史記 / 斉太公世家
田乞欲為亂,樹黨於逆臣,說景公曰:「范、中行數有德於齊,不可不救。」及使乞救而輸之粟。五十八年夏,景公夫人燕姬適子死。景公寵妾芮姬生子荼,荼少,其母賤,無行,諸大夫恐其為嗣,乃言願擇諸子長賢者為太子。景公老,惡言嗣事,又愛荼母,欲立之,憚發之口,乃謂諸大夫曰:「為樂耳,國何患無君乎?」秋,景公病,命國惠子、高昭子立少子荼為太子,逐群公子,遷之萊。景公卒,太子荼立,是為晏孺子。冬,未葬,而群公子畏誅,皆出亡。荼諸異母兄公子壽、駒、黔奔衛,公子駔、陽生奔魯。萊人歌之曰:「景公死乎弗與埋,三軍事乎弗與謀,師乎師乎,胡黨之乎?」晏孺子元年春,田乞偽事高、國者,每朝,乞驂乘,言曰:「子得君,大夫皆自危,欲謀作亂。」又謂諸大夫曰:「高昭子可畏,及未發,先之。」大夫從之。六月,田乞、鮑牧乃與大夫以兵入公宮,攻高昭子。昭子聞之,與國惠子救公。公師敗,田乞之徒追之,國惠子奔莒,遂反殺高昭子。晏圉奔魯。八月,齊秉意茲。田乞敗二相,乃使人之魯召公子陽生。陽生至齊,私匿田乞家。十月戊子,田乞請諸大夫曰:「常之母有魚菽之祭,幸來會飲。」會飲,田乞盛陽生橐中,置坐中央,發橐出陽生,曰:「此乃齊君矣!」大夫皆伏謁。
新字:田乞欲為乱,樹党於逆臣,説景公曰:「范、中行数有徳於斉,不可不救。」及使乞救而輸之粟。五十八年夏,景公夫人燕姫適子死。景公寵妾芮姫生子荼,荼少,其母賤,無行,諸大夫恐其為嗣,乃言願択諸子長賢者為太子。景公老,悪言嗣事,又愛荼母,欲立之,憚発之口,乃謂諸大夫曰:「為楽耳,国何患無君乎?」秋,景公病,命国恵子、高昭子立少子荼為太子,逐群公子,遷之萊。景公卒,太子荼立,是為晏孺子。冬,未葬,而群公子畏誅,皆出亡。荼諸異母兄公子寿、駒、黔奔衛,公子駔、陽生奔魯。萊人歌之曰:「景公死乎弗与埋,三軍事乎弗与謀,師乎師乎,胡党之乎?」晏孺子元年春,田乞偽事高、国者,毎朝,乞驂乗,言曰:「子得君,大夫皆自危,欲謀作乱。」又謂諸大夫曰:「高昭子可畏,及未発,先之。」大夫従之。六月,田乞、鮑牧乃与大夫以兵入公宮,攻高昭子。昭子聞之,与国恵子救公。公師敗,田乞之徒追之,国恵子奔莒,遂反殺高昭子。晏圉奔魯。八月,斉秉意茲。田乞敗二相,乃使人之魯召公子陽生。陽生至斉,私匿田乞家。十月戊子,田乞請諸大夫曰:「常之母有魚菽之祭,幸来会飲。」会飲,田乞盛陽生橐中,置坐中央,発橐出陽生,曰:「此乃斉君矣!」大夫皆伏謁。
書き下し
田乞、乱を為さんと欲し、党を逆臣に樹て、景公に説きて曰く、「范・中行は数々斉に徳有り、救はざる可からず」と。乞をして救ひて之に粟を輸らしむるに及ぶ。五十八年夏、景公の夫人燕姫の適子死す。景公の寵妾芮姫、子荼を生む。荼少く、其の母賤しく、行無し。諸大夫其の嗣と為らんことを恐れ、乃ち諸子の長にして賢なる者を択びて太子と為さんことを願ふと言ふ。景公老い、嗣の事を言ふを悪み、又荼の母を愛し、之を立てんと欲するも、之を口に発するを憚り、乃ち諸大夫に謂ひて曰く、「楽しみを為さんのみ。国何ぞ君無きを患へんや」と。秋、景公病み、国恵子・高昭子に命じて少子荼を立てて太子と為し、群公子を逐ひて、之を萊に遷さしむ。景公卒し、太子荼立つ。是れを晏孺子と為す。