史記 / 楚世家
敝邑之王所甚憎者無先齊王,雖儀之所甚憎者亦無先齊王。而大王和之,是以敝邑之王不得事王,而令儀亦不得爲門闌之廝也。王爲儀閉關而絶齊,今使使者從儀西取筆秦所分楚商於之地方六百里,如是則齊弱矣。是北弱齊,西德於秦,私商於以爲富,此一計而三利倶至也。」懷王大悅,乃置相璽於張儀,日與置酒,宣言「吾復得吾商於之地」。群臣皆賀,而陳軫獨弔。懷王曰:「何故?」陳軫對曰:「秦之所爲重王者,以王之有齊也。今地未可得而齊交先絶,是楚孤也。夫秦又何重孤國哉,必輕楚矣。且先出地而後絶齊,則秦計不爲。先絶齊而後責地,則必見欺於張儀。見欺於張儀,則王必怨之。怨之,是西起秦患,北絶齊交。西起秦患,北絶齊交,則兩國之兵必至。臣故弔。」楚王弗聽,因使一將軍西受封地。張儀至秦,詳醉墜車,稱病不出三月,地不可得。楚王曰:「儀以吾絶齊爲尚薄邪?」乃使勇士宋遺北辱齊王。齊王大怒,折楚符而合於秦。秦齊交合,張儀乃起朝,謂楚將軍曰:「子何不受地?從某至某,廣袤六里。」楚將軍曰:「臣之所以見命者六百里,不聞六里。」卽以歸報懷王。懷王大怒,興師將伐秦。陳軫又曰:「伐秦非計也。
新字:敝邑之王所甚憎者無先斉王,雖儀之所甚憎者亦無先斉王。而大王和之,是以敝邑之王不得事王,而令儀亦不得為門闌之廝也。王為儀閉関而絶斉,今使使者従儀西取筆秦所分楚商於之地方六百里,如是則斉弱矣。是北弱斉,西徳於秦,私商於以為富,此一計而三利倶至也。」懐王大悦,乃置相璽於張儀,日与置酒,宣言「吾復得吾商於之地」。群臣皆賀,而陳軫独弔。懐王曰:「何故?」陳軫対曰:「秦之所為重王者,以王之有斉也。今地未可得而斉交先絶,是楚孤也。夫秦又何重孤国哉,必軽楚矣。且先出地而後絶斉,則秦計不為。先絶斉而後責地,則必見欺於張儀。見欺於張儀,則王必怨之。怨之,是西起秦患,北絶斉交。西起秦患,北絶斉交,則両国之兵必至。臣故弔。」楚王弗聴,因使一将軍西受封地。張儀至秦,詳酔墜車,称病不出三月,地不可得。楚王曰:「儀以吾絶斉為尚薄邪?」乃使勇士宋遺北辱斉王。斉王大怒,折楚符而合於秦。秦斉交合,張儀乃起朝,謂楚将軍曰:「子何不受地?従某至某,広袤六里。」楚将軍曰:「臣之所以見命者六百里,不聞六里。」即以帰報懐王。懐王大怒,興師将伐秦。陳軫又曰:「伐秦非計也。
書き下し
敝邑の王の甚だ憎む所の者は斉王に先んずるは無し。儀の甚だ憎む所の者と雖も亦た斉王に先んずるは無し。而して大王之に和す。是を以て敝邑の王王に事ふるを得ず、而して儀をして亦た門闌の廝と為るを得ざらしむるなり。王儀の為に関を閉ぢて斉を絶たば、今使者をして儀に従ひて西のかた秦の分かつ所の楚の商於の地方六百里を取らしめん。是の如くせば則ち斉弱からん。是れ北のかた斉を弱め、西のかた秦に徳とせられ、商於を私して以て富と為す。此れ一計にして三利倶に至るなり」と。懐王大いに悦び、乃ち相璽を張儀に置き、日々与に置酒し、宣言す「吾復た吾が商於の地を得たり」と。群臣皆賀す。而して陳軫独り弔す。懐王曰く、「何の故ぞ」と。陳軫対へて曰く、「秦の王を重んずる所以の者は、王の斉有るを以てなり。今地未だ得べからずして斉の交はり先づ絶ゆ。是れ楚孤なり。夫れ秦又何ぞ孤国を重んぜん。必ず楚を軽んぜん。且つ先づ地を出だして後に斉を絶たば、則ち秦計りて為さず。先づ斉を絶ちて後に地を責めば、則ち必ず張儀に欺かれん。張儀に欺かれなば、則ち王必ず之を怨まん。之を怨まば、是れ西のかた秦の患ひを起こし、北のかた斉の交はりを絶つなり。西のかた秦の患ひを起こし、北のかた斉の交はりを絶たば、則ち両国の兵必ず至らん。臣故に弔す」と。楚王聴かず、因りて一将軍をして西のかた封地を受けしむ。張儀秦に至り、詳りて酔ひて車より墜ち、病と称して出でざること三月、地得べからず。楚王曰く、「儀吾が斉を絶つを以て尚ほ薄しと為すか」と。乃ち勇士宋遺をして北のかた斉王を辱めしむ。斉王大いに怒り、楚の符を折りて秦に合す。秦・斉の交はり合し、張儀乃ち起ちて朝し、楚の将軍に謂ひて曰く、「子何ぞ地を受けざる。某より某に至るまで、広袤六里なり」と。楚の将軍曰く、「臣の命ぜらるる所以の者は六百里なり。六里を聞かず」と。即ち以て帰りて懐王に報ず。懐王大いに怒り、師を興して将に秦を伐たんとす。陳軫又曰く、「秦を伐つは計に非ず。
