太上感応篇 / 善行・恩を施して報いを求めず
受辱不怨,受寵若驚。施恩不求報,與人不追悔。
新字:受辱不怨,受寵若驚。施恩不求報,与人不追悔。
書き下し
辱を受くるも怨みず、寵を受くるも驚くが若し。恩を施して報いを求めず、人に与へて追ひて悔いず。
現代語訳
はずかしめを受けても人を怨まず、恩寵を受けたときはかえって驚き恐れるようにします。恩を施しても見返りを求めず、人に与えたあとで惜しんで悔やんだりしません。
解説
善行の総論を締めくくる四句です。受寵若驚は『老子』十三章の言葉で、引き立てられたときこそ驚いて身を引き締めよという意味になります。屈辱と厚遇という、人がもっとも姿勢を崩しやすい二つの場面を並べたところに工夫があります。後半の二句は、与えたあとの心の始末についてです。施して報いを求めないだけでなく、与えたあとで惜しまない。あげてしまってから惜しむ気持ちが湧くなら、それは初めから与えていないのと同じだ、という含みでしょう。人に何かをしたのに返ってこないと数え始めたとき、その関係はすでに損得の勘定に変わっています。
この章句が説くこと
無私謙虚施し見返り心
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