史記 / 晋世家
惠公七年,畏重耳,乃使宦者履鞮與壯士欲殺重耳。重耳聞之,乃謀趙衰等曰:「始吾奔狄,非以爲可用與,以近易通,故且休足。休足久矣,固願徙之大國。夫齊桓公好善,志在霸王,收恤諸侯。今聞管仲、隰朋死,此亦欲得賢佐,盍往乎?」於是遂行。重耳謂其妻曰:「待我二十五年不來,乃嫁。」其妻笑曰:「犁二十五年,吾冢上柏大矣。雖然,妾待子。」重耳居狄凡十二年而去。過衞,衞文公不禮。去,過五鹿,饑而從野人乞食,野人盛土器中進之。重耳怒。趙衰曰:「土者,有土也,君其拜受之。」至齊,齊桓公厚禮,而以宗女妻之,有馬二十乘,重耳安之。重耳至齊二歳而桓公卒,會豎刀等爲内亂,齊孝公之立,諸侯兵數至。留齊凡五歳。重耳愛齊女,毋去心。趙衰、咎犯乃於桑下謀行。齊女侍者在桑上聞之,以告其主。其主乃殺侍者,勸重耳趣行。重耳曰:「人生安樂,孰知其他!必死於此,不能去。」齊女曰:「子一國公子,窮而來此,數士者以子爲命。子不疾反國,報勞臣,而懷女德,竊爲子羞之。且不求,何時得功?」乃與趙衰等謀,醉重耳,載以行。行遠而覺,重耳大怒,引戈欲殺咎犯。咎犯曰:「殺臣成子,偃之願也。」重耳曰:「事不成,我食舅氏之肉。」咎犯曰:「事不成,犯肉腥臊,何足食!」
新字:恵公七年,畏重耳,乃使宦者履鞮与壮士欲殺重耳。重耳聞之,乃謀趙衰等曰:「始吾奔狄,非以為可用与,以近易通,故且休足。休足久矣,固願徙之大国。夫斉桓公好善,志在覇王,収恤諸侯。今聞管仲、隰朋死,此亦欲得賢佐,盍往乎?」於是遂行。重耳謂其妻曰:「待我二十五年不来,乃嫁。」其妻笑曰:「犁二十五年,吾冢上柏大矣。雖然,妾待子。」重耳居狄凡十二年而去。過衛,衛文公不礼。去,過五鹿,饑而従野人乞食,野人盛土器中進之。重耳怒。趙衰曰:「土者,有土也,君其拝受之。」至斉,斉桓公厚礼,而以宗女妻之,有馬二十乗,重耳安之。重耳至斉二歳而桓公卒,会豎刀等為内乱,斉孝公之立,諸侯兵数至。留斉凡五歳。重耳愛斉女,毋去心。趙衰、咎犯乃於桑下謀行。斉女侍者在桑上聞之,以告其主。其主乃殺侍者,勧重耳趣行。重耳曰:「人生安楽,孰知其他!必死於此,不能去。」斉女曰:「子一国公子,窮而来此,数士者以子為命。子不疾反国,報労臣,而懐女徳,窃為子羞之。且不求,何時得功?」乃与趙衰等謀,酔重耳,載以行。行遠而覚,重耳大怒,引戈欲殺咎犯。咎犯曰:「殺臣成子,偃之願也。」重耳曰:「事不成,我食舅氏之肉。」咎犯曰:「事不成,犯肉腥臊,何足食!」
書き下し
恵公の七年、重耳を畏れ、乃ち宦者履鞮をして壮士と重耳を殺さんと欲せしむ。重耳之を聞き、乃ち趙衰等に謀りて曰く、「始め吾狄に奔るは、以て用ふべしと為すに非ず。近くして以て通じ易きを以て、故に且く足を休む。足を休むること久し。固より大国に徙らんことを願ふ。夫れ斉の桓公は善を好み、志は覇王に在り、諸侯を収恤す。今聞く、管仲・隰朋死すと。此れ亦た賢佐を得んと欲す。盍ぞ往かざる」と。是に於て遂に行く。重耳其の妻に謂ひて曰く、「我を待つこと二十五年にして来たらずんば、乃ち嫁げ」と。其の妻笑ひて曰く、「二十五年に犁(およ)ばば、吾が冢上の柏大ならん。然りと雖も、妾子を待たん」と。重耳狄に居ること凡そ十二年にして去る。