現代語訳
わが国の王が最も憎んでいるのは、斉王をおいてほかにない。私が心から憎むのも、斉王をおいてほかにない。ところが大王はその斉王と親しくしておられる。それでわが国の王は大王にお仕えすることができず、私も門番の下働きにさえなれずにいるのだ。もし王が私のために関所を閉じて斉と絶交してくだされば、いま使者を私に同行させて西へ向かわせ、秦がかつて楚から奪った商於の地、六百里四方をお返ししよう。そうすれば斉は弱くなる。北では斉を弱め、西では秦に恩を売り、商於の地を手に入れて豊かになる。これは一つの計略で三つの利益が一度に得られるということだ」。懐王は大いに喜び、宰相の印を張儀に与え、毎日のように酒宴を開いて、「わが商於の地を取り戻したぞ」と言いふらした。群臣はみな祝ったが、陳軫だけは弔意を示した。懐王が「なぜか」と問うと、陳軫は答えた。「秦が王を重んじているのは、王に斉という味方がいるからだ。いま土地もまだ手に入らないうちに、先に斉との交わりを絶ってしまえば、楚は孤立する。秦が孤立した国をどうして重んじよう。必ず楚を軽んじるだろう。それに、秦が先に土地を差し出し、その後で楚が斉と絶交するのであれば、秦はそんな計略は立てない。楚が先に斉と絶交し、その後で土地を求めれば、必ず張儀に欺かれるだろう。張儀に欺かれれば、王はきっと張儀を恨まれる。恨めば、西では秦との争いを引き起こし、北では斉との交わりを絶ったことになる。西に秦との争いを起こし、北に斉との交わりを絶てば、両国の兵が必ず攻めてくるだろう。だから私は弔うのだ」。楚王は聞き入れず、一人の将軍を西へ送って領地を受け取らせることにした。張儀は秦に着くと、わざと酔ったふりをして車から落ち、病と称して三か月も出てこなかったので、土地は受け取れなかった。楚王は言った。「張儀は、私が斉と絶交したやり方がまだ手ぬるいと思っているのだろうか」。そこで勇士の宋遺を北に送って斉王を辱めさせた。斉王は大いに怒り、楚との割り符を折って秦と手を結んだ。秦と斉の交わりが結ばれると、張儀はようやく出てきて朝廷に出仕し、楚の将軍に言った。「あなたはなぜ土地を受け取らないのか。ここからあそこまで、六里四方だ」。楚の将軍は言った。「私が命じられたのは六百里だ。六里とは聞いていない」。そしてすぐに帰って懐王に報告した。懐王は大いに怒り、軍を起こして秦を攻めようとした。陳軫はまた言った。「秦を攻めるのは得策ではない。
解説
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史記 張儀列伝楚王大いに説びて之を許す。群臣皆賀す、陳軫独り之を弔す。楚王怒りて曰く、「寡人師を興し兵を発せずして六百里の地を得たり、群臣皆賀す、子独り弔すは、何ぞや」と。陳軫対へて曰く、「然らず、臣を以て之を観るに、商於の地は得べからずして斉秦合し、斉秦合すれば則ち患ひ必ず至らん」と。楚王曰く、「説有るか」と。陳軫対へて曰く、「夫れ秦の楚を重んずる所以の者は、其の斉有るを以てなり。今関を閉ぢ約を斉に絶たば、則ち楚孤なり。秦奚ぞ夫の孤国を貪りて、之に商於の地六百里を与へんや。張儀秦に至らば、必ず王に負かん、是れ北のかた斉の交はりを絶ち、西のかた患ひを秦に生ずるなり、而して両国の兵必ず倶に至らん。善く王の為に計る者は、陰かに合して陽に斉に絶ち、人をして張儀に随はしむるに若かず。茍も吾に地を与へば、斉を絶つも未だ晩からず。吾に地を与へずんば、陰かに合して計を謀らん」と。楚王曰く、「願はくは陳子口を閉ぢて復た言ふ毋く、以て寡人の地を得るを待て」と。乃ち相印を以て張儀に授け、厚く之に賂す。是に於いて遂に関を閉ぢ約を斉に絶ち、一将軍をして張儀に随はしむ。張儀秦に至り、詳りて綏を失ひて車より墮ち、朝せざること三月。楚王之を聞きて、曰く、「儀寡人の斉を絶つを以て未だ甚だしからずと為すか」と。乃ち勇士をして宋に至らしめ、宋の符を借りて、北のかた斉王を罵らしむ。斉王大いに怒り、節を折りて秦に下る。秦斉の交はり合す、張儀乃ち朝し、楚の使者に謂ひて曰く、「臣に奉邑六里有り、願はくは以て大王の左右に献ぜん」と。楚の使者曰く、「臣令を王に受くるに、商於の地六百里を以てす、六里を聞かず」と。還りて楚王に報ず、楚王大いに怒り、兵を発して秦を攻む。陳軫曰く、「軫口を発して言ふべきか。之を攻むるは地を割きて反つて以て秦に賂ひ、之と兵を并せて斉を攻むるに如かず、是れ我地を秦に出だし、償ひを斉に取るなり、王の国尚ほ存すべし」と。楚王聴かず、卒に兵を発して将軍屈丐をして秦を撃たしむ。秦斉共に楚を攻め、首を斬ること八万、屈丐を殺し、遂に丹陽・漢中の地を取る。楚又復た益々兵を発して秦を襲ひ、藍田に至りて、
