史記 / 魏世家
痤因上書信陵君曰:『痤,故魏之免相也,趙以地殺痤而魏王聽之,有如彊秦亦將襲趙之欲,則君且柰何?』信陵君言於王而出之。魏王以秦救之故,欲親秦而伐韓,以求故地。无忌謂魏王曰:秦與戎翟同俗,有虎狼之心,貪戾好利无信,不識禮義德行。茍有利焉,不顧親戚兄弟,若禽獸耳,此天下之所識也,非有所施厚積德也。故太后母也,而以憂死;穰侯舅也,功莫大焉,而竟逐之;兩弟无罪,而再奪之國。此於親戚若此,而況於仇讎之國乎?今王與秦共伐韓而益近秦患,臣甚惑之。而王不識則不明,羣臣莫以聞則不忠。今韓氏以一女子奉一弱主,内有大亂,外交彊秦魏之兵,王以爲不亡乎?韓亡,秦有鄭地,與大梁鄴,王以爲安乎?王欲得故地,今負彊秦之親,王以爲利乎?秦非无事之國也,韓亡之後必將更事,更事必就易與利,就易與利必不伐楚與趙矣。是何也?夫越山踰河,絶韓上黨而攻彊趙,是復閼與之事,秦必不爲也。若道河内,倍鄴、朝謌,絶漳滏水,與趙兵決於邯鄲之郊,是知伯之禍也,秦又不敢。伐楚,道渉谷,行三千里。而攻冥阸之塞,所行甚遠,所攻甚難,秦又不爲也。
新字:痤因上書信陵君曰:『痤,故魏之免相也,趙以地殺痤而魏王聴之,有如彊秦亦将襲趙之欲,則君且柰何?』信陵君言於王而出之。魏王以秦救之故,欲親秦而伐韓,以求故地。无忌謂魏王曰:秦与戎翟同俗,有虎狼之心,貪戻好利无信,不識礼義徳行。苟有利焉,不顧親戚兄弟,若禽獣耳,此天下之所識也,非有所施厚積徳也。故太后母也,而以憂死;穰侯舅也,功莫大焉,而竟逐之;両弟无罪,而再奪之国。此於親戚若此,而況於仇讎之国乎?今王与秦共伐韓而益近秦患,臣甚惑之。而王不識則不明,羣臣莫以聞則不忠。今韓氏以一女子奉一弱主,内有大乱,外交彊秦魏之兵,王以為不亡乎?韓亡,秦有鄭地,与大梁鄴,王以為安乎?王欲得故地,今負彊秦之親,王以為利乎?秦非无事之国也,韓亡之後必将更事,更事必就易与利,就易与利必不伐楚与趙矣。是何也?夫越山踰河,絶韓上党而攻彊趙,是復閼与之事,秦必不為也。若道河内,倍鄴、朝謌,絶漳滏水,与趙兵決於邯鄲之郊,是知伯之禍也,秦又不敢。伐楚,道渉谷,行三千里。而攻冥阸之塞,所行甚遠,所攻甚難,秦又不為也。
書き下し
痤因りて書を信陵君に上りて曰く、『痤は、故の魏の免相なり。趙地を以て痤を殺さんとして魏王之を聴く。如し彊秦も亦将に趙の欲を襲はんとすること有らば、則ち君且に奈何せんとする』と。信陵君王に言ひて之を出だす。魏王、秦の救ひし故を以て、秦に親しみて韓を伐ち、以て故地を求めんと欲す。無忌魏王に謂ひて曰く、秦は戎翟と俗を同じくし、虎狼の心有り。貪戾にして利を好み信無く、礼義徳行を識らず。苟くも利有らば、親戚兄弟をも顧みず。禽獣の若きのみ。此れ天下の識る所なり。厚きを施し徳を積む所有るに非ざるなり。故に太后は母なるも、而も憂ひを以て死し、穣侯は舅なり、功焉より大なるは莫きも、而も竟に之を逐ふ。両弟罪無きも、而も再び之が国を奪ふ。此れ親戚に於て此の若し。而るを況んや仇讎の国に於てをや。今王秦と共に韓を伐ちて益々秦の患ひに近づく。臣甚だ之に惑ふ。而るに王識らずんば則ち明ならず、群臣以て聞する莫くんば則ち忠ならず。今韓氏は一女子を以て一弱主を奉じ、内に大乱有り、外に彊き秦・魏の兵と交はる。王以て亡びずと為すか。韓亡びて、秦鄭の地を有ち、大梁・鄴と与にせば、王以て安しと為すか。王故地を得んと欲し、今彊秦の親しみを負ふ。王以て利と為すか。秦は無事の国に非ざるなり。韓亡びし後、必ず将に更に事とせんとす。更に事とすれば必ず易きと利とに就く。易きと利とに就けば必ず楚と趙とを伐たざらん。是れ何ぞや。夫れ山を越え河を踰え、韓の上党を絶ちて彊趙を攻むるは、是れ閼与の事を復するなり。秦必ず為さず。若し河内に道し、鄴・朝歌を倍にし、漳・滏の水を絶ちて、趙の兵と邯鄲の郊に決するは、是れ知伯の禍なり。秦又敢へてせず。楚を伐つには、渉谷に道し、行くこと三千里にして、冥阸の塞を攻む。行く所甚だ遠く、攻むる所甚だ難し。秦又為さざるなり。
