斉家論 / 下
答、曲禮を引るゝは面白きことなり、さりながら、汝のいへるは表一通にて、袴さへ著れば、禮は調ふと思はるゝと聞ゆ、我言所は左にあらず、聖人の敎を有難く思ふ實あつて、袴を著るは禮なり、實なくして袴を著るばかりは禮にあらず、子曰、繪の事は素より後にす、子夏曰、禮は後乎、言は禮は必忠信を以質と爲、是を以て見れば、實は本也、禮は末也、我許せしは、信心有ても、袴著ては講釋に出がたき人の爲なり、豈儉約にかゝはるべき、隙暇は有ながら、農工商の身として、毎日袴著て徘徊すれば、隣近所の人々が、しさいらしく思ふゆへ、遠慮せねばならぬ也、遠慮のいらぬ旁に、袴無用といふべきや、兔角一人なりとも多く聞せたきが我願ひなり、
新字:答、曲礼を引るゝは面白きことなり、さりながら、汝のいへるは表一通にて、袴さへ著れば、礼は調ふと思はるゝと聞ゆ、我言所は左にあらず、聖人の教を有難く思ふ実あつて、袴を著るは礼なり、実なくして袴を著るばかりは礼にあらず、子曰、絵の事は素より後にす、子夏曰、礼は後乎、言は礼は必忠信を以質と為、是を以て見れば、実は本也、礼は末也、我許せしは、信心有ても、袴著ては講釈に出がたき人の為なり、豈倹約にかゝはるべき、隙暇は有ながら、農工商の身として、毎日袴著て徘徊すれば、隣近所の人々が、しさいらしく思ふゆへ、遠慮せねばならぬ也、遠慮のいらぬ旁に、袴無用といふべきや、兔角一人なりとも多く聞せたきが我願ひなり、
書き下し
答ふ、曲礼を引かるゝは面白きことなり。さりながら、汝のいへるは表一通りにて、袴さへ著れば、礼は調ふと思はるゝと聞ゆ。我が言ふ所は左にあらず。聖人の教を有難く思ふ実あつて、袴を著るは礼なり。実なくして袴を著るばかりは礼にあらず。子曰く、絵の事は素より後にす。子夏曰く、礼は後か。言ふこころは、礼は必ず忠信を以て質と為す。是を以て見れば、実は本なり、礼は末なり。我が許せしは、信心有りても、袴著ては講釈に出でがたき人の為なり。豈倹約にかゝはるべき。隙暇は有りながら、農工商の身として、毎日袴著て徘徊すれば、隣近所の人々が、しさいらしく思ふゆへ、遠慮せねばならぬなり。遠慮のいらぬかたがたに、袴無用といふべきや。とかく一人なりとも多く聞かせたきが我が願ひなり。
現代語訳
梅岩は答えました。「曲礼を引かれたのは結構なことです。しかしあなたの言うのは表面だけで、袴さえ着ければ礼は整うと思っておられるように聞こえます。私の言うことはそうではありません。聖人の教えをありがたく思う実があって袴を着けるのが礼です。実がなくて袴を着けるだけでは礼ではありません。孔子は『絵を描くことは、白い下地を整えた後にする』と言い、子夏は『礼は後なのですね』と応じました。その意味は、礼は必ず忠信を中身とするということです。これで見れば、実が本で、礼は末です。私が袴を許したのは、学ぶ心があっても、袴を着けては講釈に出にくい人のためです。倹約とは関係ありません。暇はあっても、農工商の身で毎日袴を着けて出歩けば、近所の人が妙に改まったことだと思うので、遠慮しなければならないのです。そういう遠慮のいらない方々にまで袴は無用と言うでしょうか。とにかく一人でも多くの人に聞かせたいというのが私の願いなのです。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・修身・情を飾ると偽を飾る先王の禮文は用て情を飾る。後世の禮文は用て偽を飾る。情を飾れば則ち三千三百、至繁なりと雖も、其の率真爲るを害せず。偽を飾れば則ち一揖一拜と雖も、已に自ら多し。後の偽を飾るを惡む者は、乃ち一切苟簡決裂して、以て天下の防を潰し、而して自ら之を率真と謂ふ。將に伯子の簡に流れて行ふ可からざらんとす。又た禮の賊なり。
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『呻吟語』内篇・談道・禮は情より生ず瓜・李將に熟せんとすれば、浮白生ず。禮は情より生ずるに、後世乃ち禮を以て情と為す。哀しいかな。
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論語・八佾篇林放礼の本を問う。子曰く、「大なるかな問いや。礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ。喪は其の易めんよりは、寧ろ戚めよ。」
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『斉家論』下或る人又問ふ、汝儒書の講釈に袴を著せざるも、倹約の含みあるゆへ、前方よりゆるし置かれしと見えたり。然れども某思ふは、袴は礼服なり。それを許すは礼をすつると云ふものなり。礼をすて聖人の道は説かれまじ。天下の事、一物として礼にあらざることなし。曲礼に曰く、道徳仁義、礼にあらざればならず、教訓して俗を正するも、礼にあらざれば備はらず、争ひを分ち訟へを弁ふることも、礼にあらざれば決せず、君臣上下父子兄弟も、礼にあらざれば定まらずと見えたり。其の弁へを教ゆるに、礼を捨てて何を教へられ候や。
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『呻吟語』外篇・治道・階に級有り禮の次第有るは、猶ほ堂の階有るがごとし。人をして驟かに僭する得ざらしむ。故に等級は太だ煩はしきを妨げず。階に級有らば、疾足の者と雖も闊步するを得ず。禮に等有らば、倨傲なる者と雖も敢へて節を凌がず。
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『長短経』正論班固曰く「人は天地陰陽の気を函み、喜怒哀楽の情有り。天は其の性を稟けて節せず。聖人は能く之が節を為して、絶つ能わざるなり。故に天地に象りて礼楽を制す。神明に通じ、人倫を立て、情性を正し、万事を節する所以なり。人性に男女の情、妬忌の別有り。為に婚姻の礼を制す。交接長幼の序有り。為に郷飲の礼を制す。死を哀しみ遠きを思うの情有り。為に喪祭の礼を制す。尊を尊び上を敬うの心有り。為に朝覲の礼を制す。哀には哭踊の節有り、楽には歌舞の容有り。正しき人は以て其の誠に副うに足り、邪なる人は以て其の失を防ぐに足る。故に婚姻の礼廃るれば、則ち夫婦の道苦しみて、淫僻の罪多く、郷飲の礼廃るれば、則ち長幼の序乱れて、争闘の獄煩わし。喪祭の礼廃るれば、則ち骨肉の恩薄くして、死に背き生を忘るる者衆く、朝聘の礼廃るれば、則ち君臣の位失われて、侵凌の漸起こる。故に孔子曰く『上を安んじ人を治むるは、礼より善きは莫し。風を移し俗を易うるは、楽より善きは莫し。揖譲して天下を治むるとは、礼楽の謂なり』と」と。〉