論語 / 顔淵篇
子曰:「片言可以折獄者,其由也與!」子路無宿諾。
新字:子曰:「片言可以折獄者,其由也与!」子路無宿諾。
書き下し
子曰く、「片言以て獄を折む可き者は、其れ由なるか。」子路は諾を宿めず。
現代語訳
先生がおっしゃった。「ほんのわずかな言葉で訴訟を裁くことのできる者は、まあ由(子路)だろうな。」子路は、引き受けたことを翌日まで持ち越すことがなかった。
解説
二つの短い記述が組み合わされている。前半は子路の判断の速さ、後半は実行の速さ。承諾したら、その日のうちに片づける。宿めず、という言い方が具体的でよい。持ち越さないという習慣が、そのまま人物評になっている。片言で訴訟を裁けるという評価も、判断力の鋭さだけを指すのではないだろう。子路は裏表がなく、相手も嘘をつきにくかったから、一言で本当のところが出た。信頼が判断の速度を上げる、という関係である。実務でも同じことが言える。決裁に時間がかかるのは、情報が足りないからというより、情報の信憑性を確かめる工程が必要だからだ。互いに嘘をつかない関係が成立していれば、多くの確認は省ける。速さは能力ではなく、関係の質から生まれることがある。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
子路即断実行信頼速さ
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