現代語訳
范痤はそこで信陵君に書状を送って言った。『わたし痤は、魏の元宰相である。趙が土地と引き換えにわたしを殺させようとし、魏王はそれを聞き入れた。もし強大な秦までが趙のやり方を真似て(土地と引き換えにあなたの命を求めて)きたら、あなたはどうなさるおつもりか』。信陵君は王に進言して范痤を釈放させた。魏王は、秦が救援してくれたことから、秦と親しんで韓を討ち、かつての領地を取り戻そうとした。無忌(信陵君)は魏王に言った。秦は戎や翟と同じ風俗で、虎や狼のような心を持っている。貪欲で乱暴で利を好み、信義がなく、礼儀も徳行もわきまえない。利益があれば親戚や兄弟も顧みない。まるで禽獣のようであり、これは天下の誰もが知っていることである。恩を厚く施し徳を積んだことなどない国なのだ。だから宣太后は(昭王の)母でありながら憂いのうちに死に、穣侯(じょうこう)は母方の叔父で、これ以上ないほどの功績があったのに、ついに追放された。二人の弟は罪もないのに、二度も領地を奪われた。親族に対してさえこのようである。まして仇敵の国に対してはなおさらである。今、王は秦と共に韓を討って、ますます秦の脅威に近づこうとしておられる。わたしはこれにひどく戸惑っている。これを王がお分かりにならないのなら明察とはいえず、群臣が誰もこのことを申し上げないのなら忠義とはいえない。今、韓は一人の女性(太后)が一人の弱い君主を支え、国内には大乱があり、国外では強い秦・魏の兵と対峙している。王は韓が滅びないとお考えか。韓が滅び、秦が旧鄭の地を手に入れて大梁や鄴と隣り合えば、王は安泰だとお考えか。王は旧領を取り戻したいがために、強い秦と親しむという重荷を背負おうとしておられる。王はそれが利益だとお考えか。秦は事を起こさずにいられる国ではない。韓が滅びた後には、必ず次の事を起こすだろう。次の事を起こすなら、必ずたやすく利のある相手を選ぶ。たやすく利のある相手を選ぶなら、必ず楚や趙は討たないだろう。なぜか。山を越え黄河を渡り、韓の上党を横切って強い趙を攻めるのは、閼与の敗戦を繰り返すことになるので、秦は必ずやらない。もし河内を通り、鄴・朝歌を背にし、漳水・滏水(ふすい)を渡って、邯鄲の郊外で趙の兵と決戦するなら、それは知伯と同じ禍を招くことになるので、秦はやはりあえてしない。楚を討つには、渉谷を通り、三千里を進んで冥阸(めいあい)の要塞を攻めなければならない。行く道はあまりに遠く、攻める所はあまりに難しいので、秦はやはりやらない。
解説
関連する章句
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史記 魏世家若し河外に道し、大梁を倍にし、上蔡・召陵を右にして、楚の兵と陳の郊に決するは、秦又敢へてせず。故に曰く秦必ず楚と趙とを伐たず、又衛と斉とを攻めずと。夫れ韓亡びし後、兵出づるの日は、魏に非ずんば攻むる無きのみ。秦固より懐・茅・邢丘を有ち、垝津に城きて以て河内に臨まば、河内の共・汲必ず危ふし。鄭の地を有ち、垣雍を得て、熒沢の水を決して大梁に灌がば、大梁必ず亡びん。王の使者出でて過ちて安陵氏を秦に悪む。