冬、未だ葬らずして、群公子誅せらるるを畏れ、皆出で亡ぐ。荼の諸々の異母兄公子寿・駒・黔は衛に奔り、公子駔・陽生は魯に奔る。萊人之を歌ひて曰く、「景公死せるも与に埋めず、三軍の事にも与に謀らず。師や師や、胡ぞ之に党せんや」と。晏孺子の元年春、田乞、偽りて高・国に事ふる者のごとくし、朝する毎に、乞驂乗して、言ひて曰く、「子君を得たり。大夫皆自ら危ぶみ、乱を作さんと謀らんと欲す」と。又諸大夫に謂ひて曰く、「高昭子は畏る可し。未だ発せざるに及びて、之に先んぜよ」と。大夫之に従ふ。六月、田乞・鮑牧乃ち大夫と兵を以て公宮に入り、高昭子を攻む。昭子之を聞き、国恵子と公を救ふ。公の師敗る。田乞の徒之を追ふ。国恵子莒に奔る。遂に反りて高昭子を殺す。晏圉、魯に奔る。八月、斉の秉意茲。田乞、二相を敗り、乃ち人をして魯に之きて公子陽生を召さしむ。陽生斉に至り、私かに田乞の家に匿る。十月戊子、田乞、諸大夫に請ひて曰く、「常の母、魚菽の祭有り。幸ひに来りて会飲せよ」と。会飲す。田乞、陽生を橐の中に盛り、坐の中央に置き、橐を発きて陽生を出して、曰く、「此れ乃ち斉の君なり」と。大夫皆伏して謁す。
現代語訳
田乞は乱を起こそうと考え、(晋の)逆臣とも手を結んで味方を作ろうとして、景公に説いて言った。「范氏・中行氏はたびたび斉に恩を施してきた。救わないわけにはいかない」。そこで景公は田乞に命じて范氏・中行氏を救わせ、穀物を送らせた。五十八年の夏、景公の正夫人燕姫の産んだ嫡子が死んだ。景公の寵愛する側室の芮姫が子の荼(と)を産んでいた。荼は幼く、その母は身分が低く、品行もよくなかった。大夫たちは荼が跡継ぎになることを恐れ、公子たちの中から年長で賢い者を選んで太子にしてほしいと願い出た。景公は年老いて跡継ぎの話をするのを嫌い、また荼の母を愛していたので荼を立てたいと思っていたが、それを口に出すのをはばかって、大夫たちにこう言った。「楽しめばよいではないか。国に君主がいなくなる心配などあるものか」。秋、景公は病気になり、国恵子と高昭子に命じて末子の荼を太子に立てさせ、他の公子たちを追放して萊に移させた。景公が亡くなり、太子の荼が立った。これが晏孺子である。冬、景公をまだ葬らないうちに、公子たちは殺されることを恐れて、みな国外に逃げた。荼の異母兄のうち、公子寿・駒・黔は衛に、公子駔・陽生は魯に逃げた。萊の人々はこれを歌って言った。「景公が死んでも葬りに加われず、軍の大事にも相談にあずかれない。公子たちよ、公子たちよ、いったいどこへ身を寄せるのか」。晏孺子の元年の春、田乞は高氏・国氏に仕えるふりをして、朝廷に出るたびに車に同乗し、こう言った。「あなたがたは君主を手中に収めた。大夫たちはみな身の危険を感じ、乱を起こそうと謀っている」。また大夫たちにはこう言った。「高昭子は恐ろしい。彼が動き出す前に先手を打て」。大夫たちはこれに従った。六月、田乞と鮑牧は大夫たちとともに兵を率いて公宮に入り、高昭子を攻めた。高昭子はこれを聞き、国恵子とともに君主を守った。君主の軍は敗れた。田乞の手勢がこれを追った。国恵子は莒に逃げた。田乞の手勢は引き返して高昭子を殺した。晏圉(晏嬰の子)は魯に逃げた。八月、斉の秉意茲(へいいし)(も魯に逃げた)。