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史記 / 殷本紀

先王言不可不勉。』曰:『不道,毋之在國,女毋我怨。』」以令諸侯。伊尹作咸有一德,咎單作明居。湯乃改正朔,易服色,上白,朝會以晝。湯崩,太子太丁未立而卒,於是迺立太丁之弟外丙,是為帝外丙。帝外丙即位三年,崩,立外丙之弟中壬,是為帝中壬。帝中壬即位四年,崩,伊尹迺立太丁之子太甲。太甲,成湯適長孫也,是為帝太甲。帝太甲元年,伊尹作伊訓,作肆命,作徂后。

新字:先王言不可不勉。』曰:『不道,毋之在国,女毋我怨。』」以令諸侯。伊尹作咸有一徳,咎単作明居。湯乃改正朔,易服色,上白,朝会以昼。湯崩,太子太丁未立而卒,於是迺立太丁之弟外丙,是為帝外丙。帝外丙即位三年,崩,立外丙之弟中壬,是為帝中壬。帝中壬即位四年,崩,伊尹迺立太丁之子太甲。太甲,成湯適長孫也,是為帝太甲。帝太甲元年,伊尹作伊訓,作肆命,作徂后。

書き下し

先王の言勉めざる可からず』と。曰く、『道ならずんば、国に在る毋かれ、女我を怨む毋かれ』と」と。以て諸侯に令す。伊尹咸有一徳を作り、咎単明居を作る。湯乃ち正朔を改め、服色を易へ、白を上び、朝会は昼を以てす。湯崩じ、太子太丁未だ立たずして卒す。是に於て迺ち太丁の弟外丙を立つ。是を帝外丙と為す。帝外丙即位三年にして崩じ、外丙の弟中壬を立つ。是を帝中壬と為す。帝中壬即位四年にして崩じ、伊尹迺ち太丁の子太甲を立つ。太甲は、成湯の適長孫なり。是を帝太甲と為す。帝太甲の元年、伊尹伊訓を作り、肆命を作り、徂后を作る。

現代語訳

先王の言葉には努めて従わねばならない。』また言った。『道に外れた者は国にとどまってはならない。おまえたちは私を恨むな。』」こうして諸侯に命令した。伊尹は『咸有一徳』を作り、咎単(きゅうぜん)は『明居』を作った。湯はそこで暦の正月を改め、衣服や車馬の色を変えて白を尊び、朝廷の会合は昼に行うことにした。湯が崩じると、太子の太丁は即位しないうちに亡くなっていた。そこで太丁の弟の外丙を立てた。これが帝外丙である。帝外丙は即位して三年で崩じ、外丙の弟の中壬を立てた。これが帝中壬である。帝中壬は即位して四年で崩じ、伊尹は太丁の子の太甲を立てた。太甲は成湯の嫡長孫である。これが帝太甲である。帝太甲の元年に、伊尹は『伊訓』『肆命』『徂后』を作った。

解説

湯の布告『湯誥』の結びから、湯の死後の継承までを記した段です。湯は天下を取ると暦の正月を改め、衣服の色を白と定め、朝会を昼に開くことにしました。王朝が替わったことを、暦や色といった目に見える制度で示したのです。湯の死後は後継ぎが次々に亡くなり、太子の太丁は即位前に死去、弟の外丙は三年、その弟の中壬は四年で崩じます。最後に伊尹が湯の嫡孫の太甲を立て、即位の年に『伊訓』などの教えを作って新しい王を導こうとしました。創業者の死後、後継者が相次いで倒れる混乱の中で、建国の功臣が王朝を支え、若い君主の教育にあたったわけです。組織でもトップの交代が続くと方針が揺らぎます。そのとき創業の理念を知る補佐役が、新しいトップに原点を伝える役を担えるかどうかが、組織の存続を左右します。

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