史記 / 田敬仲完世家
晉之大夫欒逞作亂於晉,來奔齊,齊莊公厚客之。晏嬰與田文子諫,莊公弗聽。文子卒,生桓子無宇。田桓子無宇有力,事齊莊公,甚有寵。無宇卒,生武子開與釐子乞。田釐子乞事齊景公爲大夫,其收賦稅於民以小斗受之,其稟予民以大斗,行陰德於民,而景公弗禁。由此田氏得齊衆心,宗族益彊,民思田氏。晏子數諫景公,景公弗聽。已而使於晉,與叔向私語曰:「齊國之政卒歸於田氏矣。」晏嬰卒後,范、中行氏反晉。晉攻之急,范、中行請粟於齊。田乞欲爲亂,樹黨於諸侯,乃説景公曰:「范、中行數有德於齊,齊不可不救。」齊使田乞救之而輸之粟。景公太子死,後有寵姬曰芮子,生子荼。景公病,命其相國惠子與髙昭子以子荼爲太子。景公卒,兩相髙、國立荼,是爲晏孺子。而田乞不説,欲立景公他子陽生。陽生素與乞歡。晏孺子之立也,陽生奔魯。田乞偽事髙昭子、國惠子者,毎朝代參乘,言曰:「始諸大夫不欲立孺子。孺子旣立,君相之,大夫皆自危,謀作亂。」又紿大夫曰:「髙昭子可畏也,及未發先之。」諸大夫從之。田乞、鮑牧與大夫以兵入公室,攻髙昭子。昭子聞之,與國惠子救公。公師敗。田乞之衆追國惠子,惠子奔莒,遂返殺髙昭子。
新字:晋之大夫欒逞作乱於晋,来奔斉,斉荘公厚客之。晏嬰与田文子諫,荘公弗聴。文子卒,生桓子無宇。田桓子無宇有力,事斉荘公,甚有寵。無宇卒,生武子開与釐子乞。田釐子乞事斉景公為大夫,其収賦税於民以小斗受之,其稟予民以大斗,行陰徳於民,而景公弗禁。由此田氏得斉衆心,宗族益彊,民思田氏。晏子数諫景公,景公弗聴。已而使於晋,与叔向私語曰:「斉国之政卒帰於田氏矣。」晏嬰卒後,范、中行氏反晋。晋攻之急,范、中行請粟於斉。田乞欲為乱,樹党於諸侯,乃説景公曰:「范、中行数有徳於斉,斉不可不救。」斉使田乞救之而輸之粟。景公太子死,後有寵姫曰芮子,生子荼。景公病,命其相国恵子与高昭子以子荼為太子。景公卒,両相高、国立荼,是為晏孺子。而田乞不説,欲立景公他子陽生。陽生素与乞歓。晏孺子之立也,陽生奔魯。田乞偽事高昭子、国恵子者,毎朝代参乗,言曰:「始諸大夫不欲立孺子。孺子既立,君相之,大夫皆自危,謀作乱。」又紿大夫曰:「高昭子可畏也,及未発先之。」諸大夫従之。田乞、鮑牧与大夫以兵入公室,攻高昭子。昭子聞之,与国恵子救公。公師敗。田乞之衆追国恵子,恵子奔莒,遂返殺高昭子。
書き下し
晋の大夫欒逞、乱を晋に作し、来りて斉に奔る。斉の荘公厚く之を客とす。晏嬰と田文子と諫むれども、荘公聴かず。文子卒し、桓子無宇を生む。田桓子無宇力有り。斉の荘公に事へ、甚だ寵有り。無宇卒し、武子開と釐子乞とを生む。田釐子乞、斉の景公に事へて大夫と為る。其の賦税を民に収むるには小斗を以て之を受け、其の稟を民に予ふるには大斗を以てし、陰徳を民に行ふ。而るに景公禁ぜず。此に由りて田氏斉の衆心を得、宗族益々彊く、民田氏を思ふ。晏子数々景公を諫むれども、景公聴かず。已にして晋に使ひし、叔向と私かに語りて曰く、「斉国の政は卒に田氏に帰せん」と。晏嬰卒して後、范・中行氏晋に反く。晋之を攻むること急なり。范・中行、粟を斉に請ふ。田乞乱を為さんと欲し、党を諸侯に樹つ。乃ち景公に説きて曰く、「范・中行数々斉に徳有り。斉救はざるべからず」と。斉田乞をして之を救ひて之に粟を輸らしむ。景公の太子死す。後に寵姫有り芮子と曰ふ。子荼を生む。景公病み、其の相国恵子と高昭子とに命じて子荼を以て太子と為さしむ。景公卒す。両相の高・国、荼を立つ、是を晏孺子と為す。而るに田乞説ばず、景公の他の子陽生を立てんと欲す。陽生素より乞と歓ぶ。晏孺子の立つや、陽生魯に奔る。田乞偽りて高昭子・国恵子に事ふる者、朝する毎に参乗に代はり、言ひて曰く、「始め諸大夫孺子を立つるを欲せず。孺子既に立ち、君之に相たり。大夫皆自ら危ぶみ、乱を作さんと謀る」と。又大夫を紿きて曰く、「高昭子畏るべきなり。未だ発せざるに及びて之に先んぜよ」と。諸大夫之に従ふ。田乞・鮑牧、大夫と兵を以て公室に入り、高昭子を攻む。昭子之を聞き、国恵子と公を救ふ。公の師敗る。田乞の衆国恵子を追ふ。恵子莒に奔る。遂に返りて高昭子を殺す。
