史記 / 孫子呉起列伝
楚悼王素聞起賢、至則相楚。明法審令、捐不急之官、廢公族疏遠者、以撫養戰鬬之士。要在彊兵、破馳說之言從橫者。於是南平百越、北并陳蔡、卻三晉、西伐秦。諸侯患楚之彊。故楚之貴戚盡欲害吳起。及悼王死、宗室大臣作亂而攻吳起、吳起走之王尸而伏之。擊起之徒因射刺吳起、并中悼王。悼王既葬、太子立、乃使令尹盡誅射吳起而并中王尸者。坐射起而夷宗死者七十餘家。
新字:楚悼王素聞起賢、至則相楚。明法審令、捐不急之官、廃公族疏遠者、以撫養戦闘之士。要在彊兵、破馳説之言従横者。於是南平百越、北并陳蔡、却三晋、西伐秦。諸侯患楚之彊。故楚之貴戚尽欲害呉起。及悼王死、宗室大臣作乱而攻呉起、呉起走之王尸而伏之。撃起之徒因射刺呉起、并中悼王。悼王既葬、太子立、乃使令尹尽誅射呉起而并中王尸者。坐射起而夷宗死者七十余家。
書き下し
楚の悼王、素より起の賢なるを聞き、至れば則ち楚に相とす。法を明らかにし令を審らかにし、不急の官を捐て、公族の疏遠なる者を廃し、以て戦闘の士を撫養す。要は兵を彊くし、馳説の従横を言ふ者を破るに在り。是に於いて南は百越を平らげ、北は陳・蔡を并せ、三晋を卻け、西は秦を伐つ。諸侯、楚の彊きを患ふ。故に楚の貴戚尽く呉起を害せんと欲す。悼王死するに及び、宗室大臣、乱を作して呉起を攻む。呉起、走りて王の尸に之きて之に伏す。起を撃つの徒、因りて呉起を射刺し、并せて悼王に中つ。悼王既に葬られ、太子立ち、乃ち令尹をして尽く呉起を射て并せて王の尸に中つる者を誅せしむ。起を射るに坐して宗を夷げられて死せし者七十余家。
現代語訳
楚の悼王はかねて呉起の賢明さを聞いており、来るとすぐ楚の宰相に任じた。呉起は法令を明確にし、不要な官職を廃し、王族の遠縁の者の特権を取り上げ、その財源で戦う兵士を養った。眼目は軍を強くし、合従連衡を説く弁論家を退けることにあった。こうして南は百越を平定し、北は陳・蔡を併合して三晋を退け、西は秦を攻めた。諸侯は楚の強大化を恐れた。一方、特権を奪われた楚の王族・貴族はこぞって呉起を憎んだ。悼王が死ぬと、王族と大臣たちが反乱を起こして呉起を襲った。呉起は逃げて王の遺体のもとに走り、その上に伏せた。呉起を襲った者たちは呉起を射殺したが、その矢は悼王の遺体にも当たった。悼王の葬儀の後、太子が即位すると、令尹に命じて、呉起を射て王の遺体に矢を当てた者をことごとく処刑させた。呉起を射た罪で一族を滅ぼされた者は七十余家に及んだ。
解説
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