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史記 / 晋世家

繆公壯士冒敗晉軍,晉軍敗,遂失秦繆公,反獲晉公以歸。秦將以祀上帝。晉君姊爲繆公夫人,衰絰涕泣。公曰:「得晉侯將以爲樂,今乃如此。且吾聞箕子見唐叔之初封,曰『其後必當大矣』,晉庸可滅乎!」乃與晉侯盟王城而許之歸。晉侯亦使呂省等報國人曰:「孤雖得歸,毋面目見社稷,卜日立子圉。」晉人聞之,皆哭。秦繆公問呂省:「晉國和乎?」對曰:「不和。小人懼失君亡親,不憚立子圉,曰『必報讎,寧事戎、狄』。其君子則愛君而知罪,以待秦命,曰『必報德』。有此二故,不和。」於是秦繆公更舍晉惠公,餽之七牢。十一月,歸晉侯。晉侯至國,誅慶鄭,修政教。謀曰:「重耳在外,諸侯多利内之。」欲使人殺重耳於狄。重耳聞之,如齊。八年,使太子圉質秦。初,惠公亡在梁,梁伯以其女妻之,生一男一女。梁伯卜之,男爲人臣,女爲人妾,故名男爲圉,女爲妾。十年,秦滅梁。梁伯好土功,治城溝,民力罷怨,其衆數相驚,曰「秦寇至」,民恐惑,秦竟滅之。十三年,晉惠公病,内有數子。太子圉曰:「吾母家在梁,梁今秦滅之,我外輕於秦而内無援於國。君卽不起,病大夫輕,更立他公子。」乃謀與其妻倶亡歸。秦女曰:「子一國太子,辱在此。秦使婢子侍,以固子之心。子亡矣,我不從子,亦不敢言。」

新字:繆公壮士冒敗晋軍,晋軍敗,遂失秦繆公,反獲晋公以帰。秦将以祀上帝。晋君姊為繆公夫人,衰絰涕泣。公曰:「得晋侯将以為楽,今乃如此。且吾聞箕子見唐叔之初封,曰『其後必当大矣』,晋庸可滅乎!」乃与晋侯盟王城而許之帰。晋侯亦使呂省等報国人曰:「孤雖得帰,毋面目見社稷,卜日立子圉。」晋人聞之,皆哭。秦繆公問呂省:「晋国和乎?」対曰:「不和。小人懼失君亡親,不憚立子圉,曰『必報讎,寧事戎、狄』。其君子則愛君而知罪,以待秦命,曰『必報徳』。有此二故,不和。」於是秦繆公更舎晋恵公,餽之七牢。十一月,帰晋侯。晋侯至国,誅慶鄭,修政教。謀曰:「重耳在外,諸侯多利内之。」欲使人殺重耳於狄。重耳聞之,如斉。八年,使太子圉質秦。初,恵公亡在梁,梁伯以其女妻之,生一男一女。梁伯卜之,男為人臣,女為人妾,故名男為圉,女為妾。十年,秦滅梁。梁伯好土功,治城溝,民力罷怨,其衆数相驚,曰「秦寇至」,民恐惑,秦竟滅之。十三年,晋恵公病,内有数子。太子圉曰:「吾母家在梁,梁今秦滅之,我外軽於秦而内無援於国。君即不起,病大夫軽,更立他公子。」乃謀与其妻倶亡帰。秦女曰:「子一国太子,辱在此。秦使婢子侍,以固子之心。子亡矣,我不従子,亦不敢言。」

書き下し

繆公の壮士冒して晋の軍を敗る。晋の軍敗れ、遂に秦の繆公を失ひ、反って晋公を獲て以て帰る。秦将に以て上帝を祀らんとす。晋君の姊は繆公の夫人為り。衰絰して涕泣す。公曰く、「晋侯を得て将に以て楽しみと為さんとす。今乃ち此の如し。且つ吾聞く、箕子唐叔の初めて封ぜらるるを見て曰く、『其の後必ず当に大なるべし』と。晋庸(なん)ぞ滅ぼすべけんや」と。乃ち晋侯と王城に盟ひて之が帰るを許す。晋侯も亦た呂省等をして国人に報ぜしめて曰く、「孤帰るを得と雖も、社稷に見ゆる面目毋し。日を卜して子圉を立てよ」と。晋人之を聞き、皆哭す。秦の繆公呂省に問ふ、「晋国和するか」と。対へて曰く、「和せず。小人は君を失ひ親を亡ふを懼れ、子圉を立つるを憚らず。曰く『必ず讎に報いん。寧ろ戎・狄に事へん』と。其の君子は則ち君を愛して罪を知り、以て秦の命を待つ。曰く『必ず徳に報いん』と。此の二つの故有り、和せず」と。是に於て秦の繆公更に晋の恵公を舎(やど)らしめ、之に七牢を餽る。十一月、晋侯を帰す。晋侯国に至り、慶鄭を誅し、政教を修む。謀りて曰く、「重耳外に在り。諸侯多く之を内るるを利とす」と。人をして重耳を狄に殺さしめんと欲す。重耳之を聞き、斉に如く。八年、太子圉をして秦に質たらしむ。初め、恵公亡げて梁に在るや、梁伯其の女を以て之に妻す。一男一女を生む。梁伯之を卜す。男は人の臣と為り、女は人の妾と為る。故に男に名づけて圉と為し、女を妾と為す。十年、秦梁を滅ぼす。梁伯土功を好み、城溝を治め、民力罷れて怨み、其の衆数々相驚きて「秦の寇至る」と曰ふ。民恐れ惑ふ。秦竟に之を滅ぼす。十三年、晋の恵公病む。内に数子有り。太子圉曰く、「吾が母の家は梁に在り。梁今秦之を滅ぼす。我外は秦に軽んぜられ、内は国に援け無し。君即し起たずんば、大夫を病ましめ軽んぜられ、更に他の公子を立てん」と。乃ち其の妻と倶に亡げ帰らんことを謀る。秦の女曰く、「子は一国の太子にして、辱めて此に在り。秦婢子をして侍らしむるは、以て子の心を固めんとてなり。子亡げよ。我子に従はず、亦た敢て言はず」と。

