史記 / 楚世家
鄭袖卒言張儀於王而出之。儀出,懷王因善遇儀,儀因説楚王以叛從約而與秦合親,約婚姻。張儀已去,屈原使從齊來,諫王曰:「何不誅張儀?」懷王悔,使人追儀,弗及。是歳,秦惠王卒。二十年,齊湣王欲爲從長,惡楚之與秦合,乃使使遺楚王書曰:「寡人患楚之不察於尊名也。今秦惠王死,武王立,張儀走魏,樗裏疾、公孫衍用,而楚事秦。夫樗裏疾善乎韓,而公孫衍善乎魏;楚必事秦,韓、魏恐,必因二人求合於秦,則燕、趙亦宜事秦。四國爭事秦,則楚爲郡縣矣。王何不與寡人并力收韓、魏、燕、趙,與爲從而尊周室,以案兵息民,令於天下?莫敢不樂聽,則王名成矣。王率諸侯并伐,破秦必矣。王取武關、蜀、漢之地,私呉、越之富而擅江海之利,韓、魏割上黨,西薄函谷,則楚之彊百萬也。且王欺於張儀,亡地漢中,兵銼藍田,天下莫不代王懷怒。今乃欲先事秦!願大王孰計之。」楚王業已欲和於秦,見齊王書,猶豫不決,下其議群臣。群臣或言和秦,或曰聽齊。昭雎曰:「王雖東取地於越,不足以刷恥;必且取地於秦,而後足以刷恥於諸侯。王不如深善齊、韓以重樗裏疾,如是則王得韓、齊之重以求地矣。
新字:鄭袖卒言張儀於王而出之。儀出,懐王因善遇儀,儀因説楚王以叛従約而与秦合親,約婚姻。張儀已去,屈原使従斉来,諫王曰:「何不誅張儀?」懐王悔,使人追儀,弗及。是歳,秦恵王卒。二十年,斉湣王欲為従長,悪楚之与秦合,乃使使遺楚王書曰:「寡人患楚之不察於尊名也。今秦恵王死,武王立,張儀走魏,樗裏疾、公孫衍用,而楚事秦。夫樗裏疾善乎韓,而公孫衍善乎魏;楚必事秦,韓、魏恐,必因二人求合於秦,則燕、趙亦宜事秦。四国争事秦,則楚為郡県矣。王何不与寡人并力収韓、魏、燕、趙,与為従而尊周室,以案兵息民,令於天下?莫敢不楽聴,則王名成矣。王率諸侯并伐,破秦必矣。王取武関、蜀、漢之地,私呉、越之富而擅江海之利,韓、魏割上党,西薄函谷,則楚之彊百万也。且王欺於張儀,亡地漢中,兵銼藍田,天下莫不代王懐怒。今乃欲先事秦!願大王孰計之。」楚王業已欲和於秦,見斉王書,猶予不決,下其議群臣。群臣或言和秦,或曰聴斉。昭雎曰:「王雖東取地於越,不足以刷恥;必且取地於秦,而後足以刷恥於諸侯。王不如深善斉、韓以重樗裏疾,如是則王得韓、斉之重以求地矣。
書き下し
鄭袖卒に張儀を王に言ひて之を出だす。儀出づ。懐王因りて善く儀を遇す。儀因りて楚王に説きて以て従約に叛きて秦と合親し、婚姻を約せしむ。張儀已に去る。屈原使ひして斉より来たり、王を諫めて曰く、「何ぞ張儀を誅せざる」と。懐王悔い、人をして儀を追はしむるも、及ばず。是の歳、秦の恵王卒す。二十年、斉の湣王従長と為らんと欲し、楚の秦と合するを悪み、乃ち使ひをして楚王に書を遺らしめて曰く、「寡人楚の尊名を察せざるを患ふ。今秦の恵王死し、武王立ち、張儀魏に走り、樗里疾・公孫衍用ひらる。而して楚秦に事ふ。夫れ樗里疾は韓に善く、而して公孫衍は魏に善し。楚必ず秦に事へば、韓・魏恐れ、必ず二人に因りて秦に合はんことを求めん。則ち燕・趙も亦た宜しく秦に事ふべし。四国争ひて秦に事へば、則ち楚は郡県と為らん。王何ぞ寡人と力を并せて韓・魏・燕・趙を収め、与に従を為して周室を尊び、以て兵を案じ民を息め、天下に令せざる。敢て楽しみて聴かざる莫くんば、則ち王の名成らん。王諸侯を率ゐて并せ伐たば、秦を破ること必せり。王武関・蜀・漢の地を取り、呉・越の富を私して江海の利を擅にし、韓・魏上党を割き、西のかた函谷に薄らば、則ち楚の彊百万ならん。且つ王張儀に欺かれ、地を漢中に亡ひ、兵を藍田に銼かる。天下王に代はりて怒りを懐かざる莫し。今乃ち先づ秦に事へんと欲す。願はくは大王之を孰計せよ」と。楚王業已に秦に和せんと欲す。斉王の書を見て、猶予して決せず、其の議を群臣に下す。群臣或いは秦に和せんと言ひ、或いは斉に聴かんと曰ふ。昭雎曰く、「王東のかた地を越に取ると雖も、以て恥を刷ふに足らず。必ず且に地を秦に取るべし。而る後に以て恥を諸侯に刷ふに足らん。王深く斉・韓に善くして以て樗里疾を重んずるに如かず。是の如くせば則ち王韓・斉の重きを得て以て地を求めん。