衛を過ぐ。衛の文公礼せず。去りて五鹿を過ぐ。饑ゑて野人に従ひて食を乞ふ。野人土を器中に盛りて之を進む。重耳怒る。趙衰曰く、「土は、土を有つなり。君其れ拝して之を受けよ」と。斉に至る。斉の桓公厚く礼し、而して宗女を以て之に妻し、馬二十乗有り。重耳之に安んず。重耳斉に至りて二歳にして桓公卒す。会々豎刀等内乱を為し、斉の孝公の立つや、諸侯の兵数々至る。斉に留まること凡そ五歳。重耳斉の女を愛し、去る心毋し。趙衰・咎犯乃ち桑下に於て行かんことを謀る。斉の女の侍者桑上に在りて之を聞き、以て其の主に告ぐ。其の主乃ち侍者を殺し、重耳に趣やかに行かんことを勧む。重耳曰く、「人生安楽なり。孰か其の他を知らん。必ず此に死せん。去ること能はず」と。斉の女曰く、「子は一国の公子なり。窮して此に来たる。数士は子を以て命と為す。子疾く国に反りて、労臣に報いずして、女の徳を懐ふ。窃かに子の為に之を羞づ。且つ求めずんば、何れの時にか功を得ん」と。乃ち趙衰等と謀り、重耳を酔はしめ、載せて以て行く。行くこと遠くして覚む。重耳大いに怒り、戈を引きて咎犯を殺さんと欲す。咎犯曰く、「臣を殺して子を成すは、偃の願ひなり」と。重耳曰く、「事成らずんば、我舅氏の肉を食らはん」と。咎犯曰く、「事成らずんば、犯の肉は腥臊なり。何ぞ食らふに足らん」と。
現代語訳
恵公の七年、恵公は重耳を恐れ、宦官の履鞮に勇士たちを率いさせて重耳を殺そうとした。重耳はこれを聞くと、趙衰らに相談して言った。「はじめ私が狄に逃れたのは、狄が頼りになると思ったからではない。晋に近くて連絡が取りやすいので、しばらく足を休めていたのだ。もう十分に長く休んだ。もともと大国に移りたいと思っていた。斉の桓公は善を好み、覇王となる志を持ち、諸侯を受け入れて大切にしている。いま管仲や隰朋が亡くなったと聞く。桓公も賢い補佐役を求めているはずだ。行ってみようではないか」。こうして一行は出発した。重耳は妻に言った。「二十五年待って私が戻らなければ、再婚しなさい」。妻は笑って言った。「二十五年もたてば、私の墓の上の柏の木が大きくなっているだろう。それでも私はあなたを待っている」。重耳は狄に十二年いて去った。衛を通ったが、衛の文公は礼をもってもてなさなかった。衛を去って五鹿を通ったとき、飢えて農夫に食べ物を乞うと、農夫は器に土を盛って差し出した。重耳は怒った。趙衰は言った。「土とは、土地を持つことの兆しだ。君は拝んでこれを受けなさい」。斉に着くと、斉の桓公は手厚くもてなし、一族の娘を重耳に嫁がせ、馬車二十乗分の馬を与えた。重耳はこの暮らしに満足した。重耳が斉に来て二年で桓公が亡くなった。ちょうど豎刀らが内乱を起こし、孝公が立つと、諸侯の兵がたびたび攻めてきた。重耳は斉に五年とどまった。重耳は斉の妻を愛し、去る気持ちがなかった。趙衰と咎犯(狐偃)は桑の木の下で出発の相談をした。斉の妻の侍女が桑の木の上にいてそれを聞き、主人に告げた。妻はその侍女を殺し、重耳に早く出発するよう勧めた。重耳は言った。「人生は安楽が一番だ。ほかのことなど知ったことか。私はきっとここで死ぬ。去ることなどできない」。斉の妻は言った。「あなたは一国の公子で、行き詰まってここへ来た。