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史記 / 三王世家

今臣去病上疏,不忘其職,因以宣恩,乃道天子卑讓自貶以勞天下,慮皇子未有號位。臣青翟、臣湯等宜奉義遵職,愚憧而不逮事。方今盛夏吉時,臣青翟、臣湯等昧死請立皇子臣閎、臣旦、臣胥為諸侯王。昧死請所立國名。」制曰:「蓋聞周封八百,姬姓并列,或子、男、附庸。禮『支子不祭』。云并建諸侯所以重社稷,朕無聞焉。且天非為君生民也。朕之不德,海內未洽,乃以未教成者彊君連城,即股肱何勸?其更議以列侯家之。」三月丙子,奏未央宮。「丞相臣青翟、御史大夫臣湯昧死言:臣謹與列侯臣嬰齊、中二千石二千石臣賀、諫大夫博士臣安等議曰:伏聞周封八百,姬姓并列,奉承天子。康叔以祖考顯,而伯禽以周公立,咸為建國諸侯,以相傅為輔。百官奉憲,各遵其職,而國統備矣。竊以為并建諸侯所以重社稷者,四海諸侯各以其職奉貢祭。支子不得奉祭宗祖,禮也。封建使守藩國,帝王所以扶德施化。陛下奉承天統,明開聖緒,尊賢顯功,興滅繼絕。續蕭文終之後於酇,褒厲群臣平津侯等。昭六親之序,明天施之屬,使諸侯王封君得推私恩分子弟戶邑,錫號尊建百有餘國。而家皇子為列侯,則尊卑相踰,列位失序,不可以垂統於萬世。

新字:今臣去病上疏,不忘其職,因以宣恩,乃道天子卑譲自貶以労天下,慮皇子未有号位。臣青翟、臣湯等宜奉義遵職,愚憧而不逮事。方今盛夏吉時,臣青翟、臣湯等昧死請立皇子臣閎、臣旦、臣胥為諸侯王。昧死請所立国名。」制曰:「蓋聞周封八百,姫姓并列,或子、男、附庸。礼『支子不祭』。云并建諸侯所以重社稷,朕無聞焉。且天非為君生民也。朕之不徳,海内未洽,乃以未教成者彊君連城,即股肱何勧?其更議以列侯家之。」三月丙子,奏未央宮。「丞相臣青翟、御史大夫臣湯昧死言:臣謹与列侯臣嬰斉、中二千石二千石臣賀、諫大夫博士臣安等議曰:伏聞周封八百,姫姓并列,奉承天子。康叔以祖考顕,而伯禽以周公立,咸為建国諸侯,以相傅為輔。百官奉憲,各遵其職,而国統備矣。窃以為并建諸侯所以重社稷者,四海諸侯各以其職奉貢祭。支子不得奉祭宗祖,礼也。封建使守藩国,帝王所以扶徳施化。陛下奉承天統,明開聖緒,尊賢顕功,興滅継絶。続蕭文終之後於酇,褒厲群臣平津侯等。昭六親之序,明天施之属,使諸侯王封君得推私恩分子弟戸邑,錫号尊建百有余国。而家皇子為列侯,則尊卑相踰,列位失序,不可以垂統於万世。

書き下し

今臣去病上疏す、其の職を忘れず、因りて以て恩を宣べ、乃ち天子の卑譲自貶して以て天下に労するを道ひ、皇子の未だ号位有らざるを慮る。臣青翟・臣湯等宜しく義を奉じ職に遵ふべきに、愚憧にして事に逮ばず。方今盛夏の吉時、臣青翟・臣湯等昧死して皇子臣閎・臣旦・臣胥を立てて諸侯王と為さんことを請ふ。昧死して立つる所の国名を請ふ」と。制して曰く、「蓋し聞く周八百を封じ、姫姓并び列し、或いは子・男・附庸なり。礼に『支子は祭らず』と。并せて諸侯を建つるは社稷を重んずる所以なりと云ふは、朕聞く無し。且つ天は君の為に民を生ずるに非ざるなり。朕の不徳、海内未だ洽からず、乃ち未だ教へ成らざる者を以て彊ひて城を連ぬるに君とせば、即ち股肱何をか勧めん。其れ更めて議して列侯を以て之を家せしめよ」と。三月丙子、未央宮に奏す。「丞相臣青翟・御史大夫臣湯昧死して言ふ。臣謹んで列侯臣嬰斉・中二千石二千石臣賀・諫大夫博士臣安等と議して曰く、伏して聞く周八百を封じ、姫姓并び列して、天子を奉承す。康叔は祖考を以て顕れ、而して伯禽は周公を以て立ち、咸建国の諸侯と為り、以て相傅して輔と為る。百官憲を奉じ、各々其の職に遵ひて、国統備はる。竊かに以為へらく并せて諸侯を建つるは社稷を重んずる所以なりとは、四海の諸侯各々其の職を以て貢祭を奉ず。支子は宗祖を奉祭するを得ざるは、礼なり。封建して藩国を守らしむるは、帝王の徳を扶け化を施す所以なり。陛下天統を奉承し、明らかに聖緒を開き、賢を尊び功を顕し、滅を興し絶を継ぐ。蕭文終の後を酇に続ぎ、群臣平津侯等を褒厲す。六親の序を昭らかにし、天施の属を明らかにし、諸侯王封君をして私恩を推して子弟に戸邑を分かつを得しめ、号を錫ひ尊建すること百有余国なり。而るに皇子を家して列侯と為さば、則ち尊卑相踰え、列位序を失ひ、以て統を万世に垂るべからず。

