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史記 / 三王世家

古人有言曰:『大江之南,五湖之閒,其人輕心。楊州保疆,三代要服,不及以政。』於戲!悉爾心,戰戰兢兢,乃惠乃順,毋侗好軼,毋邇宵人,維法維則。《書》云:『臣不作威,不作福,靡有後羞。』於戲,保國艾民,可不敬與!王其戒之。」右廣陵王策。太史公曰:古人有言曰「愛之欲其富,親之欲其貴」。故王者壃土建國,封立子弟,所以褒親親,序骨肉,尊先祖,貴支體,廣同姓於天下也。是以形勢彊而王室安。自古至今,所由來久矣。非有異也,故弗論箸也。燕齊之事,無足采者。然封立三王,天子恭讓,群臣守義,文辭爛然,甚可觀也,是以附之世家。褚先生曰:臣幸得以文學為侍郎,好覽觀太史公之列傳。傳中稱三王世家文辭可觀,求其世家終不能得。竊從長老好故事者取其封策書,編列其事而傳之,令後世得觀賢主之指意。蓋聞孝武帝之時,同日而俱拜三子為王:封一子於齊,一子於廣陵,一子於燕。各因子才力智能,及土地之剛柔,人民之輕重,為作策以申戒之。謂王:「世為漢藩輔,保國治民,可不敬與!王其戒之。」夫賢主所作,固非淺聞者所能知,非博聞彊記君子者所不能究竟其意。至其次序分絕,文字之上下,簡之參差長短,皆有意,人莫之能知。

新字:古人有言曰:『大江之南,五湖之閒,其人軽心。楊州保疆,三代要服,不及以政。』於戯!悉爾心,戦戦兢兢,乃恵乃順,毋侗好軼,毋邇宵人,維法維則。《書》云:『臣不作威,不作福,靡有後羞。』於戯,保国艾民,可不敬与!王其戒之。」右広陵王策。太史公曰:古人有言曰「愛之欲其富,親之欲其貴」。故王者壃土建国,封立子弟,所以褒親親,序骨肉,尊先祖,貴支体,広同姓於天下也。是以形勢彊而王室安。自古至今,所由来久矣。非有異也,故弗論箸也。燕斉之事,無足采者。然封立三王,天子恭譲,群臣守義,文辞爛然,甚可観也,是以附之世家。褚先生曰:臣幸得以文学為侍郎,好覧観太史公之列伝。伝中称三王世家文辞可観,求其世家終不能得。窃従長老好故事者取其封策書,編列其事而伝之,令後世得観賢主之指意。蓋聞孝武帝之時,同日而倶拝三子為王:封一子於斉,一子於広陵,一子於燕。各因子才力智能,及土地之剛柔,人民之軽重,為作策以申戒之。謂王:「世為漢藩輔,保国治民,可不敬与!王其戒之。」夫賢主所作,固非浅聞者所能知,非博聞彊記君子者所不能究竟其意。至其次序分絶,文字之上下,簡之参差長短,皆有意,人莫之能知。

書き下し

古人言有りて曰く、『大江の南、五湖の間、其の人心軽し。楊州は疆を保ち、三代は要服にして、政を以てするに及ばず』と。於戯。爾の心を悉くし、戦戦兢兢として、乃ち恵に乃ち順に、侗として軼を好む毋かれ、宵人に邇づく毋かれ、維れ法維れ則れ。書に云ふ、『臣は威を作さず、福を作さず、後の羞有る靡し』と。於戯、国を保ち民を艾むること、敬まざるべけんや。王其れ之を戒めよ」と。右は広陵王の策なり。太史公曰く、古人言有りて曰く「之を愛しては其の富まんことを欲し、之を親しみては其の貴からんことを欲す」と。故に王者は土を壃り国を建て、子弟を封立す、親を親しむを褒め、骨肉を序し、先祖を尊び、支体を貴び、同姓を天下に広むる所以なり。是を以て形勢彊くして王室安し。古より今に至るまで、由りて来たる所久し。異有るに非ざるなり、故に論著せず。燕斉の事は、采るに足る者無し。然れども三王を封立するに、天子恭譲し、群臣義を守り、文辞爛然として、甚だ観るべきなり、是を以て之を世家に附す。褚先生曰く、臣幸ひに文学を以て侍郎と為るを得、好んで太史公の列伝を覧観す。伝中に三王世家の文辞観るべしと称するも、其の世家を求むるに終に得る能はず。竊かに長老の故事を好む者より其の封策の書を取り、其の事を編列して之を伝へ、後世をして賢主の指意を観るを得しむ。蓋し聞く孝武帝の時、同日にして倶に三子を拝して王と為す。一子を斉に封じ、一子を広陵に、一子を燕に。各々子の才力智能、及び土地の剛柔、人民の軽重に因りて、為に策を作りて以て之を申戒す。王に謂ふ、「世々漢の藩輔と為り、国を保ち民を治むること、敬まざるべけんや。王其れ之を戒めよ」と。夫れ賢主の作る所は、固より浅聞の者の能く知る所に非ず、博聞彊記の君子に非ざれば其の意を究竟する能はざる所なり。其の次序分絶、文字の上下、簡の参差長短に至るまで、皆意有り、人之を能く知る莫し。