現代語訳
晋の大夫欒逞(らんてい)が晋で乱を起こし、斉に亡命してきた。斉の荘公は彼を手厚く客として遇した。晏嬰(あんえい)と田文子が諫めたが、荘公は聞き入れなかった。文子が死んだ。文子は桓子無宇(むう)を生んでいた。田桓子無宇は力が強く、斉の荘公に仕えてたいへん寵愛された。無宇が死んだ。無宇は武子開(かい)と釐子乞(きつ)を生んでいた。田釐子乞は斉の景公に仕えて大夫となった。彼は民から税を取り立てるときは小さな枡で受け取り、民に穀物を貸し与えるときは大きな枡で量って与え、ひそかに民に恩を施した。しかし景公はこれを禁じなかった。これによって田氏は斉の民衆の心をつかみ、一族はますます強くなり、民は田氏を慕った。晏子はたびたび景公を諫めたが、景公は聞き入れなかった。やがて晏子は晋に使いしたとき、叔向とひそかに語って言った。「斉の国の政治は、結局田氏のものになるだろう」。晏嬰が死んだ後、范氏・中行氏が晋に背いた。晋が激しく攻めたので、范氏・中行氏は斉に穀物の援助を求めた。田乞は乱を起こそうとして、諸侯の間に味方を作っておこうと考えた。そこで景公に説いた。「范氏・中行氏はたびたび斉に恩を施してくれた。斉は救わないわけにはいかない」。斉は田乞に彼らを救わせ、穀物を送らせた。景公の太子が死んだ。その後、寵愛する側室に芮子(ぜいし)という者がいて、荼(と)という子を生んだ。景公は病気になり、宰相の国恵子と高昭子に命じて荼を太子に立てさせた。景公が死ぬと、二人の宰相の高氏・国氏は荼を君主に立てた。これが晏孺子(あんじゅし)である。しかし田乞はこれを喜ばず、景公の別の子の陽生(ようせい)を立てようとした。陽生はもともと田乞と親しかった。晏孺子が立つと、陽生は魯に逃れた。田乞は高昭子・国恵子に仕えるふりをして、朝廷に出るたびに(護衛の)陪乗役を買って出て、こう言った。「初め大夫たちは孺子を立てることを望んでいなかった。孺子が立った今、あなた方が宰相として補佐しておられるので、大夫たちはみな身の危険を感じ、乱を起こそうと謀っている」。また大夫たちを欺いて言った。「高昭子は恐ろしい人だ。彼が事を起こす前に、先手を打つべきだ」。大夫たちはこれに従った。田乞と鮑牧(ほうぼく)は大夫たちと兵を率いて公宮に入り、高昭子を攻めた。昭子はこれを聞いて、国恵子と共に君主を救おうとしたが、君主の軍は敗れた。田乞の軍勢は国恵子を追い、恵子は莒に逃れた。田乞らは引き返して高昭子を殺した。
解説
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史記 斉太公世家田乞、乱を為さんと欲し、党を逆臣に樹て、景公に説きて曰く、「范・中行は数々斉に徳有り、救はざる可からず」と。乞をして救ひて之に粟を輸らしむるに及ぶ。五十八年夏、景公の夫人燕姫の適子死す。景公の寵妾芮姫、子荼を生む。荼少く、其の母賤しく、行無し。諸大夫其の嗣と為らんことを恐れ、乃ち諸子の長にして賢なる者を択びて太子と為さんことを願ふと言ふ。景公老い、嗣の事を言ふを悪み、又荼の母を愛し、之を立てんと欲するも、之を口に発するを憚り、乃ち諸大夫に謂ひて曰く、「楽しみを為さんのみ。国何ぞ君無きを患へんや」と。秋、景公病み、国恵子・高昭子に命じて少子荼を立てて太子と為し、群公子を逐ひて、之を萊に遷さしむ。景公卒し、太子荼立つ。是れを晏孺子と為す。