現代語訳

(丞相らの上奏は続く。)いま臣去病が上奏したのは、自分の職分を忘れず、そのうえで陛下のご恩を広めようとし、天子がへりくだって自らを低くし天下のために苦労しておられることを述べ、皇子たちにまだ称号と位がないことを案じたものである。わたくし青翟・湯らは本来、道義を奉じて職務に従うべきであったのに、愚かで気づかず、事に及ばなかった。ちょうど今は盛夏の吉日であるので、青翟・湯らは死を覚悟して、皇子の閎・旦・胥を諸侯王に立てることを願い、死を覚悟して立てる国の名をお定めいただくよう願う。」帝は詔して言った。「聞くところでは、周は八百の国を封じ、姫姓の一族が並び立ったが、その中には子爵・男爵や附庸(小国)もあった。礼に『嫡子でない子は祖先を祭らない』とある。あわせて諸侯を建てることが国家を重んじるゆえんだという話は、わたしは聞いたことがない。そもそも天は君主のために民を生んだのではない。わたしの不徳のために天下はまだ行き届いて治まっていない。それなのに、まだ教育が成っていない者を無理に多くの城を連ねた国の君主にすれば、股肱の臣たちは何を励みとするだろうか。改めて議し、列侯として家を立てさせよ。」三月丙子の日、未央宮に奏上した。「丞相の臣青翟と御史大夫の臣湯が死を覚悟して申し上げる。わたくしどもは謹んで列侯の臣嬰斉、中二千石・二千石の臣賀、諫大夫・博士の臣安らと議して、次のように考えた。聞くところでは、周は八百の国を封じ、姫姓の一族が並び立って天子を奉じた。康叔(武王の弟)は父祖の縁によって顕れ、伯禽(周公の子)は周公の功によって立てられ、どちらも国を建てる諸侯となり、互いに助け合って王室の支えとなった。百官は法を奉じ、それぞれの職務に従って、国家の統治が整ったのである。ひそかに考えるに、あわせて諸侯を建てることが国家を重んじるゆえんだというのは、天下の諸侯がそれぞれの職分に従って貢ぎ物と祭祀を奉じるからである。嫡子でない子が宗祖を祭れないのは礼の定めである。封建して藩国を守らせるのは、帝王が徳を助け教化を施すためである。陛下は天の統を継ぎ、聖なる事業を明らかに開き、賢者を尊び功ある者を顕彰し、滅びた家を興し絶えた家を継がせてこられた。蕭何(諡は文終侯)の子孫に酇の地を継がせ、平津侯(公孫弘)ら群臣を褒め励まされた。親族の序列を明らかにし、天の恵みを受ける一族を明らかにし、諸侯王や封君にも私的な恩を推し及ぼして子弟に領地を分けることを許され、称号を与えて立てた国は百余りに上る。それなのに皇子を列侯として家を立てさせるならば、尊卑が入れ替わり、席次の秩序が失われ、統治の規範を万世に伝えることができない。

解説

丞相荘青翟と御史大夫張湯らが、霍去病の上奏を受けて皇子を諸侯王に立てるよう願い出ると、武帝は一度これを退けます。周の封建にも子爵・男爵がいた、天は君主のために民を生んだのではない、教育の成っていない子に大国を与えれば臣下は何を励みにするのか、として、列侯に留めるよう命じたのです。これに対し丞相らは周の康叔・伯禽の例を挙げ、封建は王室を支える仕組みであり、陛下は功臣の子孫や諸侯の子弟にまで領地を与えてきたのに、皇子だけを列侯にすれば尊卑の序列が逆転すると反論します。皇帝の謙譲と臣下の再三の請願は儀礼的な面もありますが、身内への厚遇を自ら抑えてみせる姿勢と、制度の整合性から説得する臣下の論法が、公文書の形で残されています。

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