師導古典を学びたいすべての人に

史記 / 趙世家

今胡服之意,非以養欲而樂志也;事有所止而功有所出,事成功立,然後善也。今寡人恐叔之逆從政之經,以輔叔之議。且寡人聞之,事利國者行無邪,因貴戚者名不累,故願慕公叔之義,以成胡服之功。使紲謁之叔,請服焉。」公子成再拜稽首曰:「臣固聞王之胡服也。臣不佞,寢疾,未能趨走以滋進也。王命之,臣敢對,因竭其愚忠。曰:臣聞中國者,蓋聰明徇智之所居也,萬物財用之所聚也,賢聖之所教也,仁義之所施也,詩書禮樂之所用也,異敏技能之所試也,遠方之所觀赴也,蠻夷之所義行也。今王捨此而襲遠方之服,變古之教,易古人道,逆人之心,而怫學者,離中國,故臣願王圖之也。」使者以報。王曰:「吾固聞叔之疾也,我將自往請之。」王遂往之公子成家,因自請之,曰:「夫服者,所以便用也;禮者,所以便事也。聖人觀鄕而順宜,因事而制禮,所以利其民而厚其國也。夫翦發文身,錯臂左衽,甌越之民也。黑齒雕題,卻冠秫絀,大吳之國也。故禮服莫同,其便一也。鄕異而用變,事異而禮易。是以聖人果可以利其國,不一其用;果可以便其事,不同其禮。儒者一師而俗異,中國同禮而教離,況於山谷之便乎?

新字:今胡服之意,非以養欲而楽志也;事有所止而功有所出,事成功立,然後善也。今寡人恐叔之逆従政之経,以輔叔之議。且寡人聞之,事利国者行無邪,因貴戚者名不累,故願慕公叔之義,以成胡服之功。使紲謁之叔,請服焉。」公子成再拝稽首曰:「臣固聞王之胡服也。臣不佞,寝疾,未能趨走以滋進也。王命之,臣敢対,因竭其愚忠。曰:臣聞中国者,蓋聰明徇智之所居也,万物財用之所聚也,賢聖之所教也,仁義之所施也,詩書礼楽之所用也,異敏技能之所試也,遠方之所観赴也,蠻夷之所義行也。今王捨此而襲遠方之服,変古之教,易古人道,逆人之心,而怫学者,離中国,故臣願王図之也。」使者以報。王曰:「吾固聞叔之疾也,我将自往請之。」王遂往之公子成家,因自請之,曰:「夫服者,所以便用也;礼者,所以便事也。聖人観郷而順宜,因事而制礼,所以利其民而厚其国也。夫翦発文身,錯臂左衽,甌越之民也。黒歯雕題,却冠秫絀,大呉之国也。故礼服莫同,其便一也。郷異而用変,事異而礼易。是以聖人果可以利其国,不一其用;果可以便其事,不同其礼。儒者一師而俗異,中国同礼而教離,況於山谷之便乎?

書き下し

今胡服の意は、以て欲を養ひて志を楽しましむるに非ざるなり。事に止まる所有りて功に出づる所有り、事成り功立ちて、然る後に善きなり。今寡人、叔の政に従ふの経に逆らはんことを恐れ、以て叔の議を輔く。且つ寡人之を聞く、事の国を利する者は行ひに邪無く、貴戚に因る者は名累はされずと。故に願はくは公叔の義を慕ひ、以て胡服の功を成さん。紲をして之を叔に謁せしむ。請ふ服せよ」と。公子成再拝稽首して曰く、「臣固より王の胡服を聞けり。臣不佞にして、寝疾し、未だ趨走して以て滋々進むこと能はず。王之を命ず。臣敢へて対へ、因りて其の愚忠を竭くさん。曰く、臣聞く、中国は、蓋し聡明徇智の居る所なり、万物財用の聚まる所なり、賢聖の教ふる所なり、仁義の施す所なり、詩書礼楽の用ふる所なり、異敏技能の試みる所なり、遠方の観赴する所なり、蛮夷の義として行ふ所なりと。今王此を捨てて遠方の服を襲ひ、古の教へを変じ、古人の道を易へ、人の心に逆らひて、学者に怫り、中国に離る。故に臣願はくは王之を図れ」と。使者以て報ず。王曰く、「吾固より叔の疾を聞けり。我将に自ら往きて之に請はんとす」と。王遂に往きて公子成の家に之き、因りて自ら之に請ひて曰く、「夫れ服は、用を便にする所以なり。礼は、事を便にする所以なり。聖人は郷を観て宜しきに順ひ、事に因りて礼を制す。其の民を利して其の国を厚くする所以なり。夫れ髪を翦り身に文し、臂に錯して衽を左にするは、甌越の民なり。歯を黒くし題に雕り、冠を卻にして秫絀なるは、大呉の国なり。故に礼服同じき莫きも、其の便は一なり。郷異なれば用変じ、事異なれば礼易はる。是を以て聖人は果たして以て其の国を利すべくんば、其の用を一にせず。果たして以て其の事を便にすべくんば、其の礼を同じくせず。儒者は師を一にして俗異なり、中国は礼を同じくして教へ離る。況んや山谷の便に於てをや。

