史記 / 五帝本紀
正月上日,舜受終於文祖。文祖者,堯大祖也。於是帝堯老,命舜攝行天子之政,以觀天命。舜乃在璿璣玉衡,以齊七政。遂類于上帝,禋于六宗,望于山川,辯于羣神。揖五瑞,擇吉月日,見四嶽諸牧,班瑞。歲二月,東巡狩,至於岱宗,祡,望秩於山川。遂見東方君長,合時月正日,同律度量衡,脩五禮五玉三帛二生一死爲摯,如五器,卒乃復。五月,南巡狩;八月,西巡狩;十一月,北巡狩:皆如初。歸,至于祖禰廟,用特牛禮。五歲一巡狩,羣后四朝。徧告以言,明試以功,車服以庸。肇十有二州,決川。象以典刑,流宥五刑,鞭作官刑,扑作教刑,金作贖刑。眚烖過,赦;怙終賊,刑。欽哉,欽哉,惟刑之靜哉!讙兜進言共工,堯曰不可,而試之工師,共工果淫辟。四嶽舉鯀治鴻水,堯以爲不可,嶽彊請試之,試之而無功,故百姓不便。三苗在江淮、荆州數爲亂。於是舜歸而言於帝,請流共工於幽陵,以變北狄;放驩兜於崇山,以變南蠻;遷三苗於三危,以變西戎;殛鯀於羽山,以變東夷:四辠而天下咸服。堯立七十年得舜,二十年而老,令舜攝行天子之政,薦之於天。堯辟位凡二十八年而崩。百姓悲哀,如喪父母。三年,四方莫舉樂,以思堯。
新字:正月上日,舜受終於文祖。文祖者,堯大祖也。於是帝堯老,命舜摂行天子之政,以観天命。舜乃在璿璣玉衡,以斉七政。遂類于上帝,禋于六宗,望于山川,弁于羣神。揖五瑞,択吉月日,見四嶽諸牧,班瑞。歳二月,東巡狩,至於岱宗,祡,望秩於山川。遂見東方君長,合時月正日,同律度量衡,脩五礼五玉三帛二生一死為摯,如五器,卒乃復。五月,南巡狩;八月,西巡狩;十一月,北巡狩:皆如初。帰,至于祖祢廟,用特牛礼。五歳一巡狩,羣后四朝。遍告以言,明試以功,車服以庸。肇十有二州,決川。象以典刑,流宥五刑,鞭作官刑,扑作教刑,金作贖刑。眚烖過,赦;怙終賊,刑。欽哉,欽哉,惟刑之静哉!讙兜進言共工,堯曰不可,而試之工師,共工果淫辟。四嶽舉鯀治鴻水,堯以為不可,嶽彊請試之,試之而無功,故百姓不便。三苗在江淮、荆州数為乱。於是舜帰而言於帝,請流共工於幽陵,以変北狄;放驩兜於崇山,以変南蠻;遷三苗於三危,以変西戎;殛鯀於羽山,以変東夷:四辠而天下咸服。堯立七十年得舜,二十年而老,令舜摂行天子之政,薦之於天。堯辟位凡二十八年而崩。百姓悲哀,如喪父母。三年,四方莫舉楽,以思堯。
書き下し
正月上日、舜終を文祖に受く。文祖は、堯の大祖なり。是に於て帝堯老い、舜に命じて天子の政を摂行せしめ、以て天命を観る。舜乃ち璿璣玉衡を在て、以て七政を斉ふ。遂に上帝に類し、六宗に禋し、山川に望し、羣神に辯す。五瑞を揖め、吉月日を択び、四嶽・諸牧に見え、瑞を班つ。歳の二月、東に巡狩し、岱宗に至り、祡し、山川に望秩す。遂に東方の君長に見え、時月を合はせ日を正し、律度量衡を同じくし、五礼・五玉・三帛・二生・一死を脩めて摯と為し、五器の如きは、卒へて乃ち復す。五月、南に巡狩し、八月、西に巡狩し、十一月、北に巡狩す。皆初めの如し。帰りて、祖禰の廟に至り、特牛の礼を用ゐる。五歳に一たび巡狩し、羣后は四たび朝す。徧く告ぐるに言を以てし、明らかに試みるに功を以てし、車服は庸を以てす。肇めて十有二州とし、川を決す。象るに典刑を以てし、流して五刑を宥し、鞭を官刑と作し、扑を教刑と作し、金を贖刑と作す。眚烖の過は赦し、怙終の賊は刑す。欽しめや、欽しめや、惟れ刑を之れ静かにせよ。讙兜共工を進言し、堯曰く不可なりと。