現代語訳
鄭袖はついに王に口添えして、張儀を釈放させた。張儀が釈放されると、懐王は張儀を手厚くもてなした。張儀はそこで楚王に説いて、合従の約束に背かせ、秦と親しく結ばせ、婚姻の約束までさせた。張儀が去った後、屈原が斉への使いから戻ってきて、王を諫めた。「なぜ張儀を誅さなかったのか」。懐王は後悔して人を送って張儀を追わせたが、追いつけなかった。この年、秦の恵王が亡くなった。二十年、斉の湣王は合従の盟主になろうとし、楚が秦と手を結んだことを嫌って、使者を送り楚王に手紙を届けさせた。「私は、楚が尊い名声のなんたるかを理解していないことを憂えている。いま秦の恵王が亡くなって武王が立ち、張儀は魏に逃れ、樗里疾と公孫衍が用いられている。それなのに楚は秦に仕えている。樗里疾は韓と親しく、公孫衍は魏と親しい。楚がどうしても秦に仕えるなら、韓と魏は恐れて、必ずこの二人を通じて秦と手を結ぼうとするだろう。そうなれば燕や趙も秦に仕えるはずだ。四国が争って秦に仕えれば、楚は秦の郡や県にされてしまうだろう。王はなぜ私と力を合わせて韓・魏・燕・趙をまとめ、共に合従して周の王室を尊び、兵を休めて民を休ませ、天下に号令しないのか。天下が喜んで従えば、王の名声は成就する。王が諸侯を率いて共に攻めれば、秦を破るのは間違いない。王は武関・蜀・漢中の地を取り、呉・越の富を手にして長江と海の利益を独り占めにし、韓と魏は上党を割き、西の函谷関に迫れば、楚の強さは百万倍になるだろう。しかも王は張儀にだまされ、漢中の地を失い、藍田で兵をくじかれた。天下の誰もが王に代わって怒りを抱いている。それなのに今、真っ先に秦に仕えようとしておられる。どうか大王、よくよくお考えいただきたい」。楚王はすでに秦と和睦しようと思っていたが、斉王の手紙を見て迷って決めかね、群臣に議論させた。群臣の中には秦と和睦すべきだと言う者もいれば、斉の言うことを聞くべきだと言う者もいた。昭雎は言った。「王が東の越から土地を取っても、恥をすすぐには足りない。必ず秦から土地を取り返してこそ、諸侯の前で恥をすすぐことができる。王は斉や韓と深く親しくして、樗里疾を重んじるようにするのがよい。そうすれば王は韓と斉の重みを借りて、秦に土地を求めることができる。
解説
関連する章句
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史記 屈原賈生列伝屈平既に絀けらる。其の後秦斉を伐たんと欲す。斉と楚と従親す。恵王之を患ふ。乃ち張儀をして詳りて秦を去り、厚幣もて質を委ねて楚に事へしめて曰く、「秦は甚だ斉を憎む。斉と楚と従親す。楚誠に能く斉と絶たば、秦は商・於の地六百里を献ぜんことを願ふ」と。楚の懐王貪りて張儀を信じ、遂に斉と絶ち、使をして秦に如きて地を受けしむ。張儀之を詐りて曰く、「儀は王と六里を約せり。六百里を聞かず」と。楚の使怒りて去り、帰りて懐王に告ぐ。懐王怒り、大いに師を興して秦を伐つ。