史記 / 陳渉世家
陳王出,遮道而呼涉。陳王聞之,乃召見,載與俱歸。入宮,見殿屋帷帳,客曰:「夥頤!涉之為王沈沈者!」楚人謂多為夥,故天下傳之,夥涉為王,由陳涉始。客出入愈益發舒,言陳王故情。或說陳王曰:「客愚無知,顓妄言,輕威。」陳王斬之。諸陳王故人皆自引去,由是無親陳王者。陳王以朱房為中正,胡武為司過,主司群臣。諸將徇地,至,令之不是者,系而罪之,以苛察為忠。其所不善者,弗下吏,輒自治之。陳王信用之。諸將以其故不親附,此其所以敗也。陳勝雖已死,其所置遣侯王將相竟亡秦,由涉首事也。高祖時為陳涉置守冢三十家碭,至今血食。褚先生曰:地形險阻,所以為固也;兵革刑法,所以為治也。猶未足恃也。夫先王以仁義為本,而以固塞文法為枝葉,豈不然哉!吾聞賈生之稱曰:
新字:陳王出,遮道而呼渉。陳王聞之,乃召見,載与倶帰。入宮,見殿屋帷帳,客曰:「夥頤!渉之為王沈沈者!」楚人謂多為夥,故天下伝之,夥渉為王,由陳渉始。客出入愈益発舒,言陳王故情。或説陳王曰:「客愚無知,顓妄言,軽威。」陳王斬之。諸陳王故人皆自引去,由是無親陳王者。陳王以朱房為中正,胡武為司過,主司群臣。諸将徇地,至,令之不是者,系而罪之,以苛察為忠。其所不善者,弗下吏,輒自治之。陳王信用之。諸将以其故不親附,此其所以敗也。陳勝雖已死,其所置遣侯王将相竟亡秦,由渉首事也。高祖時為陳渉置守冢三十家碭,至今血食。褚先生曰:地形険阻,所以為固也;兵革刑法,所以為治也。猶未足恃也。夫先王以仁義為本,而以固塞文法為枝葉,豈不然哉!吾聞賈生之称曰:
書き下し
陳王出づ、道を遮りて渉と呼ぶ。陳王之を聞き、乃ち召し見え、載せて与に倶に帰る。宮に入り、殿屋帷帳を見て、客曰く、「夥頤、渉の王為るや沈沈たる者なり」と。楚人多を謂ひて夥と為す、故に天下之を伝へ、夥渉王と為るは、陳渉より始まる。客出入すること愈々益々発舒し、陳王の故情を言ふ。或ひと陳王に説きて曰く、「客は愚にして知る無く、顓ら妄言し、威を軽んず」と。陳王之を斬る。諸々の陳王の故人皆自ら引きて去り、是に由りて陳王に親しむ者無し。陳王、朱房を以て中正と為し、胡武を司過と為し、群臣を主司せしむ。諸将地を徇へ、至るに、之に令して是ならざる者は、系ぎて之を罪し、苛察を以て忠と為す。其の善からざる所の者は、吏に下さず、輒ち自ら之を治む。陳王之を信用す。諸将其の故を以て親附せず、此れ其の敗るる所以なり。陳勝已に死すと雖も、其の置遣する所の侯王将相竟に秦を亡ぼす、渉の事を首むるに由るなり。高祖の時、陳渉の為に守冢三十家を碭に置く、今に至るまで血食す。褚先生曰く、地形の険阻は、固めと為す所以なり。兵革刑法は、治むることを為す所以なり。猶ほ未だ恃むに足らざるなり。夫れ先王は仁義を以て本と為し、而して固塞文法を以て枝葉と為す、豈に然らずや。吾聞く、賈生の称に曰く、
現代語訳
陳王が外出すると、その男は道をふさいで「渉」と呼びかけた。陳王はそれを聞いて呼び寄せて会い、車に乗せて一緒に帰った。宮殿に入り、御殿や帳を見ると、客は言った。「すごいもんだ。渉は王さまになって、なんとまあ奥深い御殿に住んでいることか」。楚の人は多いことを「夥(か)」という。だから天下にこの話が伝わり、「夥渉が王になった」という言い回しは陳渉から始まった。客は出入りするうちにますます遠慮がなくなり、陳王の昔のことを言いふらした。ある者が陳王に説いて言った。「あの客は愚かで無知で、でたらめばかり言い、王の威厳を損なっている」。陳王は彼を斬った。陳王の旧知の者たちはみな自ら身を引いて去り、それ以来、陳王に親しむ者はいなくなった。陳王は朱房を中正(人事を監察する官)とし、胡武を司過(過失を取り締まる官)とし、群臣を監督させた。諸将が各地を攻略して戻ってくると、二人は命令に従わなかった者を捕らえて罪に問い、厳しく細かく詮索することを忠義としていた。気に入らない者は役人に引き渡さず、すぐに自分たちで裁いた。陳王はこの二人を信用した。