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史記 / 楚世家

衆怒如水火,不可救也。」初王及子皙遂自殺。丙辰,棄疾卽位爲王,改名熊居,是爲平王。平王以詐弒兩王而自立,恐國人及諸侯叛之,乃施惠百姓。復陳蔡之地而立其後如故,歸鄭之侵地。存恤國中,修政教。呉以楚亂故,獲五率以歸。平王謂觀從:「恣爾所欲。」欲爲卜尹,王許之。初,共王有寵子五人,無適立,乃望祭群神,請神決之,使主社稷,而陰與巴姬埋璧於室内,召五公子齋而入。康王跨之,靈王肘加之,子比、子皙皆遠之。平王幼,抱其上而拜,壓紐。故康王以長立,至其子失之;圍爲靈王,及身而弒;子比爲王十餘日,子皙不得立,又倶誅。四子皆絶無後。唯獨棄疾後立,爲平王,竟續楚祀,如其神符。初,子比自晉歸,韓宣子問叔向曰:「子比其濟乎?」對曰:「不就。」宣子曰:「同惡相求,如市賈焉,何爲不就?」對曰:「無與同好,誰與同惡?取國有五難:有寵無人,一也;有人無主,二也;有主無謀,三也;有謀而無民,四也;有民而無德,五也。子比在晉十三年矣,晉、楚之從不聞通者,可謂無人矣;族盡親叛,可謂無主矣;無釁而動,可謂無謀矣;爲羈終世,可謂無民矣;亡無愛徴,可謂無德矣。王虐而不忌,子比渉五難以弒君,誰能濟之!有楚國者,其棄疾乎?

新字:衆怒如水火,不可救也。」初王及子皙遂自殺。丙辰,棄疾即位為王,改名熊居,是為平王。平王以詐弒両王而自立,恐国人及諸侯叛之,乃施恵百姓。復陳蔡之地而立其後如故,帰鄭之侵地。存恤国中,修政教。呉以楚乱故,獲五率以帰。平王謂観従:「恣爾所欲。」欲為卜尹,王許之。初,共王有寵子五人,無適立,乃望祭群神,請神決之,使主社稷,而陰与巴姫埋璧於室内,召五公子斎而入。康王跨之,霊王肘加之,子比、子皙皆遠之。平王幼,抱其上而拝,圧紐。故康王以長立,至其子失之;囲為霊王,及身而弒;子比為王十余日,子皙不得立,又倶誅。四子皆絶無後。唯独棄疾後立,為平王,竟続楚祀,如其神符。初,子比自晋帰,韓宣子問叔向曰:「子比其済乎?」対曰:「不就。」宣子曰:「同悪相求,如市賈焉,何為不就?」対曰:「無与同好,誰与同悪?取国有五難:有寵無人,一也;有人無主,二也;有主無謀,三也;有謀而無民,四也;有民而無徳,五也。子比在晋十三年矣,晋、楚之従不聞通者,可謂無人矣;族尽親叛,可謂無主矣;無釁而動,可謂無謀矣;為羈終世,可謂無民矣;亡無愛徴,可謂無徳矣。王虐而不忌,子比渉五難以弒君,誰能済之!有楚国者,其棄疾乎?

書き下し

衆怒は水火の如く、救ふべからざるなり」と。初王及び子皙遂に自殺す。丙辰、棄疾即位して王と為り、名を熊居と改む。是を平王と為す。平王詐りを以て両王を弑して自立す。国人及び諸侯の之に叛かんことを恐れ、乃ち恵みを百姓に施す。陳・蔡の地を復して其の後を立つること故の如くし、鄭の侵地を帰す。国中を存恤し、政教を修む。呉楚の乱るるの故を以て、五率を獲て以て帰る。平王観従に謂ふ、「爾の欲する所を恣にせよ」と。卜尹為らんことを欲す。王之を許す。初め、共王に寵子五人有り。適の立つもの無し。乃ち群神を望祭し、神に請ひて之を決せしめ、社稷を主らしめんとす。而して陰かに巴姫と璧を室内に埋め、五公子を召して斎して入らしむ。康王之を跨ぎ、霊王は肘を之に加へ、子比・子皙は皆之に遠し。平王幼く、抱かれて其の上にて拝し、紐を圧す。故に康王は長を以て立ち、其の子に至りて之を失ふ。囲は霊王と為り、身に及びて弑せらる。子比は王為ること十余日、子皙は立つを得ず、又倶に誅せらる。四子皆絶えて後無し。唯だ独り棄疾のみ後に立ち、平王と為り、竟に楚の祀を続ぐ。其の神符の如し。初め、子比晋より帰るや、韓宣子叔向に問ひて曰く、「子比其れ済らんか」と。対へて曰く、「就らず」と。宣子曰く、「悪を同じくする相求むること、市賈の如し。何為れぞ就らざる」と。対へて曰く、「好を同じくするもの無し。誰と悪を同じくせん。国を取るに五難有り。寵有りて人無き、一なり。人有りて主無き、二なり。主有りて謀無き、三なり。謀有りて民無き、四なり。民有りて徳無き、五なり。子比晋に在ること十三年、晋・楚の従、通ずる者を聞かず。人無しと謂ふべし。族尽き親叛く。主無しと謂ふべし。釁(すき)無くして動く。謀無しと謂ふべし。羈と為りて世を終ふ。民無しと謂ふべし。亡げて愛徴無し。徳無しと謂ふべし。王虐にして忌まず。子比五難を渉りて以て君を弑す。誰か能く之を済さん。楚国を有つ者は、其れ棄疾か。