何人もの士があなたに命を預けている。あなたが早く国に帰って苦労した臣下たちに報いず、女の情にひかれているのを、私はひそかにあなたのために恥ずかしく思う。それに、求めなければ、いつ功業を成し遂げられるというのか」。そこで妻は趙衰らと謀って重耳を酔わせ、車に乗せて出発させた。遠くまで来てから重耳は目を覚まし、大いに怒って戈を手に取り、咎犯を殺そうとした。咎犯は言った。「私を殺してあなたが事を成し遂げるなら、それこそ私の願いだ」。重耳は言った。「事が成らなければ、叔父上の肉を食ってやる」。咎犯は言った。「事が成らなければ、私の肉など生臭くて食べる値打ちもない」。
解説
関連する章句
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史記 晋世家楚に居ること数月、而して晋の太子圉秦より亡ぐ。秦之を怨む。重耳の楚に在るを聞き、乃ち之を召す。成王曰く、「楚は遠く、数国を更て乃ち晋に至る。秦・晋は境を接し、秦君は賢なり。子其れ勉めて行け」と。厚く重耳を送る。重耳秦に至る。繆公宗女五人を以て重耳に妻す。故の子圉の妻も与に往く。重耳受くるを欲せず。司空季子曰く、「其の国すら且に伐たんとす。況んや其の故の妻をや。且つ受けて以て秦の親を結びて入らんことを求む。子乃ち小礼に拘はりて、大醜を忘れんか」と。遂に受く。繆公大いに歓び、重耳と飲む。趙衰黍苗の詩を歌ふ。繆公曰く、「子の急ぎ国に反らんと欲するを知る」と。趙衰重耳と下り、再拝して曰く、「孤臣の君を仰ぐは、百穀の時雨を望むが如し」と。是の時晋の恵公の十四年の秋なり。恵公九月を以て卒し、子圉立つ。十一月、恵公を葬る。十二月、晋国の大夫欒・郤等重耳の秦に在るを聞き、皆陰かに来たりて重耳・趙衰等に国に反らんことを勧む。内応を為す者甚だ衆し。是に於て秦の繆公乃ち兵を発して重耳と晋に帰る。晋秦の兵の来たるを聞き、亦た兵を発して之を拒む。然れども皆陰かに公子重耳の入るを知る。唯だ恵公の故の貴臣呂・郤の属のみ重耳を立つるを欲せず。重耳出亡すること凡そ十九歳にして入るを得たり。時に年六十二なり。晋人多く焉に附く。文公の元年春、秦重耳を送りて河に至る。咎犯曰く、「臣君に従ひて天下を周旋し、過ちも亦た多し。臣すら猶ほ之を知る。況んや君に於てをや。請ふ此より去らん」と。重耳曰く、「若し国に反りて、子犯と共にせざる所の者は、河伯之を視よ」と。乃ち璧を河中に投じ、以て子犯と盟ふ。是の時介子推従ひて、船中に在り。乃ち笑ひて曰く、「天実に公子を開く。而して子犯以て己の功と為して君に要市す。固より羞づるに足る。吾同位するに忍びず」と。乃ち自ら隠れて河を渡る。秦の兵令狐を囲み、晋廬柳に軍す。
