史記 / 趙世家
公孫支書而藏之,秦讖於是出矣。獻公之亂,文公之霸,而襄公敗秦師於殽而歸縱淫,此子之所聞。今主君之疾與之同,不出三日疾必閒,閒必有言也。」居二日半,簡子寤。語大夫曰:「我之帝所甚樂,與百神游於鈞天,廣樂九奏萬舞,不類三代之樂,其聲動人心。有一熊欲來援我,帝命我射之,中熊,熊死。又有一羆來,我又射之,中羆,羆死。帝甚喜,賜我二笥,皆有副。吾見兒在帝側,帝屬我一翟犬,曰:『及而子之壯也,以賜之。』帝告我:『晉國且世衰,七世而亡,嬴姓將大敗周人於范魁之西,而亦不能有也。今余思虞舜之勳,適余將以其胄女孟姚配而七世之孫。』」董安于受言而書藏之。以扁鵲言告簡子,簡子賜扁鵲田四萬畝。他日,簡子出,有人當道,辟之不去,從者怒,將刃之。當道者曰:「吾欲有謁於主君。」從者以聞。簡子召之,曰:「譆,吾有所見子晣也。」當道者曰:「屛左右,願有謁。」簡子屛人。當道者曰:「主君之疾,臣在帝側。」簡子曰:「然,有之。子之見我,我何爲?」當道者曰:「帝令主君射熊與羆,皆死。」簡子曰:「是,且何也?」當道者曰:「晉國且有大難,主君首之。帝令主君滅二卿,夫熊與羆皆其祖也。」簡子曰:「帝賜我二笥皆有副,何也?」
新字:公孫支書而蔵之,秦讖於是出矣。献公之乱,文公之覇,而襄公敗秦師於殽而帰縦淫,此子之所聞。今主君之疾与之同,不出三日疾必閒,閒必有言也。」居二日半,簡子寤。語大夫曰:「我之帝所甚楽,与百神游於鈞天,広楽九奏万舞,不類三代之楽,其声動人心。有一熊欲来援我,帝命我射之,中熊,熊死。又有一羆来,我又射之,中羆,羆死。帝甚喜,賜我二笥,皆有副。吾見児在帝側,帝属我一翟犬,曰:『及而子之壮也,以賜之。』帝告我:『晋国且世衰,七世而亡,嬴姓将大敗周人於范魁之西,而亦不能有也。今余思虞舜之勲,適余将以其胄女孟姚配而七世之孫。』」董安于受言而書蔵之。以扁鵲言告簡子,簡子賜扁鵲田四万畝。他日,簡子出,有人当道,辟之不去,従者怒,将刃之。当道者曰:「吾欲有謁於主君。」従者以聞。簡子召之,曰:「譆,吾有所見子晣也。」当道者曰:「屛左右,願有謁。」簡子屛人。当道者曰:「主君之疾,臣在帝側。」簡子曰:「然,有之。子之見我,我何為?」当道者曰:「帝令主君射熊与羆,皆死。」簡子曰:「是,且何也?」当道者曰:「晋国且有大難,主君首之。帝令主君滅二卿,夫熊与羆皆其祖也。」簡子曰:「帝賜我二笥皆有副,何也?」
書き下し
公孫支書して之を蔵す。秦の讖是に於て出づ。献公の乱、文公の霸、而して襄公秦の師を殽に敗りて帰りて淫を縦にす。此れ子の聞く所なり。今主君の疾は之と同じ。三日を出でずして疾必ず閒えん。閒ゆれば必ず言有らん」と。居ること二日半にして、簡子寤む。大夫に語りて曰く、「我帝の所に之きて甚だ楽しむ。百神と鈞天に游び、広楽九奏萬舞す。三代の楽に類せず、其の声人の心を動かす。一熊有り来りて我を援らんと欲す。帝我に命じて之を射しむ。熊に中り、熊死す。又一羆有り来る。我又之を射る。羆に中り、羆死す。帝甚だ喜び、我に二笥を賜ふ。皆副有り。吾児の帝の側に在るを見る。帝我に一翟犬を属して曰く、『而の子の壮なるに及びて、以て之に賜へ』と。帝我に告ぐ、『晋国且に世々衰へんとし、七世にして亡びん。嬴姓将に大いに周人を范魁の西に敗らんとするも、亦有つこと能はざらん。今余、虞舜の勲を思ひ、適々余将に其の胄女孟姚を以て而の七世の孫に配せんとす』と」と。董安于言を受けて書して之を蔵す。扁鵲の言を以て簡子に告ぐ。簡子扁鵲に田四万畝を賜ふ。