諸将はそのために陳王に親しまず、心を寄せなくなった。これが陳王の敗れた理由である。陳勝はすでに死んだが、彼が立てたり派遣したりした侯王や将相たちは、ついに秦を滅ぼした。それは陳渉が最初に事を起こしたからである。高祖の時代に、陳渉のために墓守の家三十戸を碭に置き、今に至るまで祭りが絶えない。褚先生(褚少孫)は言う。地形が険しいことは、国を固めるためのものである。武器や刑法は、国を治めるためのものである。しかし、それでもまだ頼りにするには足りない。そもそも先王は仁義を根本とし、要害や法令を枝葉としたが、まことにそのとおりではないか。私は賈生(賈誼)がこう称えたと聞いている。
解説
関連する章句
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史記 陳渉世家秦嘉命を受けず、嘉自ら立ちて大司馬と為り、武平君に属するを悪む。軍吏に告げて曰く、「武平君は年少く、兵事を知らず、聴くこと勿かれ」と。因りて矯めて王命を以て武平君畔を殺す。章邯已に伍徐を破り、陳を撃つ、柱国房君死す。章邯又兵を進めて陳の西の張賀の軍を撃つ。陳王出でて戦を監す、軍破れ、張賀死す。臘月、陳王汝陰に之き、還りて下城父に至る、其の御荘賈殺して以て秦に降る。陳勝碭に葬られ、謚して隠王と曰ふ。陳王の故の涓人将軍呂臣倉頭軍と為り、新陽に起こり、陳を攻めて之を下し、荘賈を殺し、復た陳を以て楚と為す。初め、陳王陳に至り、銍の人宋留をして兵を将ゐて南陽を定め、武関に入らしむ。留已に南陽を徇へしも、陳王の死を聞き、南陽復た秦と為る。宋留武関に入る能はず、乃ち東して新蔡に至り、秦軍に遇ひ、宋留軍を以て秦に降る。秦留を伝へて咸陽に至らしめ、留を車裂して以て徇ふ。秦嘉等陳王の軍破れて出走するを聞き、乃ち景駒を立てて楚王と為し、兵を引きて方与に之き、秦軍を定陶の下に撃たんと欲す。公孫慶をして斉王に使ひせしめ、与に力を并せて俱に進まんと欲す。斉王曰く、「陳王戦ひ敗れ、其の死生を知らずと聞く、楚安んぞ請はずして王を立つるを得んや」と。公孫慶曰く、「斉は楚に請はずして王を立つ、楚何の故に斉に請ひて王を立てんや。且つ楚は事を首む、当に天下に令すべし」と。田儋公孫慶を誅殺す。秦の左右の校復た陳を攻め、之を下す。呂将軍走り、兵を収めて復た聚む。鄱の盗当陽君黥布の兵と相収め、復た秦の左右の校を撃ち、之を青波に破り、復た陳を以て楚と為す。会々項梁懐王の孫心を立てて楚王と為す。陳勝王たること凡そ六月。已に王と為り、陳に王たり。其の故人の嘗て与に庸耕せし者之を聞き、陳に之き、宮門を扣きて曰く、「吾渉に見えんと欲す」と。宮門の令之を縛せんと欲す。自ら辯ずること数々にして、乃ち置く、肯へて為に通ぜず。
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史記 張耳陳余列伝秦詔書もて両人を購ひ求む。両人亦反って門者を用ひて以て里中に令す。陳渉蘄に起こり、陳に入るに至りて、兵数万。張耳・陳餘陳渉に上謁す。渉及び左右生平数々張耳・陳餘の賢を聞くも、未だ嘗て見ず。見て即ち大いに喜ぶ。陳中の豪傑父老乃ち陳渉に説きて曰く、「将軍身に堅を被り鋭を執り、士卒を率ゐて以て暴秦を誅し、復た楚の社稷を立て、亡を存し絶を継ぐ。功徳宜しく王たるべし。且つ夫れ天下の諸将を監臨するに、王と為らずんば可ならず。願はくは将軍立ちて楚王と為れ」と。陳渉此の両人に問ふ。両人対へて曰く、「夫れ秦は無道を為し、人の国家を破り、人の社稷を滅ぼし、人の後世を絶ち、百姓の力を罷らし、百姓の財を尽くす。将軍目を瞋らし胆を張り、万死を出でて一生を顧みざるの計を出だし、天下の為に残を除く。今始めて陳に至りて之に王たらば、天下に私を示さん。願はくは将軍王たる毋く、急ぎ兵を引きて西し、人を遣はして六国の後を立て、自ら党を樹て、秦の為に敵を益せ。敵多ければ則ち力分かれ、与衆ければ則ち兵彊し。