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史記 / 三王世家

謹論次其真草詔書,編于左方。令覽者自通其意而解說之。王夫人者,趙人也,與衛夫人并幸武帝,而生子閎。閎且立為王時,其母病,武帝自臨問之。曰:「子當為王,欲安所置之?」王夫人曰:「陛下在,妾又何等可言者。」帝曰:「雖然,意所欲,欲於何所王之?」王夫人曰:「願置之雒陽。」武帝曰:「雒陽有武庫敖倉,天下衝阸,漢國之大都也。先帝以來,無子王於雒陽者。去雒陽,餘盡可。」王夫人不應。武帝曰:「關東之國無大於齊者。齊東負海而城郭大,古時獨臨菑中十萬戶,天下膏腴地莫盛於齊者矣。」王夫人以手擊頭,謝曰:「幸甚。」王夫人死而帝痛之,使使者拜之曰:「皇帝謹使使太中大夫明奉璧一,賜夫人為齊王太后。」子閎王齊,年少,無有子,立,不幸早死,國絕,為郡。天下稱齊不宜王云。所謂「受此土」者,諸侯王始封者必受土於天子之社,歸立之以為國社,以歲時祠之。春秋大傳曰:「天子之國有泰社。東方青,南方赤,西方白,北方黑,上方黃。」故將封於東方者取青土,封於南方者取赤土,封於西方者取白土,封於北方者取黑土,封於上方者取黃土。各取其色物,裹以白茅,封以為社。此始受封於天子者也。此之為主土。主土者,立社而奉之也。

新字:謹論次其真草詔書,編于左方。令覧者自通其意而解説之。王夫人者,趙人也,与衛夫人并幸武帝,而生子閎。閎且立為王時,其母病,武帝自臨問之。曰:「子当為王,欲安所置之?」王夫人曰:「陛下在,妾又何等可言者。」帝曰:「雖然,意所欲,欲於何所王之?」王夫人曰:「願置之雒陽。」武帝曰:「雒陽有武庫敖倉,天下衝阸,漢国之大都也。先帝以来,無子王於雒陽者。去雒陽,余尽可。」王夫人不応。武帝曰:「関東之国無大於斉者。斉東負海而城郭大,古時独臨菑中十万戸,天下膏腴地莫盛於斉者矣。」王夫人以手撃頭,謝曰:「幸甚。」王夫人死而帝痛之,使使者拝之曰:「皇帝謹使使太中大夫明奉璧一,賜夫人為斉王太后。」子閎王斉,年少,無有子,立,不幸早死,国絶,為郡。天下称斉不宜王云。所謂「受此土」者,諸侯王始封者必受土於天子之社,帰立之以為国社,以歳時祠之。春秋大伝曰:「天子之国有泰社。東方青,南方赤,西方白,北方黒,上方黄。」故将封於東方者取青土,封於南方者取赤土,封於西方者取白土,封於北方者取黒土,封於上方者取黄土。各取其色物,裹以白茅,封以為社。此始受封於天子者也。此之為主土。主土者,立社而奉之也。

書き下し

謹んで其の真草の詔書を論次し、左方に編む。覧る者をして自ら其の意に通じて之を解説せしむ。王夫人は、趙の人なり、衛夫人と并びに武帝に幸せられ、而して子閎を生む。閎且に立ちて王と為らんとする時、其の母病む、武帝自ら臨みて之を問ふ。曰く、「子当に王と為るべし、安くに之を置かんと欲する」と。王夫人曰く、「陛下在り、妾又何等の言ふべき者あらん」と。帝曰く、「然りと雖も、意の欲する所、何れの所に於いて之を王とせんと欲する」と。王夫人曰く、「願はくは之を雒陽に置かん」と。武帝曰く、「雒陽は武庫敖倉有り、天下の衝阸にして、漢国の大都なり。先帝以来、子の雒陽に王たる者無し。雒陽を去りては、余は尽く可なり」と。王夫人応へず。武帝曰く、「関東の国は斉より大なる者無し。斉は東のかた海を負ひて城郭大なり、古時独り臨菑の中十万戸、天下の膏腴の地斉より盛んなる者莫し」と。王夫人手を以て頭を撃ち、謝して曰く、「幸甚なり」と。王夫人死して帝之を痛み、使者をして之を拝せしめて曰く、「皇帝謹んで使をして太中大夫明をして璧一を奉じ、夫人に賜ひて斉王の太后と為さしむ」と。子閎斉に王たり、年少くして、子有る無く、立ちて、不幸にして早く死し、国絶え、郡と為る。天下斉は王たるに宜しからずと称すと云ふ。所謂「此の土を受けよ」とは、諸侯王の始めて封ぜらるる者は必ず土を天子の社に受け、帰りて之を立てて以て国社と為し、歳時を以て之を祠る。春秋大伝に曰く、「天子の国に泰社有り。東方は青、南方は赤、西方は白、北方は黒、上方は黄」と。故に将に東方に封ぜられんとする者は青土を取り、南方に封ぜらるる者は赤土を取り、西方に封ぜらるる者は白土を取り、北方に封ぜらるる者は黒土を取り、上方に封ぜらるる者は黄土を取る。各々其の色の物を取り、裹むに白茅を以てし、封じて以て社と為す。此れ始めて封を天子より受くる者なり。此れを之れ主土と為す。主土とは、社を立てて之を奉ずるなり。