秦の之を誅せんと欲すること久し。秦の葉陽・昆陽は舞陽と鄰す。使者の之を悪むを聴き、安陵氏に随ひて之を亡ぼし、舞陽の北を繞りて、以て東のかた許に臨まば、南国必ず危ふし。国先づ害せられん。夫れ韓を憎みて安陵氏を愛せざるは可なり。夫れ秦の南国を愛せざるを患へざるは非なり。異日は、秦河西の晋に在り、国は梁を去ること千里、河山有りて以て之を闌り、周・韓有りて以て之を閒つ。林郷の軍より以て今に至るまで、秦七たび魏を攻め、五たび囿中に入り、辺城尽く抜かれ、文台墮ち、垂都焚かれ、林木伐られ、麋鹿尽き、而して国継ぐに囲みを以てす。又長駆して梁の北に至り、東は陶・衛の郊に至り、北は平監に至る。秦に亡ふ所の者は、山南山北、河外・河内、大県数十、名都数百なり。秦乃ち河西の晋に在りて、梁を去ること千里にして、禍是の若し。又況んや秦をして韓無く、鄭の地を有ち、河山の之を闌る無く、周・韓の之を閒つる無く、大梁を去ること百里ならしめば、禍必ず此に百せん。異日は、従の成らざるや、楚・魏疑ひて韓得べからざればなり。今韓兵を受くること三年、秦之を橈めて以て講ず。亡ぶるを識るも聴かず、質を趙に投じ、天下の為に鴈行して刃を頓さんことを請ふ。楚・趙必ず兵を集めん。皆秦の欲の窮まり無きを識ればなり。尽く天下の国を亡ぼして海内を臣とするに非ずんば、必ず休まざらん。
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史記 魏世家是の故に臣願はくは従を以て王に事へん。王速やかに楚・趙の約を受け、而して韓の質を挟みて以て韓を存し、而して故地を求めば、韓必ず之を效さん。此れ士民労せずして故地得られ、其の功は秦と共に韓を伐ちて、而も又彊秦と鄰する禍に多し。夫れ韓を存し魏を安んじて天下を利するは、此れ亦王の天時のみ。韓の上党を共・甯に通じ、道をして成を安んぜしめ、出入に之に賦せば、是れ魏重ねて韓を質とするに其の上党を以てするなり。今其の賦有らば、以て国を富ますに足る。韓必ず魏を徳とし魏を愛し魏を重んじ魏を畏れ、韓必ず敢へて魏に反かず。是れ韓は則ち魏の県なり。魏韓を得て以て県と為さば、衛・大梁・河外必ず安からん。今韓を存せずんば、二周・安陵必ず危ふく、楚・趙大いに破れ、衛・斉甚だ卑く、天下西に郷ひて秦に馳せ、入朝して臣と為ること久しからざらん。廿年、秦邯鄲を囲む。信陵君無忌、将軍晋鄙の兵を矯め奪ひて以て趙を救ふ。趙全きを得たり。無忌因りて趙に留まる。廿六年、秦の昭王卒す。卅年、無忌魏に帰り、五国の兵を率ゐて秦を攻め、之を河外に敗り、蒙驁を走らす。魏の太子増秦に質たり。秦怒り、魏の太子増を囚へんと欲す。或ひと増の為に秦王に謂ひて曰く、『公孫喜固より魏の相に謂ひて曰く「請ふ魏を以て疾く秦を撃たん。秦王怒りて、必ず増を囚へん。魏王又怒りて、秦を撃たば、秦必ず傷つかん」と。今王増を囚ふるは、是れ喜の計中るなり。故に増を貴びて魏と合し、以て之を斉・韓に疑はしむるに若かず』と。秦乃ち増を止む。卅一年、秦王政初めて立つ。卅四年、安釐王卒し、太子増立つ、是を景湣王と為す。信陵君無忌卒す。景湣王元年、秦我が廿城を抜き、以て秦の東郡と為す。二年、秦我が朝歌を抜く。衛野王に徙る。三年、秦我が汲を抜く。五年、秦我が垣・蒲陽・衍を抜く。十五年、景湣王卒し、子王仮立つ。王仮元年、燕の太子丹、荊軻をして秦王を刺さしむ。秦王之を覚る。三年、秦大梁に灌ぎ、王仮を虜にし、遂に魏を滅ぼして以て郡県と為す。
