師導古典を学びたいすべての人に

史記 / 曹相国世家

韓信已破趙,為相國,東擊齊。參以右丞相屬韓信,攻破齊歷下軍,遂取臨菑。還定濟北郡,攻著、漯陰、平原、鬲、盧。已而從韓信擊龍且軍於上假密,大破之,斬龍且,虜其將軍周蘭。定齊,凡得七十餘縣。得故齊王田廣相田光,其守相許章,及故齊膠東將軍田既。韓信為齊王,引兵詣陳,與漢王共破項羽,而參留平齊未服者。項籍已死,天下定,漢王為皇帝,韓信徙為楚王,齊為郡。參歸漢相印。高帝以長子肥為齊王,而以參為齊相國。以高祖六年賜爵列侯,與諸侯剖符,世世勿絕。食邑平陽萬六百三十戶,號曰平陽侯,除前所食邑。以齊相國擊陳豨將張春軍,破之。黥布反,參以齊相國從悼惠王將兵車騎十二萬人,與高祖會擊黥布軍,大破之。南至蘄,還定竹邑、相、蕭、留。參功:凡下二國,縣一百二十二;得王二人,相三人,將軍六人,大莫敖、郡守、司馬、候、御史各一人。孝惠帝元年,除諸侯相國法,更以參為齊丞相。參之相齊,齊七十城。天下初定,悼惠王富於春秋,參盡召長老諸生,問所以安集百姓,如齊故俗諸儒以百數,言人人殊,參未知所定。聞膠西有蓋公,善治黃老言,使人厚幣請之。

新字:韓信已破趙,為相国,東撃斉。参以右丞相属韓信,攻破斉歴下軍,遂取臨菑。還定済北郡,攻著、漯陰、平原、鬲、盧。已而従韓信撃竜且軍於上仮密,大破之,斬竜且,虜其将軍周蘭。定斉,凡得七十余県。得故斉王田広相田光,其守相許章,及故斉膠東将軍田既。韓信為斉王,引兵詣陳,与漢王共破項羽,而参留平斉未服者。項籍已死,天下定,漢王為皇帝,韓信徙為楚王,斉為郡。参帰漢相印。高帝以長子肥為斉王,而以参為斉相国。以高祖六年賜爵列侯,与諸侯剖符,世世勿絶。食邑平陽万六百三十戸,号曰平陽侯,除前所食邑。以斉相国撃陳豨将張春軍,破之。黥布反,参以斉相国従悼恵王将兵車騎十二万人,与高祖会撃黥布軍,大破之。南至蘄,還定竹邑、相、蕭、留。参功:凡下二国,県一百二十二;得王二人,相三人,将軍六人,大莫敖、郡守、司馬、候、御史各一人。孝恵帝元年,除諸侯相国法,更以参為斉丞相。参之相斉,斉七十城。天下初定,悼恵王富於春秋,参尽召長老諸生,問所以安集百姓,如斉故俗諸儒以百数,言人人殊,参未知所定。聞膠西有蓋公,善治黄老言,使人厚幣請之。

書き下し

韓信已に趙を破り、相国と為り、東のかた斉を撃つ。参右丞相を以て韓信に属し、斉の歴下の軍を攻破し、遂に臨菑を取る。還りて済北郡を定め、著・漯陰・平原・鬲・盧を攻む。已にして韓信に従ひて龍且の軍を上仮密に撃ち、大いに之を破り、龍且を斬り、其の将軍周蘭を虜にす。斉を定め、凡そ七十余県を得たり。故の斉王田広の相田光、其の守相許章、及び故の斉の膠東の将軍田既を得たり。韓信斉王と為り、兵を引きて陳に詣り、漢王と共に項羽を破る、而して参留まりて斉の未だ服せざる者を平らぐ。項籍已に死し、天下定まり、漢王皇帝と為り、韓信徙りて楚王と為り、斉は郡と為る。参漢の相印を帰す。高帝長子肥を以て斉王と為し、而して参を以て斉の相国と為す。高祖六年を以て爵列侯を賜ひ、諸侯と符を剖き、世世絶ゆること勿からしむ。食邑は平陽の万六百三十戸、号して平陽侯と曰ひ、前に食む所の邑を除く。斉の相国を以て陳豨の将張春の軍を撃ち、之を破る。黥布反く、参斉の相国を以て悼恵王に従ひて兵車騎十二万人を将ゐ、高祖と会して黥布の軍を撃ち、大いに之を破る。南のかた蘄に至り、還りて竹邑・相・蕭・留を定む。参の功は、凡そ二国を下し、県百二十二。王二人、相三人、将軍六人、大莫敖・郡守・司馬・候・御史各一人を得たり。孝恵帝元年、諸侯の相国の法を除き、更めて参を以て斉の丞相と為す。参の斉に相たるや、斉は七十城なり。天下初めて定まり、悼恵王春秋に富む、参尽く長老諸生を召し、百姓を安集する所以を問ふ、斉の故[俗]の如く諸儒百を以て数ふ、言人人殊なり、参未だ定むる所を知らず。膠西に蓋公有り、善く黄老の言を治むと聞き、人をして幣を厚くして之を請はしむ。

