史記 / 趙世家
且服奇者志淫,則是鄒、魯無奇行也;俗辟者民易,則是吳、越無秀士也。且聖人利身謂之服,便事謂之禮。夫進退之節,衣服之制者,所以齊常民也,非所以論賢者也。
新字:且服奇者志淫,則是鄒、魯無奇行也;俗辟者民易,則是呉、越無秀士也。且聖人利身謂之服,便事謂之礼。夫進退之節,衣服之制者,所以斉常民也,非所以論賢者也。
書き下し
且つ服奇なる者は志淫なりとせば、則ち是れ鄒・魯に奇行無きなり。俗辟なる者は民易なりとせば、則ち是れ呉・越に秀士無きなり。且つ聖人は身を利するを之を服と謂ひ、事を便にするを之を礼と謂ふ。夫れ進退の節、衣服の制は、常民を斉しくする所以なり。賢者を論ずる所以に非ざるなり。
現代語訳
(王は反対する臣下たちに答えて言った。)それに、奇抜な服を着る者は心がみだらになるというのなら、(礼を重んじる)鄒や魯には奇抜な行いをする者はいないはずだ。風俗が偏っている土地の民は軽薄になるというのなら、呉や越には優れた人物はいないはずだ(しかし実際はそうではない)。そもそも聖人は、身に便利なものを服と呼び、事を行うのに都合のよいものを礼と呼んだ。立ち居振る舞いの作法や衣服の制度は、普通の民をそろえるためのものであって、賢者を評価するためのものではない。
解説
胡服に反対し続ける趙文・趙造らの重臣に対する、武霊王の反論の一部です。この前の部分で反対派は、奇抜な服を着れば心がみだれ、辺境の風俗に染まれば民が軽薄になると主張していました。王はそれに対し、礼の本場である鄒や魯にも奇行の人はいるし、呉や越にも優れた人物はいる、服装と人の品性は関係ないと切り返します。そして、服とは身に便利なもの、礼とは事に便利なものであり、作法や衣服の決まりは一般の民をそろえるための仕組みにすぎず、人の賢さを測る物差しではないと言い切りました。形式を人物評価と混同するなという指摘は、服装や言葉遣いといった表面の型で人の能力を判断しがちな現代の職場にも、鋭く響く言葉です。
関連する章句
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史記 趙世家今胡服の意は、以て欲を養ひて志を楽しましむるに非ざるなり。事に止まる所有りて功に出づる所有り、事成り功立ちて、然る後に善きなり。今寡人、叔の政に従ふの経に逆らはんことを恐れ、以て叔の議を輔く。且つ寡人之を聞く、事の国を利する者は行ひに邪無く、貴戚に因る者は名累はされずと。故に願はくは公叔の義を慕ひ、以て胡服の功を成さん。紲をして之を叔に謁せしむ。請ふ服せよ」と。公子成再拝稽首して曰く、「臣固より王の胡服を聞けり。臣不佞にして、寝疾し、未だ趨走して以て滋々進むこと能はず。王之を命ず。臣敢へて対へ、因りて其の愚忠を竭くさん。曰く、臣聞く、中国は、蓋し聡明徇智の居る所なり、万物財用の聚まる所なり、賢聖の教ふる所なり、仁義の施す所なり、詩書礼楽の用ふる所なり、異敏技能の試みる所なり、遠方の観赴する所なり、蛮夷の義として行ふ所なりと。今王此を捨てて遠方の服を襲ひ、古の教へを変じ、古人の道を易へ、人の心に逆らひて、学者に怫り、中国に離る。故に臣願はくは王之を図れ」と。使者以て報ず。王曰く、「吾固より叔の疾を聞けり。我将に自ら往きて之に請はんとす」と。王遂に往きて公子成の家に之き、因りて自ら之に請ひて曰く、「夫れ服は、用を便にする所以なり。礼は、事を便にする所以なり。聖人は郷を観て宜しきに順ひ、事に因りて礼を制す。其の民を利して其の国を厚くする所以なり。夫れ髪を翦り身に文し、臂に錯して衽を左にするは、甌越の民なり。歯を黒くし題に雕り、冠を卻にして秫絀なるは、大呉の国なり。故に礼服同じき莫きも、其の便は一なり。郷異なれば用変じ、事異なれば礼易はる。是を以て聖人は果たして以て其の国を利すべくんば、其の用を一にせず。果たして以て其の事を便にすべくんば、其の礼を同じくせず。儒者は師を一にして俗異なり、中国は礼を同じくして教へ離る。況んや山谷の便に於てをや。
