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史記 / 趙世家

故去就之變,智者不能一;遠近之服,賢聖不能同。窮鄕多異,曲學多辯。不知而不疑,異於己而不非者,公焉而衆求盡善也。今叔之所言者俗也,吾所言者所以制俗也。吾國東有河、薄洛之水,與齊、中山同之,無舟楫之用。自常山以至代、上黨,東有燕、東胡之境,而西有樓煩、秦、韓之邊,今無騎射之備。故寡人無舟楫之用,夾水居之民,將何以守河、薄洛之水;變服騎射,以備燕、三胡、秦、韓之邊。且昔者簡主不塞晉陽以及上黨,而襄主并戎取代以攘諸胡,此愚智所明也。先時中山負齊之彊兵,侵暴吾地,系累吾民,引水圍鄗,微社稷之神靈,則鄗幾於不守也。先王丑之,而怨未能報也。今騎射之備,近可以便上黨之形,而遠可以報中山之怨。而叔順中國之俗以逆簡、襄之意,惡變服之名以忘鄗事之丑,非寡人之所望也。」公字成再拜稽首曰:「臣愚,不達於王之義,敢道世俗之聞,臣之罪也。今王將繼簡、襄之意以順先王之志,臣敢不聽命乎!」再拜稽首。乃賜胡服。明日,服而朝。於是始出胡服令也。趙文、趙造、周袑、趙俊皆諫止王毋胡服,如故法便。

新字:故去就之変,智者不能一;遠近之服,賢聖不能同。窮郷多異,曲学多弁。不知而不疑,異於己而不非者,公焉而衆求尽善也。今叔之所言者俗也,吾所言者所以制俗也。吾国東有河、薄洛之水,与斉、中山同之,無舟楫之用。自常山以至代、上党,東有燕、東胡之境,而西有楼煩、秦、韓之辺,今無騎射之備。故寡人無舟楫之用,夾水居之民,将何以守河、薄洛之水;変服騎射,以備燕、三胡、秦、韓之辺。且昔者簡主不塞晋陽以及上党,而襄主并戎取代以攘諸胡,此愚智所明也。先時中山負斉之彊兵,侵暴吾地,系累吾民,引水囲鄗,微社稷之神霊,則鄗幾於不守也。先王丑之,而怨未能報也。今騎射之備,近可以便上党之形,而遠可以報中山之怨。而叔順中国之俗以逆簡、襄之意,悪変服之名以忘鄗事之丑,非寡人之所望也。」公字成再拝稽首曰:「臣愚,不達於王之義,敢道世俗之聞,臣之罪也。今王将継簡、襄之意以順先王之志,臣敢不聴命乎!」再拝稽首。乃賜胡服。明日,服而朝。於是始出胡服令也。趙文、趙造、周袑、趙俊皆諫止王毋胡服,如故法便。

書き下し

故に去就の変は、智者も一にすること能はず。遠近の服は、賢聖も同じくすること能はず。窮郷は異多く、曲学は辯多し。知らずして疑はず、己に異なりて非とせざる者は、公にして衆く善を尽くすことを求むるなり。今叔の言ふ所の者は俗なり。吾の言ふ所の者は俗を制する所以なり。吾が国は東に河・薄洛の水有り、斉・中山と之を同じくす。舟楫の用無し。常山より以て代・上党に至るまで、東に燕・東胡の境有り、而して西に楼煩・秦・韓の辺有り。今騎射の備へ無し。故に寡人、舟楫の用無ければ、夾水居の民、将に何を以てか河・薄洛の水を守らん。服を変じて騎射し、以て燕・三胡・秦・韓の辺に備へん。且つ昔者簡主は晋陽を塞がずして以て上党に及び、而して襄主は戎を并せ代を取りて以て諸胡を攘ふ。此れ愚智の明らかにする所なり。先時中山、斉の彊兵を負ひ、吾が地を侵暴し、吾が民を系累し、水を引きて鄗を囲む。社稷の神霊微かりせば、則ち鄗幾んど守らざらん。先王之を丑とし、而して怨み未だ報ゆること能はず。今騎射の備へは、近くは以て上党の形を便にすべく、而して遠くは以て中山の怨みに報ゆべし。而るに叔中国の俗に順ひて以て簡・襄の意に逆らひ、変服の名を悪みて以て鄗の事の丑を忘る。寡人の望む所に非ざるなり」と。公字成再拝稽首して曰く、「臣愚にして、王の義に達せず、敢へて世俗の聞を道ふ。臣の罪なり。今王将に簡・襄の意を継ぎて以て先王の志に順はんとす。臣敢へて命を聴かざらんや」と。再拝稽首す。乃ち胡服を賜ふ。明日、服して朝す。是に於て始めて胡服の令を出だす。趙文・趙造・周袑・趙俊皆王を諫止して胡服する毋く、故法の便なるが如くせよと。

