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史記 / 管蔡世家

齊桓公怒,伐蔡;蔡潰,遂虜繆侯,南至楚邵陵。已而諸侯爲蔡謝齊,齊侯歸蔡侯。二十九年,繆侯卒,子莊侯果立。莊侯三年,齊桓公卒。十四年,晉文公敗楚於城濮。二十年,楚太子商臣弒其父成王代立。二十五年,秦穆公卒。三十三年,楚莊王即位。三十四年,莊侯卒,子文侯申立。文侯十四年,楚莊王伐陳,殺夏徵舒。十五年,楚圍鄭,鄭降楚,楚復醳之。二十年,文侯卒,子景侯固立。景侯元年,楚莊王卒。四十九年,景侯為太子般娶婦於楚,而景侯通焉。太子弒景侯而自立,是為靈侯。靈侯二年,楚公子圍弒其王郟敖而自立,為靈王。九年,陳司徒招弒其君哀公。楚使公子棄疾滅陳而有之。十二年,楚靈王以靈侯弒其父,誘蔡靈侯于申,伏甲飲之,醉而殺之,刑其士卒七十人。令公子棄疾圍蔡。十一月,滅蔡,使棄疾為蔡公。楚滅蔡三歲,楚公子棄疾弒其君靈王代立,為平王。平王乃求蔡景侯少子廬,立之,是為平侯。是年,楚亦復立陳。楚平王初立,欲親諸侯,故復立陳、蔡後。平侯九年卒,靈侯般之孫東國攻平侯子而自立,是為悼侯。悼侯父曰隱太子友。

新字:斉桓公怒,伐蔡;蔡潰,遂虜繆侯,南至楚邵陵。已而諸侯為蔡謝斉,斉侯帰蔡侯。二十九年,繆侯卒,子荘侯果立。荘侯三年,斉桓公卒。十四年,晋文公敗楚於城濮。二十年,楚太子商臣弒其父成王代立。二十五年,秦穆公卒。三十三年,楚荘王即位。三十四年,荘侯卒,子文侯申立。文侯十四年,楚荘王伐陳,殺夏徴舒。十五年,楚囲鄭,鄭降楚,楚復醳之。二十年,文侯卒,子景侯固立。景侯元年,楚荘王卒。四十九年,景侯為太子般娶婦於楚,而景侯通焉。太子弒景侯而自立,是為霊侯。霊侯二年,楚公子囲弒其王郟敖而自立,為霊王。九年,陳司徒招弒其君哀公。楚使公子棄疾滅陳而有之。十二年,楚霊王以霊侯弒其父,誘蔡霊侯于申,伏甲飲之,酔而殺之,刑其士卒七十人。令公子棄疾囲蔡。十一月,滅蔡,使棄疾為蔡公。楚滅蔡三歳,楚公子棄疾弒其君霊王代立,為平王。平王乃求蔡景侯少子廬,立之,是為平侯。是年,楚亦復立陳。楚平王初立,欲親諸侯,故復立陳、蔡後。平侯九年卒,霊侯般之孫東国攻平侯子而自立,是為悼侯。悼侯父曰隠太子友。