他日、簡子出づ。人有り道に当たる。之を辟くれども去らず。従者怒り、将に之を刃せんとす。道に当たる者曰く、「吾主君に謁する有らんと欲す」と。従者以て聞す。簡子之を召して曰く、「譆、吾子を見る所有ること晣かなり」と。道に当たる者曰く、「左右を屏けよ。願はくは謁する有らん」と。簡子人を屏く。道に当たる者曰く、「主君の疾のとき、臣帝の側に在り」と。簡子曰く、「然り、之有り。子の我を見る、我何をか為す」と。道に当たる者曰く、「帝主君をして熊と羆とを射しめ、皆死す」と。簡子曰く、「是なり。且つ何ぞや」と。道に当たる者曰く、「晋国且に大難有らんとし、主君之に首たらん。帝主君をして二卿を滅ぼさしめんとす。夫れ熊と羆とは皆其の祖なり」と。簡子曰く、「帝我に二笥の皆副有るを賜ふ、何ぞや」と。
現代語訳
公孫支はそれを書き記してしまっておいた。秦の予言書はこうして世に出たのである。(予言どおり)晋の献公の乱、文公の覇業、そして襄公が殽(こう)で秦軍を破り、帰国して淫らな振る舞いをほしいままにしたこと、これらはあなたも聞いているとおりだ。今、ご主君の病はそれと同じである。三日と経たずに病は必ず癒え、癒えれば必ず何か語られるだろう」。二日半たって、簡子は目を覚ました。そして大夫たちに語った。「わたしは天帝のところへ行って、とても楽しかった。多くの神々と天の中央で遊び、壮大な音楽が九度奏でられ、万舞が舞われた。夏・殷・周の三代の音楽とは違い、その響きは人の心を揺り動かした。一頭の熊がやって来てわたしにつかみかかろうとした。天帝がわたしに射よと命じたので、射ると熊に命中し、熊は死んだ。また一頭の羆(ひぐま)がやって来た。わたしはそれも射た。羆に命中し、羆は死んだ。天帝はたいそう喜び、わたしに二つの竹箱を賜った。どちらにも添え物がついていた。また、天帝のそばに一人の子どもがいるのが見えた。天帝はわたしに一匹の翟(てき)の犬を託して言った。『おまえの子が成人したら、これを与えよ』。天帝はわたしに告げた。『晋の国は代々衰え、七代で滅びるだろう。嬴姓の者が范魁(はんかい)の西で周の人々を大いに破るが、その地を保つことはできない。今わたしは虞舜の功績を思い、ちょうどその子孫の娘の孟姚(もうよう)をおまえの七代目の子孫に配するつもりである』」。董安于はその言葉を聞いて書き記し、しまっておいた。そして扁鵲の言葉を簡子に告げた。簡子は扁鵲に田地四万畝を与えた。別の日、簡子が外出すると、道の真ん中に立ちふさがる者がいた。どかせようとしても退かず、従者たちは怒って斬りつけようとした。道に立った者は言った。「わたしはご主君に申し上げたいことがあるのだ」。従者がそれを取り次ぐと、簡子はその者を呼び寄せて言った。「おお、わたしはたしかにそなたを見たことがある」。道に立った者は言った。「お人払いを願いたい。申し上げたいことがある」。簡子は人を退けた。道に立った者は言った。「ご主君が病に伏せっておられたとき、わたしは天帝のそばにいた」。簡子は言った。「そうだ、そのとおりだ。そなたがわたしに会ったとき、わたしは何をしていたか」。道に立った者は言った。「天帝はご主君に熊と羆を射させ、どちらも死んだ」。簡子は言った。「そうだ。それはいったい何を意味するのか」。道に立った者は言った。「晋の国には大きな難が起ころうとしており、ご主君がその先頭に立つことになる。天帝はご主君に二人の卿を滅ぼさせようとしている。熊と羆は、その二卿の祖先なのである」。簡子は言った。「天帝はわたしに、どちらにも添え物のついた二つの竹箱を賜った。あれは何か」。