現代語訳

繆公の勇士たちが命がけで突撃して晋軍を破った。晋軍は敗れ、秦の繆公を取り逃がしたうえ、かえって晋の恵公が捕らえられて連れ去られた。秦は恵公を生贄にして上帝を祀ろうとした。晋の恵公の姉は繆公の夫人であったが、喪服を着て泣き悲しんだ。繆公は言った。「晋侯を捕らえて喜びとしようとしたのに、今こうして悲しまれてしまうとは。それに私は、箕子が唐叔が初めて封じられたのを見て『その子孫は必ず大きくなるだろう』と言ったと聞いている。どうして晋を滅ぼすことができようか」。そこで晋侯と王城で盟約を結び、帰国を許した。晋侯も呂省らを国へ送って人々に伝えさせた。「私は帰国できることになったが、国家に合わせる顔がない。日を占って子圉を君主に立ててほしい」。晋の人々はこれを聞いて、みな声をあげて泣いた。秦の繆公は呂省に尋ねた。「晋の国はまとまっているか」。呂省は答えた。「まとまっていない。身分の低い者たちは、君主を失い親族を失ったことを恐れ、子圉を立てることもためらわず、『必ず仇を討つ。いっそ戎や狄に仕えてでも』と言っている。一方で君子たちは君主を愛しながらもその罪を知り、秦の命令を待って『必ず秦の恩に報いる』と言っている。この二つの考えがあるので、まとまっていない」。そこで秦の繆公は晋の恵公の待遇をあらため、七頭分の牛・羊・豚を贈った。十一月、晋侯を帰国させた。晋侯は国に着くと慶鄭を誅殺し、政治と教化を整えた。さらに相談して言った。「重耳が国外にいる。諸侯の多くは重耳を晋に入れることを利益と考えている」。そして人を送って狄にいる重耳を殺させようとした。重耳はこれを聞いて斉に移った。八年、恵公は太子の圉を秦に人質として送った。これより前、恵公が梁に亡命していたとき、梁伯は娘を恵公に嫁がせ、一男一女が生まれた。梁伯が占ったところ、男の子は人の臣下となり、女の子は人の妾となると出た。それで男の子を圉(馬飼い)と名づけ、女の子を妾と名づけた。十年、秦が梁を滅ぼした。梁伯は土木工事を好み、城壁や堀を造らせたので、民は力を使い果たして恨み、たびたび「秦の敵が来た」と騒いでは互いに驚き、民は恐れ惑った。秦はついに梁を滅ぼした。十三年、晋の恵公が病に倒れた。国内には何人もの子がいた。太子の圉は言った。「私の母の実家は梁にあったが、梁はいま秦に滅ぼされた。私は外では秦に軽んじられ、内では国に後ろ盾がない。もし君が亡くなれば、大夫たちは私を軽んじて、別の公子を立てるだろう」。そこで妻とともに逃げ帰ろうと相談した。秦から嫁いできた妻は言った。「あなたは一国の太子なのに、ここで人質として辱めを受けている。秦が私をあなたのそばに仕えさせたのは、あなたの心をこの国につなぎとめるためだ。あなたは逃げればよい。私はついては行かないが、このことを口外もしない」。

解説

韓原の戦いで晋の恵公が捕虜となり、帰国するまでの段です。秦の繆公は恵公を生贄にしようとしますが、恵公の姉である夫人が喪服を着て泣き、繆公は晋の始祖が大きくなると予言された話を思い出して、恵公を許します。怒りに任せず、相手の国の将来と身内の情を考えた判断です。呂省が「小人は仇を討つと言い、君子は恩に報いると言う」と晋の国内事情を率直に伝えたことも、繆公の心を動かしました。しかし帰国した恵公は、まず直言した慶鄭を殺し、さらに重耳の暗殺を図ります。反省の色は見えません。太子圉が人質の身から逃げ帰ろうとすると、秦から嫁いだ妻は「ついては行かないが口外もしない」と答えます。夫への情と故国への義理の間で揺れる、節度ある振る舞いです。梁伯が土木工事で民を疲れさせて自滅した話も挟まれています。敗北のあとに何を学ぶかでその後の道が決まるという点は、今の組織の失敗への向き合い方にも通じるでしょう。

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