田乞は二人の宰相を打ち破ると、人を魯に遣わして公子陽生を呼び寄せた。陽生は斉に着くと、ひそかに田乞の家に隠れた。十月戊子の日、田乞は大夫たちを招いて言った。「(息子の)常の母が魚と豆の粗末な祭りをする。どうか来て一緒に飲んでほしい」。一同が集まって飲んでいるとき、田乞は陽生を袋の中に入れて座の中央に置き、袋を開いて陽生を出すと、「この方こそ斉の君主である」と言った。大夫たちはみなひれ伏して拝謁した。
解説
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史記 田敬仲完世家晋の大夫欒逞、乱を晋に作し、来りて斉に奔る。斉の荘公厚く之を客とす。晏嬰と田文子と諫むれども、荘公聴かず。文子卒し、桓子無宇を生む。田桓子無宇力有り。斉の荘公に事へ、甚だ寵有り。無宇卒し、武子開と釐子乞とを生む。田釐子乞、斉の景公に事へて大夫と為る。其の賦税を民に収むるには小斗を以て之を受け、其の稟を民に予ふるには大斗を以てし、陰徳を民に行ふ。而るに景公禁ぜず。此に由りて田氏斉の衆心を得、宗族益々彊く、民田氏を思ふ。晏子数々景公を諫むれども、景公聴かず。已にして晋に使ひし、叔向と私かに語りて曰く、「斉国の政は卒に田氏に帰せん」と。晏嬰卒して後、范・中行氏晋に反く。晋之を攻むること急なり。范・中行、粟を斉に請ふ。田乞乱を為さんと欲し、党を諸侯に樹つ。乃ち景公に説きて曰く、「范・中行数々斉に徳有り。斉救はざるべからず」と。斉田乞をして之を救ひて之に粟を輸らしむ。景公の太子死す。後に寵姫有り芮子と曰ふ。子荼を生む。景公病み、其の相国恵子と高昭子とに命じて子荼を以て太子と為さしむ。景公卒す。両相の高・国、荼を立つ、是を晏孺子と為す。而るに田乞説ばず、景公の他の子陽生を立てんと欲す。陽生素より乞と歓ぶ。晏孺子の立つや、陽生魯に奔る。田乞偽りて高昭子・国恵子に事ふる者、朝する毎に参乗に代はり、言ひて曰く、「始め諸大夫孺子を立つるを欲せず。孺子既に立ち、君之に相たり。大夫皆自ら危ぶみ、乱を作さんと謀る」と。又大夫を紿きて曰く、「高昭子畏るべきなり。未だ発せざるに及びて之に先んぜよ」と。諸大夫之に従ふ。田乞・鮑牧、大夫と兵を以て公室に入り、高昭子を攻む。昭子之を聞き、国恵子と公を救ふ。公の師敗る。田乞の衆国恵子を追ふ。恵子莒に奔る。遂に返りて高昭子を殺す。
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史記 田敬仲完世家晏圉魯に奔る。田乞人をして魯に之かしめ、陽生を迎ふ。陽生斉に至り、田乞の家に匿る。諸大夫に請ひて曰く、「常の母に魚菽の祭有り。幸ひにして来りて会飲せよ」と。田氏に会飲す。田乞陽生を橐中に盛り、坐の中央に置く。橐を発き、陽生を出だして曰く、「此れ乃ち斉君なり」と。大夫皆伏して謁す。将に盟ひて之を立てんとす。田乞誣ひて曰く、「吾鮑牧と謀りて共に陽生を立つるなり」と。鮑牧怒りて曰く、「大夫景公の命を忘れたるか」と。諸大夫悔いんと欲す。陽生乃ち頓首して曰く、「可なれば則ち之を立てよ。不可なれば則ち已めよ」と。鮑牧禍の己に及ばんことを恐れ、乃ち復た曰く、「皆景公の子なり。