中庸
子曰:「舜其大知也與!舜好問而好察邇言,隱惡而揚善,執其兩端,用其中於民,其斯以為舜乎!」
新字:子曰:「舜其大知也与!舜好問而好察邇言,隠悪而揚善,執其両端,用其中於民,其斯以為舜乎!」
書き下し
子曰く、「舜(しゅん)は其れ大知なるかな。舜は問うを好みて、邇言(じげん)を察するを好む。悪を隠して善を揚(あ)げ、其の両端を執りて、其の中を民に用う。其れ斯(こ)れ以て舜と為すか」と。
現代語訳
孔子は言われた。「舜は、なんと偉大な知恵の持ち主であったことか。舜は人に問うことを好み、身近な人が語る何気ない言葉によく耳を傾けた。人の悪いところは表沙汰にせず、良いところを取り上げて世に広めた。そして議論の両極端をしっかりと押さえた上で、その中でちょうどよいところを見極め、民のために用いた。まさにこれこそが、舜が舜たるゆえんなのだろう」と。
解説
理想の帝王・舜の知恵を、中庸の実践例として描いた一段です。ここでの「大知」は物知りという意味ではありません。まず人に問い、身近な人の何気ない言葉まで丁寧に聴く。次に人の欠点を吹聴せず美点を引き出す。そして両極端の意見をきちんと把握した上で、最適な一点を選んで実行する。この三つが揃って初めて知恵と呼べるのです。特に「執其両端」が示唆的で、中庸を選ぶには、まず両極端を正確に理解していなければなりません。極論を切り捨てるのではなく、聞き切った上で判断するのです。リーダーが賛成派と反対派の言い分を両方とことん聴いた上で決断する姿は、まさにこれです。
この章句が説くこと
舜の大知執其両端傾聴隠悪揚善中庸統治
関連する章句
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段儒者にてはなし、何ぞ告子に替ることあらんや。中庸に、子曰く、舜は其れ大知なるか。舜は問ふことを好みて邇言を察し、悪を隠して善を揚げ、其の両端を執りて其の中を民に用ふ。其れ斯を以て舜と為すかと。舜は天下の善悪を受け容れ、悪を去りて善を用ひ給ふ。今世の人は我が心に済まぬことあれば、善悪を択ばず除け置くなり。孔子、舜を大知とのたまふは、何にても問ひ尋ぬることを好み、近き言葉の中にても、能く察し明め、悪しきことは隠しおき、其の中にて、能き言葉を執り用ひて、其の善の中にて、又両の端を択び、其の中にて能き言をとりて、民の上に用ひ給ふは舜なり。是を以て大知聖人なりとのたまへり。実の学問と云ふは、毫釐も私心なき所に至ることなり。孔子の如く、徳御座せども、巧言令色足恭は、左丘明之を恥づ、丘も亦之を恥づとのたまひ、又述べて作らず、信じて古を好む、
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