書き下し

斉の桓公怒りて、蔡を伐つ。蔡潰(つひ)え、遂に繆侯を虜にし、南のかた楚の邵陵に至る。已にして諸侯蔡の為に斉に謝し、斉侯蔡侯を帰す。二十九年、繆侯卒し、子の荘侯果立つ。荘侯の三年、斉の桓公卒す。十四年、晋の文公楚を城濮に敗る。二十年、楚の太子商臣其の父成王を弑して代はり立つ。二十五年、秦の穆公卒す。三十三年、楚の荘王即位す。三十四年、荘侯卒し、子の文侯申立つ。文侯の十四年、楚の荘王陳を伐ち、夏徴舒を殺す。十五年、楚鄭を囲み、鄭楚に降る。楚復た之を醳(ゆる)す。二十年、文侯卒し、子の景侯固立つ。景侯の元年、楚の荘王卒す。四十九年、景侯太子般の為に婦を楚に娶り、而して景侯焉に通ず。太子景侯を弑して自立す。是を霊侯と為す。霊侯の二年、楚の公子囲其の王郟敖を弑して自立し、霊王と為る。九年、陳の司徒招其の君哀公を弑す。楚公子棄疾をして陳を滅ぼして之を有たしむ。十二年、楚の霊王、霊侯の其の父を弑せしを以て、蔡の霊侯を申に誘ひ、甲を伏せて之に飲ましめ、酔はしめて之を殺し、其の士卒七十人を刑す。公子棄疾をして蔡を囲ましむ。十一月、蔡を滅ぼし、棄疾をして蔡公と為らしむ。楚蔡を滅ぼして三歳、楚の公子棄疾其の君霊王を弑して代はり立ち、平王と為る。平王乃ち蔡の景侯の少子廬を求めて之を立つ。是を平侯と為す。是の年、楚も亦た陳を復立す。楚の平王初めて立ち、諸侯に親しまんと欲す。故に復た陳・蔡の後を立つ。平侯九年にして卒し、霊侯般の孫東国、平侯の子を攻めて自立す。是を悼侯と為す。悼侯の父を隠太子友と曰ふ。

現代語訳

斉の桓公は怒って蔡を攻めた。蔡は総崩れとなり、斉は繆侯を捕虜にして、さらに南へ進んで楚の邵陵に至った。やがて諸侯が蔡のために斉に詫びを入れ、斉侯は蔡侯を帰した。二十九年、繆侯が亡くなり、子の荘侯果が立った。荘侯の三年、斉の桓公が亡くなった。十四年、晋の文公が城濮で楚を破った。二十年、楚の太子商臣が父の成王を殺して代わりに立った。二十五年、秦の穆公が亡くなった。三十三年、楚の荘王が即位した。三十四年、荘侯が亡くなり、子の文侯申が立った。文侯の十四年、楚の荘王が陳を攻め、夏徴舒を殺した。十五年、楚が鄭を包囲し、鄭は楚に降伏したが、楚は再び鄭を許した。二十年、文侯が亡くなり、子の景侯固が立った。景侯の元年、楚の荘王が亡くなった。四十九年、景侯は太子般のために楚から妻を迎えたが、景侯自身がその女性と通じた。太子は景侯を殺して自ら立った。これが霊侯である。霊侯の二年、楚の公子囲がその王の郟敖を殺して自ら立ち、霊王となった。九年、陳の司徒招がその君の哀公を殺した。楚は公子棄疾に陳を滅ぼさせ、自国の領土とした。十二年、楚の霊王は、霊侯が父を殺したことを口実に、蔡の霊侯を申に誘い出し、兵を伏せておいて酒をふるまい、酔ったところを殺し、その従者七十人も処刑した。そして公子棄疾に蔡を包囲させた。十一月、蔡を滅ぼし、棄疾を蔡公とした。楚が蔡を滅ぼして三年後、楚の公子棄疾はその君の霊王を殺して代わりに立ち、平王となった。平王は蔡の景侯の末子の廬を探し出して立てた。これが平侯である。この年、楚は陳も再興した。楚の平王は即位したばかりで、諸侯と親しくしたいと考え、そのために陳と蔡の子孫を再び立てたのである。平侯は在位九年で亡くなり、霊侯般の孫の東国が平侯の子を攻めて自ら立った。これが悼侯である。悼侯の父は隠太子友という。

解説

春秋中期の蔡の歩みを描く段です。蔡は斉の桓公に攻められ、のちには南の大国・楚の圧力を正面から受けるようになります。景侯が息子の妻と通じて殺され、その息子の霊侯が楚の霊王にだまし討ちにされて国を滅ぼされるという、親子の倫理が崩れた出来事が続きます。楚の霊王は「父殺しを罰する」という名目を掲げましたが、実際には領土を広げるための口実でした。その霊王も公子棄疾に殺され、新たに即位した平王は諸侯の支持を得るために陳と蔡を再興します。蔡の存亡が、自国の努力よりも大国の都合で決まっていたことがよくわかります。一方で、内側の道徳が崩れると外から付け込む口実を与えてしまうという点は、今の組織の不祥事にも通じる教訓です。自らの内側を正しておくことが、外からの攻撃を防ぐ最初の備えになるのです。

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