現代語訳

民衆の怒りは水や火のようなもので、とても防ぎきれない」。新しく王となった子比と子皙は、ついに自殺した。丙辰の日、棄疾が即位して王となり、名を熊居と改めた。これが平王である。平王は策略によって二人の王を死に追いやって自ら立ったので、国の人々や諸侯に背かれることを恐れ、民に恵みを施した。陳と蔡の土地を元に戻してそれぞれの子孫を以前のように立て、鄭から奪った土地も返した。国内の人々をいたわり、政治と教化を整えた。呉は楚の混乱に乗じて、楚の五人の将軍を捕らえて連れ帰った。平王は観従に言った。「おまえの望むものを何でも与えよう」。観従が卜尹(占いの長官)になりたいと言うと、王はこれを許した。これより前、共王には寵愛する子が五人いたが、嫡子として立てた者はいなかった。そこで遠くの山川の神々を祭り、神に後継者を決めてもらい、国家の主とさせようとした。そしてひそかに側室の巴姫と部屋の中に璧を埋めておき、五人の公子を呼んで身を清めさせ、部屋に入らせた。康王はその璧の上をまたぎ、霊王は肘がその上にかかり、子比と子皙はどちらも遠く離れていた。平王は幼かったので、抱かれて璧の上で拝み、ちょうど璧の紐を押さえた。こうして康王は年長者として立ったが、その子の代で位を失った。囲は霊王となったが、自身が殺された。子比は王となって十日余りで死に、子皙は王になれず、二人とも誅された。この四人の子はみな家が絶えて子孫がいない。ただ棄疾だけが後に立って平王となり、ついに楚の祭祀を継いだ。まさに神の兆しのとおりであった。これより前、子比が晋から楚へ帰ったとき、韓宣子は叔向に尋ねた。「子比は成功するだろうか」。叔向は答えた。「成功しないだろう」。宣子は言った。「同じ相手を憎む者同士が互いに求め合うのは、市場の取引のようなものだ。どうして成功しないのか」。叔向は答えた。「共に好む者がいないのに、誰と共に憎むというのか。国を取るには五つの難しさがある。寵愛を受けていても支える人がいないのが一つ目。人がいても内で支える中心がいないのが二つ目。中心がいても計略がないのが三つ目。計略があっても民がついてこないのが四つ目。民がいても徳がないのが五つ目だ。子比は晋に十三年いたが、晋にも楚にも、彼と親しく通じている者がいるとは聞かない。人がいないと言える。一族は滅び、親族は背いている。中心がいないと言える。隙もないのに動いた。計略がないと言える。一生を旅の身で過ごしてきた。民がいないと言える。亡命しても人々が彼を慕うしるしがない。徳がないと言える。霊王は暴虐で人を顧みなかったが、子比はこの五つの難しさを抱えたまま君主を殺したのだ。誰が彼を成功させられようか。楚の国を手にするのは、棄疾だろうか。

解説

楚の平王(棄疾)が即位するまでの経緯と、それを占った二つの話を描く段です。棄疾は偽の知らせで子比と子皙を自殺に追い込み、自ら王となりました。その後、陳と蔡を再興させ、鄭に土地を返し、民をいたわるなど、人心の掌握に努めます。前半の璧の話は、共王が五人の子の中から後継者を神に選んでもらおうと、ひそかに璧を埋めて、誰がその上で拝むかを試したものです。幼い棄疾が抱かれて璧の紐を押さえたことが、最後に楚の祭祀を継いだことの兆しとされました。後半は、晋の叔向が子比の失敗を予言した話で、国を取るには「支える人・中心となる後ろ盾・計略・民・徳」の五つが要ると説き、子比にはそのどれもないと断じます。「同じ相手を憎む者同士は取引のように手を組める」という韓宣子に対して、「共に好むものがない者は、共に憎むこともできない」と答えた言葉は、共通の敵だけで結ばれた連携のもろさを突いています。新しい事業を起こすときに必要な条件を点検するうえでも、示唆に富む考え方です。

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