現代語訳

(褚先生は続ける。)謹んでその詔書の正本と草稿を論じて順序立て、以下に編んでおく。読む者が自らその意味を理解し、解き明かせるようにするためである。王夫人は趙の人で、衛夫人(衛子夫)とともに武帝の寵愛を受け、子の閎を生んだ。閎が王に立てられようとしていたとき、母の王夫人が病気になり、武帝は自ら見舞って尋ねた。「息子は王になるはずだが、どこに置きたいか。」王夫人は言った。「陛下がおいでなのに、わたくしが何を申し上げることがございましょう。」帝は言った。「それはそうだが、思うところを言ってみよ。どこの王にしたいのか。」王夫人は「雒陽(洛陽)に置いていただきとうございます」と言った。武帝は言った。「雒陽には武器庫と敖倉(大穀倉)があり、天下の交通の要衝で、漢の大都市である。先帝以来、雒陽の王となった子はいない。雒陽以外なら、どこでもよい。」王夫人は答えなかった。武帝は言った。「関東の国で斉より大きな国はない。斉は東に海を背負い、城郭は大きく、昔は臨菑の町だけで十万戸あった。天下の肥沃な土地で斉ほど豊かなところはない。」王夫人は手で頭を打って礼をし、「この上ない幸せでございます」と感謝した。王夫人が亡くなると、帝は深く悼み、使者を遣わして位を授けて言った。「皇帝は謹んで太中大夫の明を使者とし、璧を一つ奉じて、夫人に斉王の太后の位を賜う。」子の閎は斉王となったが、年若く子もないまま、立って間もなく不幸にも早世し、国は絶えて郡となった。世間では、斉は王を置くにふさわしくない土地だと言われたという。策文にいう「この土を受けよ」とは、諸侯王として初めて封ぜられる者は、必ず天子の社から土を受け、国に帰ってそれで社を立てて国の社とし、季節ごとに祭るということである。『春秋大伝』に「天子の国には泰社がある。東方は青、南方は赤、西方は白、北方は黒、中央は黄である」とある。だから東方に封ぜられる者は青い土を、南方に封ぜられる者は赤い土を、西方に封ぜられる者は白い土を、北方に封ぜられる者は黒い土を、中央に封ぜられる者は黄色い土を取る。それぞれの方角の色の土を取り、白い茅で包み、封じて社とする。これが天子から初めて封を受ける者のしきたりである。これを主土という。主土とは、社を立ててこれを奉ずることである。

解説

褚少孫の補筆の続きで、斉王劉閎の母王夫人と武帝の会話、そして策文の「社の土を受ける」儀式の解説です。病床の王夫人に武帝が息子をどこの王にしたいか尋ね、夫人は洛陽を望みますが、武帝は洛陽は武器庫と穀倉のある天下の要衝で、皇子を王として置いた例はないと断り、代わりに最も豊かな斉を与えます。私情を受け止めつつも、国家の要所だけは身内にも渡さないという線引きが見えます。後半は、諸侯王が天子の社から方角の色の土を白茅に包んで受け取り、自国の社とする儀礼の説明で、策文の「青社」「玄社」「赤社」の意味が分かります。大切な人の願いに応えつつ、譲れない一線をどう守るかという点で読める段です。

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