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史記 晋世家乃ち止み、遂に行く。曹を過ぐ。曹の共公礼せず、重耳の駢脅を観んと欲す。曹の大夫釐負羈曰く、「晋の公子は賢にして、又同姓なり。窮して来たりて我を過ぐ。奈何ぞ礼せざる」と。共公其の謀に従はず。負羈乃ち私かに重耳に食を遺り、璧を其の下に置く。重耳其の食を受け、其の璧を還す。去りて宋を過ぐ。宋の襄公新たに兵を楚に困しめられ、泓に傷つく。重耳の賢なるを聞き、乃ち国礼を以て重耳に礼す。宋の司馬公孫固咎犯に善く、曰く、「宋は小国にして新たに困しむ。以て入らんことを求むるに足らず。更に大国に之け」と。乃ち去る。鄭を過ぐ。鄭の文公礼せず。鄭の叔瞻其の君を諫めて曰く、「晋の公子は賢にして、其の従者は皆国の相なり。且つ又同姓なり。鄭の出は厲王よりし、晋の出は武王よりす」と。鄭君曰く、「諸侯の亡公子の此を過ぐる者衆し。安んぞ尽く礼すべけんや」と。叔瞻曰く、「君礼せずんば、之を殺すに如かず。且に後に国の患と為らんとす」と。鄭君聴かず。重耳去りて楚に之く。楚の成王適諸侯の礼を以て之を待す。重耳謝して敢て当たらず。趙衰曰く、「子亡げて外に在ること十余年、小国すら子を軽んず。況んや大国をや。今楚は大国にして固く子を遇す。子其れ譲ること毋かれ。此れ天子を開くなり」と。遂に客礼を以て之に見ゆ。成王厚く重耳を遇す。重耳甚だ卑くす。成王曰く、「子即し国に反らば、何を以て寡人に報いん」と。重耳曰く、「羽毛歯角玉帛は、君王の余す所なり。未だ報ゆる所以を知らず」と。王曰く、「然りと雖も、何を以て不穀に報いん」と。重耳曰く、「即し已むを得ずして、君王と兵車を以て平原広沢に会せば、請ふ王を辟くること三舎ならん」と。楚の将子玉怒りて曰く、「王晋の公子を遇すること至って厚し。今重耳の言孫(したが)はず。請ふ之を殺さん」と。成王曰く、「晋の公子は賢にして外に困しむこと久し。従者は皆国器なり。此れ天の置く所なり。庸ぞ殺すべけんや。且つ言何を以て之を易へん」と。
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史記 晋世家子圉遂に亡げて晋に帰る。十四年九月、恵公卒し、太子圉立つ。是を懐公と為す。子圉の亡ぐるや、秦之を怨み、乃ち公子重耳を求め、之を内れんと欲す。子圉の立つや、秦の伐たんことを畏る。乃ち国中の諸々の重耳に従ひて亡げし者に令して与に期し、期尽きて到らざる者は尽く其の家を滅ぼさんとす。狐突の子毛及び偃重耳に従ひて秦に在り。召すを肯ぜず。懐公怒り、狐突を囚ふ。突曰く、「臣の子重耳に事ふること年数有り。今之を召すは、是れ之に君に反くことを教ふるなり。何を以て之を教へん」と。懐公卒に狐突を殺す。秦の繆公乃ち兵を発して送りて重耳を内れ、人をして欒・郤の党に告げて内応を為さしめ、懐公を高梁に殺し、重耳を入る。重耳立つ。是を文公と為す。晋の文公重耳は、晋の献公の子なり。少きより士を好み、年十七にして、賢士五人有り。趙衰と曰ひ、狐偃咎犯、文公の舅なり、賈佗、先軫、魏武子なり。献公の太子為りし時より、重耳固より已に成人たり。献公即位するとき、重耳年二十一なり。献公の十三年、驪姫の故を以て、重耳蒲城に備へて秦を守る。献公の二十一年、献公太子申生を殺す。驪姫之を讒す。恐れて、献公に辞せずして蒲城を守る。献公の二十二年、献公宦者履鞮をして趣(すみ)やかに重耳を殺さしむ。重耳垣を踰ゆ。宦者逐ひて其の衣袪を斬る。重耳遂に狄に奔る。狄は、其の母の国なり。是の時重耳年四十三なり。此の五士に従ひ、其の余の名あらざる者数十人、狄に至る。狄咎如を伐ち、二女を得たり。長女を以て重耳に妻し、伯鯈・叔劉を生む。少女を以て趙衰に妻し、盾を生む。狄に居ること五歳にして晋の献公卒す。里克已に奚斉・悼子を殺し、乃ち人をして迎へしめ、重耳を立てんと欲す。重耳殺されんことを畏れ、因りて固く謝し、敢て入らず。已にして晋更に其の弟夷吾を迎へて之を立つ。是を恵公と為す。