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戦国策・魏將與秦攻韓魏将(まさ)に秦と与(とも)に韓を攻めんとす、朱己魏王に謂いて曰く、「秦は戎・翟と俗を同じくし、虎狼の心有り、貪戾(たんれい)にして利を好みて信無く、礼義徳行を識らず。苟(いやし)くも利有れば、親戚兄弟を顧みず、禽獣の若きのみ。此れ天下の同じく知る所なり、厚く徳を積むを施す所に非ざるなり。故に太后は母なり、而れども以て憂いて死す。穰侯は舅(きゅう)なり、功之より大なるは莫し、而れども竟(つい)に之を逐(お)う。両弟罪無し、而れども再び其の国を奪う。此れ其の親戚兄弟に於いて此くの若し、而るを又況んや仇讎(きゅうしゅう)の敵国に於いてをや。今大王秦と与に韓を伐ちて益々秦に近づけば、臣甚だ之を或(うたが)う、而れども王識らざれば、則ち明ならず。群臣之を知りて、之を以て諫むる莫ければ、則ち忠ならず。今夫れ韓氏一女子を以て一弱主を承(う)け、内に大乱有り、外安んぞ能く強秦・魏の兵を支えんや、王以て破れずと為すか。韓亡べば、秦尽く鄭地を有し、大梁と鄰(とな)らん、王以て安しと為すか。王故地を得んと欲して、今強秦の禍を負う、王以て利と為すか。秦は無事の国に非ざるなり、韓亡びし後、必ず且に事を便(たよ)りにせんとし、事を便りにせば、必ず易きと利とに就かん、易きと利とに就かば、必ず楚と趙とを伐たざらん。是れ何ぞや。夫れ山を越え河を踰(こ)え、韓の上党を絶ちて強趙を攻むるは、則ち是れ復た閼与(あつよ)の事なり、秦必ず為さざるなり。若し河内を道(みち)とし、鄴・朝謌に倍(そむ)き、漳・滏の水を絶ちて、以て趙兵と邯鄲の郊に決勝せば、是れ智伯の禍を受くるなり、秦又敢えてせず。楚を伐つに、涉を道とし谷行すること三十里にして、危隘の塞を攻めば、行く所の者甚だ遠くして、攻むる所の者甚だ難し、秦又為さざるなり。若し河外を道とし、大梁に背き、上蔡・召陵を右にして、以て楚兵と陳の郊に決せば、秦又敢えてせざるなり。故に曰く、秦必ず楚と趙とを伐たず、又衛と齊とを攻めず、と。且つ夫れ韓を憎みて安陵氏を受けざるは可なり、夫れ秦の南国を愛せざるを患えざるは非(ひ)なり。異日には、秦乃ち河西に在り、晋国の梁を去ること、千里有余にして、河山以て之を蘭(さえぎ)り、周・韓有りて之を間(へだ)つ。林軍より以て今に至るまで、秦十たび魏を攻め、五たび国中に入り、辺城尽く抜かる。文台墮(やぶ)れ、垂都焚(や)かれ、林木伐られ、麋鹿(びろく)尽き、而して国継ぐに囲みを以てす。又長駆して梁の北にいたり、東は陶・衛の郊に至り、北は闞(かん)に至り、秦に亡う所の者、山北・河外・河内、大県数百、名都数十なり。秦乃ち河西に在り、晋国の大梁を去ること尚お千里にして、禍此くの若し。又況んや秦をして韓無くして鄭地を有たしめ、河山以て之を蘭る無く、周・韓以て之を間つる無く、大梁を去ること百里なれば、禍必ず此に百せんをや。異日には、従(しょう)成らずして、楚・魏疑い、韓約するを得可からざりき。今韓兵を受くること三年なり、秦之を撓(みだ)すに講を以てす、韓亡ぶるを知りて、猶お聴かず、質を趙に投じ、天下の為に雁行頓刃(がんこうとんじん)せんことを請う。臣の観る所を以てすれば、則ち楚・趙必ず之に与(くみ)して攻めん。此れ何ぞや。則ち皆秦の窮まり無きを知ればなり、尽く天下の兵を亡ぼし、海内の民を臣とするに非ざれば、必ず休まざるなり。是の故に臣願わくは以て王に従事せん、王速やかに楚・趙の約を受け、韓・魏の質を挟みて、韓を存するを務めと為し、因りて故地を韓に求めば、韓必ず之を効(いた)さん。