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史記 / 管蔡世家

隱太子友者,靈侯之太子,平侯立而殺隱太子,故平侯卒而隱太子之子東國攻平侯子而代立,是為悼侯。悼侯三年卒,弟昭侯申立。昭侯十年,朝楚昭王,持美裘二,獻其一於昭王而自衣其一。楚相子常欲之,不與。子常讒蔡侯,留之楚三年。蔡侯知之,乃獻其裘於子常;子常受之,乃言歸蔡侯。蔡侯歸而之晉,請與晉伐楚。十三年春,與衛靈公會邵陵。蔡侯私於周萇弘以求長於衛;衛使史言康叔之功德,乃長衛。夏,為晉滅沈,楚怒,攻蔡。蔡昭侯使其子為質於吳,以共伐楚。冬,與吳王闔閭遂破楚入郢。蔡怨子常,子常恐,奔鄭。十四年,吳去而楚昭王復國。十六年,楚令尹為其民泣以謀蔡,蔡昭侯懼。二十六年,孔子如蔡。楚昭王伐蔡,蔡恐,告急於吳。吳為蔡遠,約遷以自近,易以相救;昭侯私許,不與大夫計。吳人來救蔡,因遷蔡于州來。二十八年,昭侯將朝于吳,大夫恐其復遷,乃令賊利殺昭侯;已而誅賊利以解過,而立昭侯子朔,是為成侯。成侯四年,宋滅曹。十年,齊田常弒其君簡公。十三年,楚滅陳。十九年,成侯卒,子聲侯產立。聲侯十五年卒,子元侯立。元侯六年卒,子侯齊立。侯齊四年,楚惠王滅蔡,蔡侯齊亡,蔡遂絕祀。後陳滅三十三年。

新字:隠太子友者,霊侯之太子,平侯立而殺隠太子,故平侯卒而隠太子之子東国攻平侯子而代立,是為悼侯。悼侯三年卒,弟昭侯申立。昭侯十年,朝楚昭王,持美裘二,献其一於昭王而自衣其一。楚相子常欲之,不与。子常讒蔡侯,留之楚三年。蔡侯知之,乃献其裘於子常;子常受之,乃言帰蔡侯。蔡侯帰而之晋,請与晋伐楚。十三年春,与衛霊公会邵陵。蔡侯私於周萇弘以求長於衛;衛使史言康叔之功徳,乃長衛。夏,為晋滅沈,楚怒,攻蔡。蔡昭侯使其子為質於呉,以共伐楚。冬,与呉王闔閭遂破楚入郢。蔡怨子常,子常恐,奔鄭。十四年,呉去而楚昭王復国。十六年,楚令尹為其民泣以謀蔡,蔡昭侯懼。二十六年,孔子如蔡。楚昭王伐蔡,蔡恐,告急於呉。呉為蔡遠,約遷以自近,易以相救;昭侯私許,不与大夫計。呉人来救蔡,因遷蔡于州来。二十八年,昭侯将朝于呉,大夫恐其復遷,乃令賊利殺昭侯;已而誅賊利以解過,而立昭侯子朔,是為成侯。成侯四年,宋滅曹。十年,斉田常弒其君簡公。十三年,楚滅陳。十九年,成侯卒,子声侯産立。声侯十五年卒,子元侯立。元侯六年卒,子侯斉立。侯斉四年,楚恵王滅蔡,蔡侯斉亡,蔡遂絶祀。後陳滅三十三年。

書き下し

隠太子友は、霊侯の太子なり。平侯立ちて隠太子を殺す。故に平侯卒して隠太子の子東国平侯の子を攻めて代はり立つ。是を悼侯と為す。悼侯三年にして卒し、弟の昭侯申立つ。昭侯の十年、楚の昭王に朝し、美裘二を持し、其の一を昭王に献じて自ら其の一を衣る。楚の相子常之を欲するも、与へず。子常蔡侯を讒し、之を楚に留むること三年。蔡侯之を知り、乃ち其の裘を子常に献ず。子常之を受け、乃ち言ひて蔡侯を帰す。蔡侯帰りて晋に之き、晋と楚を伐たんことを請ふ。十三年春、衛の霊公と邵陵に会す。蔡侯私かに周の萇弘に以て衛に長たらんことを求む。衛史をして康叔の功徳を言はしめ、乃ち衛を長とす。夏、晋の為に沈を滅ぼす。楚怒り、蔡を攻む。蔡の昭侯其の子をして呉に質と為らしめ、以て共に楚を伐つ。冬、呉王闔閭と遂に楚を破りて郢に入る。蔡子常を怨む。子常恐れて鄭に奔る。十四年、呉去りて楚の昭王国を復す。十六年、楚の令尹其の民の為に泣きて以て蔡を謀る。蔡の昭侯懼る。二十六年、孔子蔡に如く。楚の昭王蔡を伐つ。蔡恐れ、急を呉に告ぐ。呉蔡の遠きが為に、遷りて以て自ら近づき、相救ふに易からんことを約す。昭侯私かに許し、大夫と計らず。呉人来たりて蔡を救ひ、因りて蔡を州来に遷す。二十八年、昭侯将に呉に朝せんとす。大夫其の復た遷さんことを恐れ、乃ち賊利をして昭侯を殺さしむ。已にして賊利を誅して以て過ちを解き、而して昭侯の子朔を立つ。是を成侯と為す。成侯の四年、宋曹を滅ぼす。十年、斉の田常其の君簡公を弑す。十三年、楚陳を滅ぼす。十九年、成侯卒し、子の声侯産立つ。声侯十五年にして卒し、子の元侯立つ。元侯六年にして卒し、子の侯斉立つ。侯斉の四年、楚の恵王蔡を滅ぼす。蔡侯斉亡げ、蔡遂に祀を絶つ。陳に後るること三十三年なり。

