智囊 / 知微・龐參
龐仲達為漢陽太守,郡人任棠有奇節,隱居教授。仲達先到候之,棠不交言,但以薤一大本、水一盂置戶屏前,自抱兒孫,伏於戶下。主簿白以為倨,仲達曰:「彼欲曉太守耳,水者,欲吾清;拔大本薤者,欲吾擊強宗;抱兒當戶,欲吾開門恤孤也。」歎息而還,自是抑強扶弱,果以惠政得民。
新字:龐仲達為漢陽太守,郡人任棠有奇節,隠居教授。仲達先到候之,棠不交言,但以薤一大本、水一盂置戸屏前,自抱児孫,伏於戸下。主簿白以為倨,仲達曰:「彼欲暁太守耳,水者,欲吾清;抜大本薤者,欲吾撃強宗;抱児当戸,欲吾開門恤孤也。」嘆息而還,自是抑強扶弱,果以恵政得民。
書き下し
龐仲達は漢陽太守となった。郡人の任棠は奇節が有り、隠居して教授していた。仲達はまず到ってこれを候ったが、棠は交言せず、ただ薤の一大本と水一盂を戸の屏前に置き、自ら児孫を抱いて、戸の下に伏していた。主簿は倨と白したが、仲達は曰く、「彼は太守に曉らせようと欲しているのだ。水は、吾に清くあれと欲しているのだ。大本の薤を抜くのは、吾に強宗を撃てと欲しているのだ。児を抱いて戸に当たるのは、吾に門を開いて孤を恤めと欲しているのだ」と。歎息して還り、これより強きを抑え弱きを扶け、果たして恵政を以て民を得た。
現代語訳
龐参(字は仲達)は漢陽太守となった。郡の人の任棠は並外れた節操を持ち、隠居して教えていた。龐参はまず訪ねて会いに行ったが、任棠は言葉を交わさず、ただ薤の大きな根一つと水一杯を戸口の屏風の前に置き、自分は子や孫を抱いて戸の下に伏していた。主簿は無礼だと言ったが、龐参は言った。「あの人は私に分からせようとしているのだ。水は、私に清廉であれということ。大きな根の薤を抜いているのは、私に強い豪族を討てということ。子を抱いて戸口に当たっているのは、私に門を開いて身寄りのない子を憐れめということだ」。嘆息して帰り、それ以後、強い者を抑え弱い者を助け、はたして恵み深い政治で民の心を得た。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 曹相国世家韓信已に趙を破り、相国と為り、東のかた斉を撃つ。参右丞相を以て韓信に属し、斉の歴下の軍を攻破し、遂に臨菑を取る。還りて済北郡を定め、著・漯陰・平原・鬲・盧を攻む。已にして韓信に従ひて龍且の軍を上仮密に撃ち、大いに之を破り、龍且を斬り、其の将軍周蘭を虜にす。斉を定め、凡そ七十余県を得たり。故の斉王田広の相田光、其の守相許章、及び故の斉の膠東の将軍田既を得たり。韓信斉王と為り、兵を引きて陳に詣り、漢王と共に項羽を破る、而して参留まりて斉の未だ服せざる者を平らぐ。項籍已に死し、天下定まり、漢王皇帝と為り、韓信徙りて楚王と為り、斉は郡と為る。参漢の相印を帰す。高帝長子肥を以て斉王と為し、而して参を以て斉の相国と為す。高祖六年を以て爵列侯を賜ひ、諸侯と符を剖き、世世絶ゆること勿からしむ。食邑は平陽の万六百三十戸、号して平陽侯と曰ひ、前に食む所の邑を除く。斉の相国を以て陳豨の将張春の軍を撃ち、之を破る。黥布反く、参斉の相国を以て悼恵王に従ひて兵車騎十二万人を将ゐ、高祖と会して黥布の軍を撃ち、大いに之を破る。南のかた蘄に至り、還りて竹邑・相・蕭・留を定む。参の功は、凡そ二国を下し、県百二十二。王二人、相三人、将軍六人、大莫敖・郡守・司馬・候・御史各一人を得たり。孝恵帝元年、諸侯の相国の法を除き、更めて参を以て斉の丞相と為す。参の斉に相たるや、斉は七十城なり。天下初めて定まり、悼恵王春秋に富む、参尽く長老諸生を召し、百姓を安集する所以を問ふ、斉の故[俗]の如く諸儒百を以て数ふ、言人人殊なり、参未だ定むる所を知らず。膠西に蓋公有り、善く黄老の言を治むと聞き、人をして幣を厚くして之を請はしむ。
