呻吟語 / 内篇・修身・情を飾ると偽を飾る
先王之禮文用以飾情,後世之禮文用以飾偽。飾情則三千三百,雖至繁也,不害其為率真;飾偽則雖一揖一拜,已自多矣。後之惡飾偽者,乃一切苟簡決裂,以潰天下之防,而自謂之率真,將流於伯子之簡而不可行,又禮之賊也。
新字:先王之礼文用以飾情,後世之礼文用以飾偽。飾情則三千三百,雖至繁也,不害其為率真;飾偽則雖一揖一拝,已自多矣。後之悪飾偽者,乃一切苟簡決裂,以潰天下之防,而自謂之率真,将流於伯子之簡而不可行,又礼之賊也。
書き下し
先王の禮文は用て情を飾る。後世の禮文は用て偽を飾る。情を飾れば則ち三千三百、至繁なりと雖も、其の率真爲るを害せず。偽を飾れば則ち一揖一拜と雖も、已に自ら多し。後の偽を飾るを惡む者は、乃ち一切苟簡決裂して、以て天下の防を潰し、而して自ら之を率真と謂ふ。將に伯子の簡に流れて行ふ可からざらんとす。又た禮の賊なり。
現代語訳
先王の礼の形は、情を飾るために用いられました。後の世の礼の形は、偽りを飾るために用いられます。情を飾るのであれば、威儀三千、礼儀三百とどれほど繁くても、率直さを損ないません。偽りを飾るのであれば、一つの会釈、一つの拝礼でさえ、すでに多すぎます。後の世で偽りの飾りを憎む者は、何もかも簡略にし断ち切って天下の堤を崩し、それを自分では率直と呼びます。それでは伯子の簡素に流れて行いようが無くなります。これもまた礼を損なう者です。
解説
礼の繁簡ではなく、何を飾っているかで判定します。情を飾るなら三千の作法でも率直さを損なわず、偽りを飾るなら一礼でも多すぎる。この基準を立てたうえで、形式嫌いが簡略に走ることも批判します。堤を崩しておいて率直だと言うのは、別の形の礼の破壊者だ、と。繁簡どちらの極にも反対する、中道の立て方が明快です。繁簡ではなく、何を飾るかで測るという基準です。
この章句が説くこと
礼形式率直簡略中道
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