史記 / 斉悼恵王世家
瑯邪王信之,以為然,迺馳見齊王。齊王與魏勃等因留瑯邪王,而使祝午盡發瑯邪國而并將其兵。瑯邪王劉澤既見欺,不得反國,乃說齊王曰:「齊悼惠王高皇帝長子,推本言之,而大王高皇帝適長孫也,當立。今諸大臣狐疑未有所定,而澤於劉氏最為長年,大臣固待澤決計。今大王留臣無為也,不如使我入關計事。」齊王以為然,乃益具車送瑯邪王。瑯邪王既行,齊遂舉兵西攻呂國之濟南。於是齊哀王遺諸侯王書曰:「高帝平定天下,王諸子弟,悼惠王於齊。悼惠王薨,惠帝使留侯張良立臣為齊王。惠帝崩,高后用事,春秋高,聽諸呂擅廢高帝所立,又殺三趙王,滅梁、燕、趙以王諸呂,分齊國為四。忠臣進諫,上惑亂不聽。今高后崩,皇帝春秋富,未能治天下,固恃大臣諸侯。今諸呂又擅自尊官,聚兵嚴威,劫列侯忠臣,矯制以令天下,宗廟所以危。今寡人率兵入誅不當為王者。」漢聞齊發兵而西,相國呂產乃遣大將軍灌嬰東擊之。灌嬰至滎陽,乃謀曰:「諸呂將兵居關中,欲危劉氏而自立。我今破齊還報,是益呂氏資也。」乃留兵屯滎陽,使使喻齊王及諸侯,與連和,以待呂氏之變而共誅之。
新字:瑯邪王信之,以為然,迺馳見斉王。斉王与魏勃等因留瑯邪王,而使祝午尽発瑯邪国而并将其兵。瑯邪王劉沢既見欺,不得反国,乃説斉王曰:「斉悼恵王高皇帝長子,推本言之,而大王高皇帝適長孫也,当立。今諸大臣狐疑未有所定,而沢於劉氏最為長年,大臣固待沢決計。今大王留臣無為也,不如使我入関計事。」斉王以為然,乃益具車送瑯邪王。瑯邪王既行,斉遂舉兵西攻呂国之済南。於是斉哀王遺諸侯王書曰:「高帝平定天下,王諸子弟,悼恵王於斉。悼恵王薨,恵帝使留侯張良立臣為斉王。恵帝崩,高后用事,春秋高,聴諸呂擅廃高帝所立,又殺三趙王,滅梁、燕、趙以王諸呂,分斉国為四。忠臣進諫,上惑乱不聴。今高后崩,皇帝春秋富,未能治天下,固恃大臣諸侯。今諸呂又擅自尊官,聚兵厳威,劫列侯忠臣,矯制以令天下,宗廟所以危。今寡人率兵入誅不当為王者。」漢聞斉発兵而西,相国呂産乃遣大将軍灌嬰東撃之。灌嬰至滎陽,乃謀曰:「諸呂将兵居関中,欲危劉氏而自立。我今破斉還報,是益呂氏資也。」乃留兵屯滎陽,使使喩斉王及諸侯,与連和,以待呂氏之変而共誅之。
書き下し
瑯邪王之を信じ、以て然りと為し、[迺ち]馳せて斉王に見ゆ。斉王魏勃等と因りて瑯邪王を留め、而して祝午をして尽く瑯邪国を発して并せて其の兵を将ゐしむ。瑯邪王劉沢既に欺かれ、国に反るを得ず、乃ち斉王に説きて曰く、「斉の悼恵王は高皇帝の長子なり、本を推して之を言へば、而して大王は高皇帝の適長孫なり、当に立つべし。今諸大臣狐疑して未だ定まる所有らず、而して沢は劉氏に於て最も長年為り、大臣固より沢の決計を待つ。今大王臣を留むるも為す無きなり、我をして関に入りて事を計らしむるに如かず」と。斉王以て然りと為し、乃ち益々車を具へて瑯邪王を送る。瑯邪王既に行き、斉遂に兵を挙げて西のかた呂国の済南を攻む。是に於て斉の哀王諸侯王に書を遺りて曰く、「高帝天下を平定し、諸子弟を王とし、悼恵王を斉に王とす。悼恵王薨じ、恵帝留侯張良をして臣を立てて斉王と為さしむ。恵帝崩じ、高后事を用ひ、春秋高く、諸呂の擅に高帝の立つる所を廃するを聴し、又三趙王を殺し、梁・燕・趙を滅ぼして以て諸呂を王とし、斉国を分かちて四と為す。忠臣進諫するも、上惑乱して聴かず。今高后崩じ、皇帝春秋富み、未だ天下を治むる能はず、固より大臣諸[侯]を恃む。今諸呂又擅に自ら官を尊くし、兵を聚め威を厳にし、列侯忠臣を劫かし、制を矯めて以て天下に令す、宗廟の危ふき所以なり。今寡人兵を率ゐて入りて当に王為るべからざる者を誅せん」と。漢斉の兵を発して西するを聞き、相国呂産乃ち大将軍灌嬰を遣はして東のかた之を撃たしむ。灌嬰滎陽に至り、乃ち謀りて曰く、「諸呂兵を将ゐて関中に居り、劉氏を危ふくして自立せんと欲す。我今斉を破りて還報せば、是れ呂氏の資を益すなり」と。乃ち兵を留めて滎陽に屯し、使をして斉王及び諸侯に喩さしめ、与に連和し、以て呂氏の変を待ちて共に之を誅せんとす。