而して之を工師に試みるに、共工果たして淫辟なり。四嶽鯀を挙げて鴻水を治めしめんとし、堯以て不可と為すも、嶽彊ひて之を試みんことを請ふ。之を試みて功無く、故に百姓便ならず。三苗江淮・荊州に在りて数乱を為す。是に於て舜帰りて帝に言ひ、共工を幽陵に流して、以て北狄を変ぜしめ、驩兜を崇山に放ちて、以て南蛮を変ぜしめ、三苗を三危に遷して、以て西戎を変ぜしめ、鯀を羽山に殛して、以て東夷を変ぜしめんことを請ふ。四辠して天下咸服す。堯立ちて七十年にして舜を得、二十年にして老い、舜をして天子の政を摂行せしめ、之を天に薦む。堯位を辟くること凡そ二十八年にして崩ず。百姓悲哀し、父母を喪ふが如し。三年、四方楽を挙ぐる莫く、以て堯を思ふ。
現代語訳
正月の吉日、舜は文祖の廟で堯から政務の引き継ぎを受けた。文祖とは堯の太祖の廟である。この時、帝堯は老い、舜に天子の政治を代行させて、天命がどこにあるかを見極めようとした。舜はそこで璿璣玉衡(天体観測の器具)を調べて、日月と五星の運行(七政)を整えた。そして上帝に類の祭りを行い、六宗(天地四季などの神)に禋の祭りを行い、山川を望み祭り、多くの神々をあまねく祭った。諸侯に与えた五種の瑞玉を集め、吉日を選んで四嶽や各州の長に会い、瑞玉を改めて分け与えた。その年の二月、東方に巡狩(天子が諸国を視察すること)して泰山(岱宗)に至り、柴を焚いて天を祭り、山川を序列に従って望み祭った。こうして東方の諸侯に会い、季節と月を合わせ日を正し、音律・長さ・容量・重さの基準を統一し、五つの礼、五種の玉、三種の絹、二種の生きた獣、一種の死んだ獣(雉)を整えて贈り物の定めとし、五種の瑞玉のようなものは、儀礼が終わると返した。五月には南方に、八月には西方に、十一月には北方に巡狩した。いずれも最初と同じようにした。帰ると祖父と父の廟に参り、雄牛一頭を供える礼を行った。五年に一度巡狩し、諸侯はその間に四度朝見した。広く言葉で政策を告げ、功績によって明らかに試し、功のあった者には車や衣服を与えた。はじめて天下を十二州に分け、川を切り開いた。常の刑を定めて示し、流刑によって五刑(入れ墨・鼻切り・足切り・去勢・死刑)を軽減し、鞭打ちを官吏の刑とし、むち棒を教えの刑とし、金銭を贖罪の刑とした。過失や災いによる罪は赦し、悪事を頼んで改めない者は刑に処した。慎めよ、慎めよ、刑罰はひたすら穏やかに用いよ。かつて讙兜(かんとう)が共工を推薦し、堯は不可としたが、工師として試してみると、共工は果たしてよこしまであった。四嶽が鯀を推して洪水を治めさせようとし、堯は不可としたが、四嶽が強く試用を願った。試してみると功がなく、民は困窮した。三苗は長江・淮水や荊州のあたりでたびたび乱を起こした。そこで舜は巡狩から帰って帝に進言し、共工を幽陵に流して北狄を感化させ、驩兜を崇山に追放して南蛮を感化させ、三苗を三危に移して西戎を感化させ、鯀を羽山に追放して死なせ東夷を感化させるよう願った。この四人を罰すると、天下はみな服した。堯は即位して七十年で舜を得、さらに二十年して老い、舜に天子の政治を代行させて天に推薦した。堯が位を譲ってから二十八年で崩じた。民は父母を失ったように悲しんだ。三年の間、四方では音楽を奏でる者がなく、堯を偲んだ。
解説
関連する章句