何為れぞ不可ならん」と。遂に陽生を田乞の家に立つ、是を悼公と為す。乃ち人をして晏孺子を駘に遷さしめ、而して孺子荼を殺す。悼公既に立ち、田乞相と為り、斉の政を専らにす。四年、田乞卒し、子常代はりて立つ、是を田成子と為す。鮑牧、斉の悼公と郄有り。悼公を弑す。斉人共に其の子壬を立つ、是を簡公と為す。田常成子と監止と倶に左右の相と為り、簡公に相たり。田常心に監止を害む。監止簡公に幸せらる。権去ること能はず。是に於て田常復た釐子の政を修め、大斗を以て出だし貸し、小斗を以て収む。斉人之を歌ひて曰く、「嫗や芑を采る、田成子に帰せよ」と。斉の大夫朝す。御鞅簡公を諫めて曰く、「田・監は并ぶべからざるなり。君其れ焉を択べ」と。君聴かず。子我は、監止の宗人なり。常に田氏と卻有り。田氏の疎族田豹、子我に事へて寵有り。子我曰く、「吾尽く田氏の適を滅ぼし、豹を以て田氏の宗に代へんと欲す」と。豹曰く、「臣は田氏に於て疎なり」と。聴かず。已にして豹田氏に謂ひて曰く、「子我将に田氏を誅せんとす。田氏先んぜずんば、禍及ばん」と。子我公宮に舎る。田常兄弟四人乗りて公宮に如き、子我を殺さんと欲す。子我門を閉づ。
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史記 斉太公世家将に大夫と盟ひて之を立てんとするに、鮑牧酔ふ。乞、大夫を誣ひて曰く、「吾、鮑牧と謀りて共に陽生を立てんとす」と。鮑牧怒りて曰く、「子、景公の命を忘れたるか」と。諸大夫相視て悔いんと欲す。陽生前み、頓首して曰く、「可なれば則ち之を立てよ。否なれば則ち已めよ」と。鮑牧、禍の起らんことを恐れ、乃ち復た曰く、「皆景公の子なり。何為れぞ不可ならん」と。乃ち与に盟ひ、陽生を立つ。是れを悼公と為す。悼公宮に入り、人をして晏孺子を駘に遷さしめ、之を幕下に殺し、而して孺子の母芮子を逐ふ。芮子は故賤しくして孺子少し、故に権無く、国人之を軽んず。悼公の元年、斉、魯を伐ち、讙・闡を取る。初め、陽生亡げて魯に在るや、季康子其の妹を以て之に妻はす。帰りて即位するに及び、之を迎へしむ。季姫、季魴侯と通じ、其の情を言ふ。魯敢て与へず。故に斉、魯を伐ち、竟に季姫を迎ふ。季姫嬖せられ、斉復た魯の侵地を帰す。鮑子、悼公と郤有り、善からず。四年、呉・魯、斉の南方を伐つ。鮑子、悼公を弑し、呉に赴ぐ。呉王夫差、軍門の外に哭すること三日、将に海より入りて斉を討たんとす。斉人之を敗り、呉の師乃ち去る。晋の趙鞅、斉を伐ち、頼に至りて去る。斉人共に悼公の子壬を立つ。是れを簡公と為す。簡公の四年春、初め、簡公、父陽生と倶に魯に在るや、監止寵有り。即位するに及び、政を為さしむ。田成子之を憚り、驟々朝に顧みる。御鞅、簡公に言ひて曰く、「田・監は并す可からず。君其れ択べ」と。聴かず。子我夕す。田逆人を殺す。之に逢ひ、遂に捕へて以て入る。田氏方に睦まじ。囚をして病ましめて守囚者に酒を遺り、酔はしめて守者を殺し、亡ぐるを得たり。子我、諸田と陳宗に盟ふ。初め、田豹、子我の臣たらんと欲し、公孫をして豹を言はしむ。豹喪有りて止む。後卒に以て臣と為し、子我に幸せらる。子我謂ひて曰く、「吾尽く田氏を逐ひて女を立てん、可ならんか」と。対へて曰く、「我は田氏に遠し。