現代語訳

今、胡服を採用する意図は、欲を満たし気分を楽しむためではない。事業には目標があり、功績には出どころがある。事業が成り功績が立ってこそ、それが善いことだと言える。今わたしは、叔父上が政治の筋道に逆らうことになるのを恐れて、あえて叔父上のお考えをお助けしようとしている。それにわたしはこう聞いている。国を利する事業であれば行いに邪なところはなく、身分の高い親族の協力を得れば名誉が損なわれることはない、と。だから叔父上の義を慕い、その力で胡服の功を成し遂げたいのだ。王紲を遣わしてこのことを叔父上に申し上げさせる。どうか胡服を着ていただきたい」。公子成は再拝し額を地につけて言った。「わたしは王が胡服を採用されることはすでに聞いている。わたしは才がなく、病に伏せっていて、参上してお仕えすることもできずにいる。王からご命令があったので、あえてお答えし、愚かながら忠心を尽くしたい。申し上げる。聞くところでは、中国(中原の国々)とは、聡明で知恵の行き届いた人々の住む所であり、万物や財貨が集まる所であり、賢人・聖人が教えを垂れた所であり、仁義が施される所であり、詩・書・礼・楽が用いられる所であり、優れた技能が試される所であり、遠方の人々が見習いにやって来る所であり、周辺の異民族が手本として従う所である。今、王はこれらを捨てて遠方の異民族の服を身につけ、古からの教えを変え、昔の人々の道を改め、人々の心に逆らい、学ある者の意に背いて、中国から離れようとしておられる。だからどうか王にはよくお考え直しいただきたい」。使者がこれを報告すると、王は言った。「叔父上が病気であることはもとより聞いている。わたしが自ら出向いてお願いしよう」。王はそこで自ら公子成の家に赴き、直接こう頼んだ。「そもそも衣服とは、用いるのに便利なようにするためのものである。礼とは、物事を行うのに便利なようにするためのものである。聖人は土地柄を見てふさわしいものに従い、事情に応じて礼を定めた。それによって民を利し、国を豊かにしたのである。髪を切り体に入れ墨をし、腕にも入れ墨をして襟を左前にするのは、甌越(おうえつ)の民である。歯を黒く染め額に入れ墨をし、魚の皮の冠をかぶり粗末な縫い方の服を着るのは、大いなる呉の国である。このように礼服はそれぞれ違うが、便利さを求めるという点では同じである。土地が違えば用いるものも変わり、事情が違えば礼も変わる。だから聖人は、国を利することができるなら用いるものを一つに決めず、事を便利にできるなら礼を同じにはしなかった。儒者は同じ師に学んでも風俗は異なり、中国は同じ礼を持っていても教えはばらばらである。まして山や谷の暮らしの便宜となればなおさらである。

解説

胡服騎射をめぐる、武霊王と叔父公子成の論争の核心部です。王はまず使者を通じて、改革は国を利するためであり、身分の高い親族が率先してくれれば非難は起こらないと協力を求めます。公子成は、中国こそ文明と教養の中心であり、異民族の服を着るのは古の教えと人心に背き中国から離れることだと、伝統の価値を堂々と説きました。これを受けて王は病床の叔父を自ら訪ね、服も礼も本来は便利のためにあるもので、土地や事情が違えば変わってよい、呉越の人々は中原と違う服装でも立派に国を営んでいる、と説きます。形式そのものに価値があるのではなく、形式が果たす目的こそが大事だという議論です。反対派の論理を正面から受け止め、自ら出向いて説く王の姿勢は、変革を進めるリーダーの手本といえます。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る