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韓非子 / 說林下二十三

夫殺一臣而存一國,其不言吉,何也?且死者無知,則以臣釁鼓無益也;死者有知也,臣將當戰之時,臣使鼓不鳴。」荆人因不殺也。知伯將伐仇由而道難不通,乃鑄大鐘遺仇由之君。仇由之君大說,除道將内之。赤章曼枝曰:「不可。此小之所以事大也,而今也大以來,卒必隨之,不可内也。」仇由之君不聽,遂内之。赤章曼枝因斷轂而驅,至於齊,七月而仇由亡矣。越已勝吳,又索卒於荆而攻晉。左史倚相謂荆王曰:「夫越破吳,豪士死,銳卒盡,大甲傷。今又索卒以攻晉,示我不病也。不如起師與分吳,」荆王曰:「善。」因起師而從越。越王怒,將擊之。大夫種曰:「不可。吾豪士盡,大甲傷。我與戰,必不尅,不如賂之。」乃割露山之陰五百里以賂之。荆伐陳,吳救之,軍間三十里。雨十日,夜星。左史倚相謂子期曰:「雨十日,甲輯而兵聚。吳人必至,不如備之。」乃爲陳。陳未成也而吳人至,見荆陳而反。左史曰:「吳反覆六十里,其君子必休,小人必食。我行三十里擊之,必可敗也。」乃從之,遂破吳軍。韓、趙相與爲難。韓子索兵於魏曰:「願借師以伐趙。」魏文侯曰:「寡人與趙兄弟,不可以從。」趙又索兵以攻韓,文侯曰:「寡人與韓兄弟,不敢從。」二國不得兵,怒而反。

新字:夫殺一臣而存一国,其不言吉,何也?且死者無知,則以臣釁鼓無益也;死者有知也,臣将当戦之時,臣使鼓不鳴。」荆人因不殺也。知伯将伐仇由而道難不通,乃鋳大鐘遺仇由之君。仇由之君大説,除道将内之。赤章曼枝曰:「不可。此小之所以事大也,而今也大以来,卒必随之,不可内也。」仇由之君不聴,遂内之。赤章曼枝因断轂而駆,至於斉,七月而仇由亡矣。越已勝呉,又索卒於荆而攻晋。左史倚相謂荆王曰:「夫越破呉,豪士死,鋭卒尽,大甲傷。今又索卒以攻晋,示我不病也。不如起師与分呉,」荆王曰:「善。」因起師而従越。越王怒,将撃之。大夫種曰:「不可。吾豪士尽,大甲傷。我与戦,必不尅,不如賂之。」乃割露山之陰五百里以賂之。荆伐陳,呉救之,軍間三十里。雨十日,夜星。左史倚相謂子期曰:「雨十日,甲輯而兵聚。呉人必至,不如備之。」乃為陳。陳未成也而呉人至,見荆陳而反。左史曰:「呉反覆六十里,其君子必休,小人必食。我行三十里撃之,必可敗也。」乃従之,遂破呉軍。韓、趙相与為難。韓子索兵於魏曰:「願借師以伐趙。」魏文侯曰:「寡人与趙兄弟,不可以従。」趙又索兵以攻韓,文侯曰:「寡人与韓兄弟,不敢従。」二国不得兵,怒而反。

書き下し

夫れ一臣を殺して一国を存す、其れ吉と言はざるは何ぞや。且つ死者知無くんば、則ち臣を以て鼓に釁るも益無きなり。死者知有らば、臣将に戦ひに当たるの時、臣鼓をして鳴らざらしめん」と。荊人因りて殺さざるなり。知伯将に仇由を伐たんとして道難くして通ぜず、乃ち大鐘を鋳て仇由の君に遺る。仇由の君大いに説び、道を除きて将に之を内れんとす。赤章曼枝曰く、「不可なり。此れ小の大に事ふる所以なり、而るに今や大以て来る、卒必ず之に随はん、内るべからざるなり」と。仇由の君聴かず、遂に之を内る。赤章曼枝因りて轂を断ちて駆り、斉に至り、七月にして仇由亡ぶ。越已に呉に勝ち、又卒を荊に索めて晋を攻めんとす。左史倚相、荊王に謂ひて曰く、「夫れ越は呉を破りて、豪士死し、鋭卒尽き、大甲傷つく。今又卒を索めて以て晋を攻むるは、我に病まざるを示すなり。師を起こして与に呉を分かつに如かず」と。荊王曰く、「善し」と。因りて師を起こして越に従ふ。越王怒り、将に之を撃たんとす。大夫種曰く、「不可なり。吾が豪士尽き、大甲傷つく。我与に戦はば、必ず克たず。之に賂ふに如かず」と。乃ち露山の陰五百里を割きて以て之に賂ふ。荊、陳を伐ち、呉之を救ふ。軍間三十里。雨ふること十日、夜星あり。左史倚相、子期に謂ひて曰く、「雨ふること十日、甲輯まりて兵聚まる。呉人必ず至らん、之に備ふるに如かず」と。乃ち陳を為す。陳未だ成らざるに呉人至り、荊の陳を見て反る。左史曰く、「呉は反覆六十里、其の君子必ず休み、小人必ず食はん。我三十里を行きて之を撃たば、必ず敗るべきなり」と。乃ち之に従ひ、遂に呉の軍を破る。韓・趙相与に難を為す。韓子、兵を魏に索めて曰く、「願はくは師を借りて以て趙を伐たん」と。魏の文侯曰く、「寡人は趙と兄弟なり、以て従ふべからず」と。趙も又兵を索めて以て韓を攻めんとす。文侯曰く、「寡人は韓と兄弟なり、敢へて従はず」と。二国、兵を得ずして、怒りて反る。