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戦国策・秦二・齊助楚攻秦齊楚を助けて秦を攻め、曲沃を取る。其の後、秦齊を伐たんと欲するも、齊・楚の交わり善し。惠王之を患いて、張儀に謂いて曰わく、「吾齊を伐たんと欲するも、齊・楚方に懽べり、子寡人の為に之を慮れ、柰何せん。」張儀曰わく、「王其れ臣の為に車を約し幣を并せよ、臣請う之を試みん。」張儀南のかた楚王を見て曰わく、「弊邑の王の說ぶ所甚だしき者は、大王より大なるは無し。唯だ儀の甚だ臣たらんことを願う所の者も、亦た大王より大なるは無し。弊邑の王の甚だ憎む所の者も、亦た齊王に先んずるは無し。唯だ儀の甚だ憎む所の者も、亦た齊王より大なるは無し。今齊王の罪、其れ弊邑の王に於いて甚だ厚く、弊邑之を伐たんと欲するも、大國之と懽べば、是を以て弊邑の王令に事うるを得ず、而して儀臣たるを得ざるなり。大王苟くも能く關を閉じ齊を絕たば、臣請う秦王をして商於の地、方六百里を獻ぜしめん。此くの若くんば、齊必ず弱く、齊弱ければ則ち必ず王の役と為らん。則ち是れ北は齊を弱め、西は秦に德あり、而して商於の地を私して以て利と為すなり。則ち此れ一計にして三利俱に至る。」楚王大いに說び、之を朝廷に宣言して曰わく、「不穀商於の田、方六百里を得たり。」群臣聞見する者畢く賀す。陳軫後に見えて、獨り賀せず。楚王曰わく、「不穀一兵を煩わさず、一人を傷つけずして、商於の地六百里を得たり。寡人自ら以て智と為す。諸士大夫皆賀するに、子獨り賀せざるは、何ぞや。」陳軫對えて曰わく、「臣商於の地得べからずして、患い必ず至るを見る、故に敢えて妄りに賀せざるなり。」王曰わく、「何ぞや。」對えて曰わく、「夫れ秦の王を重んずる所以の者は、王齊を有つを以てなり。今地未だ得べからずして齊先ず絕たば、是れ楚孤なり。秦又何ぞ孤國を重んぜんや。且つ先ず地を出だして齊を絕たば、秦の計必ず爲さざらん。先ず齊を絕ちて後に地を責めば、且つ必ず張儀に欺かれん。張儀に欺かるれば、王必ず之を惋まん。是れ西のかた秦の患を生じ、北は齊の交わりを絕たば、則ち兩國の兵必ず至らん。」楚王聽かずして曰わく、「吾が事善し。子其れ口を弭めて言う無かれ、以て吾が事を待て。」楚王人をして齊を絕たしめ、使者未だ來たらざるに、又重ねて之を絕つ。張儀反り、秦人をして齊に使いせしめ、齊・秦の交わり陰かに合す。楚因りて一將軍をして地を秦に受けしむ。張儀至り、病と稱して朝せず。楚王曰わく、「張子寡人齊を絕たずと以えるか。」乃ち勇士をして往きて齊王を詈らしむ。張儀楚の齊を絕つを知り、乃ち出でて使者に見えて曰わく、「某從り某に至るまで、廣從六里。」使者曰わく、「臣六百里と聞く、六里とは聞かず。」儀曰わく、「儀固より小人を以てす、安んぞ六百里を得ん。」使者反りて楚王に報ず。楚王大いに怒り、師を興して秦を伐たんと欲す。陳軫曰わく、「臣言うべきか。」王曰わく、「可なり。」軫曰わく、「秦を伐つは計に非ざるなり。王因りて之に一名都を賂い、之と齊を伐つに如かず。是れ我秦に亡いて齊に償を取るなり。楚國全きを尚(とうと)ばざるにあらず。王今已に齊を絕ちて、欺きを秦に責むれば、是れ吾齊・秦の交わりを合するなり。固より必ず大いに傷まん。」楚王聽かずして、遂に兵を舉げて秦を伐つ。秦齊と合し、韓氏之に從う。楚の兵杜陵に大いに敗る。故に楚の土壤士民削弱するに非ずして、僅かに以て亡を救う者は、計陳軫に失し、過ちて張儀を聽きしなり。
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