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史記 / 鄭世家

莊公其の母武姜を城潁に遷し、誓ひて言ひて曰、黄泉に至らずんば、相見ゆる毋からんと。居ること歳餘、已に悔いて母を思ふ。潁谷の考叔公に献ずる有り、公食を賜ふ。考叔曰、臣に母有り、請ふ君の賜ふ食を臣の母に食らはしめんと。莊公曰、我甚だ母を思ふ、盟に負くを悪む、柰何と。考叔曰、地を穿ちて黄泉に至らば、則ち相見えんと。是に於て遂に之に従ひ、母に見ゆ。

新字:荘公其の母武姜を城潁に遷し、誓ひて言ひて曰、黄泉に至らずんば、相見ゆる毋からんと。居ること歳余、已に悔いて母を思ふ。潁谷の考叔公に献ずる有り、公食を賜ふ。考叔曰、臣に母有り、請ふ君の賜ふ食を臣の母に食らはしめんと。荘公曰、我甚だ母を思ふ、盟に負くを悪む、柰何と。考叔曰、地を穿ちて黄泉に至らば、則ち相見えんと。是に於て遂に之に従ひ、母に見ゆ。

書き下し

莊公其の母武姜を城潁に遷し、誓ひて言ひて曰く、「黄泉に至らずんば、相見ゆる毋からん」と。居ること歳餘、已に悔いて母を思ふ。潁谷の考叔公に献ずる有り、公食を賜ふ。考叔曰く、「臣に母有り、請ふ君の賜ふ食を臣の母に食らはしめん」と。莊公曰く、「我甚だ母を思ふ、盟に負くを悪む、柰何」と。考叔曰く、「地を穿ちて黄泉に至らば、則ち相見えん」と。是に於て遂に之に従ひ、母に見ゆ。

現代語訳

「怒りに任せた誓いは、後で必ず悔やむ——だが、知恵があれば、面目を保ったまま、関係を修復できる」——鄭の荘公と、母との、和解の逸話です。鄭の荘公は、(弟の段が、母・武姜の後押しを受けて、反乱を起こしたため、これを討ち、)その母を、城潁の地に、追放しました。そして、怒りに任せて、こう、固く、誓ったのです。「黄泉(=あの世、地下の泉)に、行き着くまでは——(母とは、)二度と、会うことは、ない(不至黃泉、毋相見也)」と。これは、事実上、「生きているうちは、二度と、会わない」という、絶縁の宣言でした。ところが——一年余りが、過ぎると、荘公は、(怒りが収まり、)自らの誓いを、深く、後悔し、母のことを、恋しく、思うように、なりました。しかし、天下に向けて、あれほど、固く誓ってしまった以上——今さら、それを、破って、母に会えば、「君主が、誓いを破った」と、面目を失い、信を、失ってしまいます。(これが、感情に任せた誓いの、恐ろしさです。)そんなある日、潁谷の、考叔という者が、荘公に、献上品を持って、参上しました。荘公が、(褒美として、)食事を、賜ると——考叔は、(その食事に、手をつけず、)こう申し出ました。「私には、(年老いた)母が、おります。どうか、君主から賜った、この食事を、(私ではなく、)私の母に、食べさせてやりとう存じます」と。(母を思う、孝行な姿です。)これを見て、荘公は、思わず、心の内を、漏らしました。「私も、(実は、)母のことが、恋しくてならないのだ。しかし、(自分の立てた)誓いに、背くことも、(君主として、)できない。いったい、どうしたら、よいのだ」と。すると、考叔は、こう、答えたのです。「(簡単なことです。)地面を、掘り進めて、(地下水の湧く)『黄泉』に、行き着かせなさい。(そして、その、地下の泉のほとりで、母君と、お会いになればよい。)——それならば、(『黄泉に至るまでは会わない』という、)お誓いの言葉を、破ることには、なりません(穿地至黃泉、則相見矣)」と。荘公は、この、みごとな知恵に、従い——地下の泉のほとりで、母と、再会を、果たしたのです。ここに、感情と知恵についての教訓があります。第一に、怒りや、感情に任せて、(取り返しのつかない、)極端な言葉を、口にし、誓ってしまえば——後で、必ず、悔やむことになる、ということ(不至黃泉、毋相見)。感情が、高ぶっているときの、断定的な言葉は、(後で、自分自身を、縛る、)鎖となる。第二に、しかし——たとえ、こじれてしまった関係でも、知恵を働かせれば、(自分の、面目や、言葉を、保ったまま、)修復する道は、見つかるということ(穿地至黃泉)。「もう、後には引けない」と、思い込む必要は、ない。第三に、そして、そうした、(当事者が、面目を失わずに済む、)巧みな、和解の道筋を、そっと、示してあげる、周囲の者の、知恵と、思いやり(考叔)。組織や人間関係で、怒りや感情に任せた極端な言葉や誓いが後で自分を縛る鎖になると知ること、こじれた関係でも知恵を働かせれば面目を保ったまま修復する道があると信じること、そして当事者が面目を失わずに済む和解の道筋を示す知恵と思いやりを持つこと——荘公と黄泉の逸話は、感情と、和解の知恵を教えます。

解説

あなたは、怒りや感情に任せて、「二度と○○しない」といった極端な言葉を口にし、後で自分自身を縛る鎖にしてしまっていないでしょうか?たとえこじれてしまった関係でも、知恵を働かせれば、自分の面目や言葉を保ったまま、修復する道は見つかる——「もう後には引けない」と思い込んでいないでしょうか?対立する当事者が、面目を失わずに済むような、巧みな和解の道筋を、そっと示してあげる知恵と思いやりを、持てていますか?

この一句を、あなたの毎日に。

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