孫子 / 九変篇
故用兵之法,無恃其不來,恃吾有以待之;無恃其不攻,恃吾有所不可攻也。
新字:故用兵之法,無恃其不来,恃吾有以待之;無恃其不攻,恃吾有所不可攻也。
書き下し
故に兵を用うるの法は、其の来たらざるを恃む無く、吾に以て之を待つ有るを恃む。其の攻めざるを恃む無く、吾に攻むべからざる所有るを恃むなり。
現代語訳
だから軍を用いる原則はこうだ。敵が攻めて来ないことを当てにするのではなく、いつ来ても迎え撃てる備えがあることを頼みとせよ。敵が攻めないことを当てにするのではなく、攻められても破られない態勢が自分にあることを頼みとせよ。
解説
九変篇でも屈指の名句で、危機管理の本質を突いています。孫子は「敵は来ないだろう」という願望や楽観を、きっぱり否定します。頼るべきは相手の善意や不作為ではなく、「いつ来られても大丈夫」という自分の備えだ、と。相手次第の安心はもろく、自分の備えだけが確かなのです。仕事でも、「たぶん問題は起きない」「競合はここまで来ないだろう」という前提は、最も危うい。起きうる最悪を想定し、それでも耐えられる態勢を先に築いておく。コントロールできない相手に期待するのではなく、コントロールできる自分の準備に投資する。この発想が、不確実な状況で組織を守ります。
この章句が説くこと
恃吾有以待之欺瞞危機管理戦術惑備え
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