現代語訳
瑯邪王はこれを信じ、もっともだと思って、(すぐに)馬を飛ばして斉王に会いに行った。斉王は魏勃らとともに瑯邪王をそのまま引き留め、祝午に瑯邪国の兵をすべて動員させて、それも合わせて率いさせた。瑯邪王劉沢は欺かれて自国に帰れなくなると、斉王に説いた。「斉の悼恵王は高皇帝の長男だ。根本にさかのぼって言えば、大王は高皇帝の嫡流の長孫であり、帝位に就くべき方だ。いま大臣たちは迷っていてまだ決めかねているが、私は劉氏の中で最も年長であり、大臣たちはもとより私の判断を待っている。いま大王が私をここに留めておいても何の役にも立たない。私を関中に入らせて事を計らせるほうがよい」。斉王はもっともだと思い、車を増やして瑯邪王を送り出した。瑯邪王が出発すると、斉はついに兵を挙げて西へ進み、呂国の済南を攻めた。このとき斉の哀王は諸侯王に書状を送って言った。「高帝は天下を平定し、子弟を王に立て、悼恵王を斉の王とした。悼恵王が亡くなると、恵帝は留侯張良に命じて私を斉王に立てさせた。恵帝が崩じると、高后が政治を執ったが、年老いて、呂氏の者たちが勝手に高帝の立てた王を廃するのを許し、また三人の趙王を殺し、梁・燕・趙を滅ぼして呂氏の者たちを王とし、斉の国を四つに分割した。忠臣が進み出て諫めても、高后は惑わされて聞き入れなかった。いま高后が崩じ、皇帝はまだ年若く、天下を治めることができず、もとより大臣や諸侯を頼みとしている。ところがいま呂氏の者たちはまた勝手に自分たちの官位を高め、兵を集めて威勢を振るい、列侯や忠臣を脅し、詔を偽って天下に命令を下している。これこそ宗廟が危うい理由である。いま私は兵を率いて都に入り、王であるべきでない者を誅する」。漢の朝廷は斉が兵を発して西へ向かったと聞き、相国呂産は大将軍灌嬰を東へ遣わして斉を攻撃させた。灌嬰は滎陽まで来ると、策を練って言った。「呂氏の者たちは兵を率いて関中におり、劉氏を危うくして自ら帝位に就こうとしている。いま私が斉を破って帰還し報告すれば、呂氏の力を増すことになる」。そこで兵を滎陽にとどめて駐屯させ、使者を遣わして斉王と諸侯に真意を伝え、互いに和を結び、呂氏が事を起こすのを待ってともに誅しようとした。
解説
関連する章句
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史記 呂太后本紀朱虚侯中より大臣と応を為さんと欲す。斉王兵を発せんと欲す、其の相聴かず。八月丙午、斉王人をして相を誅せしめんと欲す、相召平乃ち反し、兵を挙げて王を囲まんと欲す、王因りて其の相を殺し、遂に兵を発して東し、詐りて瑯邪王の兵を奪ひ、并せて之に将として西す。語は斉王の語中に在り。斉王乃ち諸侯王に書を遺りて曰く、「高帝天下を平定し、諸子弟を王とし、悼恵王斉に王たり。悼恵王薨ず、孝恵帝留侯良をして臣を立てて斉王と為さしむ。孝恵崩じ、高后事を用ゐ、春秋高く、諸呂に聴き、擅に帝を廃して更に立て、又比(しき)りに三趙王を殺し、梁・趙・燕を滅ぼして以て諸呂を王とし、斉を分かちて四と為す。忠臣進諫するも、上惑乱して聴かず。今高后崩じ、而して帝春秋富み、未だ天下を治むる能はず、固より大臣諸侯を恃む。而るに諸呂又擅に自ら官を尊くし、兵を聚めて威を厳しくし、列侯忠臣を劫かし、制を矯めて以て天下に令す、宗廟の危ふき所以なり。