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史記 趙世家趙衰、重耳に従ひて出亡すること凡そ十九年、国に反ることを得たり。重耳晋の文公と為り、趙衰原の大夫と為り、原に居り、国政に任ず。文公の国に反り及び霸たる所以は、多く趙衰の計策なり。語は晋の事の中に在り。趙衰既に晋に反り、晋の妻固く翟の妻を迎へんことを要め、而して其の子盾を以て適嗣と為し、晋の妻の三子皆下りて之に事ふ。晋の襄公の六年にして趙衰卒し、諡して成季と為す。趙盾、成季に代はりて国政に任ずること二年にして晋の襄公卒す。太子夷皋年少し。盾、国の多難なるが為に、襄公の弟雍を立てんと欲す。雍時に秦に在り。使をして之を迎へしむ。太子の母日夜啼泣し、頓首して趙盾に謂ひて曰く、「先君何の罪かある。其の適子を釈きて更に君を求むるか」と。趙盾之を患へ、其の宗と大夫との襲ひて之を誅せんことを恐れ、乃ち遂に太子を立つ、是を霊公と為す。兵を発して襄公の弟を秦に迎ふる所の者を距ぐ。霊公既に立ち、趙盾益々国政を専らにす。霊公立ちて十四年、益々驕る。趙盾驟々諫むれども、霊公聴かず。熊蹯を食らふに及び、胹て熟せず、宰人を殺し、其の尸を持ちて出づ。趙盾之を見る。霊公此に由りて懼れ、盾を殺さんと欲す。盾素より仁にして人を愛す。嘗て食はせし所の桑下の餓人、反りて捍ぎて盾を救ふ。盾以て亡ぐるを得たり。未だ境を出でずして、趙穿霊公を弑して襄公の弟黒臀を立つ、是を成公と為す。趙盾復た反りて国政に任ず。君子盾を譏る、「正卿と為りて、亡げて境を出でず、反りて賊を討たず」と。故に太史書して曰く「趙盾其の君を弑す」と。晋の景公の時にして趙盾卒し、諡して宣孟と為す。子朔嗣ぐ。趙朔、晋の景公の三年、朔晋の将として下軍に将として鄭を救ひ、楚の荘王と河上に戦ふ。朔、晋の成公の姊を娶りて夫人と為す。晋の景公の三年、大夫屠岸賈、趙氏を誅せんと欲す。初め、趙盾在りし時、夢に叔帯の要を持ちて哭するを見る。甚だ悲し。已にして笑ひ、手を拊ちて且つ歌ふ。
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史記 斉太公世家四十一年、秦の穆公、晋の恵公を虜にし、復た之を帰す。是の歳、管仲・隰朋皆卒す。管仲病む。桓公問ひて曰く、「群臣誰か相たる可き者ぞ」と。管仲曰く、「臣を知るは君に如くは莫し」と。公曰く、「易牙は如何」と。対へて曰く、「子を殺して以て君に適ふ、人情に非ず、不可なり」と。公曰く、「開方は如何」と。対へて曰く、「親に倍きて以て君に適ふ、人情に非ず、近づけ難し」と。公曰く、「豎刀は如何」と。対へて曰く、「自ら宮して以て君に適ふ、人情に非ず、親しみ難し」と。管仲死す。