此の如くんば野に交兵無く、県に守城無く、暴秦を誅し、咸陽に拠りて以て諸侯に令す。諸侯亡びて立つを得、徳を以て之を服す。此の如くんば則ち帝業成らん。今独り陳に王たらば、恐らくは天下解けん」と。陳渉聴かず、遂に立ちて王と為る。陳餘乃ち復た陳王に説きて曰く、「大王梁・楚を挙げて西し、務めは関に入るに在り。未だ河北を収むるに及ばず。臣嘗て趙に游び、其の豪桀及び地形を知る。願はくは奇兵を請ひて北のかた趙の地を略せん」と。是に於て陳王故の善くする所の陳人武臣を以て将軍と為し、邵騒を護軍と為し、張耳・陳餘を以て左右校尉と為し、卒三千人を予へ、北のかた趙の地を略せしむ。武臣等白馬より河を渡り、諸県に至り、其の豪桀に説きて曰く、「秦は乱政虐刑を為して以て天下を残賊すること、数十年なり。
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史記 陳渉世家尉剣挺く、広起ちて、奪ひて尉を殺す。陳勝之を佐け、并せて両尉を殺す。徒属を召し令して曰く、「公等雨に遇ひ、皆已に期を失ふ、期を失へば当に斬らるべし。藉弟令ひ斬らるること毋きも、戍りて死する者は固より十に六七なり。且つ壮士は死せずんば即ち已む、死せば即ち大名を挙げんのみ、王侯将相寧んぞ種有らんや」と。徒属皆曰く、「敬んで命を受けん」と。乃ち詐りて公子扶蘇・項燕と称す、民の欲に従ふなり。右を袒ぎ、大楚と称す。壇を為りて盟ひ、祭るに尉の首を以てす。陳勝自ら立ちて将軍と為り、呉広は都尉と為る。大沢郷を攻め、収めて蘄を攻む。蘄下り、乃ち符離の人葛嬰をして兵を将ゐて蘄より以東を徇へしむ。銍・酇・苦・柘・譙を攻めて皆之を下す。行くゆく兵を収む。陳に至る比、車六七百乗、騎千余、卒数万人。陳を攻む、陳の守令皆在らず、独り守丞と譙門の中に戦ふ。勝たず、守丞死す、乃ち入りて陳に拠る。数日にして、号令して三老・豪傑を召し与に皆来たりて事を会計せしむ。三老・豪傑皆曰く、「将軍身は堅を被り鋭を執り、無道を伐ち、暴秦を誅し、復た楚国の社稷を立つ、功宜しく王と為るべし」と。陳渉乃ち立ちて王と為り、号して張楚と為す。此の時に当たり、諸郡県の秦吏に苦しむ者、皆其の長吏を刑し、之を殺して以て陳渉に応ず。乃ち呉叔を以て仮王と為し、諸将を監して以て西のかた滎陽を撃たしむ。陳の人武臣・張耳・陳余をして趙の地を徇へしめ、汝陰の人鄧宗をして九江郡を徇へしむ。此の時に当たり、楚兵数千人にして聚を為す者、勝げて数ふべからず。葛嬰東城に至り、襄彊を立てて楚王と為す。嬰後に陳王の已に立つを聞き、因りて襄彊を殺し、還りて報ず。陳に至る、陳王葛嬰を誅殺す。陳王、魏の人周市をして北のかた魏の地を徇へしむ。呉広滎陽を囲む。李由三川の守為り、滎陽を守る、呉叔下す能はず。陳王国の豪傑を徴して与に計り、上蔡の人房君蔡賜を以て上柱国と為す。
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史記 陳渉世家陳勝は、陽城の人なり、字は渉。呉広は、陽夏の人なり、字は叔。陳渉少き時、嘗て人と傭耕す。耕すを輟めて壟上に之き、悵恨すること之を久しくして、曰く、「苟も富貴とならば、相忘るること無からん」と。傭者笑ひて応へて曰く、「若は庸耕を為す、何ぞ富貴ならんや」と。陳渉太息して曰く、「嗟乎、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と。二世元年七月、閭左を発して漁陽に適戍せしむ、九百人大沢郷に屯す。陳勝・呉広皆次として当に行くべし、屯長と為る。会々天大いに雨ふり、道通ぜず、度るに已に期を失ふ。期を失へば、法として皆斬らる。陳勝・呉広乃ち謀りて曰く、「今亡ぐるも亦た死し、大計を挙ぐるも亦た死す、等しく死せば、国に死するは可ならんか」と。陳勝曰く、「天下秦に苦しむこと久し。吾聞く、二世は少子なり、当に立つべからず、当に立つべき者は乃ち公子扶蘇なりと。扶蘇は数々諫むるの故を以て、上外に兵を将ゐしむ。