寡人兵を率ゐて入りて当に王たるべからざる者を誅せん。」と。漢之を聞き、相国呂産等乃ち潁陰侯灌嬰を遣はして兵を将ゐて之を撃たしむ。灌嬰滎陽に至り、乃ち謀りて曰く、「諸呂兵を関中に権(にぎ)り、劉氏を危ふくして自立せんと欲す。今我斉を破りて還り報ぜば、此れ呂氏の資を益すなり。」と。乃ち留まりて滎陽に屯し、使をして斉王及び諸侯に諭さしめ、与に連和し、以て呂氏の変を待ちて、共に之を誅せんとす。斉王之を聞き、乃ち兵を還して西界に約を待つ。呂禄・呂産乱を関中に発せんと欲す、内には絳侯・朱虚等を憚り、外には斉・楚の兵を畏れ、又灌嬰の之に畔(そむ)かんことを恐れ、灌嬰の兵の斉と合するを待ちて発せんと欲し、猶予して未だ決せず。是の時に当たりて、済川王太・淮陽王武・常山王朝は名づけて少帝の弟と為し、及び魯元王は呂后の外孫にして、皆年少くして未だ国に之かず、長安に居る。趙王禄・梁王産各々兵を将ゐて南北軍に居る、皆呂氏の人なり。
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史記 斉悼恵王世家斉王之を聞き、乃ち西のかた其の故の済南郡を取り、亦た兵を斉の西界に屯して以て約を待つ。呂禄・呂産関中に乱を作さんと欲す、朱虚侯太尉勃・丞相平等と之を誅す。朱虚侯首め先づ呂産を斬る、是に於て太尉勃等乃ち尽く諸呂を誅するを得たり。而して瑯邪王も亦た斉より長安に至る。大臣議して斉王を立てんと欲す、而して瑯邪王及び大臣曰く、「斉王の母家駟鈞は、悪戻にして、虎にして冠する者なり。方に呂氏の故を以て幾ど天下を乱さんとす、今又斉王を立つるは、是れ復た呂氏を為さんと欲するなり。代王の母家薄氏は、君子長者なり。且つ代王は又親しく高帝の子なり、今に於て見在し、且つ最も長と為す。子を以てすれば則ち順なり、善人を以てすれば則ち大臣安し」と。是に於て大臣乃ち代王を迎立せんと謀り、而して朱虚侯を遣はして呂氏を誅するの事を以て斉王に告げ、兵を罷めしむ。灌嬰滎陽に在り、魏勃の本斉王に反くことを教ふるを聞き、既に呂氏を誅し、斉の兵を罷め、使をして魏勃を召して責問せしむ。勃曰く、「失火の家、豈に先づ大人に言ひて而る後に火を救ふに暇あらんや」と。因りて退きて立ち、股戦きて栗へ、言ふ能はざらんことを恐るる者のごとく、終に他語無し。灌将軍熟視して笑ひて曰く、「人魏勃を勇と謂ふ、妄庸の人なるのみ、何ぞ能く為さんや」と。乃ち魏勃を罷む。魏勃の父は鼓琴を善くするを以て秦の皇帝に見ゆ。魏勃少き時に及び、斉の相曹参に見えんことを求むるも、家貧しくして以て自ら通ずる無く、乃ち常に独り早夜に斉の相の舎人の門外を埽ふ。相の舎人之を怪しみ、以て物と為し、而して之を伺ひ、勃を得たり。勃曰く、「相君に見えんことを願へども、因無し、故に子の為に埽ひ、以て見えんことを求めんと欲す」と。是に於て舎人勃を曹参に見えしめ、因りて以て舎人と為す。一たび参の御と為り、事を言ふ、参以て賢と為し、之を斉の悼恵王に言ふ。悼恵王召し見て、則ち拝して内史と為す。始め、悼恵王自ら二千石を置くを得たり。
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史記 斉悼恵王世家悼恵王卒して哀王立つに及び、勃事を用ひ、斉の相より重し。王既に兵を罷めて帰り、而して代王来たりて立つ、是れを孝文帝と為す。孝文帝元年、尽く高后の時に割く所の斉の城陽・瑯邪・済南郡を以て復た斉に与へ、而して瑯邪王を徙して燕に王とし、朱虚侯・東牟侯を益封すること各々二千戸。是の歳、斉の哀王卒し、太子則立つ、是れを文王と為す。