冬、未だ葬らずして、群公子誅せらるるを畏れ、皆出で亡ぐ。荼の諸々の異母兄公子寿・駒・黔は衛に奔り、公子駔・陽生は魯に奔る。萊人之を歌ひて曰く、「景公死せるも与に埋めず、三軍の事にも与に謀らず。師や師や、胡ぞ之に党せんや」と。晏孺子の元年春、田乞、偽りて高・国に事ふる者のごとくし、朝する毎に、乞驂乗して、言ひて曰く、「子君を得たり。大夫皆自ら危ぶみ、乱を作さんと謀らんと欲す」と。又諸大夫に謂ひて曰く、「高昭子は畏る可し。未だ発せざるに及びて、之に先んぜよ」と。大夫之に従ふ。六月、田乞・鮑牧乃ち大夫と兵を以て公宮に入り、高昭子を攻む。昭子之を聞き、国恵子と公を救ふ。公の師敗る。田乞の徒之を追ふ。国恵子莒に奔る。遂に反りて高昭子を殺す。晏圉、魯に奔る。八月、斉の秉意茲。田乞、二相を敗り、乃ち人をして魯に之きて公子陽生を召さしむ。陽生斉に至り、私かに田乞の家に匿る。十月戊子、田乞、諸大夫に請ひて曰く、「常の母、魚菽の祭有り。幸ひに来りて会飲せよ」と。会飲す。田乞、陽生を橐の中に盛り、坐の中央に置き、橐を発きて陽生を出して、曰く、「此れ乃ち斉の君なり」と。大夫皆伏して謁す。
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史記 田敬仲完世家晏圉魯に奔る。田乞人をして魯に之かしめ、陽生を迎ふ。陽生斉に至り、田乞の家に匿る。諸大夫に請ひて曰く、「常の母に魚菽の祭有り。幸ひにして来りて会飲せよ」と。田氏に会飲す。田乞陽生を橐中に盛り、坐の中央に置く。橐を発き、陽生を出だして曰く、「此れ乃ち斉君なり」と。大夫皆伏して謁す。将に盟ひて之を立てんとす。田乞誣ひて曰く、「吾鮑牧と謀りて共に陽生を立つるなり」と。鮑牧怒りて曰く、「大夫景公の命を忘れたるか」と。諸大夫悔いんと欲す。陽生乃ち頓首して曰く、「可なれば則ち之を立てよ。不可なれば則ち已めよ」と。鮑牧禍の己に及ばんことを恐れ、乃ち復た曰く、「皆景公の子なり。何為れぞ不可ならん」と。遂に陽生を田乞の家に立つ、是を悼公と為す。乃ち人をして晏孺子を駘に遷さしめ、而して孺子荼を殺す。悼公既に立ち、田乞相と為り、斉の政を専らにす。四年、田乞卒し、子常代はりて立つ、是を田成子と為す。鮑牧、斉の悼公と郄有り。悼公を弑す。斉人共に其の子壬を立つ、是を簡公と為す。田常成子と監止と倶に左右の相と為り、簡公に相たり。田常心に監止を害む。監止簡公に幸せらる。権去ること能はず。是に於て田常復た釐子の政を修め、大斗を以て出だし貸し、小斗を以て収む。斉人之を歌ひて曰く、「嫗や芑を采る、田成子に帰せよ」と。斉の大夫朝す。御鞅簡公を諫めて曰く、「田・監は并ぶべからざるなり。君其れ焉を択べ」と。君聴かず。子我は、監止の宗人なり。常に田氏と卻有り。田氏の疎族田豹、子我に事へて寵有り。子我曰く、「吾尽く田氏の適を滅ぼし、豹を以て田氏の宗に代へんと欲す」と。豹曰く、「臣は田氏に於て疎なり」と。聴かず。已にして豹田氏に謂ひて曰く、「子我将に田氏を誅せんとす。田氏先んぜずんば、禍及ばん」と。子我公宮に舎る。田常兄弟四人乗りて公宮に如き、子我を殺さんと欲す。子我門を閉づ。
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史記 田敬仲完世家宣公四十三年、晋を伐ち、黄城を毀ち、陽狐を囲む。明年、魯・葛及び安陵を伐つ。明年、魯の一城を取る。荘子卒し、子太公和立つ。田太公斉の宣公に相たり。宣公四十八年、魯の城を取る。明年、宣公鄭人と西城に会す。衛を伐ち、毋丘を取る。宣公五十一年に卒す。田会廩丘より反す。宣公卒し、子康公貸立つ。貸立ちて十四年、酒・婦人に淫し、政を聴かず。