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史記 五帝本紀象曰く、「本謀る者は象なり」と。象其の父母と分かち、是に於て曰く、「舜の妻、堯の二女と琴とは、象之を取らん。牛羊倉廩は、父母に予へん」と。象乃ち舜の宮に止まりて居り、其の琴を鼓す。舜往きて之を見る。象鄂きて懌ばず、曰く、「我舜を思ひて正に鬱陶たり」と。舜曰く、「然り、爾其れ庶からんか」と。舜復た瞽叟に事へ、弟を愛すること彌謹む。是に於て堯乃ち舜を五典百官に試むるに、皆治まる。昔高陽氏に才子八人有り、世其の利を得、之を八愷と謂ふ。高辛氏に才子八人有り、世之を八元と謂ふ。此の十六族は、世其の美を済し、其の名を隕さず。堯に至るまで、堯未だ挙ぐる能はず。舜八愷を挙げ、后土を主らしめ、以て百事を揆らしむるに、時序せざる莫し。八元を挙げ、五教を四方に布かしむ。父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝にして、内平らかに外成る。昔帝鴻氏に不才の子有り、義を掩ひ賊を隠し、好んで凶慝を行ふ。天下之を渾沌と謂ふ。少暤氏に不才の子有り、信を毀り忠を悪み、悪言を崇飾す。天下之を窮奇と謂ふ。顓頊氏に不才の子有り、教訓す可からず、話言を知らず。天下之を檮杌と謂ふ。此の三族は世之を憂ふ。堯に至るまで、堯未だ去る能はず。縉雲氏に不才の子有り、飲食を貪り、貨賄を冒す。天下之を饕餮と謂ふ。天下之を悪み、之を三凶に比す。舜四門に賓し、乃ち四凶族を流し、四裔に遷し、以て螭魅を御がしむ。是に於て四門辟き、凶人毋きを言ふなり。舜大麓に入り、烈風雷雨にも迷はず。堯乃ち舜の天下を授くるに足るを知る。堯老い、舜をして天子の政を摂行し、巡狩せしむ。舜挙げられ、事を用ゐること二十年にして、堯摂政せしむ。摂政すること八年にして堯崩ず。三年の喪畢はり、丹朱に譲るも、天下舜に帰す。而して禹・皋陶・契・后稷・伯夷・夔・龍・倕・益・彭祖は堯の時より皆挙用せらるるも、未だ職を分かつこと有らず。
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史記 五帝本紀此の二十二人咸厥の功を成す。皋陶大理と為りて、平らかにして、民各其の実を得るに伏す。伯夷礼を主りて、上下咸譲る。垂工師を主りて、百工功を致す。益虞を主りて、山沢辟く。棄稷を主りて、百穀時に茂る。契司徒を主りて、百姓親和す。龍賓客を主りて、遠人至る。十二牧行ひて九州敢へて辟違する莫し。唯だ禹の功を大なりと為す。九山を披き、九沢を通じ、九河を決し、九州を定め、各其の職を以て来貢し、厥の宜しきを失はず。方五千里、荒服に至る。南は交阯・北発を撫し、西は戎・析枝・渠廋・氐・羌、北は山戎・発・息慎、東は長・鳥夷、四海の内咸帝舜の功を戴く。是に於て禹乃ち九招の楽を興し、異物を致し、鳳皇来翔す。天下の明徳は皆虞帝より始まる。舜年二十にして孝を以て聞こえ、年三十にして堯之を挙げ、年五十にして天子の事を摂行し、年五十八にして堯崩じ、年六十一にして堯に代はりて帝位を践む。帝位を践むこと三十九年、南に巡狩し、蒼梧の野に崩ず。江南の九疑に葬る、是を零陵と為す。舜の帝位を践むや、天子の旗を載せ、往きて父瞽叟に朝し、夔夔として唯れ謹み、子の道の如くす。弟象を封じて諸侯と為す。舜の子商均も亦不肖なり。舜乃ち豫め禹を天に薦む。