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史記 斉太公世家田氏は大徳無しと雖も、公権を以て私し、民に徳有り、民之を愛す」と。十二年、景公晋に如き、平公に見え、与に燕を伐たんと欲す。十八年、公復た晋に如き、昭公に見ゆ。二十六年、魯の郊に猟し、因りて魯に入り、晏嬰と倶に魯の礼を問ふ。三十一年、魯の昭公、季氏の難を辟け、斉に奔る。斉、千社を以て之を封ぜんと欲す。子家、昭公を止む。昭公乃ち斉に請ひて魯を伐ち、鄆を取りて以て昭公を居らしむ。三十二年、彗星見はる。景公、柏寝に坐し、嘆じて曰く、「堂堂たり。誰か此を有たんや」と。群臣皆泣く。晏子笑ふ。公怒る。晏子曰く、「臣は群臣の諛ふこと甚だしきを笑ふ」と。景公曰く、「彗星東北に出で、斉の分野に当る。寡人以て憂と為す」と。晏子曰く、「君は台を高くし池を深くし、賦斂は得ざるが如くし、刑罰は勝へざるを恐る。茀星将に出でんとす。彗星何ぞ懼れんや」と。公曰く、「禳ふ可きや否や」と。晏子曰く、「神をして祝して来らしむ可くんば、亦禳ひて去らしむ可きなり。百姓の苦怨するもの万を以て数ふ。而るに君一人をして之を禳はしむ。安んぞ能く衆口に勝たんや」と。是の時、景公好んで宮室を治め、狗馬を聚め、奢侈にして、賦を厚くし刑を重くす。故に晏子此を以て之を諫む。四十二年、呉王闔閭、楚を伐ちて郢に入る。四十七年、魯の陽虎、其の君を攻むるも、勝たず、斉に奔り、斉に魯を伐たんことを請ふ。鮑子、景公を諫め、乃ち陽虎を囚ふ。陽虎亡ぐるを得て、晋に奔る。四十八年、魯の定公と夾谷に好会す。犁鉏曰く、「孔丘は礼を知れども怯なり。請ふ萊人をして楽を為さしめ、因りて魯君を執へば、志を得可し」と。景公、孔丘の魯に相たるを害とし、其の覇たらんことを懼る。故に犁鉏の計に従ふ。方に会するや、萊の楽を進む。孔子階を歴て上り、有司をして萊人を執へて之を斬らしめ、礼を以て景公を譲む。景公慚ぢ、乃ち魯の侵地を帰して以て謝し、罷め去る。是の歳、晏嬰卒す。五十五年、范・中行、其の君に晋に反す。晋之を攻むること急なり。来りて粟を請ふ。
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史記 斉太公世家五月壬辰、霊公卒す。荘公即位し、太子牙を句竇の丘に執へて、之を殺す。八月、崔杼、高厚を殺す。晋、斉の乱を聞き、斉を伐ちて高唐に至る。荘公の三年、晋の大夫欒盈、斉に奔る。荘公厚く客として之を待す。晏嬰・田文子諫むるも、公聴かず。四年、斉の荘公、欒盈をして間かに晋の曲沃に入りて内応と為らしめ、兵を以て之に随ひ、太行に上り、孟門に入る。欒盈敗れ、斉の兵還りて、朝歌を取る。六年、初め、棠公の妻好し。棠公死し、崔杼之を取る。荘公之に通じ、数々崔氏に如き、崔杼の冠を以て人に賜ふ。待者曰く、「不可なり」と。崔杼怒り、其の晋を伐つに因りて、晋と合謀して斉を襲はんと欲するも間を得ず。荘公嘗て宦者賈挙を笞うつ。賈挙復た侍し、崔杼の為に公を間ひて以て怨に報ゆ。五月、莒子斉に朝す。斉、甲戌を以て之を饗す。崔杼病と称して事を視ず。