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史記 / 趙世家

秦服其勞而趙受其利,雖彊大不能得之於小弱,小弱顧能得之於彊大乎?豈可謂非無故之利哉!且夫秦以牛田之水通糧蠶食,上乘倍戰者,裂上國之地,其政行,不可與爲難,必勿受也。」王曰:「今發百萬之軍而攻,踰年歴歳未得一城也。今以城市邑十七幣吾國,此大利也。」趙豹出,王召平原君與趙禹而告之。對曰:「發百萬之軍而攻,踰歳未得一城,今坐受城市邑十七,此大利,不可失也。」王曰:「善。」乃令趙勝受地,告馮亭曰:「敝國使者臣勝,敝國君使勝致命,以萬戸都三封太守,千戸都三封縣令,皆世世爲侯,吏民皆益爵三級,吏民能相安,皆賜之六金。」馮亭垂涕不見使者,曰:「吾不處三不義也:爲主守地,不能死固,不義一矣;入之秦,不聽主令,不義二矣;賣主地而食之,不義三矣。」趙遂發兵取上黨。廉頗將軍軍長平。七月,廉頗免而趙括代將。秦人圍趙括,趙括以軍降,卒四十餘萬皆阬之。王悔不聽趙豹之計,故有長平之禍焉。王還,不聽秦,秦圍邯鄲。武垣令傅豹、王容、蘇射率燕衆反燕地。趙以靈丘封楚相春申君。八年,平原君如楚請救。還,楚來救,及魏公子無忌亦來救,秦圍邯鄲乃解。十年,燕攻昌壯,五月拔之。

新字:秦服其労而趙受其利,雖彊大不能得之於小弱,小弱顧能得之於彊大乎?豈可謂非無故之利哉!且夫秦以牛田之水通糧蠶食,上乗倍戦者,裂上国之地,其政行,不可与為難,必勿受也。」王曰:「今発百万之軍而攻,踰年歴歳未得一城也。今以城市邑十七幣吾国,此大利也。」趙豹出,王召平原君与趙禹而告之。対曰:「発百万之軍而攻,踰歳未得一城,今坐受城市邑十七,此大利,不可失也。」王曰:「善。」乃令趙勝受地,告馮亭曰:「敝国使者臣勝,敝国君使勝致命,以万戸都三封太守,千戸都三封県令,皆世世為侯,吏民皆益爵三級,吏民能相安,皆賜之六金。」馮亭垂涕不見使者,曰:「吾不処三不義也:為主守地,不能死固,不義一矣;入之秦,不聴主令,不義二矣;売主地而食之,不義三矣。」趙遂発兵取上党。廉頗将軍軍長平。七月,廉頗免而趙括代将。秦人囲趙括,趙括以軍降,卒四十余万皆阬之。王悔不聴趙豹之計,故有長平之禍焉。王還,不聴秦,秦囲邯鄲。武垣令傅豹、王容、蘇射率燕衆反燕地。趙以霊丘封楚相春申君。八年,平原君如楚請救。還,楚来救,及魏公子無忌亦来救,秦囲邯鄲乃解。十年,燕攻昌壮,五月抜之。

書き下し

秦其の労に服して趙其の利を受く。彊大と雖も之を小弱に得ること能はず。小弱顧って能く之を彊大に得んや。豈に無故の利に非ずと謂ふべけんや。且つ夫れ秦は牛田の水を以て糧を通じて蚕食し、上乗倍戦する者、上国の地を裂く。其の政行はる、与に難を為すべからず。必ず受くる勿かれ」と。王曰く、「今百万の軍を発して攻むるも、年を踰え歳を歴て未だ一城をも得ず。今城市邑十七を以て吾が国に幣す。此れ大利なり」と。趙豹出づ。王、平原君と趙禹とを召して之に告ぐ。対へて曰く、「百万の軍を発して攻むるも、歳を踰えて未だ一城をも得ず。今坐して城市邑十七を受く。此れ大利なり、失ふべからざるなり」と。王曰く、「善し」と。乃ち趙勝をして地を受けしめ、馮亭に告げて曰く、「敝国の使者臣勝、敝国の君勝をして命を致さしむ。万戸の都三を以て太守を封じ、千戸の都三をもて県令を封じ、皆世世侯と為さん。吏民皆爵三級を益し、吏民能く相安んずれば、皆之に六金を賜はん」と。馮亭涕を垂れて使者に見えずして曰く、「吾は三不義に処らざるなり。主の為に地を守りて、死固すること能はざるは、不義の一なり。之を秦に入れよとあるに、主の令を聴かざるは、不義の二なり。主の地を売りて之を食むは、不義の三なり」と。趙遂に兵を発して上党を取る。廉頗将軍、長平に軍す。七月、廉頗免ぜられて趙括代はりて将たり。秦人趙括を囲む。趙括軍を以て降る。卒四十余万皆之を阬にす。王、趙豹の計を聴かざりしを悔ゆ。故に長平の禍有り。王還り、秦に聴かず。秦邯鄲を囲む。武垣の令傅豹・王容・蘇射、燕の衆を率ゐて燕の地に反す。趙、霊丘を以て楚の相春申君を封ず。八年、平原君楚に如きて救ひを請ふ。還りて、楚来り救ひ、及び魏の公子無忌も亦来り救ふ。秦の邯鄲を囲むこと乃ち解く。十年、燕昌壮を攻め、五月之を抜く。

