史記 / 魯周公世家
乃命于帝庭,敷佑四方,用能定汝子孫于下地,四方之民罔不敬畏。無墜天之降葆命,我先王亦永有所依歸。今我其即命於元龜,爾之許我,我以其璧與圭歸,以俟爾命。爾不許我,我乃屏璧與圭。』周公已令史策告太王、王季、文王,欲代武王發,於是乃即三王而卜。卜人皆曰吉,發書視之,信吉。周公喜,開籥,乃見書遇吉。周公入賀武王曰:『王其無害。旦新受命三王,維長終是圖。茲道能念予一人。』周公藏其策金縢匱中,誡守者勿敢言。明日,武王有瘳。
新字:乃命于帝庭,敷佑四方,用能定汝子孫于下地,四方之民罔不敬畏。無墜天之降葆命,我先王亦永有所依帰。今我其即命於元亀,爾之許我,我以其璧与圭帰,以俟爾命。爾不許我,我乃屏璧与圭。』周公已令史策告太王、王季、文王,欲代武王発,於是乃即三王而卜。卜人皆曰吉,発書視之,信吉。周公喜,開籥,乃見書遇吉。周公入賀武王曰:『王其無害。旦新受命三王,維長終是図。茲道能念予一人。』周公蔵其策金縢匱中,誡守者勿敢言。明日,武王有瘳。
書き下し
乃ち帝庭に命ぜられて、四方を敷き佑け、用て能く汝の子孫を下地に定め、四方の民敬ひ畏れざる罔し。天の降せる葆命を墜す無くんば、我が先王も亦永く依り帰する所有らん。今我其れ命を元亀に即く。爾の我に許さば、我其の璧と圭とを以て帰り、以て爾の命を俟たん。爾我に許さずんば、我乃ち璧と圭とを屏けん」と。周公已に史をして策もて太王・王季・文王に告げしめ、武王発に代らんと欲す。是に於て乃ち三王に即きて卜す。卜人皆吉と曰ふ。書を発きて之を視るに、信に吉なり。周公喜び、籥を開き、乃ち書を見るに吉に遇ふ。周公入りて武王を賀して曰く、「王其れ害無し。旦新たに命を三王に受く、維れ長く終へんことを是れ図る。茲の道、能く予一人を念ふ」と。周公、其の策を金縢の匱の中に蔵し、守る者を誡めて敢て言ふ勿からしむ。明日、武王瘳ゆる有り。
現代語訳
(周公の祈りの言葉の続き)「(武王は)天帝の庭で天命を受け、四方の天下に恵みを広げ助け、それによってあなたがた(先王)の子孫をこの地上に安定させることができ、四方の民で敬い畏れない者はいない。天が下された大切な命を失わせなければ、我が先王たちもまた永く寄りどころを持つことができる。今、私は大亀の甲で天命をうかがう。あなたがたが私の願いを聞き入れてくださるなら、私は璧と圭を持って帰り、あなたがたの命を待とう。聞き入れてくださらないなら、私は璧と圭をしまい込んで(祭りをやめて)しまおう」。周公は史官に命じて祝詞の書を読み上げさせ、太王・王季・文王の三王に告げて、自分が武王発の身代わりになりたいと願った。そこで三王の祭壇に向かって占った。占い師はみな「吉」と言った。占いの書を開いて見ると、本当に吉であった。周公は喜び、錠を開けて書を見ると、やはり吉と出ていた。周公は宮中に入って武王に祝いを述べた。「王には災いはない。私は新たに三王から命を受けた。王の治世が長く全うされることだけを願っている。この道によって、三王は私ども一人を心にかけてくださるだろう」。周公はその祝詞を金の紐で封じた箱(金縢)の中に納め、番人に決して口外しないよう戒めた。翌日、武王の病は快方に向かった。
解説
関連する章句
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史記 魯周公世家武王疾有りて、豫ならず、群臣懼る。周公是に於て乃ち自ら以て質と為し、三壇を設け、周公北面して立ち、璧を戴き圭を秉り、太王・王季・文王に告ぐ。史策祝して曰く、「旦を以て王発の身に代へん。旦は巧能にして、多材多藝、能く鬼神に事ふ。乃ち王発は旦の多材多藝なるに如かず、能く鬼神に事へず」と。
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尚書・金縢既に商に克つこと二年、王疾有り、豫(よろこ)ばず。二公曰く、「我其れ王の為に穆(つつし)みて卜せん。」周公曰く、「未だ以て我が先王を戚(うれ)へしむべからず。」公乃ち自ら以て功(ことがら)と為し、三壇を為りて墠(ぜん)を同じくす。壇を南方に為り、北面して周公立つ。璧を植(お)き珪を秉り、乃ち太王・王季・文王に告ぐ。史乃ち冊祝して曰く、「惟れ爾の元孫某、厲虐の疾に遘(あ)ふ。若し爾三王、是れ丕子の責を天に有らば、旦を以て某の身に代へよ。予仁にして考(たく)みなること若く、能く多材多芸にして、能く鬼神に事ふ。乃の元孫は旦の多材多芸なるに若かず、鬼神に事ふる能はず。乃ち帝庭に命ぜられ、四方を敷佑し、用て能く爾の子孫を下地に定め、四方の民、祗み畏れざる罔し。