呻吟語 / 内篇・談道・禮は情より生ず
瓜、李將熟,浮白生焉。禮由情生,後世乃以禮為情,哀哉!
新字:瓜、李将熟,浮白生焉。礼由情生,後世乃以礼為情,哀哉!
書き下し
瓜・李將に熟せんとすれば、浮白生ず。禮は情より生ずるに、後世乃ち禮を以て情と為す。哀しいかな。
現代語訳
瓜や李が熟そうとすると、白い粉が浮いてきます。礼は情から生まれるものなのに、後の世では礼のほうを情だと思っています。悲しいことです。
解説
熟した実の表面に自然と粉が浮くように、礼は内側の情から自ずと現れるものだ、という見立てです。ところが後の世では順序が逆になり、礼の形をなぞることが情そのものだとされてしまった。葬儀や贈答の作法を思えば、今も変わらない話です。哀しいかなという結びに、形だけが残った時代への嘆きがあります。順序が逆になれば、礼はただの負担に変わってしまいます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
礼情形式順序自然
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史記 趙世家且つ服奇なる者は志淫なりとせば、則ち是れ鄒・魯に奇行無きなり。俗辟なる者は民易なりとせば、則ち是れ呉・越に秀士無きなり。且つ聖人は身を利するを之を服と謂ひ、事を便にするを之を礼と謂ふ。夫れ進退の節、衣服の制は、常民を斉しくする所以なり。賢者を論ずる所以に非ざるなり。
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『呻吟語』内篇・修身・情を飾ると偽を飾る先王の禮文は用て情を飾る。後世の禮文は用て偽を飾る。情を飾れば則ち三千三百、至繁なりと雖も、其の率真爲るを害せず。偽を飾れば則ち一揖一拜と雖も、已に自ら多し。後の偽を飾るを惡む者は、乃ち一切苟簡決裂して、以て天下の防を潰し、而して自ら之を率真と謂ふ。將に伯子の簡に流れて行ふ可からざらんとす。又た禮の賊なり。
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論語・八佾篇林放礼の本を問う。子曰く、「大なるかな問いや。礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ。喪は其の易めんよりは、寧ろ戚めよ。」
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『講孟余話』告子下 首章「礼を以て食へば則ち飢ゑて死し、礼を以てせずして食へば則ち食を得。必ず礼を以てせんか。親迎すれば則ち妻を得ず、親迎せざれば則ち妻を得。必ず親迎せんか」。此の両句義理通ぜずと云ふべし。礼と云へば経礼三百威儀三千、皆其の内に包ねたれば、独り瑣事末節のみを云ふに非ず。然れば礼を以て食ひて飢ゑて死すと云ふとも、豈に恨みとせんや。伯夷叔斉首陽の下に死する如き是れなり。又上篇第十章、「生を舎てて義を取る」の義と合せ考へて知るべし。又親迎は婚礼に於て納采・問名・納吉・請期・親迎・納徴を六礼と云ひて、親迎も亦已に其の一に在り。且つ礼記に「男子親迎し、男、女に先んず、剛柔の義なり。天は地に先んじ、君は臣に先んず、其の義一なり」と云ふ。余未だ其の詳を知ること能はざれども、是に由りて之を考ふるに、親迎の礼は小節とも見えず。「聘すれば則ち妻と為し、奔れば則ち妾と為す」の訓もあり。奔は聘礼未だ備はらずして嫁するを云ふ、高愈小学纂註とあれば、親迎の一礼を闕く時は、亦奔の類に非ずや。是等の処、名教に関ることなれば、匆々に看過すべからず。