斉の文王元年、漢斉の城陽郡を以て朱虚侯を立てて城陽王と為し、斉の済北郡を以て東牟侯を立てて済北王と為す。二年、済北王反く、漢之を誅殺し、地漢に入る。後二年、孝文帝尽く斉の悼恵王の子罷軍等七人を封じて皆列侯と為す。斉の文王立ちて十四年にして卒し、子無く、国除かれ、地漢に入る。後一歳、孝文帝封ずる所の悼恵王の子を以て斉を分かちて王と為す、斉の孝王将閭は悼恵王の子楊虚侯を以て斉王と為る。故の斉の別郡尽く以て悼恵王の子を王とす。子志は済北王と為り、子辟光は済南王と為り、子賢は菑川王と為り、子卬は膠西王と為り、子雄渠は膠東王と為る、城陽・斉と凡そ七王なり。斉の孝王十一年、呉王濞・楚王戊反き、兵を興して西し、諸侯に告げて曰く「将に漢の賊臣晁錯を誅して以て宗廟を安んぜんとす」と。膠西・膠東・菑川・済南皆擅に兵を発して呉楚に応ず。斉に与せんと欲す、斉の孝王狐疑し、城守して聴かず、三国の兵共に斉を囲む。斉王路中大夫をして天子に告げしむ。天子復た路中大夫をして還りて斉王に告げしむ、「善く堅守せよ、吾が兵今呉楚を破らん」と。路中大夫至るに、三国の兵臨菑を囲むこと数重、従りて入る無し。三国の将劫かして路中大夫と盟ひて曰く、「若反りて漢已に破れたりと言ひ、斉趣やかに三国に下れ、且に屠らるるを見ざれ」と。
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史記 斉悼恵王世家路中大夫既に之を許し、城下に至り、斉王を望見して、曰く、「漢已に兵百万を発し、太尉周亜夫をして呉楚を撃破せしめ、方に兵を引きて斉を救はんとす、斉必ず堅守して下ること無かれ」と。三国の将路中大夫を誅す。斉初め囲まれて急なり、陰かに三国と通謀し、約未だ定まらず、会々路中大夫の漢より来たるを聞き、喜び、其の大臣に及びて乃ち復た王に三国に下ること毋からんことを勧む。居ること何くも無く、漢の将欒布・平陽侯等の兵斉に至り、三国の兵を撃破し、斉の囲みを解く。已にして復た斉の初め三国と謀有るを聞き、将に兵を移して斉を伐たんとす。斉の孝王懼れ、乃ち薬を飲みて自殺す。景帝之を聞き、以為へらく斉は首め善なり、迫劫を以て謀有り、其の罪に非ざるなりと、乃ち孝王の太子寿を立てて斉王と為す、是れを懿王と為す、斉の後を続がしむ。而して膠西・膠東・済南・菑川の王咸誅滅せられ、地漢に入る。済北王を徙して菑川に王とす。斉の懿王立ちて二十二年にして卒し、子次景立つ、是れを厲王と為す。斉の厲王、其の母を紀太后と曰ふ。太后其の弟紀氏の女を取りて厲王の后と為す。王紀氏の女を愛せず。太后其の家の重寵ならんことを欲し、其の長女紀翁主をして王宮に入り、其の後宮を正さしめ、王に近づくを得しむる毋からしめ、紀氏の女を愛せしめんと欲す。王因りて其の姊翁主と姦す。斉に宦者徐甲有り、入りて漢の皇太后に事ふ。皇太后に愛女有り修成君と曰ふ、修成君は劉氏に非ず、太后之を憐れむ。修成君に女有り名は娥、太后之を諸侯に嫁せんと欲す、宦者甲乃ち斉に使ひせんことを請ひ、必ず王をして上書して娥を請はしめんとす。皇太后喜び、甲をして斉に之かしむ。是の時斉人主父偃甲の斉に使ひして以て后を取るの事を知り、亦た因りて甲に謂ふ、「即し事成らば、幸はくは偃の女後宮に充たるを得んことを願ふと言へ」と。甲既に斉に至り、風するに此の事を以てす。紀太后大いに怒りて曰く、「王に后有り、後宮具備す。