解説
関連する章句
-
史記 扁鵲倉公列伝一熊有りて我を援かんと欲す。帝我に命じて之を射しむ。熊に中り、熊死す。羆有りて来る。我又之を射る。羆に中り、羆死す。帝甚だ喜び、我に二笥を賜ふ。皆副有り。吾児の帝の側に在るを見る。帝我に一翟犬を属して曰く、『而の子の壮なるに及びて以て之に賜へ』と。帝我に告ぐ、『晋国且に世々衰へ、七世にして亡びんとす。嬴姓将に大いに周人を范魁の西に敗らんとするも、而も亦有つ能はざるなり』と」と。董安于言を受け、書して之を蔵す。扁鵲の言を以て簡子に告ぐ。簡子扁鵲に田四万畝を賜ふ。
-
史記 趙世家趙武斉衰を服すること三年、之が為に祭邑し、春秋に之を祠り、世々絶つこと勿からしむ。趙氏位に復して十一年にして、晋の厲公其の大夫三郤を殺す。欒書及ばんことを畏れ、乃ち遂に其の君厲公を弑し、更に襄公の曾孫周を立つ、是を悼公と為す。晋此に由りて大夫稍く彊し。趙武趙の宗を続ぐこと二十七年にして、晋の平公立つ。平公十二年にして、趙武正卿と為る。十三年、呉の延陵の季子晋に使ひして曰く、「晋国の政は卒に趙武子・韓宣子・魏献子の後に帰せん」と。趙武死し、諡して文子と為す。文子、景叔を生む。景叔の時、斉の景公晏嬰を晋に使はす。晏嬰、晋の叔向と語る。嬰曰く、「斉の政は後に卒に田氏に帰せん」と。叔向も亦曰く、「晋国の政将に六卿に帰せんとす。六卿侈り、而して吾が君恤ふること能はず」と。趙景叔卒し、趙鞅を生む、是を簡子と為す。趙簡子位に在り。晋の頃公の九年、簡子将に諸侯を合して周に戍らんとす。其の明年、周の敬王を周に入る。弟子朝を辟くるの故なり。晋の頃公の十二年、六卿法を以て公族の祁氏・羊舌氏を誅し、其の邑を分ちて十県と為し、六卿各々其の族をして之が大夫と為らしむ。晋の公室此に由りて益々弱し。後十三年、魯の賊臣陽虎来奔す。趙簡子賂を受け、厚く之を遇す。趙簡子疾み、五日人を知らず。大夫皆懼る。医の扁鵲之を視て出づ。董安于問ふ。扁鵲曰く、「血脈治まれり。而るを何ぞ怪しまん。在昔秦の繆公嘗て此の如し。七日にして寤む。寤むるの日、公孫支と子輿とに告げて曰く、『我帝の所に之きて甚だ楽しむ。吾が久しき所以の者は、適々学ぶこと有ればなり。帝我に告ぐ、「晋国将に大いに乱れんとし、五世安からず。其の後将に霸たらんとし、未だ老いずして死せん。霸者の子且に而の国の男女をして別無からしめんとす」と』と。
-
史記 扁鵲倉公列伝扁鵲は、勃海郡の鄭の人なり。姓は秦氏、名は越人。少き時人の舎長と為る。舎客長桑君過ぐ。扁鵲独り之を奇とし、常に謹みて之を遇す。長桑君も亦扁鵲の常人に非ざるを知る。出入すること十余年、乃ち扁鵲を呼びて私坐し、間に与に語りて曰く、「我に禁方有り。年老いたり。伝へて公に与へんと欲す。公泄らす毋れ」と。扁鵲曰く、「敬みて諾す」と。乃ち其の懐中の薬を出して扁鵲に予へ、「是を飲むに上池の水を以てせよ。三十日にして当に物を知るべし」と。乃ち悉く其の禁方の書を取りて尽く扁鵲に与ふ。忽然として見えず。殆ど人に非ざるなり。扁鵲其の言を以て薬を飲むこと三十日、垣の一方の人を視見す。此を以て病を視るに、尽く五蔵の癥結を見る。特に脈を診るを以て名と為すのみ。医を為すに或いは斉に在り、或いは趙に在り。趙に在る者は扁鵲と名づく。晋の昭公の時に当たり、諸大夫彊くして公族弱く、趙簡子大夫と為りて、国事を専らにす。