史記 / 仲尼弟子列伝
子路喜從游,遇長沮、桀溺、荷蓧丈人。子路爲季氏宰,季孫問曰:「子路可謂大臣與?」孔子曰:「可謂具臣矣。」
新字:子路喜従游,遇長沮、桀溺、荷蓧丈人。子路為季氏宰,季孫問曰:「子路可謂大臣与?」孔子曰:「可謂具臣矣。」
書き下し
子路喜んで従ひ游び、長沮・桀溺・荷蓧丈人に遇ふ。子路季氏の宰と為る、季孫問ひて曰く、「子路は大臣と謂ふべきか」と。孔子曰く、「具臣と謂ふべし」と。
現代語訳
子路は喜んで孔子に付き従って旅をし、隠者の長沮(ちょうそ)・桀溺(けつでき)や、竹籠を担いだ老人に出会った。子路が季氏の家宰となったとき、季孫が尋ねた。「子路は大臣と呼べるか。」孔子は言った。「数をそろえる臣と呼ぶべきだ。」
解説
子路の伝の続きで、孔子の諸国遍歴に付き従ったことと、季氏の家宰になったときの孔子の評価を記した短い段です。長沮・桀溺・荷蓧丈人はいずれも『論語』微子篇に登場する隠者で、世を捨てた彼らは、乱世を正そうと奔走する孔子一行を冷ややかに見ました。子路はその応対役を務めています。後半の問答で、季孫が子路を大臣と呼べるかと問うと、孔子は「具臣」、つまり頭数をそろえる程度の臣だと答えます。『論語』先進篇では、大臣とは道によって君に仕え、それができなければ辞する者だとしています。子路の能力を認めつつも、主君の過ちを正せないなら大臣とは言えないという厳しい基準です。役職の肩書と、その役に求められる本当の働きの違いを考えさせる一言です。
関連する章句
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史記 仲尼弟子列伝仲由、字は子路、卞の人なり。孔子より少きこと九歳。子路は性鄙にして、勇力を好み、志伉直、雄鶏を冠し、豭豚を佩び、孔子を陵暴す。孔子礼を設けて稍く子路を誘ふ、子路後に儒服して質を委ね、門人に因りて弟子と為らんことを請ふ。子路政を問ふ、孔子曰く、「之に先んじ、之を労へ」と。益を請ふ。曰く、「倦むこと無かれ」と。子路問ふ、「君子は勇を尚ぶか」と。孔子曰く、「義を之れ上と為す。君子勇を好みて義無ければ則ち乱し、小人勇を好みて義無ければ則ち盗す」と。子路聞くこと有りて、未だ之を行ふ能はざれば、唯だ聞くこと有るを恐る。孔子曰く、「片言以て獄を折むべき者は、其れ由なるか」と。「由や勇を好むこと我に過ぎたり、材を取る所無し」と。「由の若きは、其の死を得ざらん」と。「敝れたる縕袍を衣て、狐貉を衣る者と立ちて、恥ぢざる者は、其れ由なるか」と。「由や堂に升れり、未だ室に入らざるなり」と。季康子問ふ、「仲由は仁なるか」と。孔子曰く、「千乗の国其の賦を治めしむべし、其の仁を知らず」と。
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論語・先進篇季子然問う、「仲由・冉求は大臣と謂う可きか。」子曰く、「吾子を以て異なるを之れ問うと為せり。曾ち由と求とを之れ問うか。所謂大臣とは、道を以て君に事え、不可なれば則ち止む。今由と求とは、具臣と謂う可し。」曰く、「然らば則ち之に従う者か。」子曰く、「父と君とを弑するには、亦た従わざるなり。」
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史記 孔子世家孔子之を聞きて曰く、「由、爾何ぞ対へて『其の人と為りや、道を学びて倦まず、人を誨へて厭かず、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂ひを忘れ、老いの将に至らんとするを知らず』と曰はざる」と。葉を去り、蔡に反る。長沮・桀溺耦して耕す、孔子以て隠者と為し、子路をして津を問はしむ。長沮曰く、「彼の輿を執る者は誰と為す」と。子路曰く、「孔丘為り」と。曰く、「是れ魯の孔丘か」と。曰く、「然り」と。曰く、「是れならば津を知らん」と。桀溺子路に謂ひて曰く、「子は誰と為す」と。曰く、「仲由為り」と。曰く、「子は孔丘の徒か」と。曰く、「然り」と。桀溺曰く、「悠悠たる者天下皆是れなり、而して誰と以に之を易へん。且つ其の人を辟くるの士に従はんよりは、豈に世を辟くるの士に従ふに若かんや」と。耰して輟めず。子路以て孔子に告ぐ、孔子憮然として曰く、「鳥獣は与に羣を同じくすべからず。天下に道有らば、丘与に易へざるなり」と。他日、子路行きて、荷蓧丈人に遇ふ、曰く、「子夫子を見たるか」と。丈人曰く、「四体勤めず、五穀分かたず、孰をか夫子と為す」と。其の杖を植てて芸る。子路以て告ぐ、孔子曰く、「隠者なり」と。復た往けば、則ち亡し。孔子蔡に遷りて三歳、呉陳を伐つ。楚陳を救ひ、城父に軍す。孔子の陳蔡の間に在るを聞き、楚人をして孔子を聘せしむ。孔子将に往きて拝礼せんとす、陳蔡の大夫謀りて曰く、「孔子は賢者なり、刺譏する所皆諸侯の疾に中る。今者久しく陳蔡の間に留まる、諸大夫の設け行ふ所皆仲尼の意に非ず。今楚は大国なり、来たりて孔子を聘す。
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論語・微子篇子路従いて後る。丈人の、杖を以て蓧を荷うに遇う。子路問いて曰く、「子、夫子を見たるか。」丈人曰く、「四体勤めず、五穀分たず。孰をか夫子と為す。」其の杖を植てて芸る。子路拱して立つ。子路を止めて宿らしめ、鶏を殺し黍を為りて之を食わしめ、其の二子を見えしむ。明日、子路行きて以て告ぐ。子曰く、「隠者なり。」子路をして反りて之を見しむ。至れば則ち行けり。子路曰く、「仕えざるは義無し。長幼の節、廃す可からざるなり。君臣の義、之を如何ぞ其れ廃せんや。其の身を潔くせんと欲して、大倫を乱る。君子の仕うるや、其の義を行うなり。道の行われざるは、已に之を知れり。」
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