而して桓公は管仲の言を用ひず、卒に近づけて三子を用ふ。三子権を専らにす。四十二年、戎、周を伐つ。周、急を斉に告ぐ。斉、諸侯をして各々卒を発して周を戍らしむ。是の歳、晋の公子重耳来る。桓公之に妻はす。四十三年。初め、斉の桓公の夫人三あり。王姫・徐姫・蔡姫と曰ひ、皆子無し。桓公内を好み、内寵多く、夫人の如き者六人。長衛姫は無詭を生み、少衛姫は恵公元を生み、鄭姫は孝公昭を生み、葛嬴は昭公潘を生み、密姫は懿公商人を生み、宋華子は公子雍を生む。桓公、管仲と孝公を宋の襄公に属し、以て太子と為す。雍巫、衛の共姫に寵有り、宦者豎刀に因りて以て厚く桓公に献じ、亦寵有り。桓公之に無詭を立つるを許す。管仲卒し、五公子皆立たんことを求む。冬十月乙亥、斉の桓公卒す。易牙入り、豎刀と内寵に因りて群吏を殺し、而して公子無詭を立てて君と為す。太子昭、宋に奔る。
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史記 晋世家二月辛丑、咎犯秦・晋の大夫と郇に盟ふ。壬寅、重耳晋の師に入る。丙午、曲沃に入る。丁未、武宮に朝し、即位して晋君と為る。是を文公と為す。群臣皆往く。懐公圉高梁に奔る。戊申、人をして懐公を殺さしむ。懐公の故の大臣呂省・郤芮本より文公に附かず。文公立ち、誅せられんことを恐れ、乃ち其の徒と謀りて公宮を焼き、文公を殺さんと欲す。文公知らず。始め嘗て文公を殺さんと欲せし宦者履鞮其の謀を知り、以て文公に告げて、前の罪を解かんと欲し、文公に見えんことを求む。文公見えず、人をして譲めしめて曰く、「蒲城の事、女予が袪を斬る。其の後我狄君に従ひて猟す。女恵公の為に来たりて我を殺さんことを求む。恵公女と期するに三日にして至れとす。而るに女一日にして至る。何ぞ速やかなるや。女其れ之を念へ」と。宦者曰く、「臣は刀鋸の余なり。敢て二心を以て君に事へ主に倍かず。故に罪を君に得たり。君已に国に反る。其れ蒲・翟無からんや。且つ管仲鉤を射て、桓公以て覇たり。今刑余の人事を以て告ぐるも君見えずんば、禍又且に及ばんとす」と。是に於て之に見ゆ。遂に呂・郤等を以て文公に告ぐ。文公呂・郤を召さんと欲す。呂・郤等は党多し。文公初めて国に入り、国人の己を売らんことを恐れ、乃ち微行を為し、秦の繆公に王城に会す。国人知る莫し。三月己丑、呂・郤等果たして反し、公宮を焚くも、文公を得ず。文公の衛徒与に戦ふ。呂・郤等兵を引きて奔らんと欲す。秦の繆公呂・郤等を誘ひ、之を河上に殺す。晋国復して文公帰るを得たり。夏、夫人を秦に迎ふ。秦の文公に妻す所の者卒に夫人と為る。秦三千人を送りて衛と為し、以て晋の乱に備ふ。文公政を修め、恵みを百姓に施す。従亡の者及び功臣を賞し、大なる者は邑を封じ、小なる者は爵を尊くす。未だ尽くは賞を行はざるに、周の襄王弟帯の難を以て出でて鄭の地に居り、来たりて急を晋に告ぐ。晋初めて定まり、兵を発せんと欲するも、他の乱の起こらんことを恐る。是を以て従亡を賞するに未だ隠者介子推に至らず。推も亦た禄を言はず、禄も亦た及ばず。
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