秦兵を発して之を撃ち、大いに楚の師を丹・淅に破り、首を斬ること八万、楚将屈丐を虜にし、遂に楚の漢中の地を取る。懐王乃ち悉く国中の兵を発して以て深く入りて秦を撃ち、藍田に戦ふ。魏之を聞き、楚を襲ひて鄧に至る。楚兵懼れ、秦より帰る。而して斉竟に怒りて楚を救はず。楚大いに困しむ。明年、秦漢中の地を割きて楚に与へ以て和す。楚王曰く、「地を得るを願はず。張儀を得て心を甘んぜんことを願ふ」と。張儀聞き、乃ち曰く、「一儀を以て漢中の地に当つ。臣請ふ往きて楚に如かん」と。楚に如き、又因りて厚幣もて事を用ふる者の臣靳尚に用ひ、而して詭弁を懐王の寵姫鄭袖に設く。懐王竟に鄭袖に聴き、復た張儀を釈し去らしむ。是の時屈平既に疏んぜられ、復た位に在らず。斉に使ひし、顧反し、懐王を諫めて曰く、「何ぞ張儀を殺さざる」と。懐王悔い、張儀を追へども及ばず。其の後諸侯共に楚を撃ち、大いに之を破り、其の将唐眛を殺す。時に秦の昭王楚と婚し、懐王と会せんと欲す。懐王行かんと欲す。屈平曰く、「秦は虎狼の国なり。信ずべからず。行くこと毋きに如かず」と。懐王の稚子子蘭、王に行くを勧む。「奈何ぞ秦の歓を絶たん」と。懐王卒に行く。武関に入る。秦伏兵もて其の後を絶ち、因りて懐王を留め、以て地を割かんことを求む。懐王怒り、聴かず。亡げて趙に走る。趙内れず。復た秦に之き、竟に秦に死して帰葬せらる。
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史記 張儀列伝夫れ易危の功を守りて彊秦の心に逆ふ、臣竊かに大王の為に之を危ぶむ。且つ夫れ秦の兵を函谷より出だして以て斉・趙を攻めざること十五年なる所以の者は、陰かに天下を合するの心有るを謀ればなり。楚嘗て秦と難を構へ、漢中に戦ひ、楚人勝たず、列侯執珪の死する者七十余人、遂に漢中を亡ふ。楚王大いに怒り、兵を興して秦を襲ひ、藍田に戦ふ。此れ所謂両虎相搏つ者なり。夫れ秦楚相敝れて韓魏全きを以て其の後を制す、計此れより危ふき者無し。願はくは大王孰々之を計れ。秦甲を下して衛の陽晋を攻めば、必ず大いに天下の匈を関さん。大王悉く兵を起こして以て宋を攻めば、数月に至らずして宋挙ぐべし、宋を挙げて東に指さば、則ち泗上の十二諸侯尽く王の有なり。凡そ天下にして信約を以て従親し相堅むる者は蘇秦なり、武安君に封ぜられ、燕に相たり、即ち陰かに燕王と謀りて斉を伐破して其の地を分かたんとす。乃ち詳りて罪有りとして出で走りて斉に入る、斉王因りて受けて之を相とす。居ること二年にして覚る、斉王大いに怒り、蘇秦を市に車裂す。夫れ一詐偽の蘇秦を以て、天下を経営し、諸侯を混一せんと欲す、其の成るべからざるも亦明らかなり。今秦と楚とは境を接し界を壌にし、固より形親の国なり。大王誠に能く臣に聴かば、臣請ふ秦の太子をして入りて楚に質たらしめ、楚の太子をして入りて秦に質たらしめ、請ふ秦の女を以て大王の箕帚の妾と為し、万室の都を効して以て湯沐の邑と為し、長く昆弟の国と為り、終身相攻伐すること無からん。臣以為へらく計此れより便なる者無しと」と。是に於いて楚王已に張儀を得て、黔中の地を出だして秦に与ふるを重り、之を許さんと欲す。屈原曰く、「前に大王張儀に欺かる、張儀至らば、臣以為へらく大王之を烹んと。今縦ひ之を殺すに忍びずとも、又其の邪説を聴くは、不可なり」と。懐王曰く、「儀を許して黔中を得るは、美利なり。後にして之に倍くは、不可なり」と。故に卒に張儀を許し、秦と親しむ。張儀楚を去り、
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