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史記 呂太后本紀列侯群臣自ら其の命を堅くする莫し。太尉絳侯勃軍中に入りて兵を主るを得ず。曲周侯酈商老い病み、其の子寄呂禄と善し。絳侯乃ち丞相陳平と謀り、人をして酈商を劫かさしむ。其の子寄をして往きて紿(あざむ)きて呂禄に説かしめて曰く、「高帝呂后と共に天下を定む、劉氏の立つる所の九王、呂氏の立つる所の三王、皆大臣の議なり、事已に諸侯に布告し、諸侯皆以て宜しと為す。今太后崩じ、帝少し、而して足下趙王の印を佩び、急ぎ国に之きて藩を守らず、乃ち上将と為り、兵を将ゐて此に留まる、大臣諸侯の疑ふ所と為る。足下何ぞ印を帰し、兵を以て太尉に属せざる。請ふ梁王をして相国の印を帰し、大臣と盟ひて国に之かしめば、斉の兵必ず罷め、大臣安んずるを得、足下枕を高くして千里に王たらん、此れ万世の利なり。」と。呂禄信に其の計を然りとし、将の印を帰し、兵を以て太尉に属せんと欲す。人をして呂産及び諸呂の老人に報ぜしむ、或いは以て便と為し、或いは便ならずと曰ひ、計猶予して未だ決する所有らず。呂禄酈寄を信じ、時に与に出でて游猟す。其の姑呂嬃を過ぐ、嬃大いに怒りて、曰く、「若将と為りて軍を棄つ、呂氏今に処無からん。」と。乃ち悉く珠玉宝器を出だして堂下に散じて、曰く、「他人の為に守る毋からん。」と。左丞相食其免ぜらる。八月庚申の旦、平陽侯窋御史大夫の事を行ひ、相国産に見えて事を計る。郎中令賈寿使ひして斉より来り、因りて産を数めて曰く、「王蚤く国に之かず、今行かんと欲すと雖も、尚ほ得べけんや。」と。具に灌嬰の斉楚と合従し、諸呂を誅せんと欲するを以て産に告げ、乃ち産を趣して急ぎ宮に入らしむ。平陽侯頗る其の語を聞き、乃ち馳せて丞相・太尉に告ぐ。太尉北軍に入らんと欲す、入るを得ず。襄平侯通符節を尚(つかさど)る。乃ち節を持して矯りて太尉を北軍に内(い)れしむ。
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史記 樊酈滕灌列伝復た従ひて韓信の胡騎を晋陽の下に撃ち、将ゐる所の卒胡の白題の将一人を斬る。詔を受けて燕・趙・斉・梁・楚の車騎を并せ将ゐ、胡騎を硰石に撃破す。平城に至り、胡の囲む所と為り、従ひて還りて東垣に軍す。従ひて陳豨を撃ち、詔を受けて別れて豨の丞相侯敞の軍を曲逆の下に攻め、之を破り、卒に敞及び特将五人を斬る。曲逆・盧奴・上曲陽・安国・安平を降す。東垣を攻め下す。黥布反し、車騎将軍を以て先づ出で、布の別将を相に攻め、之を破り、亜将・楼煩の将三人を斬る。又進みて布の上柱国の軍及び大司馬の軍を撃破す。又進みて布の別将肥誅を破る。嬰身ら左司馬一人を生け得、将ゐる所の卒其の小将十人を斬り、北ぐるを追ひて淮上に至る。二千五百戸を益食す。布已に破れ、高帝帰り、定めて嬰をして潁陰の五千戸に食ましめ、前に食む所の邑を除く。凡そ従ひて二千石二人を得、別れて軍を破ること十六、城を降すこと四十六、国一・郡二・県五十二を定め、将軍二人、柱国・相国各一人、二千石十人を得。嬰布を破りて帰りしより、高帝崩じ、嬰列侯を以て孝恵帝及び呂太后に事ふ。太后崩じ、呂禄等趙王を以て自ら置きて将軍と為り、長安に軍し、乱を為す。斉の哀王之を聞き、兵を挙げて西し、且に入りて当に王たるべからざる者を誅せんとす。上将軍呂禄等之を聞き、乃ち嬰を遣はして大将と為し、軍を将ゐて往きて之を撃たしむ。嬰行きて滎陽に至り、乃ち絳侯等と謀り、因りて兵を滎陽に屯し、斉王に風するに呂氏を誅するの事を以てし、斉の兵止まりて前まず。絳侯等既に諸呂を誅し、斉王兵を罷めて帰り、嬰も亦た兵を罷めて滎陽より帰り、絳侯・陳平と共に代王を立てて孝文皇帝と為す。孝文皇帝是に於て嬰に三千戸を益封し、黄金千斤を賜ひ、拝して太尉と為す。
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