此くの如くば則ち士民労せずして故地を得、其の功秦と共に韓を伐つより多くして、然れども強秦と鄰(とな)るの禍無し。夫れ韓を存し魏を安んじて天下を利するは、此れ亦た王の大時なり。韓の上党を共・莫に通じ、道をして已に通ぜしめ、因りて之に関し、出入する者之に賦せば、是れ魏重ねて韓を其の上党を以て質とするなり。共に其の賦有らば、以て国を富ますに足り、韓必ず魏に徳とし、魏を愛し、魏を重んじ、魏を畏れ、韓必ず敢えて魏に反せず。韓は是れ魏の県なり。魏韓を得て以て県と為せば、則ち衛・大梁・河外必ず安からん。今韓を存せざれば、則ち二周必ず危うく、安陵必ず易(か)わらん。楚・趙楚大いに破れ、衛・齊甚だ畏れ、天下の西のかた秦に馳(は)せ、入朝して臣と為るの日久しからざらん。」
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史記 魏世家魏桓子韓康子を肘き、韓康子魏桓子を履む。肘足車上に接して、知氏地分れ、身死し国亡び、天下の笑ひと為る。今秦の兵彊しと雖も、知氏に過ぐること能はず。韓・魏弱しと雖も、尚ほ其の晋陽の下に在りしときより賢れり。此れ方に其の肘足を用ふるの時なり。願はくは王の易ること勿からんことを』と。是に於て秦王恐る。斉・楚相約して魏を攻む。魏人をして救ひを秦に求めしむ。冠蓋相望めども、秦の救ひ至らず。魏人に唐雎なる者有り。年九十余なり。魏王に謂ひて曰く、『老臣請ふ西のかた秦王に説き、兵をして臣に先だちて出でしめん』と。魏王再拝し、遂に車を約して之を遣る。唐雎到り、入りて秦王に見ゆ。秦王曰く、『丈人芒然として乃ち遠く此に至る。甚だ苦しめり。夫れ魏の来りて救ひを求むること数々なり。寡人魏の急を知れり』と。唐雎対へて曰く、『大王已に魏の急を知りて救ひ発せざる者は、臣窃かに以為へらく策を用ふるの臣任無しと。夫れ魏は一万乗の国なり。然れども西面して秦に事へ、東藩と称し、冠帯を受け、春秋に祠る所以の者は、秦の彊き以て与と為すに足るを以てなり。今斉・楚の兵已に魏の郊に合す。而るに秦の救ひ発せざるは、亦将に其の未だ急ならざるを頼まんとするなり。之をして大いに急ならしめば、彼且に地を割きて従を約せんとす。王尚ほ何をか救はん。必ず其の急なるを待ちて之を救はば、是れ一東藩の魏を失ひて二敵の斉・楚を彊くす。則ち王何の利かあらん』と。是に於て秦の昭王遽かに為に兵を発して魏を救ふ。魏氏復た定まる。趙人をして魏王に謂はしめて曰く、『我が為に范痤を殺さば、吾請ふ七十里の地を献ぜん』と。魏王曰く、『諾』と。吏をして之を捕へしむ。囲みて未だ殺さず。痤因りて屋に上りて危に騎り、使者に謂ひて曰く、『其の死痤を以て市せんよりは、生痤を以て市するに如かず。如し痤死して、趙王に地を予へずんば、則ち王将に奈何せんとす。故に先づ与に割地を定め、然る後に痤を殺すに若かず』と。魏王曰く、『善し』と。
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史記 春申君列伝此れより観れば、楚国は援なり、隣国は敵なり。詩に云ふ『趯趯たる毚免、犬に遇ひてこれを獲らる。他人心有り、余これを忖度す』と。今、王、中道にして韓・魏の王を善くするを信ず、此れ正に呉の越を信ずるなり。臣これを聞く、敵は仮すべからず、時は失ふべからずと。臣恐る、韓・魏は辞を卑くして患ひを除き、実は大国を欺かんと欲するを。何となれば則ち、王は韓・魏に重世の徳無くして、累世の怨み有り。夫れ韓・魏の父子兄弟の踵を接して秦に死する者は将に十世ならんとす。