-
中庸子曰く、「舜(しゅん)は其れ大知なるかな。舜は問うを好みて、邇言(じげん)を察するを好む。悪を隠して善を揚(あ)げ、其の両端を執りて、其の中を民に用う。其れ斯(こ)れ以て舜と為すか」と。
-
論語・子張篇孟氏、陽膚をして士師たらしむ。曾子に問う。曾子曰く、「上其の道を失いて、民散ずること久し。如し其の情を得ば、則ち哀矜して喜ぶこと勿かれ。」
-
『政談』諸役人職分支配を分つ事御当家の御定めなきと云ふは、土地を治むる人只年貢にても取ることはかりを我か役と覚え治めと云ふことをは夢にも知らす、偶然として暮したる故なり、其の悪弊皆下より申し出てぬことは搆はぬと云たるより出てゝ、其下より申し出てぬことは搆はぬと立つることは、上は下を咎むるものとばかり覚え居る也、これによりて世上に様々の公事六ケ敷は絶えさること也、
-
史記 礼書故に堅革利兵は以て勝つと為すに足らず、高城深池は以て固しと為すに足らず、厳令繁刑は以て威と為すに足らず。其の道に由れば則ち行はれ、其の道に由らざれば則ち廃る。楚人は鮫革犀兕、以て甲と為す所、堅きこと金石の如し。宛の鉅鉄の施、鉆きこと蜂蠆の如く、軽利剽遬、卒かなること熛風の如し。然れども兵は垂涉に殆く、唐昧死す。荘蹻起こり、楚分かれて四参と為る。是れ豈に堅革利兵無からんや、其の之を統ぶる所以の者其の道に非ざるが故なり。汝潁以て険と為し、江漢以て池と為し、之を阻むに鄧林を以てし、之を縁らすに方城を以てす。然れども秦師鄢郢に至り、挙ぐること槁を振るふが若し。是れ豈に固塞険阻無からんや、其の之を統ぶる所以の者其の道に非ざるが故なり。紂は比干を剖き、箕子を囚へ、炮格を為り、無辜を刑殺し、時の臣下懍然として、其の命を必する莫し。然れども周師至りて、令下に行はれず、其の民を用ふる能はず。是れ豈に令厳ならず、刑陖ならざらんや、其の之を統ぶる所以の者其の道に非ざるが故なり。古者の兵は、戈矛弓矢のみ、然れども敵国試みるを待たずして詘す。城郭集めず、溝池掘らず、固塞樹てず、機変張らず、然れども国晏然として外を畏れずして固き者は、他の故無し、道を明らかにして之を均分し、時に使ひて誠に之を愛すれば、則ち下之に応ずること景響の如し。命に由らざる者有りて、然る後に之を俟つに刑を以てすれば、則ち民罪を知る。故に一人を刑して天下服す。罪人其の上を尤めず、罪の己に在るを知ればなり。是の故に刑罰省きて威行はるること流るるが如し、他の故無し、其の道に由るが故なり。故に其の道に由れば則ち行はれ、其の道に由らざれば則ち廃る。古者帝堯の天下を治むるや、蓋し一人を殺し二人を刑して天下治まる。伝に曰く、「威厲しくして試みず、刑措きて用ひず」と。
-
史記 平津侯主父列伝乃ち辺境の民をして獘靡愁苦して離心有らしめ、将吏相疑ひて外に市す、故に尉佗・章邯以て其の私を成すを得たり。夫れ秦の政の行はれざる所以の者は、権二子に分かるればなり、此れ得失の効なり。故に周書に曰く「安危は令を出すに在り、存亡は用ふる所に在り」と。願はくは陛下詳らかに之を察し、少しく意を加へて熟慮せよ。是の時趙人徐楽・斉人厳安倶に上書して世務を言ふ、各々一事。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る