。恵王以て客卿と為し、与に諸侯を伐たんことを謀る。蘇秦の舎人乃ち辞して去る。張儀曰く、「子に頼りて顕るるを得、方に且に徳に報いんとす、何の故に去るや」と。舎人曰く、「臣君を知るに非ず、君を知るは乃ち蘇君なり。蘇君秦の趙を伐ちて従約を敗らんことを憂へ、以為へらく君に非ざれば能く秦の柄を得る莫しと、故に君を感怒せしめ、臣をして陰かに君に資を奉給せしむ、尽く蘇君の計謀なり。今君已に用ひらる、請ふ帰りて報ぜん」と。張儀曰く、「嗟乎、此れ吾が術中に在りて悟らず、吾蘇君に及ばざること明らかなり。
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史記 張儀列伝張儀は、魏人なり。始め嘗て蘇秦と倶に鬼谷先生に事へ、術を学ぶ。蘇秦自ら張儀に及ばずと以(おも)ふ。張儀已に游説を諸侯に学ぶ。嘗て楚相に従ひて飲む。已にして楚相璧を亡ふ。門下、張儀を意ひて曰く、「儀は貧にして行無し、必ず此れ相君の璧を盗めり」と。共に張儀を執へ、掠笞すること数百、服せず、之を醳す。其の妻曰く、「嘻、子、書を読み游説する毋くんば、安ぞ此の辱を得んや」と。張儀、其の妻に謂ひて曰く、「吾が舌を視るに尚ほ在りや不や」と。其の妻笑ひて曰く、「舌在るなり」と。儀曰く、「足れり」と。
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『智囊』謬數・蘇秦蘇秦・張儀は嘗て同学にして、俱に鬼谷先生に事う。蘇秦既に合従を以て諸侯に顕るるも、秦の諸侯を攻めて其の約を敗らんことを恐れ、秦に使用すべき者無きを念い、乃ち人をして微かに張儀を感ぜしめ、之に勧めて蘇秦に謁して以て通ずるを求めしむ。儀、是に於いて趙に之き、秦に見えんことを求む。秦は門下の人に誡めて通ぜしめず、又去るを得ざらしむること数日。已にして之に見ゆ。坐を堂下に与え、僕妾の食を賜い、因りて数々之を譲めて曰く、「子の才能を以て、乃ち自ら困辱を此の如くせしむ。吾寧ぞ言いて子を富貴ならしむる能わざらんや。子は収むるに足らず」と。謝して去らしむ。儀は大いに失望し、怒ること甚だし。諸侯に事うべき莫く、独り秦のみ能く趙を苦しむと念い、乃ち遂に秦に入る。蘇秦は趙王に言い、其の舎人をして微かに張儀に随わしめ、与に舎に同宿し、稍々近づき就き、奉ずるに車馬金銭を以てす。張儀は遂に以て秦の恵王に見ゆるを得たり。王は以て客卿と為し、与に諸侯を伐つを謀る。舎人乃ち辞して去る。儀曰く、「子に頼りて顕るるを得たり。方に且に徳に報いんとす。何の故に去るや」と。舎人曰く、「臣は君を知るに非ず。君を知るは乃ち蘇君なり。蘇君は秦の趙を伐ち、従約を敗らんことを憂い、君に非ざれば能く秦の柄を得る莫しと以為う。故に君を感怒せしめ、臣をして陰かに君に資を奉給せしむ。今君已に用いらる。請う、帰りて報ぜん」と。張儀曰く、「嗟乎。此れ吾術中に在りて悟らず。吾の蘇君に及ばざること明らかなり。吾又新たに用いらる。安んぞ能く趙を謀らんや。我の為に蘇君に謝せよ。蘇君の時、儀何ぞ敢えて言わん。且つ蘇君在さば、儀寧ぞ能くせんや」と。是れより蘇秦の世を終うるまで、敢えて趙を謀らず。
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