本国残はれ、社稷壊れ、宗廟毀たる。腹を刳き腸を絶ち、頸を折り頤を摺き、首身分離し、骸骨を草沢に暴し、頭顱僵仆して、境に相望む。父子老弱の脰を系ぎ手を束ねて群虜と為る者は、路に相及ぶ。鬼神孤傷して、血食する所無し。人民は生を聊んぜず、族類離散し、流亡して仆妾と為る者、海内に盈満す。故に韓・魏の亡びざるは、秦の社稷の憂ひなり。今、王これに資して与に楚を攻む、また過ちならずや。且つ王の楚を攻むるに将に悪くにか兵を出ださんとする。王将に路を仇讎の韓・魏に借らんとするか。兵出づるの日にして王その返らざるを憂へん、是れ王は兵を以て仇讎の韓・魏に資するなり。王若し路を仇讎の韓・魏に借らずんば、必ず随水の右壌を攻めん。随水の右壌は、此れ皆広川大水、山林谿谷にして、食はざるの地なり、王これを有すと雖も、地を得たりと為さず。是れ王は楚を毀るの名有りて地を得るの実無きなり。且つ王の楚を攻むるの日、四国必ず悉く兵を起こして以て王に応ぜん。秦・楚の兵構へて離れず、魏氏将に出でて留・方与・銍・湖陵・碭・蕭・相を攻めんとし、故宋必ず尽きん。斉人南面して楚を攻め、泗上必ず挙げられん。此れ皆平原四達、膏腴の地なり、而して独り攻めしむ。王、楚を破りて以て韓・魏を中国に肥やして斉を勁くせん。
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史記 范雎蔡沢列伝因りて進みて曰く、「夫れ穣侯の韓・魏を越えて斉の綱寿を攻むるは、計に非ざるなり。少しく師を出だせば則ち以て斉を傷つくるに足らず、多く師を出だせば則ち秦に害あり。臣意ふに王の計は、少しく師を出だして韓・魏の兵を悉くせんと欲するなり、則ち不義なり。今、与国の親しまざるを見て、人の国を越えて攻む、可ならんや。その計に於いて疏なり。且つ昔、斉の湣王南のかた楚を攻め、軍を破り将を殺し、再び地を辟くこと千里、而るに斉は尺寸の地も焉に得る者無し。豈に地を得んことを欲せざらんや、形勢有つこと能はざればなり。諸侯、斉の罷獘し、君臣の和せざるを見て、兵を興して斉を伐ち、大いにこれを破る。士辱められ兵頓れ、皆その王を咎めて曰く、『誰か此の計を為せし者ぞ』と。王曰く、『文子これを為せり』と。大臣乱を作し、文子出でて走る。斉を攻めて大いに破りし所以の者は、その楚を伐ちて韓・魏を肥やせるを以てなり。此れ所謂賊に兵を借して盗に糧を齎す者なり。王は遠く交はりて近く攻むるに如かず。寸を得れば則ち王の寸なり、尺を得るもまた王の尺なり。今此を釈きて遠く攻むるは、また繆らずや。且つ昔者、中山の国は地方五百里、趙独りこれを呑み、功成り名立ちて利附く、天下これを能く害する莫し。今、夫れ韓・魏は中国の処にして天下の枢なり。王それ霸たらんと欲せば、必ず中国に親しみて以て天下の枢と為し、以て楚・趙を威せ。楚彊ければ則ち趙を附け、趙彊ければ則ち楚を附けよ。楚・趙皆附かば、斉必ず懼れん。斉懼れば、必ず辞を卑くし幣を重くして以て秦に事へん。斉附きて韓・魏因りて虜にすべきなり」と。昭王曰く、「吾魏に親しまんと欲すること久し、而るに魏は多変の国なり、寡人親しむ能はず。請ふ問ふ、魏に親しむこと柰何」と。対へて曰く、「王、詞を卑くし幣を重くして以てこれに事へよ。不可ならば、則ち地を割きてこれに賂へ。不可ならば、因りて兵を挙げてこれを伐て」と。王曰く、「寡人敬んで命を聞けり」と。乃ち范睢を拝して客卿と為し、兵事を謀らしむ。
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