簡子疾み、五日人を知らず。大夫皆懼る。是に於て扁鵲を召す。扁鵲入りて病を視、出づ。董安于扁鵲に問ふ。扁鵲曰く、「血脈治まれり。而るを何ぞ怪しまん。昔秦の穆公嘗て此の如く、七日にして寤む。寤むるの日、公孫支と子輿とに告げて曰く、『我帝の所に之きて甚だ楽しむ。吾の久しき所以は、適々学ぶ所有ればなり。帝我に告ぐ、「晋国且に大いに乱れんとし、五世安からず。其の後将に覇たらんとするも、未だ老いずして死す。覇者の子且に而の国をして男女別無からしめんとす」と』と。公孫支書して之を蔵す。秦策是に於て出づ。夫の献公の乱、文公の覇、而して襄公秦の師を殽に敗りて帰りて淫を縦にするは、此れ子の聞く所なり。今主君の病は之と同じ。三日を出でずして必ず間えん。間ゆれば必ず言有らん」と。居ること二日半、簡子寤め、諸大夫に語りて曰く、「我帝の所に之きて甚だ楽しむ。百神と鈞天に游び、広楽九奏萬舞あり。三代の楽に類せず、其の声心を動かす。
-
史記 趙世家道に当たる者曰く、「主君の子将に二国を翟に克たんとす。皆子姓なり」と。簡子曰く、「吾児の帝の側に在るを見る。帝我に一翟犬を属して曰く『而の子の長ずるに及びて以て之に賜へ』と。夫れ児何ぞ翟犬を賜ふと謂ふや」と。道に当たる者曰く、「児は主君の子なり。翟犬は代の先なり。主君の子且に必ず代を有たんとす。主君の後嗣に及びて、且に政を革めて胡服し、二国を翟に并せんとする有らん」と。簡子其の姓を問ひて之を延くに官を以てせんとす。道に当たる者曰く、「臣は野人なり。帝の命を致すのみ」と。遂に見えず。簡子書して之を府に蔵す。異日、姑布子卿簡子に見ゆ。簡子遍く諸子を召して之を相せしむ。子卿曰く、「将軍と為る者無し」と。簡子曰く、「趙氏其れ滅びんか」と。子卿曰く、「吾嘗て一子を路に見る。殆ど君の子ならん」と。簡子、子毋卹を召す。毋卹至る。則ち子卿起ちて曰く、「此れ真の将軍なり」と。簡子曰く、「此れ其の母賤しく、翟の婢なり。奚ぞ貴しと道はんや」と。子卿曰く、「天の授くる所は、賤しと雖も必ず貴し」と。是より後、簡子尽く諸子を召して与に語る。毋卹最も賢なり。簡子乃ち諸子に告げて曰く、「吾宝符を常山の上に蔵す。先に得る者は賞せん」と。諸子常山の上に馳せて求むれども、得る所無し。毋卹還りて曰く、「已に符を得たり」と。簡子曰く、「之を奏せよ」と。毋卹曰く、「常山の上より代に臨めば、代取るべきなり」と。簡子是に於て毋卹の果たして賢なるを知り、乃ち太子伯魯を廃して、毋卹を以て太子と為す。後二年、晋の定公の十四年、范・中行乱を作す。明年の春、簡子邯鄲の大夫午に謂ひて曰く、「我に衛の士五百家を帰せ。吾将に之を晋陽に置かんとす」と。午許諾す。帰りて其の父兄聴かず、言に倍く。趙鞅、午を捕へ、之を晋陽に囚ふ。乃ち邯鄲の人に告げて曰く、「我私に午を誅すること有り。諸君誰をか立てんと欲する」と。遂に午を殺す。趙稷・渉賓、邯鄲を以て反す。
-
『新序』雜事第二晉の文公出でて獵す。前驅曰く、前に大蛇有り。高きこと隄の如く、道を阻みて之を竟る、と。文公曰く、寡人之を聞く、諸侯夢惡しければ則ち德を修め、大夫夢惡しければ則ち官を修め、士夢惡しければ則ち身を修む。是くの如くならば禍い至らず、と。今寡人過ち有り。天以て寡人を戒むるなり、と。車を還して反る。前驅曰く、臣之を聞く、喜ぶ者に賞無く、怒る者に刑無し、と。今禍福已に前に在り。變ず可からず。何ぞ遂に之を驅らざる、と。文公曰く、然らず。夫れ神は道に勝たず、而して妖も亦た德に勝たず。