十七年にして崩ず。三年の喪畢はり、禹も亦乃ち舜の子に譲ること、舜の堯の子に譲るが如し。諸侯之に帰し、然る後に禹天子の位を践む。堯の子丹朱、舜の子商均、皆疆土有りて、以て先祀を奉ず。其の服を服し、礼楽之の如くす。客を以て天子に見え、天子臣とせず、敢へて専らにせざるを示すなり。黄帝より舜・禹に至るまで、皆姓を同じくして其の国号を異にし、以て明徳を章らかにす。故に黄帝を有熊と為し、帝顓頊を高陽と為し、帝嚳を高辛と為し、帝堯を陶唐と為し、帝舜を有虞と為す。帝禹は夏后と為りて氏を別にし、姓は姒氏なり。
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史記 五帝本紀是に於て舜乃ち文祖に至り、四嶽に謀り、四門を辟き、四方の耳目を明通し、十二牧に命じて帝徳を論ぜしめ、厚徳を行ひ、佞人を遠ざくれば、則ち蛮夷率ゐ服す。舜四嶽に謂ひて曰く、「能く庸を奮ひて堯の事を美くする者有らば、官に居りて事を相けしめん」と。皆曰く、「伯禹司空と為らば、帝の功を美くす可し」と。舜曰く、「嗟、然り。禹、汝水土を平らげよ、維れ是れ勉めよ」と。禹拝稽首して、稷・契と皋陶とに譲る。舜曰く、「然り、往け」と。舜曰く、「棄、黎民始めて飢う。汝后稷となり、時に百穀を播け」と。舜曰く、「契、百姓親しまず、五品馴れず。汝司徒と為りて、敬みて五教を敷け、寛に在れ」と。舜曰く、「皋陶、蛮夷夏を猾し、寇賊姦軌す。汝士と作れ。五刑に服有り、五服に三就あり。五流に度有り、五度に三居あり。維れ明らかなれば能く信ぜられん」と。舜曰く、「誰か能く予が工を馴めん」と。皆曰く垂可なりと。是に於て垂を以て共工と為す。舜曰く、「誰か能く予が上下の草木鳥獣を馴めん」と。皆曰く益可なりと。是に於て益を以て朕が虞と為す。益拝稽首して、諸臣朱虎・熊羆に譲る。舜曰く、「往け、汝諧へり」と。遂に朱虎・熊羆を以て佐と為す。舜曰く、「嗟、四嶽、能く朕が三礼を典る有るか」と。皆曰く伯夷可なりと。舜曰く、「嗟、伯夷、汝を以て秩宗と為す。夙夜維れ敬み、直にして維れ静絜なれ」と。伯夷夔・龍に譲る。舜曰く、「然り。夔を以て典楽と為し、稺子に教へしむ。直にして温、寛にして栗、剛にして虐なる毋く、簡にして傲なる毋からしめよ。詩は意を言ひ、歌は言を長くし、声は永に依り、律は声を和す。八音能く諧ひ、相倫を奪ふ毋くんば、神人以て和せん」と。夔曰く、「於、予石を撃ち石を拊てば、百獣率ゐ舞ふ」と。舜曰く、「龍、朕讒説の殄偽にして、朕が衆を振驚するを畏忌す。汝に命じて納言と為す。夙夜朕が命を出入し、惟れ信あれ」と。舜曰く、「嗟、女二十有二人、敬めよや、惟れ時に天事を相けよ」と。三歳に一たび功を考へ、三たび考へて絀陟す。遠近の衆功咸興る。三苗を分北す。
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尚書・舜典曰若(ここ)に古(いにしへ)を稽(かんが)ふるに、帝舜を重華と曰ふ。帝に協(かな)ふ。濬哲(しゆんてつ)文明、温恭允塞(いんそく)にして、玄徳升(のぼ)り聞こえ、乃ち命ずるに位を以てす。慎みて五典を徽(よ)くし、五典克く従ふ。百揆に納(い)れ、百揆時(こ)れ敘(つい)づ。四門に賓(ひん)し、四門穆穆(ぼくぼく)たり。大麓(たいろく)に納れ、烈風雷雨にも迷はず。帝曰く、「格(きた)れ、汝舜。