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史記 趙世家王曰く、「先王俗を同じくせず、何の古をか法らん。帝王相襲がず、何の礼をか循はん。三王に至りては、時に随ひて法を制し、事に因りて礼を制す。法度制令は各おの其の宜に順ひ、衣服器械は各おの其の用に便す。故に礼も亦た必ずしも一道ならず、而して国を便にするは必ずしも古ならず。聖人の興るや相襲がずして王たり、夏・殷の衰ふるや礼を易へずして滅ぶ。然れば則ち古に反くも未だ非とす可からず、而して礼に循ふも未だ多とするに足らず」と。
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『長短経』是非趙の武霊王、胡服せんと欲す。公子成、悦ばず。霊王曰く「夫れ服なる者は国を使う所以、礼なる者は事を使う所以なり。聖人は郷を観て宜しきに順い、事に因りて礼を制す。其の人を利して其の国を厚くする所以なり。夫れ髪を剪り身に文し、臂を錯え左袵するは、越に臨むの人なり。歯を黒くし題を雕り、鯷冠秫縫するは、大呉の国なり。故に礼服は同じきこと莫くして、其の便は一なり。郷異なれば用変じ、事異なれば礼易わる。是を以て聖人は、以て其の国を利す可きを謀りて、其の用を一にせず。以て其の礼を便にす可きを謀りて、其の故に法らず。儒者は一師にして俗を異にし、中国は礼を同じくして教を離る。況んや山谷の便に於てをや。故に去就の変は、智者も一にする能わず。遠邇の服は、賢聖も同じくする能わず。窮郷には異俗多く、曲学には殊弁多し。今、叔父の言は俗なり。吾の言う所は、以て俗を制するなり。叔父は変服の名を悪みて、以て事に効すの実を忘る。寡人の望む所に非ざるなり」と。公子成、遂に胡服す。
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史記 趙世家武霊王曰く、「今中山我が腹心に在り、北に燕有り、東に胡有り、西に林胡・楼煩・秦・韓の辺有り、而して彊兵の救無し、是れ社稷を亡ふなり、柰何。夫れ高世の名有るは、必ず遺俗の累有り。吾胡服せんと欲す」と。楼緩曰く、「善し」と。群臣皆欲せず。
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史記 趙世家王曰く、「齊民は俗と流れ、賢者は変と俱にす。故に諺に曰く、『書を以て御する者は馬の情を尽くさず、古を以て今を制する者は事の変に達せず』と。法に循ふの功は、以て世に高きに足らず、古に法るの学は、以て今を制するに足らず」と。
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史記 趙世家故に去就の変は、智者も一にすること能はず。遠近の服は、賢聖も同じくすること能はず。窮郷は異多く、曲学は辯多し。知らずして疑はず、己に異なりて非とせざる者は、公にして衆く善を尽くすことを求むるなり。今叔の言ふ所の者は俗なり。吾の言ふ所の者は俗を制する所以なり。吾が国は東に河・薄洛の水有り、斉・中山と之を同じくす。舟楫の用無し。常山より以て代・上党に至るまで、東に燕・東胡の境有り、而して西に楼煩・秦・韓の辺有り。今騎射の備へ無し。故に寡人、舟楫の用無ければ、夾水居の民、将に何を以てか河・薄洛の水を守らん。服を変じて騎射し、以て燕・三胡・秦・韓の辺に備へん。且つ昔者簡主は晋陽を塞がずして以て上党に及び、而して襄主は戎を并せ代を取りて以て諸胡を攘ふ。此れ愚智の明らかにする所なり。先時中山、斉の彊兵を負ひ、吾が地を侵暴し、吾が民を系累し、水を引きて鄗を囲む。社稷の神霊微かりせば、則ち鄗幾んど守らざらん。先王之を丑とし、而して怨み未だ報ゆること能はず。今騎射の備へは、近くは以て上党の形を便にすべく、而して遠くは以て中山の怨みに報ゆべし。而るに叔中国の俗に順ひて以て簡・襄の意に逆らひ、変服の名を悪みて以て鄗の事の丑を忘る。寡人の望む所に非ざるなり」と。公字成再拝稽首して曰く、「臣愚にして、王の義に達せず、敢へて世俗の聞を道ふ。臣の罪なり。今王将に簡・襄の意を継ぎて以て先王の志に順はんとす。臣敢へて命を聴かざらんや」と。再拝稽首す。乃ち胡服を賜ふ。明日、服して朝す。是に於て始めて胡服の令を出だす。趙文・趙造・周袑・趙俊皆王を諫止して胡服する毋く、故法の便なるが如くせよと。
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