嗚呼(ああ)、天の降せる宝命を墜とすこと無くんば、我が先王も亦永く依帰する有らん。今我即ち元亀に命(き)かん。爾の我に許さば、我其れ璧と珪とを以て、帰りて爾の命を俟たん。爾我に許さずんば、我乃ち璧と珪とを屏(しりぞ)けん。」乃ち三亀に卜するに、一に習(かさ)ねて吉なり。籥(やく)を啓きて書を見るに、乃ち并びに是れ吉なり。公曰く、「体、王其れ害罔からん。予小子新たに命を三王に受け、惟れ永終を是れ図る、茲に俟つ攸は、能く予一人を念へばなり。」公帰りて、乃ち冊を金縢の匱の中に納む。王翌日乃ち瘳(い)ゆ。武王既に喪(ほろ)び、管叔及び其の群弟乃ち国に流言して曰く、「公将に孺子に利あらざらんとす。」周公乃ち二公に告げて曰く、「我の辟(さ)けずんば、我以て我が先王に告ぐる無からん。」周公東に居ること二年、則ち罪人斯(ここ)に得らる。後に于いて、公乃ち詩を為りて以て王に貽(おく)り、之を名づけて『鴟鴞(しきょう)』と曰ふ。王も亦未だ敢て公を誚(せ)めず。秋大いに熟し、未だ獲らざるに、天大いに雷電して以て風ふき、禾尽く偃(ふ)し、大木斯に抜け、邦人大いに恐る。王と大夫と尽く弁して、以て金縢の書を啓き、乃ち周公の自ら以て功と為して武王に代はらんとせし説を得たり。二公及び王乃ち諸を史と百執事とに問ふ。対へて曰く、「信なり。噫、公我に命じて敢て言ふこと勿からしむ。」
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史記 魯周公世家周公卒して後、秋未だ穫らざるに、暴風雷雨ありて、禾斯に偃し、大木斯に抜く。周国大いに恐る。成王、大夫と朝服して以て金縢の書を開き、王乃ち周公の自ら以て功と為して武王に代らんとせしの説を得たり。二公及び王乃ち史・百執事に問ふ。史・百執事曰く、「信に有り。昔、周公我に命じて敢て言ふ勿からしむ」と。成王、書を執りて以て泣きて、曰く、「今より後、其れ繆卜する無からんか。昔、周公は王家に勤労す。惟れ予幼人、知るに及ばず。今、天、威を動かして以て周公の徳を彰す。惟れ朕小子其れ迎へん。我が国家の礼も亦之に宜し」と。王郊に出づ。天乃ち雨ふり、風を反し、禾尽く起く。
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史記 魯周公世家周公旦は、周の武王の弟なり。文王の在りし時より、旦は子と為りて孝、篤く仁にして、群子に異なる。武王即位するに及び、旦常に武王を輔翼し、事を用ふること多きに居る。武王の九年、東伐して盟津に至る。周公輔けて行く。十一年、紂を伐ちて牧野に至る。周公、武王を佐けて牧誓を作る。殷を破りて商の宮に入る。已に紂を殺し、周公は大鉞を把り、召公は小鉞を把りて、以て武王を夾み、社に釁りて、紂の罪を天及び殷の民に告ぐ。箕子の囚を釈く。紂の子武庚禄父を封じ、管叔・蔡叔をして之に傅たらしめ、以て殷の祀を続がしむ。遍く功臣・同姓・戚者を封ず。周公旦を少昊の虚曲阜に封ず。是れを魯公と為す。周公封に就かず、留まりて武王を佐く。武王殷に克ちて二年、天下未だ集まらず。武王疾有りて、豫ばず。群臣懼る。太公・召公乃ち繆卜す。周公曰く、「未だ以て我が先王を戚へしむ可からず」と。
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尚書・金縢王書を執りて以て泣きて曰く、「其れ穆卜すること勿かれ。昔公王家に勤労せしに、惟れ予沖人及び知らず。今天威を動かし、以て周公の徳を彰らかにす。惟れ朕小子其れ新たに逆(むか)へん、我が国家の礼も亦之に宜し。」王郊に出づるに、天乃ち雨ふり、風を反し、禾則ち尽く起つ。二公邦人に命じ、凡そ大木の偃す所、尽く起こして之を築かしむ、歳則ち大いに熟す。
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史記 魯周公世家武王既に崩じ、成王少くして、彊葆の中に在り。周公天下の武王の崩ずるを聞きて畔かんことを恐れ、周公乃ち阼を踐み成王に代はりて摂して政を行ひ国に当たる。管叔及び其の群弟国に流言して曰く、「周公将に成王に利あらざらんとす」と。周公乃ち太公望・召公奭に告げて曰く、「我の辟けずして摂して政を行ふ所以の者は、天下の周に畔きて、以て我が先王に告ぐる無きを恐るればなり。武王蚤く終はり、成王少し、将に以て周を成さんとす、我の之が為に此くのごとくする所以なり」と。是に於て卒に成王を相く。
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