現代語訳

(呉の使者は続けた。)「一人の臣を殺して一国を保つのです。それを吉と言わずに何と言いましょう。しかも、死者に知覚がないのなら、わたしの血を鼓に塗っても益はありません。死者に知覚があるのなら、いざ戦いという時に、わたしは鼓を鳴らなくしてみせます」。楚の人はそこで殺さなかった。知伯が仇由を討とうとしたが、道が険しくて通れなかった。そこで大きな鐘を鋳造して仇由の君に贈った。仇由の君は大いに喜び、道を切り開いてそれを迎え入れようとした。赤章曼枝が言った。「いけません。贈り物をするのは小国が大国に仕えるやり方です。ところがいま大国の方から贈ってきた。兵が必ず後に続きます。迎え入れてはなりません」。仇由の君は聞き入れず、ついに迎え入れた。赤章曼枝は車の轂を(狭い道に合わせて)切り詰めて車を走らせ、斉へ逃れた。七か月後に仇由は滅んだ。越は呉に勝ったのち、さらに楚に兵を求めて晋を攻めようとした。左史の倚相が楚王に言った。「越は呉を破ったものの、勇士は死に、精兵は尽き、重装の兵は傷ついています。いまさらに兵を求めて晋を攻めようとするのは、自分が疲れていないとわれわれに見せつけるためです。むしろ軍を起こして、ともに呉の地を分け取るのがよろしい」。楚王は「よろしい」と言い、軍を起こして越の後を追った。越王は怒って楚を撃とうとした。大夫の文種が言った。「いけません。わが勇士は尽き、重装の兵は傷ついています。いま戦えば必ず勝てません。賄賂を贈るに越したことはありません」。そこで露山の北側の五百里を割いて楚に贈った。楚が陳を討つと、呉が陳を救いに来て、両軍は三十里を隔てて対峙した。雨が十日降り続き、夜になって星が出た。左史の倚相が子期に言った。「十日も雨が降り、(呉は)よろいを集め兵を集めています。呉軍は必ず来ます。備えるに越したことはありません」。そこで陣を布いた。陣がまだ整わないうちに呉軍が来たが、楚の陣を見て引き返した。左史は言った。「呉は往復で六十里を行軍しました。将校は必ず休み、兵卒は必ず食事をとっているでしょう。われわれが三十里進んで撃てば、必ず打ち破れます」。そこでその言に従い、ついに呉の軍を破った。韓と趙が争い合っていた。韓は魏に兵を求めて、「どうか軍をお貸しください、趙を討ちたいのです」と言った。魏の文侯は「わしは趙と兄弟の間柄だ。従うわけにはいかない」と言った。趙もまた兵を求めて韓を攻めようとした。文侯は「わしは韓と兄弟の間柄だ。あえて従わない」と言った。二国は兵を得られず、怒って帰った。

解説

呉の使者の機転に始まり、戦国の謀略が四つ並びます。使者は、自分が殺されれば呉は警戒を固めるので一国が救われる、だから占いは吉だと言い、死者に知があれば鼓を鳴らさないと脅して死を免れました。知伯の大鐘の話は、喩老篇にも見える「与えて取る」策で、大国から贈り物が来る不自然さを赤章曼枝が見抜きました。左史倚相の二つの進言は、越の虚勢を見破り、雨上がりの星空から敵の来襲を読み、往復で疲れた敵を討つという、状況判断の見本です。魏の文侯は韓・趙の双方の出兵要請を断り、次の単位で両国から感謝されます。格上の相手からの不自然な厚意には、必ず理由があると考えるべきでしょう。

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