現代語訳

隠太子友は霊侯の太子である。平侯は即位すると隠太子を殺した。そのため平侯が亡くなると、隠太子の子の東国が平侯の子を攻めて代わりに立った。これが悼侯である。悼侯は在位三年で亡くなり、弟の昭侯申が立った。昭侯の十年、昭侯は楚の昭王のもとへ参朝し、見事な皮衣を二着持参して、一着を昭王に献上し、もう一着を自分で着ていた。楚の宰相の子常がそれを欲しがったが、昭侯は与えなかった。子常は蔡侯を讒言し、三年間も楚に足止めした。蔡侯はそのわけを知って、皮衣を子常に献上した。子常はこれを受け取ると、口添えして蔡侯を帰国させた。蔡侯は帰国するとすぐ晋へ行き、晋とともに楚を討ちたいと願い出た。十三年の春、蔡侯は衛の霊公と邵陵で会盟した。蔡侯はひそかに周の萇弘に頼んで、衛より上の席次を得ようとした。衛は史官に祖先の康叔の功績と徳を述べさせ、結局衛が上位とされた。夏、蔡は晋のために沈を滅ぼした。楚は怒って蔡を攻めた。蔡の昭侯は子を呉に人質として送り、呉とともに楚を討つことにした。冬、呉王闔閭とともに楚を破って都の郢に入った。蔡は子常を恨んでいた。子常は恐れて鄭に逃げた。十四年、呉が引き揚げ、楚の昭王は国を回復した。十六年、楚の令尹(宰相)は民のために涙を流しながら蔡への報復を謀った。蔡の昭侯は恐れた。二十六年、孔子が蔡に行った。楚の昭王が蔡を攻めた。蔡は恐れて呉に急を告げた。呉は、蔡が遠く離れているので、呉の近くに移ってくれば助けやすいと約束させた。昭侯はひそかにこれを承諾し、大夫たちには相談しなかった。呉の兵が蔡を救いに来て、そのまま蔡を州来に移した。二十八年、昭侯が呉へ参朝しようとした。大夫たちはまた国を移されるのではないかと恐れ、刺客の利に昭侯を殺させた。その後、利を処刑して責任を逃れ、昭侯の子の朔を立てた。これが成侯である。成侯の四年、宋が曹を滅ぼした。十年、斉の田常がその君の簡公を殺した。十三年、楚が陳を滅ぼした。十九年、成侯が亡くなり、子の声侯産が立った。声侯は在位十五年で亡くなり、子の元侯が立った。元侯は在位六年で亡くなり、子の侯斉が立った。侯斉の四年、楚の恵王が蔡を滅ぼした。蔡侯斉は逃亡し、蔡はついに祭祀が絶えた。陳が滅んでから三十三年後のことである。

解説

蔡の昭侯の時代から滅亡までを描く段です。有名なのは皮衣の話で、昭侯は楚の宰相・子常に皮衣を渡さなかったために三年も抑留されました。この恨みから昭侯は晋や呉と結び、呉王闔閭とともに楚の都・郢を落とします。小国の君主が大国の宰相の強欲に振り回され、その恨みが国際情勢を大きく動かしたのです。しかし楚に恨まれた蔡は、結局呉に頼って国ごと州来へ移ることになり、大夫たちに相談せずに決めた昭侯は、再度の移転を恐れた大夫によって暗殺されます。そして最後は楚の恵王に滅ぼされました。私的な欲や恨み、独断が国の運命を左右していく様子が生々しく描かれています。取引先の担当者の私欲に振り回される場面や、重要な決定を周囲に相談せずに進めて反発を招く場面は、今の会社でも起こりうることでしょう。

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