事を詢(と)ひ言を考ふるに、乃(なんぢ)の言の績を可(な)すを厎(いた)すこと三載なり。汝帝位に陟(のぼ)れ」と。舜徳あるものに譲りて、嗣がず。正月上日、終を文祖に受く。璿璣玉衡(せんきぎよくかう)を在(み)て、以て七政を斉(ととの)ふ。肆(つひ)に上帝に類し、六宗に禋(いん)し、山川に望し、群神に徧(あまね)くす。五瑞を輯(あつ)む。既に月乃ち日、四岳群牧に覲(まみ)え、瑞を群后に班(わか)つ。歳の二月、東のかた巡守し、岱宗(たいそう)に至りて柴(さい)す。山川に望秩し、肆に東后に覲ゆ。時月を協(あは)せ日を正し、律度量衡を同じくす。五礼・五玉・三帛・二生・一死を修め、贄(し)とす。五器の如くし、卒(を)はれば乃ち復す。五月南のかた巡守し、南岳に至る、岱の礼の如し。八月西のかた巡守し、西岳に至る、初めの如し。十有一月朔のかた巡守し、北岳に至る、西の礼の如し。帰りて藝祖に格(いた)り、特を用ふ。五載に一たび巡守し、群后四たび朝す。
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尚書・舜典共工を幽洲に流し、驩兜(くわんとう)を崇山に放ち、三苗を三危に竄(のが)し、鯀(こん)を羽山に殛(ころ)す。四罪して天下咸(みな)服す。二十有八載、帝乃ち殂落(そらく)す。百姓考妣(かうひ)を喪(うしな)ふが如く、三載、四海八音を遏密(あつみつ)す。月正元日、舜文祖に格(いた)り、
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史記 五帝本紀堯子丹朱の不肖にして、天下を授くるに足らざるを知る。是に於て乃ち権りて舜に授く。舜に授くれば、則ち天下其の利を得て丹朱病む。丹朱に授くれば、則ち天下病みて丹朱其の利を得。堯曰く、「終に天下の病を以て一人を利せず」と。而して卒に舜に授くるに天下を以てす。堯崩じ、三年の喪畢はり、舜丹朱に譲りて南河の南に辟く。諸侯の朝覲する者は丹朱に之かずして舜に之き、獄訟する者は丹朱に之かずして舜に之き、謳歌する者は丹朱を謳歌せずして舜を謳歌す。舜曰く、「天なるかな」と。而る後に中国に之きて天子の位を践む。是を帝舜と為す。虞舜は、名を重華と曰ふ。重華の父を瞽叟と曰ひ、瞽叟の父を橋牛と曰ひ、橋牛の父を句望と曰ひ、句望の父を敬康と曰ひ、敬康の父を窮蟬と曰ひ、窮蟬の父を帝顓頊と曰ひ、顓頊の父を昌意と曰ふ。以て舜に至るまで七世なり。窮蟬より以て帝舜に至るまで、皆微にして庶人為り。舜の父瞽叟は盲にして、舜の母死し、瞽叟更に妻を娶りて象を生む。象は傲なり。瞽叟後妻の子を愛し、常に舜を殺さんと欲す。舜避け逃る。小過有るに及べば、則ち罪を受く。父及び後母と弟とに順事し、日に以て篤謹にして、懈ること有る匪し。舜は、冀州の人なり。舜歴山に耕し、雷沢に漁し、河浜に陶し、什器を寿丘に作り、時に負夏に就く。舜の父瞽叟は頑、母は嚚、弟象は傲にして、皆舜を殺さんと欲す。舜順適して子の道を失はず、兄弟に孝慈なり。殺さんと欲するも、得可からず。即ち求むれば、嘗に側に在り。舜年二十にして孝を以て聞こゆ。三十にして帝堯用ゐる可き者を問ふに、四嶽咸虞舜を薦めて、可なりと曰ふ。
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