太公乃ち康公を海上に遷し、一城を食ましめ、以て其の先祀を奉ぜしむ。明年、魯斉を平陸に敗る。三年、太公魏の文侯と濁沢に会し、諸侯と為らんことを求む。魏の文侯乃ち使をして周の天子及び諸侯に言はしめ、斉の相田和を立てて諸侯と為さんことを請ふ。周の天子之を許す。康公の十九年、田和立ちて斉侯と為り、周室に列し、元年を紀す。斉侯太公和立ちて二年、和卒し、子桓公午立つ。桓公午五年、秦・魏韓を攻む。韓救ひを斉に求む。斉の桓公大臣を召して謀りて曰く、「蚤く之を救ふと晩く之を救ふと孰れぞ」と。騶忌曰く、「救ふこと勿きに若かず」と。段干朋曰く、「救はずんば、則ち韓且に折れて魏に入らんとす。之を救ふに若かず」と。田臣思曰く、「過てり君の謀や。秦・魏韓・楚を攻めば、趙必ず之を救はん。是れ天燕を以て斉に予ふるなり」と。桓公曰く、「善し」と。乃ち陰かに韓の使者に告げて之を遣る。韓自ら以為へらく斉の救ひを得たりと。因りて秦・魏と戦ふ。楚・趙之を聞き、果たして兵を起こして之を救ふ。斉因りて兵を起こして燕国を襲ひ、桑丘を取る。六年、衛を救ふ。桓公卒し、子威王因斉立つ。是の歳、故の斉の康公卒し、絶えて後無し。奉邑皆田氏に入る。斉の威王元年、三晋斉の喪に因りて来りて我が霊丘を伐つ。三年、三晋晋の後を滅ぼして其の地を分つ。六年、魯我を伐ち、陽関に入る。晋我を伐ち、博陵に至る。七年、衛我を伐ち、薛陵を取る。九年、趙我を伐ち、甄を取る。威王初めて位に即きて以来、治めず、政を卿大夫に委ぬ。九年の閒、諸侯并びに伐ち、国人治まらず。
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史記 斉太公世家将に大夫と盟ひて之を立てんとするに、鮑牧酔ふ。乞、大夫を誣ひて曰く、「吾、鮑牧と謀りて共に陽生を立てんとす」と。鮑牧怒りて曰く、「子、景公の命を忘れたるか」と。諸大夫相視て悔いんと欲す。陽生前み、頓首して曰く、「可なれば則ち之を立てよ。否なれば則ち已めよ」と。鮑牧、禍の起らんことを恐れ、乃ち復た曰く、「皆景公の子なり。何為れぞ不可ならん」と。乃ち与に盟ひ、陽生を立つ。是れを悼公と為す。悼公宮に入り、人をして晏孺子を駘に遷さしめ、之を幕下に殺し、而して孺子の母芮子を逐ふ。芮子は故賤しくして孺子少し、故に権無く、国人之を軽んず。悼公の元年、斉、魯を伐ち、讙・闡を取る。初め、陽生亡げて魯に在るや、季康子其の妹を以て之に妻はす。帰りて即位するに及び、之を迎へしむ。季姫、季魴侯と通じ、其の情を言ふ。魯敢て与へず。故に斉、魯を伐ち、竟に季姫を迎ふ。季姫嬖せられ、斉復た魯の侵地を帰す。鮑子、悼公と郤有り、善からず。四年、呉・魯、斉の南方を伐つ。鮑子、悼公を弑し、呉に赴ぐ。呉王夫差、軍門の外に哭すること三日、将に海より入りて斉を討たんとす。斉人之を敗り、呉の師乃ち去る。晋の趙鞅、斉を伐ち、頼に至りて去る。斉人共に悼公の子壬を立つ。是れを簡公と為す。簡公の四年春、初め、簡公、父陽生と倶に魯に在るや、監止寵有り。即位するに及び、政を為さしむ。田成子之を憚り、驟々朝に顧みる。御鞅、簡公に言ひて曰く、「田・監は并す可からず。君其れ択べ」と。聴かず。子我夕す。田逆人を殺す。之に逢ひ、遂に捕へて以て入る。田氏方に睦まじ。囚をして病ましめて守囚者に酒を遺り、酔はしめて守者を殺し、亡ぐるを得たり。子我、諸田と陳宗に盟ふ。初め、田豹、子我の臣たらんと欲し、公孫をして豹を言はしむ。豹喪有りて止む。後卒に以て臣と為し、子我に幸せらる。子我謂ひて曰く、「吾尽く田氏を逐ひて女を立てん、可ならんか」と。対へて曰く、「我は田氏に遠し。
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