今或いは聞く、罪無きに、二世之を殺すと。百姓多く其の賢を聞くも、未だ其の死を知らざるなり。項燕は楚の将為り、数々功有り、士卒を愛す、楚人之を憐れむ。或いは以て死せりと為し、或いは以て亡げたりと為す。今誠に吾が衆を以て詐りて公子扶蘇・項燕と自称し、天下の唱へを為さば、宜しく応ずる者多かるべし」と。呉広以て然りと為す。乃ち行きて卜す。卜者其の指意を知り、曰く、「足下の事皆成り、功有らん。然れども足下之を鬼に卜せよ」と。陳勝・呉広喜び、鬼を念ひて、曰く、「此れ我に先づ衆を威せよと教ふるのみ」と。乃ち丹もて帛に書して「陳勝王たらん」と曰ひ、人の罾する所の魚の腹中に置く。卒魚を買ひて烹て食ひ、魚の腹中の書を得て、固より以て之を怪しむ。又、間に呉広をして次所の旁の叢祠の中に之かしめ、夜篝火し、狐鳴して呼びて曰く「大楚興り、陳勝王たらん」と。卒皆夜驚き恐る。旦日、卒中往往に語り、皆陳勝を指目す。呉広素より人を愛し、士卒多く用を為す者あり。将尉酔ふ、広故らに数々亡げんと欲すと言ひ、尉を忿恚せしめ、之を辱めしめ、以て其の衆を激怒せしむ。尉果たして広を笞うつ。
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史記 陳渉世家周文は、陳の賢人なり、嘗て項燕の軍の視日と為り、春申君に事ふ、自ら兵を習ふと言ふ、陳王之に将軍の印を与へ、西のかた秦を撃たしむ。行くゆく兵を収めて関に至る、車千乗、卒数十万、戯に至り、焉に軍す。秦、少府章邯をして酈山の徒・人奴産子の生を免じ、悉く発して以て楚の大軍を撃たしめ、尽く之を敗る。周文敗れ、走りて関を出で、曹陽に止次すること二三月。章邯追ひて之を敗る、復た走りて澠池に次すること十余日。章邯撃ちて、大いに之を破る。周文自剄し、軍遂に戦はず。武臣邯鄲に到り、自ら立ちて趙王と為る、陳余は大将軍と為り、張耳・召騒は左右の丞相と為る。陳王怒り、武臣等の家室を捕系し、之を誅せんと欲す。柱国曰く、「秦未だ亡びざるに趙王将相の家属を誅するは、此れ一秦を生ずるなり。因りて之を立つるに如かず」と。陳王乃ち使者を遣はして趙を賀し、武臣等の家属を宮中に徙系し、耳の子張敖を封じて成都君と為し、趙の兵を趣して亟やかに関に入らしむ。趙王の将相相与に謀りて曰く、「王の趙に王たるは、楚の意に非ざるなり。楚已に秦を誅せば、必ず兵を趙に加へん。計は西に兵すること毋く、使をして北のかた燕の地を徇へしめて以て自ら広むるに如くは莫し。趙南は大河に拠り、北は燕・代有り、楚秦に勝つと雖も、敢へて趙を制せず。若し楚秦に勝たずんば、必ず趙を重んぜん。趙秦の獘に乗じ、以て志を天下に得べし」と。趙王以て然りと為し、因りて西に兵せず、而して故の上谷の卒史韓広をして兵を将ゐて北のかた燕の地を徇へしむ。燕の故の貴人豪傑韓広に謂ひて曰く、「楚已に王を立て、趙も又已に王を立つ。燕は小なりと雖も、亦た万乗の国なり、願はくは将軍立ちて燕王と為れ」と。韓広曰く、「広の母趙に在り、不可なり」と。燕人曰く、「趙は方に西に秦を憂ひ、南に楚を憂ふ、其の力我を禁ずる能はず。且つ楚の彊を以てするも、敢へて趙王将相の家を害せず、趙独り安んぞ敢へて将軍の家を害せんや」と。
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『長短経』覇図漢の高祖、名は邦、字は季、姓は劉氏。沛国豊邑の人、泗上の亭長と為る。陳勝等起こり、勝、自立して楚王と為る。〈張耳・陳余、諫めて曰く「将軍は万死の計を出し、天下の為に害を除く。今、始めて陳に至りて、自立して王と為るは、是れ天下に私を示すなり。六国の後を立て、自ら樹党を為し、師を進めて西せば、則ち野に交兵無く、城に守墻無からん。暴秦を誅し、咸陽に拠りて、以て諸侯に令せば、天下図る可きなり」と。勝、聴かず。〉
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