現代語訳

秦が苦労をして、趙がその利益を受け取る。強大な国ですら、小さく弱い国からこのような利を得ることはできない。まして小さく弱い国が、強大な国からそれを得られようか。これがどうして理由のない利益でないと言えよう。それに秦は、牛に田を耕させ、川の水運で兵糧を送って韓を蚕食しており、上級の戦士が倍する力で戦い、中原の国々の地を切り取っている。その政令はよく行き届いており、敵に回してはならない。決して受け取ってはならない」。王は言った。「百万の軍を出して攻めても、年を越し歳月を重ねてもまだ一つの城も得られないものだ。それが今、十七もの城市や邑をわが国に贈ってくるのだ。これは大きな利益だ」。趙豹は退出した。王は平原君(趙勝)と趙禹(ちょうう)を呼んでこれを告げた。二人は答えた。「百万の軍を出して攻めても、一年たってもまだ一つの城も得られない。今、座ったまま十七の城市や邑を受け取れる。これは大きな利益で、逃してはならない」。王は「よろしい」と言った。そこで趙勝に土地を受け取りに行かせ、馮亭にこう告げさせた。「わが国の使者であるわたくし勝は、わが君の命を伝える。一万戸の都市三つをもって太守を封じ、千戸の都市三つをもって県令たちを封じ、みな代々侯とする。役人と民にはみな爵位を三級上げ、役人と民がよく治まっていれば、みなに六金を賜る」。馮亭は涙を流して使者に会わず、言った。「わたしは三つの不義に身を置くことはできない。主君のために土地を守りながら、死守することができなかった。これが不義の一つめである。秦に差し出せと言われたのに、主君の命令に従わなかった。これが不義の二つめである。主君の土地を売ってその報酬で暮らす。これが不義の三つめである」。趙はついに兵を出して上党を取った。廉頗将軍が長平に陣を敷いた。七月、廉頗が罷免され、趙括(ちょうかつ)が代わって将となった。秦軍が趙括を包囲し、趙括は軍ごと降伏した。兵四十万余りは、みな生き埋めにされた。王は趙豹の進言を聞かなかったことを悔やんだ。それゆえに長平の禍があったのである。王が帰還しても秦の要求に従わなかったので、秦は邯鄲を包囲した。武垣の県令の傅豹(ふひょう)・王容・蘇射(そしゃ)が燕の人々を率いて燕の地に寝返った。趙は霊丘をもって楚の宰相春申君を封じた。八年、平原君が楚に赴いて救援を求めた。平原君が帰ると、楚が救援に来て、魏の公子無忌(信陵君)もまた救援に来たので、秦の邯鄲包囲はようやく解けた。十年、燕が昌壮(しょうそう)を攻め、五月にこれを落とした。

解説

戦国最大の悲劇、長平の戦いに至る判断の段です。趙豹は、秦が苦労して手に入れかけた土地を趙が横取りすれば秦の怒りを買う、秦は国力も統率も充実していて敵に回すべきではないと重ねて反対しました。しかし王は、百万の軍でも城一つ取れないのに十七城がただで手に入ると喜び、平原君らも賛成して受け入れを決めます。一方の馮亭は、主君の地を売って報酬を受けるのは不義だと、趙からの恩賞を涙ながらに拒みました。結果、秦は大軍で押し寄せ、長平で廉頗に代わった趙括が降伏し、四十万余りの兵が生き埋めにされます。王は趙豹の言を聞かなかったことを悔やみました。目先の大きな利益に飛びつき、慎重論を退けた判断が国を傾けた典型例として、今も繰り返し引かれる教訓です。

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