現代語訳

だから、何を取り何を捨てるかの変化については、知恵ある者も一つに決めることはできない。遠くの国と近くの国の服装を、賢人や聖人も同じにすることはできない。辺鄙な土地ほど風俗の違いが多く、偏った学問ほど理屈が多い。知らないことを疑わず、自分と違うものを否定しないことこそ、公平で、衆人の善をあまねく求める態度である。今、叔父上がおっしゃっているのは習俗である。わたしが言っているのは、習俗をどう制御するかである。わが国は東に黄河と薄洛(はくらく)の川があり、斉・中山とこれを共有しているのに、舟や櫂の備えがない。常山から代・上党に至るまで、東には燕・東胡との国境があり、西には楼煩(ろうはん)・秦・韓との辺境があるのに、今は騎馬や弓射の備えがない。だからわたしは、舟の備えがないのなら、川沿いに住む民はどうやって黄河や薄洛の川を守るのかと考えたのだ。服を変えて騎射を学び、燕・三胡・秦・韓との辺境に備えようというのである。それに昔、簡子は晋陽を閉ざさずに上党にまで勢力を伸ばし、襄子は戎を併せ代を取って胡の諸族を退けた。これは愚かな者にも知恵ある者にも明らかなことである。以前、中山は斉の強兵を後ろ盾にしてわが地を侵し荒らし、わが民を捕らえて連れ去り、川の水を引いて鄗を包囲した。社稷の神霊のご加護がなかったら、鄗はほとんど守れなかっただろう。先王はこれを恥とされたが、その恨みはまだ晴らせていない。今、騎射の備えがあれば、近くは上党の地形を活かすことができ、遠くは中山への恨みを晴らすことができる。それなのに叔父上は中国の習俗に従って簡子・襄子の志に逆らい、服を変えるという評判を嫌って鄗の恥を忘れておられる。これはわたしの望むところではない」。公子成は再拝し額を地につけて言った。「わたしは愚かで、王の道理を理解せず、世俗の聞きかじりを申し上げてしまった。わたしの罪である。今、王は簡子・襄子の志を継ぎ、先王の遺志に従おうとしておられる。どうしてご命令に従わないことがあろう」。そして再拝し額を地につけた。王は胡服を賜った。翌日、公子成は胡服を着て朝廷に出た。こうして初めて胡服の令が出された。趙文・趙造・周袑(しゅうしょう)・趙俊はみな王を諫め、胡服をやめて、これまでの法のとおりにするのが便利だと言った。

解説

武霊王が公子成を説き伏せる結末の段です。王は、知らないことを疑わず、自分と違うものを否定しない態度こそ公平だと説き、叔父の言う伝統は単なる習俗にすぎず、自分が語っているのは習俗をどう制するかだと切り返します。さらに、趙の地理的な弱点、つまり川があるのに水軍がなく、四方に騎馬民族や強国と接するのに騎兵がないことを具体的に挙げ、祖先の簡子・襄子の事業と、中山に鄗を囲まれた屈辱を持ち出して叔父の感情に訴えました。理と情の両面から説かれた公子成は非を認め、翌日胡服で朝廷に現れます。保守派の重鎮が率先して着たことで、胡服の令は正式に発せられました。それでも他の重臣たちは反対を続けます。原文の「公字成」は「公子成」の誤りと見られます。一人を説得しても抵抗は続くという現実も含めて、改革の難しさがよく描かれています。

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