史記 / 魯周公世家
』周公於是乃自以爲質,設三壇,周公北面立,戴璧秉圭,告于太王、王季、文王。史策祝曰:『惟爾元孫王發,勤勞阻疾。若爾三王是有負子之責於天,以旦代王發之身。旦巧能,多材多藝,能事鬼神。乃王發不如旦多材多藝,不能事鬼神。
新字:』周公於是乃自以為質,設三壇,周公北面立,戴璧秉圭,告于太王、王季、文王。史策祝曰:『惟爾元孫王発,勤労阻疾。若爾三王是有負子之責於天,以旦代王発之身。旦巧能,多材多芸,能事鬼神。乃王発不如旦多材多芸,不能事鬼神。
書き下し
武王疾有りて、豫ならず、群臣懼る。周公是に於て乃ち自ら以て質と為し、三壇を設け、周公北面して立ち、璧を戴き圭を秉り、太王・王季・文王に告ぐ。史策祝して曰く、「旦を以て王発の身に代へん。旦は巧能にして、多材多藝、能く鬼神に事ふ。乃ち王発は旦の多材多藝なるに如かず、能く鬼神に事へず」と。
現代語訳
武王が病にかかり、快方に向かわず、群臣は恐れた。そこで周公は自らを人質として差し出すことにし、三つの祭壇を設け、北を向いて立ち、璧を頭上に捧げ圭を手に持って、太王・王季・文王に祈った。史官が祝詞を読み上げて言った。「この旦を、王発(武王)の身代わりといたします。旦は器用で、多才多芸であり、よく鬼神にお仕えできます。王発は旦ほど多才多芸ではなく、鬼神にお仕えすることができません」。
解説
「大切な人や組織のためなら、自らの身を、代わりに差し出すことも辞さない」——周公旦の、命を賭した献身を描いた一段です。周王朝を築いた武王が、(天下がまだ落ち着かぬうちに、)重い病にかかり、危篤に陥りました。家臣たちは、皆、(王朝の存亡に関わると、)恐れおののきます。このとき、武王の弟である周公旦は、驚くべき行動に出ました。彼は、「自らを、(兄・武王の身代わりの)人質として、差し出す(自以為質)」ことを、決意したのです。三つの祭壇を設け、北を向いて立ち、(諸侯の証である)璧と圭を捧げ持って、祖先である太王・王季・文王の霊に、こう祈りました。祝詞(のりと)を、史官が読み上げます。「どうか、この旦(周公自身の名)の身を、王発(武王)の身の、代わりとしてお受け取りください(以旦代王發之身)。この旦は、(幸い、)器用で、多くの才能と技芸を備えており、(あの世で、)鬼神にお仕えすることも、よくできます。それに対して、(兄の)王発は、旦ほど、多くの才能と技芸を持っておらず、鬼神にお仕えすることは、できません。(ですから、どうか、私を、身代わりに、お連れください)」と。自分の命を差し出して、兄王の命を、救おうとしたのです。しかも、周公は、この祈りを、(自らの功として誇るどころか、)誰にも知らせず、その記録を、金の紐で綴じた箱(金縢)に、密かにしまい込み、生涯、口外しませんでした。ここに、献身についての教訓があります。第一に、真に大切なもの(組織・大義・人)のためなら、自らの身や、利益を、進んで、代わりに差し出す覚悟を持つ、その、無私の献身。周公は、自分の命を、兄王の身代わりに、差し出そうとした。口先の忠誠ではなく、身を賭す覚悟。第二に、そして、その献身を、(恩に着せたり、)誇ったりせず、誰にも知られぬよう、秘めておくこと。周公は、この祈りを、金縢に封じ、生涯、語らなかった。真の献身は、見返りも、称賛も、求めない。第三に、自らを、「(自分のほうが、代わりになれる、取るに足らぬ者だ)」と、低く置く謙虚さ。組織や人生で、真に大切なもののために自らの身や利益を進んで差し出す覚悟を持つこと、その献身を誇らず恩に着せず秘めておくこと、そして自らを低く置く謙虚さを保つこと——周公が身代わりを祈った逸話は、無私の献身の姿を教えます。
この章句が説くこと
周公旦自ら質と為る以旦代王発之身無私の献身身を賭す覚悟金縢に封じて誇らない
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尚書・金縢既に商に克つこと二年、王疾有り、豫(よろこ)ばず。二公曰く、「我其れ王の為に穆(つつし)みて卜せん。」周公曰く、「未だ以て我が先王を戚(うれ)へしむべからず。」公乃ち自ら以て功(ことがら)と為し、三壇を為りて墠(ぜん)を同じくす。壇を南方に為り、北面して周公立つ。璧を植(お)き珪を秉り、乃ち太王・王季・文王に告ぐ。史乃ち冊祝して曰く、「惟れ爾の元孫某、厲虐の疾に遘(あ)ふ。若し爾三王、是れ丕子の責を天に有らば、旦を以て某の身に代へよ。予仁にして考(たく)みなること若く、能く多材多芸にして、能く鬼神に事ふ。乃の元孫は旦の多材多芸なるに若かず、鬼神に事ふる能はず。乃ち帝庭に命ぜられ、四方を敷佑し、用て能く爾の子孫を下地に定め、四方の民、祗み畏れざる罔し。嗚呼(ああ)、天の降せる宝命を墜とすこと無くんば、我が先王も亦永く依帰する有らん。今我即ち元亀に命(き)かん。爾の我に許さば、我其れ璧と珪とを以て、帰りて爾の命を俟たん。爾我に許さずんば、我乃ち璧と珪とを屏(しりぞ)けん。」乃ち三亀に卜するに、一に習(かさ)ねて吉なり。籥(やく)を啓きて書を見るに、乃ち并びに是れ吉なり。公曰く、「体、王其れ害罔からん。予小子新たに命を三王に受け、惟れ永終を是れ図る、茲に俟つ攸は、能く予一人を念へばなり。」公帰りて、乃ち冊を金縢の匱の中に納む。王翌日乃ち瘳(い)ゆ。武王既に喪(ほろ)び、管叔及び其の群弟乃ち国に流言して曰く、「公将に孺子に利あらざらんとす。」周公乃ち二公に告げて曰く、「我の辟(さ)けずんば、我以て我が先王に告ぐる無からん。」周公東に居ること二年、則ち罪人斯(ここ)に得らる。後に于いて、公乃ち詩を為りて以て王に貽(おく)り、之を名づけて『鴟鴞(しきょう)』と曰ふ。王も亦未だ敢て公を誚(せ)めず。秋大いに熟し、未だ獲らざるに、天大いに雷電して以て風ふき、禾尽く偃(ふ)し、大木斯に抜け、邦人大いに恐る。王と大夫と尽く弁して、以て金縢の書を啓き、乃ち周公の自ら以て功と為して武王に代はらんとせし説を得たり。二公及び王乃ち諸を史と百執事とに問ふ。対へて曰く、「信なり。噫、公我に命じて敢て言ふこと勿からしむ。」
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