禍福未だ發せざれば、猶お化す可きなり、と。車を還して反り、宿齋すること三日、廟に請いて曰く、孤犧を少なくして肥えず、幣厚からず。罪の一なり。孤弋獵を好み、度數無し。罪の二なり。孤賦斂を多くし、刑罰を重くす。罪の三なり。請う、今より以來、關市に征無く、澤梁に賦斂無く、罪人を赦し、舊田は半ば税し、新田は税せざらん、と。此の令を行いて未だ半旬ならず、蛇を守る吏夢む、天帝蛇を殺して曰く、何の故に聖君の道に當たりて爲すや、罪死に當たる、と。夢より發めて蛇を視るに臭腐せり。之を謁す。文公曰く、然り。夫れ神は果たして道に勝たず、而して妖も亦た德に勝たず。柰何ぞ其れ理を究むる無くして天に任せんや。之に應ずるに德を以てするのみ、と。
-
説苑・辨物晋の平公畋(かり)に出で、乳虎の伏して動かざるを見る。顧みて師曠に謂いて曰わく、「吾之を聞く、覇王の主出づれば、則ち猛獣伏して敢えて起きずと。今者(いま)寡人出でて、乳虎の伏して動かざるを見る、此れ其れ猛獣か。」師曠曰わく、「鵲は某を食らい、某は鵔鸃(しゅんぎ)を食らい、鵔鸃は豹を食らい、豹は駮(はく)を食らい、駮は虎を食らう。夫れ駮の状は駮馬に似たる有り、今者君の出づるや必ず駮馬に驂して出畋せしか。」公曰わく、「然り。」師曠曰わく、「臣之を聞く、一たび自ら誣(し)いる者は窮し、再び自ら誣いる者は辱められ、三たび自ら誣いる者は死すと。今夫れ虎の動かざる所以は、駮馬の為なり、固より主君の徳義に非ざるなり、君奈何ぞ一たび自ら誣うるや。」平公異日朝に出づるに、鳥有りて平公を環(めぐ)りて去らず。平公顧みて師曠に謂いて曰わく、「吾之を聞く、覇王の主は、鳳之に下ると。今者朝に出づるに鳥有りて寡人を環り、終朝去らず、是れ其れ鳳鳥か。」師曠曰わく、「東方に鳥有り諫珂(かんか)と名づく。其の鳥為るや、文身にして朱足、烏を憎みて狐を愛す。今者吾が君必ず狐裘を衣て以て朝に出でしか。」平公曰わく、「然り。」師曠曰わく、「臣已に嘗て之を言えり、一たび自ら誣いる者は窮し、再び自ら誣いる者は辱められ、三たび自ら誣いる者は死すと。今鳥の為すは狐裘の故なり、吾が君の徳義に非ざるなり、君奈何ぞ再び自ら誣うるや。」平公悦ばず。異日虒祁(しき)の台に酒を置き、郎中馬章をして蒺藜(しつり)を階上に布かしめ、人をして師曠を召さしむ。師曠至り、履きて堂に上る。平公曰わく、「安(いず)くにか人臣にして履きて人主の堂に上る者有らんや。」師曠履を解きて足を刺し、伏して膝を刺し、天を仰ぎて歎ず。公起ちて之を引きて曰わく、「今者叟(そう)と戯るるのみ、叟遽(にわ)かに憂うるか。」対えて曰わく、「憂うるは夫れ肉自ら虫を生じて、還りて自ら食らわるるなり。木自ら蠹(と)を生じて、還りて自ら刻まるるなり。人自ら妖を興して、還りて自ら賊(そこな)わるるなり。五鼎の具は当(まさ)に藜藿(れいかく)を生ずべからず、人主の堂廟は当に蒺藜を生ずべからず。」平公曰わく、「今之を為すこと奈何にせん。」師曠曰わく、「妖已に前に在り、奈何ともする無し。来月八日に入りて、百官を脩め、太子を立てよ、君将に死せんとす。」来月八日に至りて旦を得、師曠に謂いて曰わく、「叟今日を以て期と為す、寡人如何(いかん)。」師曠楽しまずして帰らんことを謁す。帰りて未だ幾(いくば)くならずして平公死す。乃ち師曠の神明なるを知る。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る