現代語訳

韓信は趙を破ると相国となり、東の斉を攻撃した。曹参は右丞相として韓信の指揮下に入り、斉の歴下の軍を攻め破り、ついに臨菑を取った。引き返して済北郡を平定し、著(ちょ)・漯陰(とういん)・平原・鬲(かく)・盧を攻めた。やがて韓信に従って龍且の軍を上仮密で攻撃して大いに破り、龍且を斬り、その将軍周蘭を捕虜にした。斉を平定し、あわせて七十余りの県を手に入れた。もとの斉王田広の宰相田光、その留守居の宰相許章、もとの斉の膠東の将軍田既を捕らえた。韓信は斉王となり、兵を率いて陳に赴き、漢王とともに項羽を破ったが、曹参は斉に留まってまだ服従しない者たちを平定した。項籍が死んで天下が定まると、漢王は皇帝となり、韓信は楚王に移され、斉は郡となった。曹参は漢の丞相の印を返上した。高帝は長男の劉肥を斉王とし、曹参を斉の相国とした。高祖六年、列侯の爵位を賜り、諸侯と割り符を分け合って、代々絶えることのないようにした。領地は平陽の一万六百三十戸で、平陽侯と号し、それまでの領地は取り上げられた。斉の相国として陳豨の将張春の軍を攻撃して破った。黥布が反乱を起こすと、曹参は斉の相国として悼恵王に従い、戦車・騎兵十二万人を率いて高祖と合流して黥布の軍を攻撃し、大いに破った。南の蘄まで進み、引き返して竹邑・相・蕭・留を平定した。曹参の功績は、あわせて二つの国と百二十二の県を降し、王二人、宰相三人、将軍六人、大莫敖(楚の官)・郡守・司馬・軍候・御史をそれぞれ一人捕らえたことである。孝恵帝の元年、諸侯国に相国を置く制度を廃止し、改めて曹参を斉の丞相とした。曹参が斉の宰相となったとき、斉は七十城あった。天下は平定されたばかりで、悼恵王はまだ若かった。曹参は長老や儒者たちをすべて呼び集め、民を安らかにまとめる方法を尋ねた。斉の古い気風のとおり儒者は百人を数えたが、言うことは人によってまちまちで、曹参はどうすればよいか決めかねた。膠西に蓋公(こうこう)という人がいて、黄帝・老子の教えに通じていると聞き、人を遣わして手厚い礼物を贈って招いた。

解説

曹参の武将としての経歴の総決算と、政治家への転身の始まりです。韓信の下で斉を平定し、黥布の乱でも十二万の兵を率いて戦い、「二国、百二十二県を降し、王二人、宰相三人、将軍六人を捕らえた」と功績が数字で総括されます。そして天下統一後、曹参は高祖の長男劉肥の国である斉の相国となります。ここで曹参は、戦場とはまったく違う課題に直面しました。戦乱で疲弊した七十城の民をどう安んじるか。儒者を百人集めて意見を聞いても、言うことがばらばらで決められない。そこで黄老思想に通じた蓋公の噂を聞き、礼を尽くして招きます。武勇で名を上げた人が、統治では自分の限界を認めて広く意見を求め、さらに一人の賢者を探し当てた。役割が変わったとき、過去の成功に頼らず学び直せるかが問われる場面です。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る