現代語訳

(広陵王への策文は続く。)「古人の言葉に『大江(長江)の南、五湖の間の人は、心が軽く移ろいやすい。揚州は辺境を守る地で、夏・殷・周の三代には要服(遠方の服属地)とされ、政治の教化は十分に及ばなかった』とある。ああ、おまえの心を尽くし、戦々恐々と慎み、民に恵み深く従順であれ。愚かに気ままな遊びを好んではならない。小人に近づいてはならない。ただ法にのっとり、規範に従え。『書経』に『臣下は威を振るわず、福を施して人気を取らない。そうすれば後に恥をかくことはない』とある。ああ、国を保ち民を治めること、慎まずにいられようか。王よ、これを戒めとせよ。」以上が広陵王への策文である。太史公は言う。古人の言葉に「愛する者には富んでほしいと願い、親しむ者には貴くなってほしいと願う」とある。だから王者は国土を区切って国を建て、子弟を封じて立てる。それは近親を親しむことを顕彰し、骨肉の序列を定め、先祖を尊び、一族を重んじ、同姓の者を天下に広げるためである。こうして勢いが強くなり、王室は安泰となる。これは昔から今に至るまで、長く続いてきたことである。特に変わったことではないので、論じて書き記すことはしない。燕と斉のことには、取り上げるに足るものはない。しかし三王を封じて立てるにあたり、天子は謙譲し、群臣は道義を守り、その文辞は輝かしく、大いに見るべきものがあるので、これを世家に付け加えた。褚先生は言う。わたしは幸いにも学問によって侍郎となることができ、好んで太史公の列伝を読んだ。伝の中に三王世家の文辞は見るべきものがあると記されていたが、その世家を探してもついに見つけることができなかった。そこでひそかに、故事を好む長老から王を封じた策文を得て、その事柄を編み並べて伝え、後世の人が賢明な君主の意図を見られるようにした。聞くところでは、孝武帝の時代、同じ日に三人の子をそろって王に任じ、一人を斉に、一人を広陵に、一人を燕に封じた。それぞれの子の才能・力量・知恵と、土地の気風の剛柔、民の性質の軽重に応じて、策文を作って戒めを述べた。王たちに「代々漢の藩屏となって国を保ち民を治めること、慎まずにいられようか。王よ、これを戒めとせよ」と言った。そもそも賢明な君主の作ったものは、見聞の浅い者に理解できるものではなく、博学で記憶力に優れた君子でなければ、その真意を究めることはできない。その段落の区切りや順序、文字の配置、竹簡の長短の不揃いに至るまで、すべてに意味があるのだが、それを理解できる人はいない。

解説

広陵王への策文の結びと、司馬遷の評、そして褚少孫の補筆の始まりです。広陵は長江の南、人心が軽い土地なので、慎み深くあれ、遊びを好むな、小人に近づくな、威を振るったり恩を売ったりして人気を集めるなと戒めます。太史公曰は司馬遷自身の評で、子弟を封じるのは古来の常道で特に論じることはなく、燕や斉の事績も取るに足らないが、天子の謙譲と群臣の義、文辞の見事さゆえに世家に付けたと述べます。続く「褚先生曰」は前漢の褚少孫による補筆で、司馬遷の三王世家が失われていたため、長老から策文を集めて補ったと明かしています。つまりこの篇の後半は褚少孫の手になるもので、史記が後世に補われて伝わった経緯を知ることのできる貴重な記述です。

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