乙亥、公、崔杼の病を問ひ、遂に崔杼の妻に従ふ。崔杼の妻室に入り、崔杼と自ら戸を閉ぢて出でず。公、柱を擁して歌ふ。宦者賈挙、公の従官を遮りて入り、門を閉づ。崔杼の徒、兵を持ちて中より起る。公、台に登りて解かんことを請ふも、許さず。盟はんことを請ふも、許さず。自ら廟に殺さんことを請ふも、許さず。皆曰く、「君の臣杼、疾病にして、命を聴く能はず。公宮に近し。陪臣、淫する者有るを争ひ趣へ、二命を知らず」と。公、墻を踰ゆ。公の股を射中つ。公反りて墜つ。遂に之を弑す。晏嬰、崔杼の門外に立ちて、曰く、「君、社稷の為に死すれば則ち之に死し、社稷の為に亡ぐれば則ち之に亡ぐ。若し己の為に死し己の為に亡ぐれば、其の私暱に非ずんば、誰か敢て之に任ぜん」と。門開きて入り、公の尸を枕にして哭し、三たび踴りて出づ。人、崔杼に謂ふ、「必ず之を殺せ」と。崔杼曰く、「民の望なり。之を舎けば民を得ん」と。丁丑、崔杼、荘公の異母弟杵臼を立つ。是れを景公と為す。景公の母は、魯の叔孫宣伯の女なり。
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史記 斉太公世家景公立ち、崔杼を以て右相と為し、慶封を左相と為す。二相、乱の起らんことを恐れ、乃ち国人と盟ひて曰く、「崔・慶に与せざる者は死せん」と。晏子天を仰ぎて曰く、「嬰の唯君に忠にして社稷を利する者に是れ従はざる所の者有らば」と。盟ふを肯ぜず。慶封、晏子を殺さんと欲す。崔杼曰く、「忠臣なり、之を舎け」と。斉の太史書して曰く「崔杼、荘公を弑す」と。崔杼之を殺す。其の弟復た書す。崔杼復た之を殺す。少弟復た書す。崔杼乃ち之を舎く。景公の元年、初め、崔杼、子成及び彊を生む。其の母死し、東郭の女を取りて、明を生む。東郭の女、其の前夫の子無咎と其の弟偃とをして崔氏に相たらしむ。成に罪有り、二相急に之を治め、明を立てて太子と為す。成、崔に老せんことを請ふ。崔杼之を許すも、二相聴かずして、曰く、「崔は宗邑なり、不可なり」と。成・彊怒り、慶封に告ぐ。慶封、崔杼と郤有り、其の敗れんことを欲す。成・彊、無咎・偃を崔杼の家に殺す。家皆奔亡す。崔杼怒るも、人無く、一宦者をして御せしめて、慶封に見ゆ。慶封曰く、「請ふ子の為に之を誅せん」と。崔杼の仇盧蒲嫳をして崔氏を攻めしめ、成・彊を殺し、尽く崔氏を滅す。崔杼の婦自殺す。崔杼帰る毋く、亦自殺す。慶封、相国と為り、権を専らにす。三年十月、慶封出でて猟す。初め、慶封已に崔杼を殺し、益々驕り、酒を嗜み猟を好み、政令を聴かず。慶舎、政を用ひ、已に内に郤有り。田文子、桓子に謂ひて曰く、「乱将に作らんとす」と。田・鮑・高・欒氏、相与に慶氏を謀る。慶舎、甲を発して慶封の宮を囲む。四家の徒共に撃ちて之を破る。慶封還るも、入るを得ず、魯に奔る。斉人、魯を譲む。封、呉に奔る。呉、之に朱方を与へ、其の族を聚めて之に居らしむ。斉に在りしより富めり。其の秋、斉人、荘公を徙し葬り、崔杼の尸を市に僇して以て衆に説ぶ。九年、景公、晏嬰をして晋に之かしむ。叔向と私語して曰く、「斉の政は卒に田氏に帰せん。
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